52話 蘇る白
100話だ!
もはや地獄の混沌は誰にも止められそうにない。
そこら中で怒号や悲鳴が飛び交い、囚人と獄吏たちが入り乱れての戦いが続いていた。
その合間を縫うようにしてラゴーンとバスピーは走る。
途中多少獄吏たちの妨害があったとはいえ、一直線に天界への扉に向かって行く彼らを止められるものはいなかった。
しかし彼らは当然焦っている。
バスピーが鍵を奪われてから、もうそこそこ時間が経っていた。
囚人たちが天界へ逃げ込んだ後、どれだけそこで騒ぎ立てているかは不明だが、使徒たちが異変に気付くのも時間の問題だろう。
そうなる前に、彼らも地獄から脱出しなければならない。
時は一刻を争う。
そんな彼らがようやく扉の近くまで到着したとき、その目がある光景を捉えた。
それは扉を必死で死守するトトの姿だ。
殺到する囚人たちを跳ね返し、一人戦う姿はもはや満身創痍だが、それでも囚人たちの脱走をそれなりに抑え込んではいる。
その姿を見たバスピーは口元を歪めた。
彼としては囚人がすでに天界に大量流出していることを想定して焦っていたのだが、トトの必死の抵抗がバスピーたちにとっての最悪の展開を押しとどめているというのだから、これほど馬鹿げた話もない。
「最後まで利用させてもらったな」
思わずバスピーはせせら笑った。
一度目の地獄落ちで天界への鍵を手に入れたバスピーが、天界に戻って最初に行ったのは仮の主人を探すことである。
条件は二つ。
それなりに強くて、そしてなにより騙しやすい相手であること。
派閥の王を騙すとなればそれなりの労力が必要となる。
最悪自分の素性がバレて反撃にあう可能性すらあるのだから、利用する相手は慎重に選ばなければならなかった。
そんな中、最終的にバスピーが選んだのがトトだったのだ。
まだそこまで経験豊富でもなく、プライドばかりが高い馬鹿。
非常に扱いやすく、この計画の起点として使うには最高の物件だった。
バスピーの目利きは正しく、結局彼が本性を現すまでトトは一度たりとも自分の部下を疑うことをしなかった。
おかげでルイを殺すことができたし、その後多少目障りなことをしてきてもラゴーン相手では無力な彼は問題にすらならない。
そして最後は頼んでもいないのに彼らの手助けまでしてくれた。
もうここまでくるとバスピーは憐憫を禁じ得ない。
思わず笑みがこぼれてしまうほどに。
しかし肝心のトトの方はそれどころではなかった。
開くはずのなかった扉が突如開くのを見て、彼はバスピーを追うのをやめてここへと急行したのだが、そこで目にしたのは取り押さえられたシュウと、扉の向こう側へとなだれ込む囚人たちの姿だ。
その光景を目の当たりにした瞬間、考えるよりも早く体が動き、彼は扉の前へと躍り出る。
もうほぼ敗北が決まっているのにも関わらず、彼は最後の抵抗を始めた。
「くそっ・・・」
トトもそれが問題の先延ばしでしかないことには気づいている。
なにせ遠くに見えていた炎は消え、もはやエンマの援護も期待できない状況だ。
トトにしても体はまだなんとか動くが、いつまで持つかはわからない。
ラゴーンの捕縛は失敗し、扉の開錠阻止も叶わなかった。
すでに状況は詰んでいる。
今は囚人たちを押しとどめているが、おそらく圧倒的数の力に押し潰されるのは時間の問題だろう。
それゆえラゴーンとバスピーの姿を目にした瞬間、彼はとうとうその目を歪ませてしまった。
「邪魔だ」
「ぐはっ!」
現れたラゴーンに、トトは蹴り飛ばされる。
もはや彼に抗う術はない。
倒れたトトに目をくれることもなく、二人の使徒は通り過ぎていく。
それで幕切れ。
今ここに、脱獄者たちの勝利が確定した。
その歩みを止める者はなく、ラゴーンは天界への扉をくぐっていく。
バスピーはそれに続こうとして、最後に後ろを振り返った。
いつもの静寂こそ失われてしまっているが、その光景は彼が長い間目にしてきたもの。
主を救済するために旅してきた世界がそこには広がっている。
今こうして一つの節目を迎えた彼は、最後のけじめとしてこの世界の姿をその目に焼き付けた。
そして再び彼は前を向く。
今度は天界を攻略しなければならない。
己が主を天界の支配者とするための戦いはまだ始まったばかりなのだ。
これはそのための第一歩。
この一歩が、どれだけ彼を高揚させたか。
それは本人だけにしかわからないことだろう。
だが、運命は彼を祝福しなかった。
その証拠に、変化は突然訪れる。
「え・・・」
扉から出てきた何かが、バスピーの横を恐ろしい速度で吹っ飛んでいった。
突然の出来事に、彼の思考が一瞬止まる。
しかしそれは所詮異変の始まり。
波乱の幕開けはこれから。
そう、地獄での戦いはまだ終わってなどいないのだ。
むしろここからが正念場と言えるだろう。
ここまで蹂躙する側であったラゴーンとバスピーが、その存在全てを賭して戦わなければならないのは今この瞬間から。
「なにが・・・」
驚愕から立ち直り、さきほどとは全く違う意味を込めて後ろを振り返ったバスピーの目に映ったものは、岩壁に激突して沈黙している己が主の姿だった。
バスピーは今度こそ混乱する。
戦いにおいてラゴーンを凌駕するものなど、たとえそれが使徒であってもそうそういるはずがない。
古の大戦でもその力は畏怖の対象であったし、エンマもトトも戦闘においてはラゴーンに圧倒されていた。
ゆえに、倒れ伏しているラゴーンの姿は異様だ。
そのあり得ない光景の原因はなんなのか。
震える体を叱咤して、バスピーは扉に視線を戻す。
それはちょうど扉の先からその答えが出てくる瞬間だった。
「待ちくたびれたぞーーーーー!」
その者は姿を現すと同時に叫ぶ。
地獄全土に響くのではないかというその声は、喧騒に包まれた人々の視線を集めるに足る迫力を持っている。
事実その声を聞いた者は、囚人であれ獄吏であれ、その手を止めてしまった。
当然一番近くにいるバスピーの視線は釘付けになる。
「なんで・・・今更・・・」
彼の視界が捉えたもの、それは赤く輝く髪、燃え上がった瞳。
赤き鬼神、サイラ。
興奮しきったその猛獣は、バスピーの言葉になど興味も無いのか一人で笑っていた。
一種の狂気を纏ったその姿は、問答無用で見るものを怯えさせる。
圧倒的な存在とは、ただそこにあるだけで場を支配するのだ。
もうバスピーは動けない。
彼はわかっていなかった。
これまで自分が戦ってきた相手が誰なのか。
かつて己の主を下した使徒がどういう存在であったのか。
そういう前提を理解していなかったからこそ、彼は今何が起きているのかを理解できずにいるのだ。
だが彼が無知であろうと事態は動く。
次にバスピーを襲ったのは痛みだった。
「・・・なん、で・・・」
焼けるような痛みに呻きながら自分の体を見下ろすと、その胸から腕が生えている。
それはいつかの己によく似た、血濡れの腕だった。
「これで借りは返したよ」
冷たい言葉と共に、無情にも腕は引き抜かれ、激しい痛みが胸を襲う。
しかしそんな痛みなど忘れさせるほどの驚愕を今バスピーは感じていた。
もうその人物は死んだはず。
今の自分のように胸を貫かれ、その命を散らしたはずだ。
死んだ者の声を聞くことなどあり得ない。
だがその聞き覚えのある軽やかで透き通るような綺麗な音は、確かにバスピーの後ろから聞こえてきた。
恐怖に震える体をなんとか動かして、バスピーはサイラから視線を外し、振り返る。
その目に映るは、白く輝く髪、紅に揺らめく瞳。
「なぜ・・・生きている?」
「さあ、なぜだろうね?」
そう言って、“ルイ”は不敵に笑うのだった。
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