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滅びよ世界!

作者: 木場アサト

 もうすぐ世界が滅ぶ。私が産まれたときにはもうそれは決定事項で、避けることも延長することも出来ないようだった。私が知る限り何かとてつもない災害が起こったりだとかは今のところ無いけれど、それでもこの世界は滅ぶらしい。頭のいい学者さん達が難しい計算をした結果、もうその日時まではっきりと分かっている。

 どうして世界が滅ぶのかについては、誰もが口を閉ざす。それぞれの親から、学校の先生から、教会のシスターや司祭から教えられるけど、逆に言えばその時にしか口に出さない。その原因について口にすることは誰が決めたわけでもないけれど、いつの間にかタブーとされていたらしい。だから私もお兄様から教えられる以外、故郷で一番大きい神学校の書庫にある古い歴史書でしかそれについて見聞きしたことはない。

 ただ私にとってはどうして世界が滅ぶのかなんてそれほど重要ではなくて、それよりも残りの時間をどうやって過ごすかの方が重要だった。だって私が産まれたとき、世界の寿命は残り17年しか残っていなかったのだ。たったの17年で私が出来ること、やりたいことの中に世界滅亡の原因を調べるだとかは含まれていないのだ。

 私の望みは自由に生きること。ちょっと変わった生まれの私は幼い頃から軟禁状態で、だからこの年になるまで外に出たことは数えるほどしかなかった。でもこのまま世界が滅ぶときを迎えるだなんて嫌だったから、16歳の誕生日には何が欲しいかと問われて、外に出たい、旅をしたいとおねだりをした。お兄様は随分と渋っていたけれど最終的には頷いてくれた。同時に私と同じように軟禁状態にある姉の自由も一応願ってみたけれど、それは許されなかった。まあ彼女は双子とは言えど私と違ってインドア派だし、滅びの時まで心静かに過ごしたいと言っていたこともあったからこれで良かったのだろう。彼女が外に出たいと言ったわけでもないのだし。

 そんなこんなで16歳の誕生日がやって来て、私はついに自由になったのだった。


「で、それを俺に言ってどうするわけ」

「別にどうもしないよ?」

「じゃあ言うなよ」

「身の上話くらいさせてよ。私と君の仲じゃないの」

「出会って半年足らずの俺のお前の間に、そんな身の上話をされるほど親しい仲は育まれていない」


 えー酷い、とぶすくれた顔で彼女は両手で持ったコップに口をつけてちびちびと水を飲んだ。

 長々と身の上話をされたところで、俺はどんな反応をしたらいいのか分からなかった。俺も同じように自分のこれまでのことを話せばいいのか? でも俺は彼女に自分自身のことを語れるほど彼女に心を開いてはいない。俺たちはこの半年間一緒に旅をしてきた仲で、俺だって彼女にそれなりに心を許してはいるけれど。それでも俺は、彼女に俺の過去を話そうとは思えなかった。

 大きめの石を椅子に地面に座っている彼女は、パチパチと燃え盛る焚き火を無言でじっと見つめた。俺はどちらかと言えば無口な方で、おしゃべりな彼女が口を閉じると途端に会話が途切れてしまう。彼女の蒼穹の瞳に赤い炎がちらちらと舞っている。茫洋としたその様が彼女のひどく整った顔立ちやバランスのいい手足と相まって、どことなく作り物のようにも思えた。

 沈黙が満ちる中、俺は特にすることもなくぼんやりと夜空を眺めた。闇の中に小さな星が冷たく瞬いている。この世界が滅ぶ時、あの星々はどうなるのだろうか。やはり一緒に消えてしまうのだろうか。確かめることは出来ないだろう。なんせその時には俺も死んでいるはずだから。俺の向かい側に座る彼女も、それから彼女の話の中に出てきた「お兄様」や「双子の姉」とやらも、俺がこれまで出会ってきた人々、出会ってこなかった人々。それら全てが死ぬのだ、誰も世界が滅んだ後を観測することはできない。出来るとしたら、この世界を創った神様くらいだろう。


「……私ね、神様のこと嫌いなんだぁ」


 唐突に彼女は呟いた。それは返事を必要としているようには聞こえなかった。ただの独白で、俺はただ黙って聞いていることを求められていた。


「この世界を創ったのなら、滅亡を回避することだってできるんじゃないのかな。世界を救うこと、できるんじゃないのかな。でも神様はなんにもしてくれない。神様は見てるだけなんだよ、私たちのこと」


 神様は見てるだけ。もう一度そう呟いた彼女は、悲しそうな、寂しそうな顔をしていた。

 俺は信心深いわけではない。けれど滅亡の迫った世界では神様に救いを求める人々はたくさんいて、滅亡の運命からの救済を求める人や死後の救済を求める人、それぞれだ。

 この世界を創った創造神は大昔から信仰されていて、誰でも一度は教会に行って神様に祈ることがある。それくらいには、神様という存在は身近であった。


「私は教国の生まれだって、話したことあったよね。あそこは神様を信じてる人がたくさんいる。救ってくれるって、滅亡の日が来てもきっと神様が助けてくれるって。そんなことはないのに。助けてなんてくれないのに」


 彼女はコップに口をつけた。喉を潤して、言葉を続ける。俺は勢いが弱まってきた焚き火に細い枝を投げ入れながらそれを聞く。


「君は聖人のこと、当然知ってるでしょ。君だけじゃない、この世界の誰もが知ってる。神様に愛された人間。神様の声を聞くことができる人間。世界が創られてからほんの数人しか産まれていない希少な人間。……今、六人目の聖人が教国の神殿にいるのも知ってるよね。何かの奇跡が起きない限り最後の聖人である彼女はね、神様に世界を救ってくださいってお願いしたんだ」


 聖人。神様が一番最初に創った人間の名前から取って「ラァハ」とも呼ばれる存在。世界で唯一、神様の声を聞くことができ、姿を見ることができる人間。神様の存在を知覚できる聖人はその他大勢の人間にとって、神様と並んで信仰の対象になるほど尊い存在である。極々稀にしか産まれないこともそれに関係しているかもしれない。世界が創られてから5000年以上。その長い長い歴史の中で、聖人は両手の指が余るほどの数しか産まれていないのだ。今の時代に生きている聖人も、産まれたのは五人目からざっと数えて500年ぶりだ。

 聖人は神様の声を聞くことができる。そして自分の声を神様に届けることもできるらしい。そんな聖人が神様に世界の救済を求めた。それは初耳で、どんな国のどんな地域でも、噂としてでも聞くことはなかった。もしかしたら彼女の嘘かもしれないとも思ったが、彼女がそんなことをする理由はない。本当のことを言っているとして、どうして彼女がそんなことを知っているのだろうか。疑問に思ったが、それを口には出さなかった。聞いたところでそれになにか意味があるとは思えなかったからだ。


「神様はそれに、ごめんねって言ったんだって。それはできないって。……どうしてかなぁ」


 彼女は俯いて、膝に顔を埋めた。泣いてるのかと思った。肩を、コップを持った手を震わせて俯く彼女に、俺は何と声をかければいいのか分からなかった。たぶん、彼女は今俺の声かけなど必要とはしていない。それでも泣いてるように見える彼女を放っておけるほど、俺は彼女に対して情がないわけではないのだ。

 ただ、それは杞憂だったらしい。彼女が顔をあげた時、その目に浮かんでいたのは涙ではなく怒りだった。


「神様が創った世界が壊れようとしているのに、それを阻止してほしいって神様が愛する彼女が願っているのに、どうして叶えることができないの? どうして私たちを見捨てるようなことを言うの? 私たちのせいではないのに、どうして私たちが死ななければいけないの?」


 決して大声というわけではなかった。決して叫んではいなかった。静かな声だった。けれど、彼女は激情を叫んでいるように俺は思った。

 彼女と出会い一緒に旅するようになって半年。これまで俺たちはそれなりに多くの会話をしてきたけれど世界の滅びについて話したことはなかった。タブーとされている話題をわざわざ口にする必要はなかったから。けれど、今彼女は世界の滅びについて話している。その理由は俺にも何となく察しはついた。


「どうして明日、死ななければいけないの?」


 滅びの日が明日に迫った今、暗黙の了解を守ることになど意味はないだろう。


「私も、君も、姉さんもお兄様も何も悪くなんてないのに、どうして私たちが生き続けることが許されないの」


 やりたいこと、いっぱいあるのに。そう、彼女は怒っていた。産まれるずっと前から決まっていた不条理に、明日訪れる死を避けることができないという運命に。

 俺にもその気持ちは分かった。俺だってやりたいことがある。本当は俺は植物の研究をしたかったのだ。世界中を回って新たな植物を見つけたりだとか、既知の植物の新たな特性を見つけたりだとか、してみたかったのだ。けれど残りわずかしか時間が残されていない世界では植物の研究に価値を見いだす人々は多くなく、評価される機会自体もなくなり、国立研究所も植物研究だけでなく他の部門でも費用が削減された。結果、俺の年齢が二桁になる頃には研究所自体は残っていてもほとんどその意味はなくなっていた。

 似たような状況になってしまった職は他にもたくさんあって、俺や彼女と同年代の中には同じような経験をした奴がたくさんいるだろう。俺はそんな世界が嫌で、どこかに行ってしまいたくて、故郷を飛び出した。かといって夢を捨てきることができず、こうして滅びの日まで各地を旅をしながら様々な植物を観察して回っていたのだ。


「私、死にたくない……」

「……仕方ないだろ、もうどうしようもないんだから」


 俺だってまだ死にたくないくせに、分かったようなことを言った。


「確かにどうしようもないけど、そうだけどさー……もー! 嫌だー!」

「うるさい。さっきまでの落ち着きと静かさはどうした」

「だって! 叫びたくもなるよ! どうして500年前の聖人のせいで私たちが死ななきゃなんないの!?」

「それこそどうしようもないだろ」


 500年前、五人目の聖人が生きていた時代。五人目の聖人は歴代の聖人と同様に誰よりも何よりも愛され大切にされていたらしい。誰よりも恵まれていた五人目の彼女は、しかしこの世界に呪いをもたらした。気が狂ったのか、何なのか。理由は今でも定かではないが、とにかく彼女は世界を嫌い神様を憎んだらしい。それまで決してあり得なかった世界の滅亡を、その命を犠牲にしてでも与えるほどには。

 矮小な人間が、しかも神様に愛された聖人が神様を憎むなんて大多数の人々にとっては受け入れられるものではなくて、五人目の聖人はいつしかその存在自体が禁忌と言われるようになった。ちなみにそれにより聖人信仰が揺らいだりだとかもあったらしいが、滅びが目の前に迫った今ではそれよりも聖人に縋る人間の方が多い。


「まだまだ生きたりない! 長生きしたい! もっと美味しいもの食べてみたかったし、綺麗な景色も見てみたかったし、それに、もっと一緒に旅をしたかった!」

「……」

「せっかく仲良くなったのに!」

「は?誰と誰が?」

「私と君だよこの照れ屋さんめ!」


 うるさい。そしてうざい。彼女はすっかりいつも通りの賑やかさを取り戻していた。

 出会った当初はこの賑やかさがあまり好きではなかった。偶然行き先が同じで、偶然汽車で隣の席に座っただけ。それだけの関係で、特に行き先があるわけではなかった彼女が勝手に俺についてくるようになった。いい迷惑だと思った。


「何だかんだ言って私のこと気にかけて、助けてくれるくせに。素直じゃないなぁ」

「それはっ、……お前があんまりにも世間知らずで危なっかしすぎるからだろ」

「そういうところが優しいんだよねぇ」


 にやにやとからかうように笑う彼女の頭を思わずペシリと軽く叩いた。それでもふへへと笑うものだから何だか毒気を抜かれて呆れてしまった。こういうところが苦手だ。俺が何を言っても何をやっても笑って流されてしまうと、どうしたらいいか分からなくなる。


「からかうなよ……」


 苦し紛れに目を逸らして意識的に憮然と言い放った。それにも彼女は笑ったことが気配で分かる。


「ふふ。でもね、本当に優しいと思ってるんだよ」

「……」

「私、君と出会えてよかったなぁ。それだけでも旅に出た甲斐はあったよ」

「……そうかよ」

「うん。だから、死にたくないなぁ」

「……」

「君と出会えて、楽しくて、幸せで。でもだからこそ、死にたくないなぁ」


 彼女はそう言って空を仰いだ。さっきと変わらず瞬く星々は、この夜が明ければもう二度と目にすることはない。次の夜が来る前に、俺たちは死ぬ。


「ああ、そうだ。今のうちに言っておこうかな」

「何を」

「私、君のこと好きだよ」

「……」

「世界が滅ぶまでにやりたいことの中にね、『恋をすること』があったんだ。達成できてよかった!」

「……」


 それを俺に言って、お前はどうしたいんだ。俺に何を言ってほしいんだ。どうして今、もうすぐ死ぬというのに、そんなことを俺に伝えたんだ。言わなければ、俺はお前の気持ちに見て見ぬふりをできたのに。

 すっきりしたように晴れ晴れとした表情の彼女に、八つ当たりのような感情を抱く。いや、こんなもの八つ当たりそのものか。俺はお前の気持ちを無視してきたようなひどい奴なのに、どうして好きだなんて言うんだ。


「恋をさせてくれてありがとう。大好きだよ」


 お前の気持ちを知ってるくせに知らないふりをしてきた俺に、この期に及んで何を期待しているんだ。


「困らせてごめんね。でも言いたかった」

「……本当にいい迷惑だ」

「こんな美少女に告白されてるのに、まったく君は贅沢者だね!」

「自分で言うか」

「言うよ! 私が自慢できることは見た目しかないからね!」


 そんなことはないだろう、と思わず言いそうになった。俺のような無愛想な奴に笑顔で話しかけ続けることができる時点で彼女の性格の良さは証明できている。それにその性格の良さだけではなく、彼女は人に愛される雰囲気を持っている。俺が知っている限り、彼女に関わった人たちの中で彼女を嫌う者など一人たりとていなかったし、誰もが彼女を好んでいた。

 そしてそれは、俺にしても同様だった。うるさくてうざいだけだった彼女のことを、俺はいつの間にか受け入れていた。好きとは言えずとも、嫌いだなんて言えなくなるくらいには。


「……」


 それを素直に口に出すことはしないけれど。

 俺は黙って、また勢いが弱まってきた焚き火に枝を放り投げた。夜の肌寒さを和らげる炎を見つめる。彼女も黙って揺らめく赤を見つめた。再び静かになった彼女は、悲しげでも寂しげでも怒っているわけでもなく、ただ穏やかな微笑みを浮かべていた。何かを受け入れたような表情に見えて、それが俺には少しだけ気に食わなかった。

 唐突に、パキリと音が響いた。間を開けずにまたパキパキ、と。何かがひび割れるような音が空から鳴っている。それにつられて見上げると、さっきまで普通だった夜空に大きな亀裂が走っていた。世界の滅びが始まったのだ、と容易に察することができた。この夜が明けた頃に滅ぶ予定の時刻が訪れる。年代物の懐中時計で確認すると、それまでもうあと何時間もなかった。


「……始まったね」

「ああ」

「死ぬの、苦しいかな」

「さあな」

「苦しいのは嫌だから、せめて一瞬で死にたいな」

「そうか」

「君のこと好きだよ」

「……俺は、好きじゃない」

「……そっか」


 それきり、彼女は口を閉ざした。

 二人して空を見上げたまま、ぼんやりと時が過ぎるのを待った。亀裂がどんどん大きくなっていく。全てを飲み込むような冷たい闇がその亀裂から覗く。さっきまで瞬いていた星は亀裂に巻き込まれて消えた。空だけでなく、色んな場所から世界がひび割れる音が響いてくる。遠くの山の中腹から、近くを流れる川の下流から。

 俺たちは広がる亀裂から逃げようとはしなかった。ただ、向かい合って座っていた俺たちはいつの間にか隣に並んで座っていた。俺と彼女の間に距離はなく、言葉もなかった。寄り添うように座る俺たちはきっと恋人のように見えるのだろうなと思うと、少しだけ笑えた。


「ヴァル」


 俺は彼女の名前を呼んだ。


「クイン」


 彼女も俺の名前を呼んだ。会話とも言えないそれが、俺たちの最後だった。一緒に旅をする仲間ではあるけれど、恋人でも友達でもない俺たちには相応しい終わりではないだろうか。

 そして地平線に太陽が昇りはじめた夜明けの空が、俺の世界の最後だった。


 俺たちの背後でパキリと音がした。


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