勇者の天敵
なんだか今日、突然こんなネタが降ってわきまして。
内容的に話を広げ難かったため、ここに投下。
その世界は、荒廃の一途をたどっていた。
魔王が復活し、世界を滅ぼそうとしたのは既に2年も前のこと。
しかし今、世界はその頃とはまた別の理由で衰退の道をたどっている。
魔王などいなくとも、もう既に滅びそうだ。
『勇者』の功績で。
魔王の暴虐に絶望した人々の嘆きは、かつて神の胸を痛ませた。
そうして神の御慈悲により、他世界より魔王を倒すために招かれた者……それが『勇者』。
神の期待と人々の希望を背負い、望まれたままに勇者は魔王を討ち取った。
そこまでは良い。
そこまでは、良かった。
しかし魔王を倒した勇者の牙は、誰にとっても予想外なことに世界へと……そこに暮らす人々へと向けられた。
魔王討伐の旅中、真摯に使命に向き合っていた頃の勇者には見られなかったもの。
そう、勇者は旅の間は、その下劣な性質を綺麗に覆い隠してちらとも見せなかった。
だから、誰も気づかなかったのだ。
人々を憐れみ、世界の行く末を憂いた神は確かに慈悲深かったのだろう。
しかし神に招かれた勇者も同じように慈悲深いかと聞かれればそれは別の話。
横暴で、わがままで、自分勝手。
そんな人に白い眼を向けられる部分が勇者にはあった。
それは誰にでもある部分なのかもしれない。
それを抑えこむ術を身に着けることで、人々は理性と社会性を培うのだ。
本来、勇者にもそれができていたはずだった。
証拠に魔王討伐の最中はちゃんと制御していたのだから。
だが命がけの大変な使命を果たし、人々が文句を言えない状況になってから。
勇者は我慢していたことが馬鹿らしいとでもいうように、できていたはずの制御をやめた。
抑圧していた身勝手な部分を、醜い欲の数々を、好き放題に解放し始めたのだ。
「俺が命がけで救ってやった世界だ。だったら俺が好きにしたって当然の権利だろ?」
――とでも言うかのように。
魔王を倒すほどの強者が、欲を制御しなくなればどうなるか。
醜い本質を、他者に世界にぶつけ始めればどうなるか。
人々は身をもって、それを知ることとなる。
魔王がいた頃の方がマシだった、とは言わない。
だけどこれでは魔王が倒された意味もない。
人々は絶望し、心を凍えさえ、常に勇者に怯えてまともに生きることも叶わない。
恨み言をぶつけることも叶わず、神々へと人々は更なる祈りを捧げた。
――どうしてあんな奴を勇者にしたんですか。
勇者どうにかしてください、と。
人々の悲しい気持ちを祈りという形でぶつけられ、神々は人々の苦境により一層胸を痛めた。
今度は自分たちの人選が原因なので、なおさらに胸が痛んだ。
素質と確実性を優先し、人間性への考慮を手抜きしていたことに神々は気づく。
これは、自分たちの責任。
自分たちが甘かったので、世界が苦しんでいる。
――だったら、どうする。
神々は自制をやめた勇者を制御するべく、彼の世界から『制御に適した人間』を新たに招いた。
勇者を御し得る人物――『勇者の天敵』を。
それは、勇者と同じ黒髪の。
笑い皺が魅力的な柔和な顔立ちと豊満な体が人々に安心感を与える女性だった。
すっきりと着こなした和装に、割烹着の清潔感溢れる装いが様になっている。
20年以上の経験を家事に注ぎ込んだ『専業主婦』……久連松 雪子(47)。
――勇者の『母ちゃん』である。
そして人々の懇願と、残された記録と。
世界の惨状や勇者の振る舞いを自らの目で確認して。
最初は状況を確認するだけと思っていたものが、あまりにも見るに堪えなかったのだろう。
母ちゃんは我慢ができず、好き勝手に世紀末系の横暴をふるまう勇者の前に飛び出した。
かあちゃん が あらわれた!
ゆうしゃ は こんらくしている!
どうしますか?
たたかう
まほう
とくぎ
どうぐ
▷ にげる
ゆうしゃ は にげだした!
だが まわりこまれて にげられない!
最初はよく似た別人かなって思ったんだ。
まさかこんなところにいるわけないし。
だけど着物に割烹着って時点でおかしかったんだよな……後に、勇者は遠い目で言った。
母ちゃんは、眦を吊り上げて叫んだ。
「稔さん、あなた何をしていらっしゃるの……!」
母ちゃんは、良いとこのお嬢さんだった。
良家に六人兄弟の末娘として生まれ、貞淑な良妻賢母たれと育てられ。
そして望まれて嫁ぎ、可愛い息子に恵まれて幸福に生きていた。
一人息子だからと甘やかし過ぎず、きちんとした子に育ててきたつもりだったのに。
理性のタガを簡単に緩め、傍若無人にふるまう息子。
いなくなった息子を心配して憔悴していたところにそんなものを見せられ、母ちゃんの感情は抑えきれずに昂っていく。いつも物静かで温和だった母の狂わんばかりの嘆きをぶつけられ、勇者は足がすくんで動けなかった。
いきなり目の前に現れた母親に動揺する勇者。
彼の顔には、かつての『母親思いの一人息子』の表情がちらりと覗いている。
息子に昔と変わらぬ面影を見出し、母ちゃんは更に泣けてきた。
もう涙は隠しようがなく、手拭いで拭っても追いつかない。
「おうちにも帰ってこないで、お母さんとお父さんをこんなに心配させて。お友達や皆さんにもご迷惑をおかけして! 稔さんがそんな振る舞いを平気でなさるなんて、お母さん情けなくって仕方がないわ!」
そして始まる、ガチ説教。
決して母ちゃんが手を上げることはないが、涙ながらに実母から詰られるのは勇者といえど堪えるものがある。
普段の情が深く、温和で優しい母ちゃんをよく慕っていただけになおさらだ。
「ご、ごめんよ母ちゃんっ……泣かないでよ」
「誰が泣かせていると思っているの!? 稔さん、お母さんはあなたに思いやりのある子になってと何回もお願いしましたのに。お母さんとの約束を忘れてしまったのね……!」
「ごめんよ、ごめんよ母ちゃん! ちゃんと覚えてるよ、だから……っ」
「覚えていて、どうしてこんなことができますか! 約束を守らなくても良いと思ったのでしょう? そうなのでしょう? 担任の小久保先生もそれはたいそうご心配くださっていたのよ? お友達の酒井君や伊達君も何回もおうちに訪ねてくださったのよ? 皆さんにあんなに心配していただいて、その間にあなたは何をしていたの!?」
「ま、魔王を倒してたんだよ、母ちゃんんん……!」
「ゲームの話をもうよろしい!」
「ゲームじゃないよ! マジなんだよ! マジでリアルの話なんだって」
「なんです、その言葉遣い。言葉はちゃんと正しくお使いなさい」
「今時、これくらい崩れは大目に見てくれよ! みんな使ってるんだぜ!?」
「よそはよそ、うちはうちです。あなたは『みんながしているから』とそれを理由にすれば良いと思っておいでなの!? この世界の皆さんに多大なご迷惑をおかけしたことも、『みんながしているから』とでも仰るつもりなの!」
「違うけど、違うけどさぁ……っていうかなんでここにいるんだよ母ちゃん」
久連松 雪子
勇者の母ちゃん。
最初は肝っ玉母ちゃん系にしようと思っていたが、いざ書いてみると何故か上品なご婦人になってしまった。
お上品清楚系の昭和のかほり漂う良妻賢母(真人間)。着物は普段着です。
将来性バツグンな旦那様と幸せな結婚後、一人息子の稔さんを愛情いっぱいに育ててきた。
趣味はお花とバイオリン。ピアノも弾ける。
稔さんが小さい頃は自らピアノを教え、一緒に演奏したりもしていた。
優しい息子に育ってほしいと思っていたのだが、平成の現代っ子だった息子の感覚がどんどん理想とする方向とずれてしまい叶わなかった模様。たぶんスマホを与えたことが敗因。
ネット社会に溢れる情報に毒されてしまったのだろう。
久連松 稔
勇者。
異世界召喚されたとわかった瞬間、ガッツポーズで快哉を叫んだ現代っ子。
ラノベは愛読書。特に好きなジャンルが無双ハーレム系。
俺も憧れのあんなことやこんなこと! と夢がはじけてしまい、異世界という「それまでの自分」とは隔絶された環境だったことも相まってはっちゃける。つまり調子に乗った。
ただの一般的な学生さんだった頃と比べると凄く変わってしまった。
一度も母ちゃんに手を挙げられたことはないけれど、滾々と理性的に理路整然と正論を諭してくる地獄のお説教ループはトラウマ。暴力とは無縁の母ちゃんだけど、稔さんにとっては一番怒らせたくなくて頭の上がらない相手のようだ。
久連松 一寛
勇者の父ちゃん。空気。
男の理想を具現化したような絵にかいた良妻賢母を嫁にもらい、可愛い息子にも恵まれて順風満帆だったエリート。
しかしある日、突然、息子と嫁がそれぞれ時期をずらして失踪してしまう。
もしかしたら自分はもっと家庭を顧みるべきだったかもしれないと深く心を痛め、どこにもいない2人を探し始める。多分、久連松家で一番かわいそうな人。
たぶんそのうち、息子に対する嫁の説教で「お父さんにも聞いてもらいましょう」と引き合いに出され、その流れで召喚される。
この先、お説教の内容がどんどん「母ちゃんやめたげて!」と叫びたくなる方向に走りそうではあるんですが。
多分、勇者の黒歴史がどんどん母ちゃんの口から飛び出して、勇者は羞恥で悶絶死にかける感じになりそうな気はします。




