第九十六章 四十にして惑わず
1
闇の中を兵士達が進んでいく。街の中は静まり返り、兵士らの他に歩く者は無く、灯りがついている家も一つもない。
完全なる無人。この街は漢軍にも民草にも見捨てられたのだ。これならば、労せずしてこの栒邑を隗王に献上できそうだ。兵士達を率いている行巡将軍はほくそ笑んだ。
「俺にも運が巡ってきたようだな。この栒邑を足がかりに長安を落とし、隗王は天下に覇を唱える。そうなれば俺も……」
行巡が薔薇色の未来に思いを馳せたその時、栒邑の門は不気味に音を立てて閉まった。
続いて耳が割れそうな銅鑼や太鼓の音がなり、街中の建物の二階や屋根の上から矢が降ってきた。
無人だと思い込んでいた行巡の軍勢は混乱し、右往左往して、互いにぶつかりあう有り様であった。
「ええぃ、見苦しい!狼狽えるな!盾を掲げて防げ!」
行巡は兵士達を二階や屋根の上に登らせて漢軍の弓兵を殺させようとしたが、家々の扉の裏には内側から家財が積まれ、すぐには扉を開けられない。
手間取る行巡軍の前に、街路から柵のような物を押す漢兵が現れた。
それは城壁の外側に巡らす柵を横倒しにした形状をしている。柵を構成する内の長い棒の方が、行巡軍に向けられているのだ。棒の先は削られていて、近づけば刺さりそうだ。
行巡軍は柵にぎりぎりまで近づいて槍を突き出したが、柵を押している漢軍に届かない。逆に、漢軍が槍を突き出すと行巡軍には刺さる。
漢軍の柵の横杭は行巡軍が装備する一般的な槍より少しだけ長く、槍は横杭よりも更に長く作られているようだ。
盾で防ごうとすると矢が降ってくる。柵をじりじりと押しながら漢軍が迫る。
行巡は敗北を悟り、残る兵を全て城門に集中して破壊すると、逃走した。
栒邑を守っていたのは、大樹将軍こと馮異である。隴山の戦いで隗囂に大敗を喫した劉秀であったが、すぐに態勢を立て直していた。
彼は隗囂が司隷部に侵攻することを予期し、各地に諸将を配置していた。長安には大司馬の呉漢、汧県には祭遵、漆県には耿弇、そしてここ栒邑に馮異である。
鮮やかに行巡を退けた馮異であったが、すぐに死体を隠し、道を掃き清めて戦闘前の状況に復旧させた。北方から劉文伯と匈奴の軍勢が南下してきているとの情報を入手していたのである。
果たして数日後、劉文伯の腹心である賈覧が匈奴騎兵を引き連れてやって来た。
賈覧は城門が開け放たれているのを見ると、入り口に精鋭の騎兵を数騎残して、街の中に入ってきた。
賈覧は入り口から余り離れずに、周囲を見て回った。
彼は馬を止めて地面を凝視すると、おかしい、と呟いた。
「おかしい。街を放棄したのなら、逃げ出した時の足跡や車輪跡が残っているはずだ。なぜこんなに道が綺麗なんだ………罠だッ!戻れ、戻るんだ!」
隠れていた門番は門を閉じようとしたが、入り口に屯していた匈奴騎兵がこれに気づき、門番を斬り伏せてしまった。
賈覧は城門を駆け抜けた。
馮異は城壁の上に伏せさせていた弓兵に矢を射かけさせたが、匈奴騎兵はジグザグに走って巧みに避ける。
ほとんど討ち取ることが出来ないまま、賈覧達は遠ざかっていった。
「恐ろしく勘のいい将軍だ。あれは難敵になりそうだな」
馮異は賈覧の見えなくなった北の地平線を眺めて呟いた。
2
隗囂の元には長安侵攻に失敗した王元が戻ってきていた。
行巡と同時期に汧県を攻めた王元であったが、祭遵の猛烈な反撃によって侵攻を断念して帰ってきたのだ。
「本当に口ほどにもないやつだな、がっかりだ」
「それは、はっきり言いすぎじゃあないですか」
憮然とする王元を見て、隗囂は声を立てて笑った。相変わらず目は笑っていないのだが。
王元は拳を握って言う。
「やはり銅馬帝は侮りがたい敵だという事です。しかし、再侵攻をしてくるまでにはまだ時間があります。その間に力を蓄え、陣地を構築し……さっきから、何書いてるんです?」
「仲直りの尺牘」
「仲直り?」
隗囂が劉秀に宛てた尺牘は以下のようなものだった。
「官軍が多勢で向かってきたために、我が吏民は驚き恐れて、これを防ごうと戦ってしまったのです。臣たる囂はこれを止めようとしましたが、適いませんでした。戦いは臣に有利でしたが、敢えて追いかけて帰させましたのは、臣下としての節義を通そうとしたためです。古の舜は、父の虞に仕えていた時、小さな罪は受けましたが、大きな罪からは逃れました。臣は浅学非才の身なれども、この義を忘れません」
劉秀がこの書状を読み上げると、居並ぶ群臣からはどよめきが起こった。
隴山での戦いを不可抗力で起きたかの様に語り、自分は止めようとしたなどと偽る。自分を伝説の聖人である舜に、劉秀は舜を執拗に虐げた愚かな父親の虞にそれぞれ擬える。
つまり、講和を求めておきながら不遜きわまる内容なのだ。
直ちに人質の隗恂を処刑して、兵を送るべきだという意見が多く挙がった。
しかし、劉秀は群臣を押しとどめて、隗囂へ返書を行なった。
「私が亡き兄と共に挙兵してから、実に十年の時が経とうとしている。歳も四十に近くなり、浮ついたまやかしの言葉には惑わされなくなった。誠意を示すならば、息子をもう一人、人質として長安に送るべきである。それが出来ないならば最早返事はいらない」
隗囂はこの劉秀からの書状を読むと、庭に投げ捨てて横臥した。
「残念!仲直り、失敗」
王元はそんな隗囂を見て苦笑する。
「成功するつもりの文章じゃなかったでしょ、あれは」
隗囂は公孫述に使者を送り、臣従を願い出た。公孫述は斜めならず喜び、隗囂を朔寧王に封じた。建武七年の事である。




