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第九十三章 二心

 長安南部、上林宛じょうりんえんは盛大に市が開かれ、多くの人々で賑わっていた。馬援ばえんは一族郎党を引き連れてこの地を訪れていた。

隗囂かいごうの長男に付き従って洛陽に赴いた馬援であったが、すぐに暇を持て余した。その様子を見た劉秀から、上林宛に赴き三輔の防衛を手伝ってほしいとの提案があったのである。


「身一つで行くのではなく、一族を連れて屯田をしてもよろしいでしょうか」


「なおさら良い。確かに敵襲がなければ防衛の任も余暇があるからな」


こうして馬援は一族を引き連れて上林宛に来た。今この地の責任者は名将の呼び声高い馮異ふういである。馬援はここで馮異の副官である廬生ろせいと落ち合い、街の案内を受ける予定であった。やがて廬生が数人の部下と共に現れた。にこやかな表情だ。


「遠路はるばるご苦労様でした。」


「こちらこそ、ご足労願って申し訳ない。……しかし、最近まで戦地だったというのに、すごい賑わいですね。馮異将軍は戦上手だと聞いていたが、内政の手腕もお有りだったのか」


荒廃してしまった長安中心部から、経済の中心が移っているのだと廬生は説明した。建物を直して使えれば一番だが、それでは時間がかかる。品物さえあれば露天でも商売は出来ることから、そちらを奨励しているのだ。


「馮異様は市の開催そのものにかける税金を、一時的に撤廃しています。かわりに市の終了後に売上金の一部を復興資金という名目で集めています。」


復興資金は下限の額のみが示され、多く収めても良い。高額納税者は次の市の開催式で馮異自らが顕彰し、名士ともてはやされる。商人達は競って売上金を多く納めるようになった。税を一つなくしたのに、収支は黒字だと言う。


「まあ、馮異様はもともと県のお役人でした。昔取った杵塚というやつですな」



露店で売られている、豚の足を飴色に焼き上げた料理に“馮”の焼き印があるのを馬援は見つけた。のぼりには“大樹将軍御用達”の文字が踊る。店主が威勢よく売り込みを行なう


「さあさあ!あの大樹将軍馮異様も激賞された烤猪蹄こうちょていだよ、ご賞味あれ!試食もあるよ」


同様の商品は沢山あるようだ。


「馮異の胡麻餅〜!馮異餅〜!大樹も食べた馮異餅〜!」


馮異に何かしらあやかっている店は、実際に他の店よりも客が多いように見える。


「馮異将軍の人気は相当な物ですな」


「現地で王号を奉られたなどという流言が飛んで、慌てたこともあります、“咸陽王かんようおう馮異”、ははは」


「笑い事ですむ話でもないでしょう」


馬援の語調は平易だが、廬生はいささか気分を害したようだった。


「陛下は馮異様を心から信頼しておられる。書状で、立場は君臣であっても恩は父子のように感じているから疑っていない、そう伝えられたとか」


上林宛には市どころか新たな市街地が形成されつつあった。大きな公共のかわや、肥溜めもある。こういった施設を統制して作ることで、衛生環境を向上し、疫病の蔓延を防ぐのだという。馬援はその規模の大きさに何か引っかかるものを感じたが、結局違和感の原因はわからなかった。案内を受けながら馬援は馮異の手腕を再び賞した。廬生は言う。


「ご本人に言わせれば、自分など智謀は耿弇こうえん、忠義は呉漢ごかん、審眼は鄧禹とうう殿にそれぞれ劣る、私は陛下という太陽の周りに浮かぶ星の一つに過ぎないのだ、ということです。まあ、私は馮異様が一番星だと思っていますが」


馬援は思う。馮異をして並ぶ者が多くいると言わしめる家臣団の層の厚さは、他の勢力にはないものだ。領土も広く、兵馬も多くを抱え、天下に王手をかけていると見ていい。

馬援は隗囂になるべく早く劉秀に帰属するよう勧める書状を書いた。


「どうやら、私は馬援に振られてしまったようだ」


涼州りょうしゅう隴西ろうせいの居城で馬援の書状を受け取った隗囂は面白くなさそうに言った。馬援の書状は「私は一足先に降ったので、あなたもすぐに来てください。歓迎します」とでも言わんばかりの内容だった。

傍らに座る王元おうげんは、愛用の大斧に油を塗っている。


「ふん、外交の使節がたらしこまれるようではいけませんな。まったく、ちょろい奴め」


「お前はどうなんだ、王元」


王元はムッとして、鼻を鳴らした。


「隗王の他に王は無し!聞くまでもないでしょうが」


隗囂は薄っすらと笑みを浮かべた。変化があるのは口元だけで、目は遠くを見ているようだったが。


「隗王よ。いかに銅馬帝強しと言えども、まだ天下の趨勢はわかりませんぞ。この涼州は、独立独歩でやっていける土地です。銅馬帝と白帝の間を上手く渡って、漁夫の利を得るのが最善手と存じます」


「そうか。私も、もう少し遊んでいたい気分なんだ。意見があったな、偶々(たまたま)」


「たまたま、ではないでしょうが」


「ははは、そうだったかな」


隗囂はお得意の美文をしたためて弁士に持たせ、涼州全土の豪族の下へ送った。自身の風見鶏的な政策に従え、というのである。


 河西かせいの太守である竇融とうゆうは、隗囂の書状を受け取って渋面をつくった。


「私はあの昆陽で王尋おうじん様の側にいた。隗囂殿もあの戦いを見ていたならば、こんな危険な綱渡りは考えないだろうに」


竇氏は前漢王朝の外戚である。竇融は昆陽の戦いでは新王朝の武将として参加し、その敗北をもって方針を転換した。更始政権に降り、更始帝敗亡後は隗囂を通じて劉秀へ間接的に降った、つもりであった。配下の班彪はんぴょうは進言する。


「隗囂に二心ある以上、劉秀との間に彼を挟むのは危ない。直接やり取りをしなければ、とんでもない事態に巻き込まれるやも知れませぬ」


「確かにそうだ。直ちに使節を立てて、洛陽に送る。書状の文面は君に任せよう」


班彪は元は隗囂の臣下であったが、「王命論」なる書物をものして隗囂へ劉秀への帰順を説くほどの親劉秀派であり、建言が受け入れられぬ事に失望して出奔した。

竇融は自身の考えを補強するため、班彪を迎え入れたのである。

竇融が立てた使節は、偶然にも道中で劉秀の立てた使節と出会った。隗囂の煮え切らない態度に疑念を抱いた劉秀は、隗囂に次ぐ実力者として竇融への接触を模索していたのである。

この出会いを慶事と捉えた劉秀は、爾書じしょを送り、竇融を涼州牧とした。

隗囂のもとに使節として送られていた来歙らいきゅうは、一連の出来事を注意深く見ていた。

竇融を涼州牧とするのは、隗囂が敵に回った場合を考えての措置なのだろうが、些か危険をはらんでいる。

涼州の支配権は鄧禹とううを通じて、隗囂に一度保証されているのだ。これを撤回していない以上、二重権力となってしまう。

馬援の抱き込みに成功したことで、逆に隗囂の側で帰順の利を説く臣下が一人減ったとも言える。王遵おうじゅんという人物は劉秀に帰属したいと考えているようだが、彼だけでは心許ない。


「最も危険なのは、味方だと判断した後に背後から襲われることだ。それだけは回避する。この命を賭してもな」


来歙は覚悟を決めていた。

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