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第八十九章 龐萌

 龐萌ほうぼうは兗州山陽郡の人。はじめ緑林の下江軍に属し、更始政権では尚書令謝躬の副官、劉秀に降って侍中ついで平狄将軍となった。その人柄は謙遜温順、劉秀は龐萌を評して言った。

孤児みなしごを託し、百里四方の政令を任せる事が出来るのは、龐萌その人である。」


 建武四年、虎牙大将軍の蓋延がいえん龐萌ほうぼうとともに、劉紆りゅうう陣営に対して着々と勝利を重ねていた。

蘇茂そぼう周建しゅうけんを沛郡で破り、董憲とうけんを楚郡で破り、蓋延は得意の絶頂にあった。蓋延は龐萌らを集め、盛大に酒宴を催した。


「陛下は、劉紆の本拠地である垂恵すいけいには王覇おうは馬武ばぶを向かわせるそうだ。俺には董憲を任せるってよ。まぁ、俺にかかれば赤子の手をひねるようなものよ」


蓋延は豪快に笑うと盃の酒を飲み干した。龐萌はにこやかに応じつつ、たしなめる。


「董憲は、名将と言われた廉丹れんたんを討ち取って新王朝を傾けた男です。なかなかどうして、侮れませんぞ。」


「気の小さいこったな。一度破った相手の何を恐れる」


蓋延は龐萌が何か進言をしても真剣に取り合うことがなかった。その不満は龐萌の心中におりのように溜まっていた。

 程なくして、董憲の部将である賁休ふんきゅうが守城である蘭陵城を手土産に降参しようとしているとの情報が入った。

その動きを察知した董憲はたんから兵を発し、蘭陵城を包囲させた。

蓋延は賁休の救援を洛陽の劉秀に願い出た。


――向かうべきは郯である。郯を落とせば蘭陵の包囲も自ずと解けるであろう――


劉秀の返答は蓋延に取り、意外なものだった。


「そんな事してる間に賁休が殺されちまったらどうするんだ。俺は蘭陵に向かう」


龐萌は勅命を曲げるのはいかがなものかと窘めたが、蓋延は聞く耳を持たない。

兵を率いた蓋延が蘭陵につくと、その包囲は密度が薄く、勢いに任せて襲撃すると簡単に解けた。

蓋延はその夜に賁休との宴席を設け、自身の判断が正しかったのだと自慢した。

しかし、翌朝に蓋延が城下を見ると状況は一変していた。

蘭陵城を取り囲む軍勢は十重二十重となっている。数万の大軍である。龐萌は蓋延を恨みがましく見つめて言った。


「昨日の粗末な包囲は我々を油断させるための罠だったのでしょう。してやられましたな。この駆け引きの上手さ、農民出とは信じられぬ」


「や、やっぱり郯を攻めるべきだったんだ。今からでも遅くない。郯に向かおう!その旨を陛下に上書してくれ」


「今から?良策とは思えませんが……」


蓋延と龐萌は包囲を突破して郯を攻めたがこちらにも既に兵が大量に配置されており、とても落とせる状態ではなかった。

おまけにそのまま籠城させられていた賁休は、董憲の軍に殺されてしまった。



ーー今から郯を攻めるのはいただけない。不意をついて攻めるから意味があったのだ。包囲されている蘭陵から郯に向かうのでは、卿らがどこに向かうのかが敵に丸わかりである。ーー


返答が届いたのは賁休が殺された後で、まさしく後の祭りである。

この失態を気に病んだ蓋延は移動する董憲軍を執拗に襲撃したが、得るものは少なかった。

劉秀は兵の疲労を鑑みて蓋延の軽率な行動を書状で再三戒めた。


「蓋延殿、また都から書状が届いたとか。私にも見せていただけないか」


「た、大したことは書いてなかったさ。あんたに見せるほどのもんじゃないよ」


蓋延は自分が書状で叱責されているのが恥ずかしく、これを龐萌に見せたくなかったのだ。

しかし、脂汗を流す蓋延の姿は、龐萌に違った方向の疑念を生んだ。

蓋延は、戦場での勇猛さに削ぐわない、小さい肝っ玉の持ち主だった。あるいは呉漢や王梁といった旧知の仲の者が見れば、蓋延は自分に不都合な内容を隠しているだけだとわかったかもしれない。いつもの子供じみたアレだ、と。

しかし、龐萌は違う。彼に常に計略を巡らし、更始政権においても、劉秀政権においても良い位置を占めてきた。龐萌にとって、他者は自分と同じように、自分を蹴落とすために計略を巡らしている憎い敵である。

蓋延は蘭陵での失敗を自分に押し付け、劉秀に対して讒言を行っているのではないか。そのやり取りを見せないために書状を隠しているのではないか。龐萌は最悪の展開を考えずにはいられなかった。

龐萌は劉秀からの信頼は厚かったが、その猜疑心の強い性格から、深い友情を結んでいる人物が宮廷内にいない。讒訴されているとすれば、庇ってくれる人物がいないのである。

疑いの段階で動いて間違っていたら今の地位がふいになる。しかし、讒訴されているのであれば手遅れ。洛陽に呼ばれれば誅殺される。

実際には、劉秀は軍事的失敗をもとに家臣を誅殺することはなかった。龐萌は芯のところで劉秀を信用していなかったのである。


「あの若造の書状がどうだったかで、こんなにも振り回されるとはな。寵臣の立場など所詮は危ういものということか」


そして、疑念と焦燥感に苛まれる龐萌のもとに、書状が届いた。果たして送り主は、劉秀ではなく董憲であった。


 蓋延は董憲軍への襲撃を再度計画し、龐萌に声をかけようとした。

しかし、龐萌は天幕から忽然と姿を消していた。彼だけではない。龐萌の率いていた部隊も行方をくらましていた。


「閣下、報告します。我が方の領土となった楚郡が攻撃を受けています」


「あっちには董憲軍はいなかったはずだ!どっからわいた敵軍だ?」


「龐萌殿の軍勢であります!ご謀反!平狄将軍龐萌殿、ご謀反!」


蓋延は急ぎ楚郡に向かった。彼は何度も何かの間違いではないか、と部下達に言った。「龐」と書かれた旗の翻る敵軍を見るまで。

蓋延の前に憎しみに染まった目を光らせて龐萌が立ちはだかった。


「よくも私を陥れてくれたな。この恨みは命で贖ってもらう」


蓋延は龐萌の姿を見ると、泣きだした。


「身に覚えのねぇ事だ。なんでこんな事するんだよ!あんた、陛下のお気に入りだったじゃねえか!」


龐萌は蓋延の泣きじゃくる姿を見て自分の推測が誤っていたことを直感した。だからといって、もう後戻りは出来ない。何しろ楚郡の太守を既に亡き者にしてしまったのだ。


「な、何にせよ、賽は投げられたのだ。死んでもらうぞ」


錯乱する蓋延はまともな指揮を行なえなかった。龐萌の軍に押しまくられて潰乱した蓋延の軍勢は、橋を焼き払って落ち延びるのが精一杯だった。

蓋延が必死で撤退する様を見て、龐萌は壊れた玩具のように笑い続けた。


「ははははは、はぁ、はぁ……爽快である。もっと早くこうするべきであった。私はもう誰の機嫌もうかがわないぞ。絶対にだ」


龐萌は東平王を称して、桃城を根城に董憲と連衡した。

洛陽の劉秀は龐萌の謀叛を知ると溜め息をついた。


「人を知るのは難しい、とはこの事か」


劉秀は諸将に書状を流して、親征の軍を招集した。


「私はつねづね龐萌のことを社稷の臣だと讃えていたが、彼はその言葉を影で笑っていたのだろう。この老賊めは私の手で誅滅する。各々兵馬を励まし、睢陽に会せよ!」


集められた諸将は、呉漢、王常、王覇、馬武、王梁といった錚錚たる面々である。

寵臣龐萌の裏切りによって、対劉紆戦は新たな局面を迎えようとしていた。

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