第七十四章 長安を制する者は 其のニ
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杜陵では八万程の軍勢となった延岑・李宝の連合軍が、逄安率いる十万の赤眉軍と対峙していた。
「大軍とは言え、所詮は寄せ集めの盗賊。蹴散らしてやりましょう、延岑殿。…延岑殿?」
「……まずい。まずいな、これは」
延岑は赤眉軍を見て自身の認識の甘さにいち早く気がついていた。盗賊らしからぬ整然とした隊列、装備品からも統制の美が感じられる。正規軍でも中々こうはいかない。これはとんでもない連中を向こうに回してしまった。
赤眉軍は一連の動乱のきっかけになった集団である。これは彼らがこの時代において、最も多くの戦いを経験した集団であることを意味する。最初は略奪品でバラバラだった装備も有用な物だけが取捨選択され、誰が規定したわけでもないのに揃いの物になっていた。また、数多の戦いのなかで勝手な行動をする者は死んでいき、統制の取れた行動が出来る優秀な兵だけが生き残っていた。
逄安は樊の文字が描かれた赤眉の旗を高く掲げさせた。
「俺達はずっと、ずっと戦い続けてきた!この旗のもとに!昨日今日旗揚げしたようなニワカ共に、俺達の恐ろしさを教えてやれ!」
赤眉軍は一斉に雄叫びを上げた。大気がびりびりと震えるようだ。李宝も脂汗を流し始めた。
両軍の先端が激突すると、倒れるのは延岑・李宝の連合軍ばかりであった。
「駄目だ!これ以上やっても傷が広がるだけだ。撤退するなら素早くだ」
「まさか、もう退くだと?あり得ん!」
強力な圧が敵右翼からかかり、連合軍の隊列は左翼から脆くも崩壊し始めていた。
延岑は李宝を無視して撤退の号令をかけた。しかし、崩壊した戦線に取り残された李宝は敵に囲まれてしまった。その様子を遠目に見てとった屈狸がいう。
「親分、李宝殿が危ないぜ」
「放っとけ、と言いたいところだがそうもいかんな。俺は撤退を指揮する。助けられそうだったら助けて、無理だったらさっさと戻ってこい」
屈狸は口笛を鳴らすと混戦の只中に戻って行った。
2
一方、陳倉が守るに不適だと判断した劉嘉と来歙は谷口まで前進し、廖湛率いる十八万の軍勢と対峙していた。劉嘉達の軍はおよそ六万、三倍の兵力差である。
劉嘉は蝙蝠の剣格が特徴的な愛用の剣を抜き、しげしげと眺めていた。
「鳥なのか獣なのかはっきりしない生き物だ。ふらふらし続ける私にはお似合いだな」
「戦う前に、自分がどうしたいのか、落ち着いて考えてくれ。状況に流されるのではなく、ちゃんと決めてくれ」
来歙は咎める風でもなく、静かな口調だった。李宝が離れた今ならば、話が通じると来歙は判断していた。
「更始帝が没落していく中で自立の道を探ったことは理解できるし、受け入れてくれたことも感謝している。しかし、劉秀が名声を高める中で群雄として自立するというのは、最終的には彼と戦うことを意味する」
「私は、劉秀と戦いたいわけではない。それに、皇帝を目指していたわけでもない」
劉嘉は剣を握りなおした。
「決めた。この戦いが終わったら、鄧禹を伝手に劉秀に降伏する」
「そうか。では、降伏後の立場を有利にするためにも、こいつらに勝たねばならんな」
廖湛の軍勢は大軍だったが、来歙はその綻びを見て取った。赤眉と言いながら、眉を赤く塗っている者いない者と、そこからして既にまちまちだった。元は更始帝軍の残党という性質は揃っているが、更始政権の軍がそもそもバラバラだったのだから、そこに統制感はない。
「突発の事態には脆い敵だと見る。つけいる隙はあるな。敵陣に深く斬りこめる勇将がいれば良かったんだが」
「おやおや、来歙。私の剣の腕をお忘れかな?」
劉嘉の久方ぶりの笑顔を見て、来歙も笑い返した。
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正午に両軍が激突した。数で優る廖湛軍が押していく。しかし、中央だけが俄に押し返されるのを感じ取って、廖湛は檄をとばした。
「何やってんだ!さっさと圧し潰してしまえ!」
しかし、錐のように自陣を貫いていく騎馬隊を、廖湛の部下達は仕留める事が出来ない。
遂に騎馬隊は廖湛のいる本陣までたどり着いた。否、辿りついたのは劉嘉のみだったが。
「お前は劉嘉!なよっちくて気持ち悪いと、前々から気に食わなかったんだ。殺せる機会が来るとは嬉しいぜ」
「それは奇遇ですね。私もその汚い歯と汚い言葉が不快で、この世から掃除してあげたいと思っていました」
廖湛は馬上で九環刀を鳴らした。劉嘉の馬は混乱の嘶きを放って暴れだし、劉嘉を投げ出してしまった。
廖湛の馬は慣らされているが、九環刀の環の音は馬に取って恐怖を煽る音を発する。こうして、騎兵対歩兵に持ち込むのが廖湛お得意の技だった。
廖湛は棘のついた蹄鉄で劉嘉を踏み殺そうと手綱を引いたが、劉嘉は前転しながら馬の足元に自ら飛び込んでいった。
廖湛の馬は後ろ脚二本を斬られ、どうと地に倒れた。
馬から投げ出された廖湛は、自身の馬に止めを刺してゆらりと迫ってくる劉嘉に慄いた。廖湛は叫ぶ。
「貴様ら、とっとと片付けんか!」
気圧されて手出し出来ずにいた周囲の兵が、我に返って劉嘉に跳びかかった。背後からの兵に対して振り返ることなく剣を振る劉嘉。背後の兵が喉を押さえて倒れる中、振り抜いた剣は側方の二人の兵の手首を切り落としていた。
恐怖に飲まれてもう挑む兵士はいない。劉嘉は右手に剣を構えると左手で廖湛を手招きした。
「放馬過来」
悲鳴のような雄叫びをあげて廖湛は九環刀を振り下ろした。身を翻した劉嘉は避けると同時に廖湛の左手を切り裂いていた。
「防御が疎かになっていますよ」
今度は水平に突いてきた廖湛を見切ると、劉嘉はその右手を切り落とした。
「動作の大きい割に踏み込みが浅い」
廖湛は両手から血を吹き出して膝をついて崩れ落ちた。そこに、間髪入れずに頭上から非情な一撃が加えられた。
ころころと転がった廖湛の首が止まると、劉嘉と目があった。
「生まれ変わって出直してくださいね」
大将を失った廖湛の軍は大混乱に陥った。来歙が冷静に攻撃を加えると、殆どの兵が戦うことなく散り散りに逃げていった。
こうして、谷口の戦いは劉嘉達の勝利に終わった。一方、手酷い敗北を喫した延岑と李宝、長安を狙う鄧禹はどうなったか。次回に続く。




