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第六十七章 遼東の豕

 漁陽郡では幽州牧の朱浮しゅふが漁陽太守の彭寵の館で開かれる宴に招かれていた。州牧は州全体の責任者であるから、郡の太守である彭寵は朱浮にとって部下にあたる。この人事には鄧禹とううの意向が強く働いていた。


「朱浮殿、豊かな漁陽の食を是非ご賞味ください。きっと気に入られると思いますよ」


朱浮は熊の掌を一口口に運んで嚥下すると、すぐに箸をおいて立ち上がり周囲を睥睨して言った。


「豊か、確かに豊かですな。しかし、その富の使いどころを些か間違えているように見受けられる」


彭寵は顔を引き攣らせる。


「ははは、藪から棒に何を申される。今宵は親睦を深める場です。お座りください」


朱浮は、彭寵の声を遮るように手を上げると続ける。


「塩と鉄の輸出で随分と儲けられているようだが、その金で兵馬を集めているのは如何なものか。天下が定まりつつあるというのに、無駄なことをなされるものだ。私が集めた人材に資金を注ぐ方がよっぽど有意義な使い方と言える。今からでも遅くない、塩鉄の収益はこちらに渡しなさい。私が責任をもって運用します」


朱浮は有識者を広く募り、部下として採用していた。しかし、人件費が州の財政を圧迫し、懐事情はかなり苦しかったのである。

彭寵は嘲るような表情を浮かべて返す。


「これほど居丈高に金の無心をする御仁を見るのは初めてです。我が郡がそんな浮ついた事業を支援する筋合いはない。ただでさえ、漁陽の功績に対して報われたところは少ないというのに……」


「……そんな狭い了見だから、太守どまりなのだ」


朱浮がボソリと呟くと、彭寵は盃を取り落とした。


「なんだと……?」


「あなたは殊更に王郎討伐でのご自分の功を誇っておいでのようだが、その功は諸将と比べて飛び抜けたものではない。こういう話を知っていますか?

昔、遼東の豚飼いの家に白豚が生まれた。遼東では豚は皆黒い。白豚を珍しいものだと思った豚飼いは、宮廷に献上しようと旅立った。行きて河東に至るとそこの豚は皆白かった。豚飼いは恥じ入って帰ったと言う」


彭寵は怒りで耳まで赤くなっている。彼だけではない。彭寵に似て気位の高い彼の一族は、家長を侮辱された怒りで今にも朱浮に斬りかかりそうになっていた。


「つまらぬ功を誇って私に逆らっても、良いことはありませんぞ。幽州全体の利益を考えて、どうすべきかを至当に判断なされるように。今日はもう失礼させていただく」


朱浮は話を一方的に打ち切ると、さっさと出て行ってしまった。

鄧禹の仕込んだ朱浮という毒は、彭寵の全身に回りつつあった。高慢な朱浮は、自分が優秀なために幽州牧として推挙されたのだと信じて疑わず、鄧禹の真の意図を知る由もなかった。


 頑なに資金提供を拒む彭寵に業を煮やした朱浮は、洛陽の劉秀に対して上書した。彭寵は資金を独り占めして州の政治に協力的でない、兵馬を蓄えて何を考えているかわからず甚だ不穏である、といった内容だった。

朱浮の能力はともかく人格に難がある事を承知していた劉秀は、彭寵に書状を送った。


ーー州牧が君のことを悪様に上書してきたが、俄には信じがたい。あれもアクの強い男であるから、何か誤解や行き違いがあったのではないか。申し開きがあれば聞くので、洛陽に一度来てくれないか。ーー


劉秀の書状に対して彭寵は返書をした。

私を召還するならば朱浮も召還して頂きたい、どちらが悪いか御前ではっきりさせたい、等等。

劉秀は州牧と太守がともに幽州を不在にすることを良く思わず、彭寵だけが来れば事足りると返した。


「洛陽に行けば殺される……陛下は朱浮と前々から謀っていたに違いない」


「そうよ。これはきっと罠よ。みんなあの朱浮とかいう嫌味な奴が仕組んだんだわ」


彭寵は猜疑心に凝り固まっていた。彭寵の妻をはじめ、周囲には煽りこそすれ、諌めるような人物はいなかった。


「私はこんなところでむざむざ誅殺されるような小物ではないぞ。朱浮、いやさ劉秀にも、私の真の実力を見せつけてくれる」


 「あ、あなた!大変よ。漁陽郡で反乱が起こったんですって!」


慌てて駆け込んできた妻を見ても、朱浮は慌てる様子がない。


「ふん、愚かな彭寵め。このまま固く守り、陛下に上書して叩き潰してもらおう」


朱浮の思惑とは裏腹に、劉秀の返事は非常に渋いものだった。


ーー梁の国に強力な劉永政権が誕生し、劉永と赤眉の両方を相手取って戦うことになった。とても幽州に親征などしている余裕はない。いずれは援軍を送るが、いつになるか約束できない。良い返事が出来ず非常に心苦しいが、君の集めた優秀な人材を活用して、なんとか持ちこたえてほしい。ーー


朱浮は書状を握ったまま、じんわりと脂汗をかいていた。

彭寵率いる二万の軍勢は、怒涛の勢いで朱浮の篭もるけい城に迫りつつあった。


一方その頃、洛陽においても運命の歯車がゆっくりと一つの悲劇に向けて回りつつあったのである。

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