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第六十章 対立の火種

 劉秀は朱鮪を降したのち洛陽に入り、この地を都とした。

国としての体裁を整える中で、次に行われたのが人事である。諸豪族の利害関係が複雑に絡みあい、人選は困難を極めた。まず、在野の賢人として名高かった卓茂たくもという学者が太傅たいふに選ばれた。太傅は皇帝の師とされる名誉職である。続いて、次の三人が劉秀を支える最重要の幹部、三公に選ばれた。


大司馬 呉漢ごかん

大司空 王梁おうりょう

大司徒 鄧禹とうう


この三人が如何にして選ばれたのか、順を追って記す。


人事を決めるにあたって「緯書を参照すべし」とする諸豪族の声は強かった。緯書、つまり予言書を即位に利用した劉秀は、立場上この声をないがしろにすることは出来ない。洛陽宮にはあらゆる緯書が集められ、査読の結果二人の人物が三公の役職と紐付けられた。


「という訳で、緯書には君が軍事を司る大司馬になるべしとあるんだが、どう思う?」


「何かの間違いと存じます。失礼ですが……陛下はそもそも私のことを覚えてらっしゃいますか」


「覚えているよ……孫咸そんかん。馮異の推挙で軍旅に加わったのだったな」


孫咸は馮異が薦めた人物だけあって優秀な将軍だったが、大軍を率いたことはない。あくまで小部隊の指揮官として優秀である、という人物である。劉秀の表情には、覚えてはいるけれども、という困惑があった。


「陛下、胸中の人がおありなら、それを優先すべきだと思いますよ。何しろ皇帝陛下なのですから」


劉秀は諸将への聞き取りも踏まえ、内心では統率力と突騎の用兵に優れた呉漢と景丹けいたんの二人に候補を絞っていた。孫咸が辞退したことで、二人のうちでまだ若く、南陽と幽州の双方に縁を持つ呉漢を大司馬とする決定を下した。

土木や治水を司る大司空には緯書通りに王梁が選ばれた。

これは緯書に記された名前の中では王梁は優秀であったこと、劉秀が今後緯書を権威付けに利用していく上でこの“緯書枠”を設ける必要があった、こと等によって決まった。

財務や政策全般を司る大司徒は劉秀の独断で鄧禹が選ばれた。

鄧禹は遠征先でこの知らせを受け取った。弱冠二十四歳、青年宰相の誕生である。しかし、この青年宰相の遠征では困った事が起きていた。

規律正しい軍隊を率いて長安に迫る鄧禹であったが、赤眉の横暴に嫌気がさした人々が続々と軍旅に加わり遂には数十万の単位に膨れ上がってしまった。

そのため、食糧を確保するため進軍を一時中止したのだが、小人閑居して不善をなすとの警句の通り、滞陣に倦んだ馮愔ふういんという部将が同僚を喧嘩の末に殺害し、更に鄧禹を攻撃して逃亡してしまった。

馮愔を取り逃がしたかに見えた鄧禹だったが、ここに意外な味方が現れる。

馮愔が逃げ込んだのは、隗囂が君臨する涼州の天水郡であった。略奪を働こうとした馮愔は、隗囂の命を受けて駆けつけた王元に惨敗し、鄧禹の部下に追いつかれて捕まった。

期せずして鄧禹、ひいては劉秀に恩を売ることになった隗囂は、西州大将軍の印綬を受け取って表面上は劉秀の臣下となった。劉秀はその勢力の甚だ大きいことを尊重し、隗囂を対等の君主として扱った。

このころ、人事が発表されていると聞いて洛陽に馳せ参じた者がいた。


「これは漁陽郡から遠路はるばるご苦労、彭寵ほうちょう殿。王郎誅滅の際に援軍や糧食を絶えず贈ってくれたこと、深く感謝している」


「いえいえ、臣下として当然のことであります」


「その功を賞して大将軍に任ずる。そして、これからも漁陽太守として郡政を取り仕切って頂きたい。ありがとう」


彭寵は、きょとんとした表情で顔を上げた。


「……何か、問題でも?」


「い、いえいえ、一層励ませて頂きます。それでは失礼します」


劉秀は退出する彭寵を見送ったが、しばらくして何か大きな物音がしたので様子を侍中の龐萌ほうぼうに見に行かせようとした。

しかし、呉漢がそれを遮って飛び出していった。

呉漢が彭寵に追いついた時、彭寵は右手の拳からしたたかに血を流していた。呉漢は壁に穴が開き血がついているのを見て、昔の主人が何をしたのかを悟った。


「若、ひとまず手当を受けてください。その怪我では余計な詮索を受けます」


「……何故だ。何故、私に何の恩賞もない」


彭寵の目は失望と怒りに染まっている。


「若は既に太守です。それに大将軍の号もついたではないですか。おいそれとこれ以上の加増は出来ないというだけの話です」


「私の功績を陛下はわかっていない。私が大将軍で、お前が大司馬?この私が拾ってやらなければ石ころ同然だったお前が、大司馬だと?笑わせる。お前が大司馬なら私は公や王になって然るべきなんだ!ふざけるな!」


彭寵は呉漢を突き飛ばして言った。


「二度と、若などと馴れ馴れしく呼ぶな。顔も見たくない」


呉漢は遠ざかる彭寵を黙って見ていた。廊下には転々と血の跡が続いていた。


 彭寵が怒りとともに洛陽を去ったのと入れ替わりで、ある一団が洛陽に到着していた。

妙に艶めかしいぴったりとした服を着て、香の匂いを漂わせすぎる程に漂わせている妙齢の女性は、劉秀の一番上の姉である劉黄りゅうこうである。


「流石は都会ね。格好いい殿方がいっぱいいるわ。ねぇ、麗華ちゃん?」


「私は、そういうのはあんまりわかりません。ごめんなさい、義姉上あねうえ


「あなたは文叔ちゃん一筋ですものね。あぁ、それにしても私が公主おひめさまだなんて、夢のようだわぁ。男なんて選り取りみどりよ、ねぇ、麗華ちゃん?」


「だから……そういうのはあんまり……あ、傅俊さんが呼んでますよ。行きましょう」


侍中の傅俊ふしゅんが手招きしている。その横には姪である陰麗華いんれいかの護衛を買ってついてきた鄧奉とうほうがいた。

二年間の別離の後に喜びに包まれて洛陽にやってきた陰麗華だが、しかし、劉秀に会った途端に失神することとなった。


「気がついたか麗華……。可哀想に」


「……叔父上。夫はどうしているのですか?」


床から顔をあげた陰麗華に、鄧奉は渋面をつくった。その手に胡桃を弄んでいる。


「見舞いに来たが追い返した」


「そんな……私は少しびっくりしただけです。怒ったり、悲しんだりしてません」


「おう、俺もびっくりしたよ。あの野郎がお前をさしおいて、郭なんちゃらと子供ガキまでこさえているとはな」


陰麗華が目にしたのは、劉秀が抱いていた赤子である。劉秀と郭聖通かくせいつうの子である劉彊りゅうきょうは、劉秀が都を洛陽に置いたこの年に産まれていた。

鄧奉が口に出した事で、辛い現実がより浮き彫りになる。陰麗華は俯いて、小刻みに震えるとやがて声をあげて泣いた。

鄧奉は無言で胡桃を握りつぶした。


 劉秀は陰麗華を傷つけてしまったことを深く悔いていた。その日は俄雨が降り、庭の欄干に手をかけたまま劉秀は物思いに耽っていた。


陛下あなた、あまり悔やまれると今度は私が傷つきますよ」


郭聖通が傍らに佇んでいた。


「彊は?」


「お昼寝をしています。丁度良かったわ。陛下に話があるの」


郭聖通は一本の竹簡を取り出した。劉秀は手渡されるとこれを読み上げた。


「赤九の後、瘤の揚が主となる。……なんだ、これは。まさか、劉楊殿か……?」


瘤の楊と言えば、劉楊の首には病の瘤がある。

劉秀に変わって、劉楊が天子となる、と読める文章だった。


「叔父上が、これを作って手下にばら撒かせている。叔父上は謀叛を企んでいるの」


郭聖通は劉秀に抱きついた。


「私の弟達が計画に引きこまれそうになっているわ。どうか、彼らだけでも助けてあげて」


劉秀は郭聖通の長い髪を撫でた。

しかし、真定王劉楊の乱は、弾ける火種の最初の一粒でしかなかった。

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