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第五十八章 朱鮪

 建武元年七月、呉漢を総帥とする賈復、馮異、朱祜、王覇、祭遵、岑彭、堅鐔、王梁、萬脩、劉植等の十一将が数十万の大軍勢で洛陽を包囲した。

兵は雲霞のように城を取り囲み、銅鑼を打ち鳴らす。その光景を見た朱鮪は目を血走らせて哄笑した。


「ふ、ふはははは、黄泉への道連れのなんと多いことか!只では死なん。洛陽城の恐ろしさを教えてやろう」


洛陽の城壁の更に外側には深い水壕が掘られている。濠の端には人馬が飛び越えることのできない高さの羊馬城、つまり堤が設けられている。門の前だけに堤を越える橋があり、侵入経路は限られていた。

呉漢配下の烏桓突騎の一騎が橋を越えようとすると、馬が何かに脚を取られた瞬間に数方向から矢が放たれ、人馬ともに一瞬で落命することとなった。


「罠か。しかし、こんなものは一回きりだ。ひるまず渡れ」


呉漢が命令すると十騎あまりが橋に取り付いたが、橋の中程でまたしても矢が放たれ、三騎が失われた。今度は脚を取られたような素振りはなかった。

朱鮪は城壁からその様を見てせせら笑った。

これは夜伏耕戈やふくこうかと呼ばれる罠である。線に相手が引っかかることで仕掛けられた弩が矢を放つのだが、時間差で二段回に発動できるのが特異な点であった。

橋を渡ってからも陥馬抗かんばこうが諸所に掘られ、烏桓突騎はその力を一向に発揮できない。

その間、王梁、祭遵らの率いる歩兵が城壁に取り付いて梯子をかけようとしたが、轟音とともに刺のついた板塀が落ちてきて真下にいた兵士は押しつぶされてしまった。これは狼牙拍ろうがはくと呼ばれる守城兵器であり、相手を押しつぶした後は絞車という巻き取り機を使って上に引きあげる。上がっていく狼牙拍からは血がしたたり、攻め手の兵は恐怖に囚われた。

別の城楼の近くでまた狼牙拍が落ちてきた。今度は下にいる兵士達もすんでのところでよけたが、この狼牙拍の上には蘇茂そぼうが乗っていた。


「引き篭もるのは性に合わないわ。たまには外の空気も吸わないとね!」


蘇茂は九節鞭を縦横に回転させる。耳障りな音とともに振るわれる鞭は、歩兵達を打倒していく。

王梁がかんを右手に蘇茂に追いすがるが、蘇茂は別の狼牙拍に飛び乗ると城壁の兵に合図する。即座に絞車が巻き上げられ、王梁は蘇茂を取り逃がしてしまった。

堀を埋めようにも工事のために蝟集した工兵は降り注ぐ矢の前に全滅し、攻城兵器を接近させることが出来ない。

狼牙拍等の兵器の場所が劉秀側に知られても、石臼や燃える柴を落とす、城壁から守城槍で攻撃する等のあらゆる手段を用いて朱鮪軍は抵抗する。

朱鮪は二ヶ月もの間、劉秀軍の猛攻に耐えぬいた。


 九月、状況が動いた。堅鐔が東門の守備兵から内通の約束を取り付けたのである。

明け方に開門するという約束に合わせて、朱祜と堅鐔が侵入し、朱鮪を討ち取ることとなった。

明朝、手筈通りに東門は開放された。しかし、門を開けた者以外はこの企てに加わっていない。異変を感じた敵兵が急行し、二将軍はこれを打ち払いながら進んでいく。


「堅鐔殿。この先の建始殿けんしでんに武器庫があります。先にそこを押さえてしまいましょう」


建始殿に二人が押し入ると、巨大な武器庫の両側に兵士を模した架がずらりと置かれ、その一つ一つに武器がかかっている。荘厳な様に圧倒された朱祜はごくりと喉を鳴らした。

ふと長く伸びる架の影が揺らめいた。同時に後ろの門扉が閉じられた。

堅鐔が悲鳴とも怒号ともつかない声をあげて剣を振り上げると、金属音が鳴り響いた。


「中々勘がいいじゃないか!褒めてやろう」


堅鐔に斬りかかったのは、右手に呉鈎ごこう、左手に佛塵を持った朱鮪その人であった。朱鮪が佛塵を振ると、架の間から兵士達が飛び出して朱祜と堅鐔を取り囲んだ。朱祜は朱鮪に言う。


「なぜ、お前がここにいる!」


「東門が騒がしかったからな。東門から来るとなれば、先に武器を押さえるだろうと踏んだのさ。さぁ、お喋りは終わりだ!」


朱祜は咄嗟に架に鉄鞭をかけて倒した。埃と怒号の中で乱戦が展開された。堅鐔は背に傷を受けながらも扉を開けることに成功した。

朱祜も門扉の近くまで駆け寄る。そこに朱鮪が追いすがり、鉄鞭と呉鈎が激しく打ち鳴らされる。朱祜は鉄鞭を取り落とした。

終わりだ、と叫ぶ朱鮪の呉鈎は空を切る。朱祜は素早く身を屈めると鉄鞭を取り直し、朱鮪の右脚を渾身の力で打ち据えた。悲鳴とともに朱鮪はその場に崩れ落ちる。朱祜は朱鮪に止めを刺そうとしたが、馬蹄の響きに気づいて手を止めた。

異変を察知した蘇茂が騎兵を率いて建始殿に向かってきたのだ。

朱祜の左手に鋭い痛みが走る。佛塵を杖のように使って身を起こした朱鮪が、呉鈎で斬りつけたのだ。暗くてよく見えないが、痛みから深手だということだけは判断できる。


「朱祜殿、口惜しいが撤退しよう!命あっての物種だ」


二人は馬に飛び乗ると脇目も振らず東門を走り抜けた。


 朱鮪は城中で椅子に座ると虚空を見つめていた。いくら敵を撃退しても、もう食糧が底をついている。援軍のあてもない。虚しい勝利だった。

自分の絶頂はどこだったか。

劉伯升を葬ったその時を朱鮪は思い返した。さぞ悔しかろうと伯升の首を改めると、その口元はどこか笑みを浮かべているような、安堵に似た表情を浮かべていた。その顔を見て言い知れない不安に襲われた朱鮪は、ここまで劉秀を始末しようと画策したが果たせず、今や自分が始末されようとしている。

どこだ。どこで間違った。どこからなら挽回できた。


ーーあの時、劉秀を河北に遣るのを阻止できていればーー


――あの時、劉秀を兄とともに始末出来ていれば――


ーーいや、そもそも私が劉氏に生まれていればーー


仮定の話が脳裏にとめどなく浮かび、消えていく。


「……きりがないぞ、朱鮪よ。この愚か者め」


朱鮪の乾いた笑いが堂内に響いた。

朱鮪は属官の呼ぶ声に我を取り戻した。劉秀からの使者が対話を求めているという。城楼に登り、城壁の下にいる使者を眺めると、それは見知った顔だった。


「久しいな、岑彭」


「お久しぶりです。朱鮪殿」


朱鮪は朱祜に折られた右脚を支えるため、杖をついている。朱鮪の窶れた顔、白髪が入り混じり艶の失われた髪を見て、一気に老け込んだな、と岑彭は思った。


「いつか淮陽をともに陥落させた時、お前から霧の中での戦いを聞いたことがあったな。さては、この間の戦いはお前が指揮官だったのか?」


「ご明察です。恐れながら勝ち星を頂きました」


二人は静かに笑いあった。


「劉伯升の仇を討つと言っていたな。この洛陽はもうすぐ落ちる。やっと宿願を果たせるわけだ」


「恩も一緒に返す、と私は言ったのです。お忘れですか」


朱鮪は岑彭に訝しげな目を向けた。岑彭は続ける。


「我が君は、朱鮪殿が降伏すれば助命すると言っています。あなたは私に取って仇だが、引き立ててくれた恩人でもある。私は既にあなたを破って仇を報じた。今度は命を助けて恩を返したい」


岑彭はたたみかけるように続けた。


「あなたは痩せた城を高く守っているが、もはや望みはない。朱鮪殿………天下の事は既に去ってしまったのです。降ってください」


朱鮪は沈黙した。数分に満たないその時間が、二人にはひどく長く感じられた。


「信じられんな。大司徒だいしと劉伯升が害にあった時、私はその謀の中心にいた。河北派遣の邪魔立てもした。今さら降ったところで許されるはずもない」


岑彭は朱鮪の目を見据えて言う。


「陛下はそんな度量の狭い人ではありません。あなたの考えを陛下に伝えて、返事をもらってきます。それまでによく考えてください」


 岑彭が劉秀の書簡を携えて戻ってくるまでにそう長くはかからなかった。

岑彭は城壁の下で書簡を読み上げる。


「大事を建てる者は小さな恨みを忘れるものだ。貴方が今もし降れば、官爵を保てる。ましてや、誅罰など加えるものか。黄河の流れに誓って約束しよう」


朱鮪は引きつった笑いを浮かべて城壁から一本の縄を降ろさせた。


「その言葉が噓でないと言うならば、これを登って来てくれ給え」


縄を登っている最中に切られてしまえば即死は確実であるし、そうでなくとも弓矢の的である。岑彭の部下達は動揺を隠せない。しかし、岑彭は力強く縄を握るとするすると登りだした。


「相変わらず用心深い。これで良いですか」


笑みを浮かべる岑彭を見て、朱鮪は長いため息をつくと愛用の佛塵を地に放った。朱鮪は兵士達を集めて言った。


「投降する。固く守って私を待て。もし、私が戻らなければ郾王えんおう尹尊いんそんを頼れ」


後ろ手に自らを縛らせた朱鮪は、河内郡に戻っていた劉秀のもとへ護送された。

跪いた朱鮪を見た劉秀は、周囲の兵を見て言った。


「早く縄をほどいてやってくれ」


劉秀は縛めを解かれた朱鮪の肩に手を置いて言った。


「色々と心配事があるでしょう。一度洛陽に戻って構いませんよ」


朱鮪が自らの敗北を心から受け入れたのは、この瞬間であった。岑彭とともに洛陽に戻った朱鮪は、翌朝全軍を率いて投降した。

朱鮪は平狄将軍兼ねて扶溝侯に任ぜられた。後に九卿きゅうけいの一つ、少府しょうふにまで登りつめ、累代に封土を伝えたという。

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