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第五十七章 有翼の虎

 洛陽の朱鮪しゅいとの戦いについて、ここでは劉秀の即位以前に一度時間を巻き戻して述べる。


温県に蘇茂そぼうを派遣した朱鮪は、自身は平陰に兵を集めて馮異ふういと対峙した。東西どちらにも拠らず、あえて郡の中心に近い平陰に駐留することで、孟にいる馮異の動きを止めるのが狙いである。

馮異の足止めをしている間に蘇茂が温県を攻略して河内郡攻略の拠点を築く、というのが朱鮪の狙いであった。

渡河をして温県に侵攻を開始した蘇茂に対し、河内太守の寇恂こうじゅんは迎撃の態勢を整える。


「全軍を蘇茂にぶつけるとともに、援軍を募る。食糧を放出して、近隣から兵を集めよ。馮異殿へも救援を打診する……こちらは一部しか来られないだろうが、それでもだ」


しかし、援軍が到着する前に寇恂軍と蘇茂軍は接触することとなった。蘇茂は蝶の模様の入った丈の長い戦袍を風になびかせて、寇恂軍と対峙する。


「ふふふ、寇恂さんと言ったかしら?私の輝かしい戦歴の一頁となって死になさい!」


蘇茂はつい先日赤眉に大敗を喫しているのだが、切り替えの速さは彼の長所と言えた。


「絶対に援軍が来るまで持ちこたえろ!必ず道は開ける!」


寇恂が檄を飛ばし、蘇茂軍と寇恂軍は激突した。

両軍はほぼ互角の戦いを続けた。業を煮やした蘇茂は自ら九節鞭を振るって寇恂のいる本陣に接近する。九節鞭は恐ろしい唸り声をあげて回転し、次々と雑兵を打ち倒していく。しかし、その時寇恂の集めた援軍が到着した。寇恂は予め集めておいた良く声の通る兵卒達に一斉に叫ばせた。


「陛下の本隊が戻られたぞー!」


もともと劉秀の味方であった更始帝の軍では、「昆陽の劉秀」の強さは知れ渡っている。劉秀が到着したと欺かれた蘇茂の軍の動揺は激しい。右往左往する味方に阻まれて、蘇茂は寇恂をすんでのところで取り逃がした。


「劉秀本隊はまだかなり遠い位置のはず。この援軍にはいないわ!こら、お前たち、落ち着きなさい!」


蘇茂が混乱を収める前に、援軍と兵を合わせた寇恂は総攻撃を加えた。壊乱した蘇茂軍は渡河撤退の際に多数の溺死者を出して半減する結果となった。


 寇恂が蘇茂を撃退すると馮異は間髪入れずに郡境を超え、河南郡に侵攻して攻勢に転じた。しかし、両軍が黍畑の点在する平原で対峙すると、濃霧が発生し、数歩先も見えなくなった。


「敵の領域で迂闊に動くのは避けたい。ここは待とう」


馮異がそう決しようとした時、進み出て建言する者があった。この時、馮異の佐将としてつけられていた岑彭しんほうである。


「私は小長安の戦いで霧につつまれた時、敢えて前進し、恐れ多くも蕭王の兄君を破りました。また、敵将の朱鮪殿の性格もよく存じています。必ずじっとしていられず、何かしらの作業を兵に命ずるはずです。敢えて前進し、打ち破るべきです」


「経験者がいるとなれば話は別だ。岑彭殿に先鋒をお任せし、攻撃を開始する」


果たして岑彭の指揮する先鋒が朱鮪軍と接触したとき、朱鮪の兵は黍畑に分け入って黍を収穫している最中であった。無駄に霧の中でじっとしているよりは、黍を収穫して兵糧のたしにしようという考えであった。不測事態にあっても兵站まで意識する朱鮪の器用な性格は、この時ばかりは仇となった。

岑彭は朱鮪の軍を散々に打ち破り、馮異の本隊と兵を合わせて洛陽の城壁の周りを一周し、朱鮪軍を威圧すると、河内郡に撤退して攻城戦の準備を始めた。

相次ぐ勝利の報に動かされた劉秀はこの頃ついに皇帝へ即位することとなった。


 失意の朱鮪の前に更なる凶報がもたらされた。


「劉秀率いる本隊が、今度は本当に馮異と合流したそうよ。それも、帝位を称してね」


蘇茂は闘争心を失っていないのか、九節鞭を胸の前で緊張させ、じゃらじゃらと音を立てた。


「忌々しい小僧めが、ついに来おったか!」


朱鮪は窓に向かうと、劉秀がいる孟の方角を睨みつけた。


孟に到着した劉秀は皇帝とは言っても、相変わらず小ざっぱりとした戦袍に身を包んでいる。変わったのは冠である。劉秀は始皇帝のような簾のついた冕冠べんかんではなく、劉氏冠りゅうしかんを被っていた。前頭部から後頭部に向かって高く伸びる不思議な意匠の冠で、高祖劉邦が一介の亭長にしか過ぎなかったときに考案したとされている。


「本当にご苦労様、大樹将軍。いやぁ、この冠はなんだか頭が後ろに引っ張られて首が痛くなるんだよ。あご紐もやたら食い込むし。もう、取ってもいいかい?」


「またそんなご冗談を。似合っておいでですよ。首の痛みは天下の重みに引っ張られているとでも考えて、耐えてください」


馮異は笑いながら、劉秀とともに集結した軍勢の威容を改めて見た。

各地から帰参した豪族の軍、勇猛な幽州の突騎、劉秀に心服する銅馬軍、これら総勢数十万の軍勢がこの新たなる天子の名の元に集結している。まさに王者の軍に相応しい。

劉秀は、わずかな手勢で河北に向かった時のことを思い出した。あれからおよそ二年、全ての苦難の元凶とも言える朱鮪を、劉秀は追い詰めている。朱鮪はかつて、劉秀を河北に向かわせるのは虎に翼を与えるようなものだ、と言って猛烈に反対した。今、有翼の虎は朱鮪をその爪にかけようとしている。


「天子の名において諸将に命ずる!老賊朱鮪を討ち、洛陽を解放せよ!」

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