第四章 器
1
「あんな連中とは、一刻も早く手を切るべきだ!悪党に主導権を握られて、何が義挙だ」
劉秀はいきりたつ朱祜をなだめるしかなかった。
長娶の村を滅ぼした反乱軍の中では早くも不協和音が聞こえつつあった。
軍議の場で王鳳の残虐な振る舞いを朱祜が公然と非難したため、次の目標である唐子郷を攻める算段を話し合うはずが一触即発の事態になってしまったのである。
王匡・王鳳の兄弟に交互に罵られた朱祜は余程悔しかったと見えて、その後も事あるごとに盗賊たちとの同盟を解消すべきだと言ってくる。
それも伯升にではなく劉秀にばかり言うのだが、劉秀は朱祜に同情を示しつつも内心では伯升と同じ結論に至っていた。
宛を落とすまでは、たとえ相手が悪党であっても足並みをそろえなくてはならない。
唐子郷はさすがに石造りの城壁に囲まれていたが、石が不揃いで所々苔むしている。王匡と王鳳はニヤニヤと笑みを浮かべて
「「今回は半殺し程度に留めるから安心してくれたまえ」」
と声を揃えて伯升に言うと、城門を打ち壊しにかかった。
唐子郷はしかし、城門を打ち壊してもほぼ抵抗することなく、あっさりと落ちた。
街の人々は口々に、長娶の村が滅ぼされたとの報が入るやいなや守備兵達が出て行ってしまったという。
陳牧は腰抜けの新軍は我らの強さに恐れをなして逃げ出したのだと言ったが、新軍は守るに堅い湖陽の街に集結したのではないか、との朱鮪の予想を聞かされると顔を赤くして黙ってしまった。
2
朱鮪の予想通り、湖陽の街はこれまでに落とした街とは比べ物にならないほど厳重に守られていた。
長大な城壁には一分の隙もなく、梯子をかけても矢の雨に晒される。
先陣は伯升ら南陽の軍がつとめているが、攻囲をはじめてはや数日、戦況はすっかり膠着状態に陥ってしまった。
鄧晨の家で出会った馬武という新市軍の武将が先陣を替わろうと願い出たが、伯升はこれを断った。
馬武の態度から、彼は素朴な気持ちから助太刀を買って出たという風に劉秀には感ぜられたが、配下の兵までがその心づもりでいるかについては甚だ疑問があった。
伯升ら兄弟にはこの湖陽の街に先に入らなければならない理由がある。
先頃亡くなった母の一族である樊氏はこの街の名族である。
古代の中国では血族を見殺しにするような振る舞いは、現代とは比べ物にならない程の拒否感を示される。
今後の求心力を繋ぐためにも、何としても救出しなくてはならない。
敵も交渉による決着を試みて伯升の舅父にあたる樊宏を降伏勧告の使者として寄越したが、もちろん乗るわけにはいかない。
樊宏もどのような理由で寄越されたのか説明し終わると、南陽の軍を勝たせるべく内部の様子を話しだした。
話がこの街を守備している尉(武官)についてまで及んだとき、ある男があっと声を挙げた。
「その尉は幼馴染で、親友といっても差し支えないほどの仲です。私ならばその尉をおびき出せるかもしれません」
大役を買って出たのは唐子郷を落としたときから加わった劉終という男だった。
伯升らの縁戚であるが地味で目立たず、軍議でも発言をほとんどしないので、早くも軍中で埋没しつつあったのだが、この一件で皆からの注目度が急に上がった。
皆の期待を一身に背負って尉をおびき出しに出て行った劉終は、期待を上回る成果を持って帰ってきた。彼が戻った時、その手に提げていたのは尉の生首であった。
劉終は友人である尉の部屋に通されたが、話がもつれたため勢いに任せて尉を刺殺、脱出することに成功したのである。
一方、尉の首なし死体を執務室に発見した湖陽の新軍兵士たちは恐慌状態に陥った。
その様子を見た街の父老――街の顔役、ご意見番であり、地方政治に深く関わる――は城門を内側から開放してしまい、湖陽の街もほぼ無血開城となった。
これ程の大功をあげた劉終であるが、これ以降の事跡はほぼ記録されていない。
このように一瞬の輝きを見せて一瞬で消えていく流星のような人物は、歴史上には多く存在している。
殆どの人々が名を竹帛に記すことなく消えていくことを考えれば、彼らもまた稀有な存在ではあるのだが。
3
しかし、二日の後、陥落したはずの湖陽の街は再び包囲されていた。城外に陣を布いているのは味方のはずの新市の兵、平林の兵である。
「攻略が順調に進んでいるというのに、敢えて仲間に牙を剥くとはな。攻めてくるというのなら、返り討ちにするまでだ!」
伯升は怒気を露わにした。劉秀は、なにか前触れは無かったかと、ここ二日間の記憶を辿る。
まず、湖陽の城門が開き、新市・平林の兵が入ってきたのは半日遅れであった。
彼等は家々を南陽の兵が警らしているのを見ると小声で何かを囁き合い、本陣に集められた寄進の品や財物を見ると、そそくさと出て行ってしまった。
そして翌日には城外に陣を布いて、息巻いていたのである。
「兄上、ここは私に任せていただけないでしょうか。一計があるのです」
伯升は劉秀の自信有りげな顔に興味を抱いたのか、これを許可した。
劉秀は本陣の財物を城門の外に運び出させた。
湖陽では反乱軍はほぼ略奪をしていないので、今までの戦いで得た物も多く混じっていた。
城外に出て劉秀はこう呼びかけた。
「諸将に献ずるものが全て集まりましたので、受け取っていただきたい。王匡殿、王鳳殿に検分していただければ幸いです」
王匡・王鳳は馬武と護衛の兵を数名引き連れてすぐに現れた。
王兄弟は喜色満面といった様子で、いつもの酷薄な二人とはまるで別人だった。
劉秀は招かれて二人の陣に赴いた。
まあ、座り給えと王匡が言う。まあ、飲みたまえと王鳳が言って、指をぱちりと鳴らすと酒が運ばれてきた。
「「我々の兵は目先の報酬が得られなければこの戦いに参加することは難しい。義兵といったところで、盗賊稼業以外のやり方を知らないからな。湖陽の財物を劉氏が独り占めにしているという報告を受けて、止むを得ず陣を布いたのだ」」
二人は――最初からこのように分配するつもりだったかはもはや問わない。劉氏にも劉秀殿のように話がわかる御仁がいるのなら、二度とこのようなことは起こるまい。――といって劉秀と杯を合わせた。
王匡は一杯だけ飲むと、部下を呼んで分配の指示を出した。
日頃の働きぶりと年功序列、その兵が財物を欲しているのか、糧食を欲しているのか、その両方が満ち足りていて嗜好品を欲しているのか、最近子供が生まれたから祝いにこれもつけておけ、等々の様々を考慮した細かい指示を的確に行う。
しばらくすると周囲の天幕から歓喜の声や調子外れの歌声が聞こえてきた。
王匡は再び飲み始めると、その声や歌に耳をすませて、これが戦の醍醐味だ、と呟いた。
「以前、朱鮪殿から御二方は公平な分配から衆の信頼を集めたと聞いておりましたが、今日その異能を間近に見て心から感服いたしました」
劉秀がこう言ったのは半分は追従であったが、半分は本心であった。
王兄弟はこの言葉にさらに気を良くして大いに酒を振る舞った。
劉秀はその晩遅くまで王兄弟らと飲み、明け方近くに城内に戻った。
城門では朱祜が、劉秀は盗賊たちに捕まったか、殺されたのではないか、と心配そうに待っていた。
馬武と朱鮪は酔いつぶれた王兄弟に代わって劉秀を城門まで見送った。
「劉秀殿は我ら盗賊を蔑んだりせずに打ち解けて話してくれました。また、分け前のことに気づいたのも、伯升らと違って地に足のついた考え方をしている証拠です。あれこそが大将の器ですね」
馬武がそう言うと、朱鮪は彼を睨みつけた。
昨夜の宴席では露わにしなかったものの、馬武には朱鮪が不機嫌であることがわかっていた。
それがわかっていて敢えて劉秀を賞賛したのは、朱鮪の考えを正確に知りたかったからである。
「お前までたらしこまれたというのか、まったく。…あれほど賢い男が南陽の劉氏にいては、彼奴らを上手く操ることは望めまい。少々予定よりも早いが、腹案を実行に移さねばなるまいよ。……忌々しい小僧め!」