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第五十五章 順水の戦い

 北平に遠征した劉秀は尤来きゅうらい大槍だいそうなどの盗賊軍と戦いながら順水の地まで軍を進めていた。

尤来の賊が後退をはじめたのを確認すると、劉秀自身も剣を振るって追撃にとりかかった。

しかし、数刻経って馬を走らせる劉秀がふと周囲を見渡すと味方が一人もいない。気持よく追撃をしている内に大将である劉秀が突出してしまい、味方を置き去りにしてしまったのである。

こんな時に限って、親衛隊長を務める賈復はいない。数日前の戦いで重傷を負って、臥せっている。身重の妻がいると聞いていた劉秀は、万一のことがあったら互いの子供を娶せて一族の面倒を見ると告げたが、幸いにも一命は取り留めた。

劉秀は木々の微かな音に気づくと、神経を研ぎ澄ました。一人や二人ではない。十人いや、もっと敵が潜んでいる。一人で斬り伏せるのは無理だと判断した劉秀は、即座に馬首を廻らせた。


「たぶん偉い奴だぞッ!逃がすなぁ!殺せぇぇ!」


振り返ることなく夢中で馬を奔らせるが、森を抜けて日の差し込む場所に出ると、急に馬が嘶いて立ち止まり、劉秀は振り落とされてしまった。

劉秀が土埃を払いつつ顔を上げると、目の前には崖が広がっていた。

崖下を除くと草地である。高さは四丈(十米)あるかないか、といったところか。

怒号とともに追手が現れると、劉秀は懐にしまった御守に手を当てて、勢いよく崖から飛び降りた。


 順水の城に逃げ帰った漢軍は混乱していた。蕭王劉秀の姿がどこにも見えないのである。耿弇の部隊を除き、ほぼ全ての部隊が戻ってきている。

乱戦の最中に劉秀は敵の手にかかったのではないか、そんな声が囁かれ始めた。蕭王が死んだらこの軍の正当性は保たれるのか、誰を盟主と仰げばいいのか。


やかましい!」


一喝する声に、衆目は声を発したその人、呉漢ごかんに注がれた。


「主君が死んだくらいで、狼狽えるんじゃない。蕭王の兄上の御子が南陽にいらっしゃる。その方を今後主君と仰げばいい」


何か問題があるか、と言わんばかりの呉漢の態度に周囲は威圧され、皆黙ってしまった。

そのとき、呉漢の肩を叩くものがあった。


「戻ったよ。心配かけてすまなかった」


服があちこち破れ、顔に泥がはねているが、蕭王劉秀その人である。

呉漢はひざまずくと、先の発言を謝した。


「緊急の事とはいえ、出過ぎたことを申しました」


「なに、ああいう事を言えるのが君の凄味さ。やれやれ、今回は失敗だ。危うく賊の笑いぐさになるところだったよ」


劉秀は崖下に飛び降りても、奇跡的に大した怪我もせずに済んだ。身ひとつで飛び降りた劉秀は、耿弇の部下の一人である王豊おうほうに発見され、事なきを得たのであった。


 順水の戦い以外でも何度か敗戦するほどに盗賊掃討戦は困難を極めた。苦戦の中で頭角を現したのが、馬武ばぶ陳俊ちんしゅんである。

撤退する軍の殿しんがりをたった一人で務めた馬武は、数十人を討ち果たして無事に帰還した。

果物を楊枝で刺すかのような軽やかさで敵を二三人いっぺんに串刺しにする馬武の姿は、敵味方問わず畏怖の対象となった。戻ってきた馬武は、


「軽い運動をすると、酒がいっそう上手い」


と言って、大酒を飲んだ。

追いかけっこのような盗賊との戦いに終止符を打ったのは陳俊ちんしゅんの策であった。

陳俊は五校の賊師を追いかけて、自ら狼牙刀でその首を斬った。首を携えて報告に上がった陳俊を見て、劉秀は言う。


「猛将路線はやめたんじゃなかったのか?なんてな。将軍がみな君のようなら、憂いはないな。何か希望する物はあるか」


「もったいないお言葉です。ただ、私に軽騎をつけていただけませんか。残りの賊も平らげてみせます」


陳俊は軽騎を率いて、賊の先回りをした。行く先々の村邑で、防備の厚い村には敵が来るので堅守せよといい、防備の薄い村は住民や食料を強制的に避難させた。

得るものの無くなった盗賊達は集団を保てなくなり、やがて四散していった。

盗賊掃討戦が終息した頃、朱祜しゅこが喜びとも悲しみとも判じがたい顔をして劉秀に報告した。数日前に書簡を伝送したその結果が現れた。


舞陰王ぶいんおう李軼りいつ朱鮪しゅいに殺害された模様。……ついに仇を報じられましたな」


「残念だが、仇討ちのつもりで李軼を陥れたわけではないんだ。私は李軼が信用が出来なかった。それ以上でも、それ以下でもない」


朱祜はこのことで気分を害するようなことはなかった。友としての劉秀に対する感情と、主君としての劉秀に対する感情は折り合いがつけられるようになっていた。

劉秀は激しい雨音に気づくと、城の窓から外を覗いた。篠突しのつく雨は地上に流された夥しい血を洗い流してくれるだろうか。

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