第四十六章 混迷
劉秀が河北において王郎と激しい争いを繰り広げている頃、朝廷ではどのような事が起きていたのか、ここで時間を遡り記述する。
1
更始二年二月、洛陽を都としていた更始帝は長安に遷都を行なった。劉賜が予め市街の修復を行い、長安の都は表面上はかつての威容を取り戻していた。
入城した更始帝は、直ちに壮麗な長楽宮の前殿に登った。白石の敷き詰められた前庭の左右には百司群僚が居並び、金殿玉楼は甍を連ね、七宝の柱、珠翠の梁が朝日に照らされて輝いていた。更始帝はその眩しさに目を潰されでもしたかのように、俯いて何も言うことが出来なかった。それでも、新市軍や平林軍出身の将軍達が遅れて到着すると気を緩めたのか、労うような口調でこう言った。
「どのくらい略奪できたんだ?」
百官の中に動揺が走った。新市軍の中に長く身を置いていた劉玄の倫理観は、盗賊のそれとさほど変わらないものとなっていたのである。
それでも、皇帝の入城により治安は一定の回復を見た。申屠建が地元の豪族を誅殺して以来、誅殺を恐れたその他の豪族が自棄を起こして攻撃してくるなどの事案があったが、更始帝が大謝の詔を出すと収まった。
つかの間の安寧の後、混乱は佞臣の趙萌の発言から始まった。
「三輔の地は陛下のご威徳により完全に治まりました。願わくば、主立った宗族や功績のある諸将に王爵を授け、今までの労苦に報いて頂きたい。高祖もなされたことです」
更始帝はこの進言を容れようとした。ここで公然と反対したのが大司馬の朱鮪である。
「劉氏に非ざれば王足るを得ず。これこそが高祖がたどり着いた結論です。宗族以外を王に封じるなどあり得ません」
--確かに高祖劉邦は楚漢戦争の後に韓信、彭越といった功臣を王にしたが、血みどろの内乱の末にこれら異姓の王を全て滅ぼすこととなった。これに懲りた高祖は異姓の王を禁止する掟を設けたのである。漢王朝の後継者たらんとする陛下が自らこの決まりを破るようでは、天下の民はついてこない--
やや得意気な朱鮪の解説が終わると、更始帝は唸るように声を発した。
「……お前も王にしてやるから、黙れ」
「は?」
更始帝の顔には屈折した表情が浮かんでいた。
「いつもいつもいつも、反対ばかりしおって」
「反対することが必要な時は反対するというだけです。王位も謹んで辞退いたします」
「………朱鮪、今をもって大司馬の任を解き、左大司馬に降格する。関東の鎮撫に出向せよ」
朱鮪は形だけは恭しく退出していったが、出て行くまで一切まばたきをしなかった。趙萌はいやらしい笑みを浮かべて、去っていく朱鮪を眺めていた。
まず劉氏の宗族が王に封じられた。
主立ったところでは漢中王に劉嘉、宛王に劉賜など。
続いて異姓の王にも多くの者が封じられた。
王匡は比陽王、王鳳は宜城王。
申屠建は平氏王、王常は鄧王、李通は西平王、李軼は舞陰王。
発案者の趙萌は王にこそ封じられなかったが、右大司馬に昇任した。
ばら撒かれた王位に対する各人の反応は様々だった。
王匡は都に留まる一方で、弟の王鳳を任国に向かわせた。政変を警戒して、兄弟共倒れを防ぐ考えであった。
王常、李通は王位と同時に荊州太守、南陽太守にも任ぜられていたので、粛々と太守の任をこなして政権から距離を置いた。
李軼は王位を鼻にかけて横暴に振る舞ったが、更始帝に疎まれ、朱鮪の関東鎮撫に加えられることとなった。
2
「そうか……劉嘉も長安を離れるんだな」
朱鮪を左遷して以来、更始帝は政務をますます省みなくなった。
また、酒好きの韓夫人とともに酒浸りとなり、前後不覚になることが度々であった。上奏文を持ってきた官僚は、側仕えする宦官の声真似で応対され--天下が定まる前からこんなに出鱈目でいいものか--と囁きあった。酔った韓夫人が酒宴を邪魔されたとして、報告書の竹簡を叩き割ることさえあった。
また、見目麗しい趙夫人に耽溺し、淫戯にふけるようになった。この寵を傘に着て、趙夫人の父である趙萌の権勢は増していった。
趙萌は権力の使い道を試すかのように朝政を壟断した。当然反対の動きもあったのだが、諫言した者が処刑されたことから、やがて皆が口をつぐむようになった。趙萌は時に更始帝の助命命令を無視して反対派の処刑を敢行するほどに増長していた。
「楽人や料理人を高官に据えるなど、いまの陛下は常軌を逸している。……私は任国に赴いて動静を見守ろうと思う」
来歙は今しばらく長安に留まることを告げた。劉嘉の傍らにいた男が進み出た。
「劉嘉様のことは、この延岑にお任せあれ。身命を賭してお守りいたします」
延岑と名乗った男は腕で自分の胸をどんと叩いた。目尻の皺や髪に混じった白髪と対照的に、きらきらとした目は少年のような人懐っこさをたたえて若々しい。腕や脚は太く筋肉質だが、中肉中背で威圧感はない。来歙は初対面のこの男に何故か親しみを感じた。
「延岑はかつて私が破った賊の頭領ですが、今や片腕といっても良い。実に有能な男ですよ」
延岑は劉嘉からの賛辞に大げさに謙遜してみせた。劉嘉は来歙に困ったら何時でも来てほしいと結び、任国へ旅立った。
3
「王鳳が死んだ、だと?」
朱鮪は合流した李軼から聞かされた訃報に些か驚いた。
王鳳は任国の宜城に向かう途中で疫病に冒され、呆気なく世を去ったという。王に封じられてから三月も経たずに起きた出来事であった。
双子の弟を失った王匡の悲しみは相当なもので、憂さを晴らすかのように都で暴虐を働いている。
李軼は朱鮪の表情がわずかに曇ったのを見てとった。しかし、朱鮪はすぐに平静に戻り、今後の身の振り方について話し始めた。
朱鮪は更始帝に既に見切りをつけていた。
「帝は赤眉が来た場合の壁として我らを洛陽に置いたのだろうが、その役目を果たす気はない」
積極的に更始帝を除くために動いて諸将を敵に回すのは避けたいが、赤眉を素通りさせて滅亡を早めようというのが朱鮪の考えであった。しかる後、もっと物分かりのいい劉氏を皇帝に立てればいい。
「それに、我らは最大の敵に備えねばならん。今に帝位を称して侵攻してくるぞ。兄の仇である我らに交渉の余地はない」
「劉秀か……。河北を平定しそうだ、という事だが」
更始帝は謝躬を通じてこの報を聞くと、喜ぶよりも狼狽した。今は王位を餌に劉秀を都へ呼び戻し、兵権を奪うつもりでいるらしい。
朱鮪は急に笑い出した。
「応じるわけがない。こんなことになるから、奴を河北に送るなと言ったのに。まったく愚かなことだ」
李軼と朱鮪は洛陽で兵を養い、劉秀を迎え撃つ準備を始めた。
4
更始三年、討難将軍の蘇茂が長安に凱旋した。孺子嬰こと劉嬰の首を持って。
「隗囂殿のおかげで、私の美しい勝利に一層磨きがかかったわ。ありがとうございます」
蘇茂は紫色の女物の服に身を包み、化粧までしている。
緑林や新市、平林といった盗賊上がりの将軍には派手さを追求して女物の衣を着るものもいたが、洛陽や長安に至ってしばらくすると、自らの服装が浮いていることに気づき、まともな服装に変わっていった。
しかし、蘇茂は着こなしの奇抜さに磨きがかかっていく一方である。本気を感じた周囲の人間は敢えて咎めようとはしない。
彼はその見た目とは裏腹に電撃的な強襲を得意とする勇猛な将軍であった。
豪族の蜂起を素早く鎮圧して信任を得た蘇茂は、この度、漢王朝最後の皇太子である孺子嬰と、これを推戴して蜂起した勢力を滅ぼすという殊勲を挙げた。
隗囂はにこやかに謙譲の言葉をもって蘇茂に応じている。孺子嬰を担いだ勢力の中心人物は方望といい、隗囂の元軍師であった。
隗囂は方望の作戦を予想して蘇茂に伝え、それが見事に的中したという事である。
来歙は隗囂の高い教養や人当たりの良さに心を許していたが、何だか砂を噛むような違和感を覚えた。
隗囂は叔父と兄の反乱を未然に更始帝に伝えたことで、大いに帝の信頼を得るところとなった。肉親の命よりも皇帝への忠誠を優先したのだから、当然といえば当然だ。
しかし、肉親を売り渡して栄達したと言ってしまえばそうだ。隗囂の密告の結果、彼の叔父と兄は無惨に処刑された。
方望も元は仲間だったというのに、隗囂は間接的に征伐に加担した。
人々は隗囂を長者だという。本当にそうだろうか?
来歙がそんなことに考えを巡らせているとき、趙萌が更始帝に祝の言葉を述べた。
「陛下の帝位を脅かす者がまた一人消えましたな。さらに、河北が平定されたならば、天下の八割は陛下のものでございます。天下統一も目前のことでございますな」
更始帝は前夜の深酒が祟ってか、気怠そうに黙ったままだ。
確かにそうだ。地図の上では。しかし、更始帝が得たと言われるその天下は、湖面の薄氷に等しい。
例えば、劉秀が河北を本拠地に反旗を翻したならば、あるいは隗囂が変心し天水郡に拠って自立したならば、瞬く間に地図は塗り替わってしまうだろう。
それでなくとも、粗暴になった王匡は長安で、朱鮪や李軼は洛陽で、それぞれ勝手な命令を出し、人事を行っている。このため、役人は各地で重複し、民衆は誰に従えば良いかわからず混乱している。
形の上での領土がいくら拡がろうとも、もはや国の体を成していない。
来歙は更始帝の虚ろな目を見て、嘆息した。




