第三十八章 刺客
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真定国から更に南下してきた劉秀は懐かしい顔に出会った。
「義兄上!お久しぶりです。こんなところまでどうしたのですか」
「常山郡の太守を拝命してやってきたのだ。間の悪いことに、着いてすぐに劉子輿を名乗る例のヤツが兵を挙げたから、太守らしいことは一個も出来ずに逃げ回っていたんだがね」
鄧晨は劉秀の義兄である。彼は小長安の戦いで、妻であり劉秀の姉でもある劉元と娘達を喪っている。鄧氏は、劉秀の兄である劉縯の挙兵を支えた鄧奉、劉秀の智嚢である鄧禹など、劉氏と密接に関わる氏族であり、鄧晨はその族兄として一族をまとめる立場であった。
劉秀は陰麗華を娶ってから三月も経たぬ内に、郭聖通を新たに正妻として娶ってしまったことを報告した。
劉秀が鄧晨にこのことを報告したのは、陰麗華が鄧奉の姪であり、陰氏もまた鄧氏と密接な関係にあるからである。
鄧晨は劉秀の選択に理解を示した。
「それしかなかったのなら仕方あるまい。麗華も夫に死なれるよりはましだと考えるだろう。厄介なのは鄧奉だが……あいつには私から上手く伝えておこう」
鄧晨は劉子輿討伐への同道を願い出たが、劉秀はこれを丁重に断わり、これから常山郡を攻略するのでそこに入って兵站を担ってほしいと頼んだ。言葉通りに後方補給路を確保したいという狙いもあったが、劉秀は家族をまとめて喪ったこの義兄に、これ以上前線に出てほしくないという気持ちがある。また、常山郡に留まることで、更始帝からの命令を守ったことになるので、この方面からの危険も避けられるという考えも働いた。鄧晨は劉秀の配慮を察したものか、異議を唱えることなく従ってくれた。
「行った先の町々では、たとえ歓迎されても信用するな。良い悪いではなく、みんな生き残ろうと必死だからな」
「ご忠告ゆめゆめ忘れません」
劉秀は鄧晨と別れ、更に南の鄗県に至った。鄗県では果たして戦をすることなく城門が開かれ、歓待の準備が整えられていた。劉秀は鄧晨の忠告を思い出し、耿純に命じて街の内情を調べさせることにした。
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草木も眠る丑三つ時、鄗県の伝舎に迫る一群の影があった。彼らは劉子輿の軍の一員であり、劉秀暗殺の密命を帯びた小部隊であった。
鄗県の有力者である蘇公は南下してきた劉秀一行に対し、伝舎を宿泊施設として貸し、帰順を願い出た。しかし、彼はそのことを劉子輿の勢力に教え、寝込みを襲わせることで報酬を得ようと考えていたのである。
「簡単な仕事だ。すぐに済む」
伝舎の扉を静かに開き、先頭の男が手で合図をすると残りの者が忍び足で入っていく。奥にある大きな間取りの部屋に劉秀がいるはずだ。部屋に入ると寝台に人の膨らみが確かにある。三人の男が一斉に得物を持って布団に飛びかかった。しかし、彼らが突いた相手は劉秀ではなかった。
「丸太だと……気づかれていた!退け、退け!」
男達は急ぎ伝舎から飛び出したところで一斉に矢を射かけられ、次々と倒れていった。
松明の火に照らされ、花やかに鎧った大将が一人、馬に乗って現れた。背後には夥しい数の弓兵がいる。
「私は漢の前将軍、耿純である。仲間の亡骸に隠れている貴様、名を名乗れ」
もぞもぞと死体の下から這い出てきた男は耿純を睨みつけて言った。
「李惲だ。部下を無駄死にさせてしまったのは残念だ」
耿純は戟を構える。耿純は、謀略を察知して蘇公を斬ると、兵を隠して刺客を待ち受けていたのである。鮮やかな仕事の仕上げは近づいていた。
「無駄死にはお前も同じだ。さぁ、李惲とやら、首を貰い受けよう」
「ははは、お断りだね!」
耿純が戟を振りかぶったその時、李惲は袖から素早く镖を取り出すと耿純の馬に向かって投げつけた。
馬は嘶いて乗っていた耿純を振り落とし、濛々と土煙が上がった。李惲は匕首を抜いて、落馬した耿純に向かって駈け出した。
土煙が晴れると、李惲は匕首を握ったまま、耿純が片手で繰り出した戟に胸を貫かれて、事切れていた。
耿純は部下に助け起こされると、落馬した時に打った右肩を左手で触った。鈍い痛みが走る。
右肩の骨が折れているとわかり、耿純は長い溜息をついた。




