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第三十三章 饒陽の門

1

 「俺を殺したら河北全体を敵に回すことになるんだぞ!正気か!」


信都しんとの市場には町中の群衆が集まってこの公開処刑を注視していた。

罪人として引き出されたのは劉子輿の使者である。この使者は、太守の任光にんこうに劉子輿への帰順を説き、捕らえられた。

任光は綺羅びやかな衣を靡かせて冷然と言い放った。


「望むところだ。殺れ!」


執行人が刀を振り下ろすと激しい血飛沫が上がり、使者の首が転がった。歓声とも悲鳴ともつかない声が市場に満ちる。

任光の部下、都尉の李忠りちゅうは高々と首を掲げると民衆に向かって言った。


「劉子輿の名を騙る不埒者に降ろうとする者は、尽くこうなる!心しろ!」


任光の腹心である萬脩ばんしゅうは任光の傍らで拍手をすると言った。


「さすが任光様!派手なのは服だけじゃないっすねぇ!」


任光はお調子者の部下の発言に苦笑いしながら返す。


「ふん、俺はまともなだけだ。劉子輿の正体が胡散臭い占い師だという情報なんか、さほど調べずとも入ってきたぞ。帰順したやつの頭を割ったら糠味噌ぬかみそでも出てくるのではないか?」


萬脩は竹簡を掲げて嬉しそうに返す。


「下曲陽の太守、邳彤ひとう殿からお返事が届いてます。“私は鎮撫に訪れた行大司馬劉秀殿に既に帰順を表明している。劉秀殿は温厚篤実なお方で、私は惚れ込んでいる。劉子輿が仮に真の皇子であっても、私は劉秀殿に加勢する。ともに戦おう!”とのことです。この人はちゃんと脳味噌入ってますよ。いやぁ、カッコいいですね!任光様には劣りますが!」


任光は冷静に考えていた。選択自体に後悔はない。しかし、たった四千の兵でどこまで敵をふせげるものだろうか。下曲陽から援軍が来たとして、どれほどのものか。

任光の脳裏に、地平線の先まで続く黄色い旌旗せいきが浮かんだ。


――まさか劉子輿の軍が百万ということはあるまい。私はあの昆陽にいたんだ。恐れるものはないさ。――


任光は自分に言い聞かせて拳を握りしめた。


 劉秀は焚き火にあたりながら震えている。向かいに座る鄧禹とううの手は黒く汚れている。薪を集めてきたのは鄧禹その人なのだ。賞金首となってしまった劉秀一行は街に入ることも出来ず、道の脇に野営しながら進む過酷な旅を続けていた。厳冬に晒される河北の夜は一行の体力を日毎に奪っていった。


「大司馬、豆粥です。こんな物しか出せませんが、お食べください」


馮異は茶碗にお粥を入れて差し出す。

劉秀はありがたい、と短く答えると粥を啜った。

微笑む馮異だが、その時、彼の腹が酷く長く鳴った。


「失礼しました」


「無理をするな。君が見つけてきた豆だ。君がまず食べてくれ」


恐縮して器を返す馮異を見て、劉秀は言った。


「こんなことを続けるにも限界がある。明日は街に入ってちゃんとした飯を食おう」


臧宮ぞうきゅうがボソッと言った。


「捕まりますよ。百姓には見えませんもの、我々は」


過酷な旅で薄汚れているとはいえ、一行は一端の役人に見えるそれなりの服装をしていた。

鄧禹は暫し思案すると口を開いた。


「貴人の格好を逆に活かすというのはどうでしょう?」


 翌朝、劉秀一行は饒陽県じょうようけんに至ると酒楼を訪れた。


「我々は劉子輿様の使者として参った。食事を所望する」


太ったちょび髭の主人が揉み手をしながら現れて、すぐに大量の料理が運ばれてきた。この街も既に劉子輿に降っていることは明白であった。

久々のまともな食事である。劉秀の制止にも関わらず、劉秀の部下達は貪るような食べ方になってしまう。その様子は命を受けてやってきた使者一行ではなく、やっと食事にありついた逃亡者のそれだった。

厨房の角から店主が疑り深い目を向けると、ひっこんでいった。

やがて店の外で銅鑼の音が響き渡り、店主がまた劉秀一行の卓にやってきて言った。


「邯鄲から将軍様の御一行が到着されました」


ざわめく属官達が席を立とうとするのを手で合図して制止した劉秀は、襟を正すと座り直して店主に言った。


「ほう、それは奇遇ですな。せっかくですから、卓を近づけて将軍とご同席させてもらえますかな?」


店主の顔に困惑の色が広がった。

鄧禹はその顔を見て、店主がはったりを言ってカマをかけていたことに気がついた。

鄧禹は、泰然として胡麻団子を食べる劉秀の様子を見て、これぞ英傑だ、と感嘆した。

会計を済ませ、街を出ようとしたところで、先程の店主が走ってきて門番に大声で叫んだ。


「閉門、閉門!そいつらは賞金首だ!今すぐ門を閉じろぉー!」


見ると劉秀の人相書きを手に持っている。中々によく描けているな、と劉秀は変に感心してしまった。絵を見て疑いが確信にかわったということか。

劉秀は櫓門を見上げ、門番の隊長らしき男と視線を交わした。

その間は、わずか数秒であったが、二人にはとても長い時間のように感ぜられた。


門は逆に開いていった。


「何をやっている!閉めろ!閉めろ!萬戸侯ばんここうが、俺は萬戸侯になるんだ!あぁぁ!」


店主は背後で転けて泥まみれになっている。

劉秀は門番達に向かって微笑み、手を振ると、馬に鞭を打って駆け出した。


ひらの門番が隊長に向かって、よろしかったんですか、と尋ねた。


「今はどうなるかわからない世の中だ。あの堂々たる態度、今は追われる身でも、立派な人に違いない。そういう人を捕まえるのは世の中のためにならないよ」


俺はここにいられなくなるだろうけどな、と隊長は笑って遠ざかる劉秀一行を見つめていた。

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