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第二十七章 朋あり、遠方より来たる

 河北の地は、黄河の北に位置することからその名で呼ばれる。西には太行山脈、北には燕山山脈がそびえ、穀倉地帯である華北平原を擁する。新王朝の時代に打続いた災害の影響を受けず、大陸の中で比較的豊かさを保つことができた。

洛陽の地から、この河北に向かう一団があった。

河北鎮撫の命を帯びた大司馬の劉秀、馮異ふうい祭遵さいじゅん銚期ちょうき王覇おうは等がその主要な面々である。


「しかし、馮異殿の言った通りになりましたなぁ!」


馮異は、危険を遠ざけるために中央から早期に離れるのが良いし遠からずその機会は来る、と劉秀に献策していた。

河北への鎮撫役を誰にするか、という会議がなされた際に大司徒の劉賜りゅうしが劉秀を熱烈に推し、朱鮪しゅい李軼りいつの反対を押し切って決定された。

特に朱鮪は“劉秀に河北行きを命ずるのは、虎に翼を与えるような物である”とまで言って大反対したのだが、捻くれ者の更始帝は返って気を損じ、劉秀に命を下したのだという。朱鮪と更始帝は近頃上手くいっていない。敢えて劉秀に朱鮪と同じ大司馬の位を授けたのは、河北鎮撫という大役の箔付け以外に、朱鮪への当てつけだという噂もあった。

さて、その会議の三月ほど前から、馮異は尚書の曹挧そうくなる人物と劉秀との宴席を度々設け、酒の得意でない劉秀は半ばうんざりしていたのだが、この曹挧が劉賜の相談役ブレーンだったのである。

真相を控えめにしか語らない馮異のことが、銚期にはもどかしく思われるらしい。

銚期は馮異の推挙で劉秀一派に加わった恩がある。このために、ことさら馮異の功を讃えるのである。

しかし、八尺二寸の長身から放たれる大きな声、そして繰り返される同じ話題に一同は少々うんざりしていた。


「王覇殿の佩いている剣は随分古いものに見えますが、何か謂れのあるものなのですか?」


蔵面の隙間から中性的な声が発せられる。話を変えようと目論む、この声の主は祭遵である。王覇の答えるところによると、昆陽の戦いの後に郷里に一度帰った際、父親から託された先祖伝来の剣であるという。


「父は、老齢ゆえ軍旅に耐えぬからお前が行け、俺の代わりにこの剣を連れていけ、と言っていました。見ての通りのオンボロですが、さすがに売り飛ばすのは、ねぇ?」


王覇はそんなことを言いつつもどこか嬉しそうに柄を握っていた。

広い草原を一陣の風が吹き抜けると向かいから馬がかけて来るのが見える。雨の跡に空が映ってきらきらと反射している。


鄧禹とうう!鄧仲華ではないか!」


劉秀は叫ぶやいなや、馬をかけ寄せた。


 近づいてきた馬には果たして大きな目を輝かせた鄧禹が乗っていた。

青い衣に双剣を帯び、小さな冠を被っている。

お互いに馬を寄せると、先に話しかけたのは劉秀だった。その表情は改まっている。


「私はこの度、大司馬を拝命して官吏の任命権を得ました。先生がお越しになられたのは、宮仕えのためですかな?」


「いえいえ、わたくしはただ明公とのが威徳を四海に施し、そこに尺寸ばかりの功を立て、この名を竹帛ちくはくに記すために馳せ参じたのです」


二人は同時に破顔すると、互いに指を指して笑い、


「先生だなんて、年下をおちょくって!」


「お前こそ明公ってなんだよ。わざわざむつかしい言い方しやがって。名ヲ竹帛ニ記ス、だって?歴史に名を残す、でいいだろ。周りくどいわ!」


などと戯れあった。

このやり取りを見ていた馮異は、目を細めて言った。


「ずいぶん仲の良い友人のようですね。微笑ましいことですが、しかし…」


「大司馬にはやはり、そのケがお有りなのでしょうか?」


祭遵が言葉を継ぐと、銚期がさすがにそれはないのでは、と返したが、その声はいつになく小さかった。


 劉秀は、鄧禹が学生時代の友人であること、十三歳で詩経を暗唱した天才であることなどを紹介して幕下に加えると近隣に宿を取った。夜半に鄧禹は劉秀の部屋を訪ねた。

当初は昔話に花が咲いた。だが、話が最近のことに至ると劉秀の声は真剣そのものになった。


「私は兄の果たせなかった事を、成し遂げたい。……天下を獲るだけではない。その先を目指す」


劉秀は言葉を切って、静かに言った。


「私は、名も無き民が平穏に暮らせる世界を創りたい」


劉秀の脳裏には、目に涙を浮かべながら身の上話をした豊の姿が浮かんでいた。


「ご立派な考えです」


「そのために、これからどうすべきか。先生の意見を訊きたいのだ」


吸い込まれそうな大きな目を見開いて鄧禹が言う。


「更始帝劉玄は大都市三つを押さえましたが、これで天下は定まったとは言えません。赤眉せきび青犢せいとく等の諸賊は、各地に虎拠こきょしており、衆を集める事ややもすれば万をもって数えます。劉玄は庸愚ようぐの凡才であり、これらの賊徒を取り拉ぐ力はありません。彼に従う諸大将も、みな財を貪り、利を求めることを専らとして、おのが欲を満たすことばかり考える小人ばかり。わたくしのような忠良明智の賢者はおりません」


「いま、私のようなって言った?」


「続けます。つくづく往古を歴覧れきらんしますと、聖人の世に起こる時は、天時、人時の二つが揃った時であると言えます。然るに、天時をもって見ますと、更始帝が立っても、天変地異が止むことはありません。人時をもって見ますと、やはり天下の大業は凡夫には荷が重いのでしょうか、州県は分かれ崩れ、民の心は離れ背き、もってあと一年というところです」


先ほどまで寛いで話を聞いていた劉秀の目に違った光が宿っていた。

鄧禹は、この目になった時の劉秀が苦手だった。こんな時の劉秀は別人のように苛烈なことを言う。

しかし、禹にとって、この目の劉秀こそが共に天下を窺うべき相手なのである。


「災異は奴の能力とは関係ない。君主の徳で洪水が治まるなら、まつりごとなど要らぬ。しかし、聖公がもって一年だと言うのは同感だ。奴から離れた今、私が何をなすべきか。そろそろ本題に入れ」


「失礼しました。既に功績は充分に建てられましたから、今は拠点を築くべきです。はやく英雄を招き集め、百姓を慰撫して、高祖の業を建てて万民を救いましょう。難解な策を弄する必要はありません。まともな政治が行われていない今、まともなことをするだけでも聖人君子のように奉られます。あなたが思慮を巡らせるならば、天下は遠からずその手に入りましょう」


聞き終えると劉秀は既に平静に戻っていた。


「お前も馮異と似たようなことを言うんだな。この前兄貴や姉貴のこと思い出して泣いてたら、湯武とうぶの功は桀紂けっちゅうの乱があってこそ云々だから、普通のことを普通にやればきっと良いことあります、みたいに励まされたよ」


「うわ、泣いているとこ見られたんですか?しかし、馮異殿、この禹と建言が被るとは恐るべし。禹の影が薄くなるので、この宿に置いて行きましょう」


二人は大いに笑って、それからは酒盛りをして天下の話をすることはもうなかった。

劉秀が二杯で潰れたので、鄧禹はその後一人で三本の酒を空けた。

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