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第二十六章 饕餮

 熊のてのひらの煮込み、家鴨あひるの吊るし焼き、羊の炙り、海鼠なまこの吸い物、豚足、大小の焼餅などが卓上を埋め尽くしている。これら山海の珍味はみな、この漁陽郡ぎょうようぐんに集まる北方の幸である。漁陽郡で最も大きいこの酒楼の二階を、今日はわずか四人の男が貸し切っている。


「今日は、太守、そう、漁陽太守であるこの私の奢りだ。存分に飲み喰いしてくれ」


白い歯を見せてーーその歯はとても歯並びが良かったーー若い男が宴の開始を告げる。

今のはあざとかったかな、などと笑いながら羊の炙り肉に齧りつくこの男の名は彭寵ほうちょう、彼は更始帝の使者より新しく漁陽郡の太守に任ぜられた。

彭寵の父である彭宏ほうこうは哀帝の時代に漁陽郡の太守に任ぜられていたが、王莽に逆らって殺された。

息子である彭寵は王莽の腹心である王邑にその能力を評価されて部下として働いていたが、弟が反乱に身を投じていると知るや誅殺を警戒して出奔した。

しばらく逃げまわっているうちに新朝は倒れ、逃亡の最中に集めた三人の仲間と共に故郷である漁陽郡に帰ってくると、そこに更始帝の使者が訪れたのである。


「使者の韓鴻かんこう殿に『彭寵、呉漢ごかんの二人はまさしく当世とうせい奇士きし、共に大事をはかるべき才なり。』と言った時の私の顔、みんなに見せてやりたかったなぁ。“評判を知る無関係の人”の演技、役者顔負けだったと思いますよー」


「ちょっと待て、王梁おうりょう!なんで俺の名前はないんだ?」


王梁と呼ばれた小柄な男が、あんたが奇士って面かよ、と小声で呟くと丈八尺の大男は顔を真っ赤にして立ち上がった。その勢いで椅子が後ろに倒れて派手な音を立てた。

大男の名は蓋延がいえん、筋骨たくましい逆三角形の身体の上には、顎の肉が盛り上がって尻のように割れた厳つい顔が載っている。蓋延は重さ三百斤の剛弓を引くという、漁陽郡で評判の豪傑であった。


「席につけ…蓋延」


くぐもった低い声が発せられると、蓋延はその声の威圧的な調子に気圧されたのか、大人しく席についた。

声の主は呉漢ごかん、字は子願という。見事な三白眼の持ち主で、目元から頰に向かって深いしわが刻まれている。顔も肌も浅黒く、顎は尖り、腕も指も節くれだっている。背はやや高い程度だが、全身から漂う張り詰めた空気は彼を実体以上に大きく見せた。お尋ね者だと言われれば十人中十人が信じそうなほど恐ろしげな男だが、彼の本職は馬商人である。馬を求める豪傑や、馬の売り手であるえびすと宜を結び、一種の侠客として頭角を現した。

何事もなかったかのように海鼠の吸い物をすすっている王梁は、彭寵の父である彭宏の元で群吏として登用された人物である。小柄ながら武芸の心得もあり、かんと呼ばれる武器の使い手であった。


「まあ、蓋を開けてみれば使者の韓鴻は私の知人だったから、王梁の演技力とかまったく意味なかったわけだけど、みんなご苦労さん。喧嘩せずにどんどん食えよ!」


そういう彭寵の周りの料理ばかりが吸い込まれるようになくなっていく。王梁は亡き彭宏が非常な大食漢であったことを思い出していたが、この息子はそれ以上だ。この細い身体のどこにそんなに食い物が入るのだろう?


「ハハハ、私自身も気になって医者に訊いてみたことがある。私の胃の腑は常人よりも低く垂れ下がっていて、そういう胃の持ち主は食べても食べても餓鬼のように飢え続けるのだそうだ」


彭寵は家鴨の骨をしゃぶっていたが、歯で骨を噛み折ると、その断面に口をつけて骨髄をすすり始めた。チュルチュルと音を立てて黒灰色の髄が彭寵の口に吸い込まれていく。この光景を見て気分が悪くなったのか蓋延は口を押さえて、厠へと走っていった。彭寵は言う。


「太守など、ただの足がかりに過ぎない。私は親父殿を超える。漁陽にはその力があるんだ。精鋭の騎兵、そしてそれを使いこなすお前ら。私に怖いものはない。とことんまで登りつめてやる」


王梁が吸い込まれる料理を見つめているとき、呉漢は空になった皿の方を眺めていた。

皿の底には、自らの尾を噛む奇怪な獣が描かれている。麒麟に似ているが、頭が大きく豚のような鼻をしていて、自分の尾に噛み付いている。皿の底が見える程食べる者に向けて、貪欲を戒めるために描かれているのだ。

饕餮とうてつ、あるいは犭に貪ると書いてトンと呼ばれるこの怪物は、あらゆる物を食べ尽くした後に自分自身を喰らって滅ぶという。

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