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第二十五章 耿父子と寇恂

「父上、ただいま戻りました!狩りの獲物も上々ですが、本草の書でしか見たことのない珍しい薬草がこんなに採れましたよ」


鮮やかな朱色の狩衣かりぎぬに身を包んだ若者が薬草を嬉しげに掲げる。その周りを、屈強な犬が舌を出し入れしながら盛んに走り回っている。

犬の舌は青く、その浅黒く頑健な身体には幾重にも皺が刻まれている。

漢の地で多く見られる中型犬、いわゆる漢犬と大きく異なるこの犬の姿は、この地の特性を物語っている。

幽州の地は西に朝鮮半島を臨み、北には様々な遊牧騎馬民族が入り乱れ、様々な文化が入り混じる土地柄であり、また、防衛上の必要性から精鋭の騎兵をもって知られていた。その北西に位置するのが、この上谷郡である。

太守の椅子に座って息子を迎えるのは耿況こうきょう、王莽により上谷太守に任ぜられた男である。

犬を連れた息子の名は耿弇こうえんという。


「浮かぬ顔ですね、父上。件の更始帝の使者との会談が上手く行かなかったのですか」


息子の察しの良さに驚かされつつ父は答える。


「新しい印綬をな、渡してくれなかったのよ。会談が終わっても」


太守に任じられる者には、通常その証たる印綬が与えられる。使者の到来に先んじて布告が出されており、その内容は太守の地位にあった者で率先して帰順する者、つまり王莽の印綬を使者に渡した者には速やかに新しい更始帝の印綬が渡され、太守に返り咲けるというものだった。ところが、そうはならなかったのである。

会談が終わっても使者は新しい印綬を渡さず、それでいて宿に留まっている。これは暗に金品を要求しているのではないだろうか。


「焦ってこちらから賄賂を掴まそうなどと考えてはいけませんよ、父上。このような場面は功曹こうそう寇恂こうじゅんが得意です。彼を呼びましょう」


功曹は群の人事を司る、文官の要職である。耿況はかねてより寇恂の能力を高く評価していたので息子の建言を容れて、彼を呼び出すことにした。

寇恂は事情を聞くと事態の解決に自信を見せた。


「私にお任せくだされば、本日中に印綬を手に入れて見せましょう」


 「き、貴様何のつもりだ!外の兵を直ぐに引かせろ!」


使者は肥えた首に脂汗を滲ませて怒鳴っている。

寇恂は涼しい顔で答える。


「私はただ、更始帝の使者が印綬を渡さない、と昼食の折に部下にこぼしただけですが、噂の広まるのはいやはや早いものですなぁ」


ため息をつくと寇恂は独り言のように続ける。

私はただ帝のはかりごとつまびらかならざるをいたむ、布告では印綬を渡すかのように偽りながら実際には渡さない、これほど吏民に慕われている耿況様に印綬を渡さず、誰か他の者を太守に据えようなどという考えは、何よりも安定が肝心な時期であるのに兵乱を招きかねない、と。


「他の者にすげ替える、などとは言っていないぞ。布告通り印綬は渡す。誠意が足りないんじゃないかな、と言っているだけだ、私は」


寇恂が袖をごそごそといじるのを見て、使者は顔を明るくしたが、出てきたのは付け届けではなく竹簡であった。供の者が用意よく筆と墨を差し出すと、寇恂はさらさらと何事か書きつけ始めた。


「御触れには、速やかに、と書いてありました。帝の意志が御触れの通りであるというならば、貴方は賄賂欲しさに勅命を曲げていることになる。これは、帝に忠誠を尽くす所存である私達にとって、報告せざるを得ない事態です。兵をもって貴方をここに留めおき、上奏して沙汰を待つこととします。誠に残念です」


慌てて止めようとした使者を、寇恂は足をかけて転ばした。

寇恂はもがく使者の後ろ髪を掴むと耳元で囁いた。


「別に上奏などしなくとも、使者が賄賂を要求してくることが他の郡に知れわたれば、降る郡も降らなくなるんだ。そうなったら、お前みたいなのを寄越す盆暗ぼんくらでも、さすがに怒ると思うがね。この首、胴につなげておきたかったら、するべきことはわかるな?」


使者は寇恂が髪を離すとよろよろと立ち上がり、懐から印綬を取り出して寇恂に渡した。

寇恂は手渡された印綬が汗まみれだったので、わずかに顔を顰めた後、手ぬぐいでこれを拭った。

その時、扉を開け放って耿況が入ってきた。

慌ただしい兵の動きに異変を感じてやってきたのである。

事態がよく飲み込めずにいる耿況に対して、寇恂はその手を取って印綬をそっと握らせた。


「約束の品でございます。ご査収ください」

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