第二十二章 王莽
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骨のように痩せさらばえた初老の男性が寝台に横たわっている。
額には粒のような汗が光り、呼吸をするたびに何かを転がすような不可解な音が部屋に響く。
奇病に冒された彼を、見舞う者はいない。
皆が思ったのだ。伝染るかもしれない、と。医学の未成熟な時代においては、隔離は懸命な判断とも言える。
この病に食い滅ぼされつつある哀れな男は、偉大なる漢王朝の大将軍であった。
かつては多くの取り巻きに囲まれ、一人でいる時間などほとんどなかった。
だが、今では家族さえもが彼を遠ざけた。
ただ一人を除いては。
「…巨君よ。お前に報いてやりたいが、生きている間にはとても無理だ。筆と硯を取ってきてくれないか」
垢じみた服を着た少年が目を丸くして答える。長きに渡って病人を介護し続けた少年の手は荒れ、髪は伸び放題である。
「報いる必要などございません。伯父上をお世話することは孝の心にかなうもの、当然のことでございます」
伯父上と呼ばれた男は咳き込みながら言う。しかし、口調は優しく穏やかだった。
「…死にゆく私の願いを叶えることも孝の心にかなうのではないか?頼むから取ってきておくれ」
少年は黙礼をすると硯と筆を取りに出て行った。
扉を後ろ手に閉めて、廊下をゆっくり歩く。しばらくすると、少年は突然拳を握って振り上げ、歓喜の表情を浮かべた。
やった。私は賭けに勝ったのだ。
少年の名は王莽、字は巨君。
幼帝を廃し、新を打ち立てる三十年前のことであった。
王莽は父を早くに亡くし、外戚でありながら宮中で忘れられた存在であった。彼は儒教によってその身を立てようと模索した。
「王一族は一度に五人も侯に取り立てられたそうだぞ、ん、あいつは誰だ?みすぼらしい格好をして」
質素な服を着た少年が恭しく頭を下げる。
「あの子は王莽よ。儒教を修めて、努めて質素に振舞っているとか」
「他の一族の者は贅沢三昧だというのに。若者ながら立派だなあ」
王莽は自らの命を賭けて伯父を看病し、栄達への切符を手に入れた。伯父の遺言により役人に推挙された王莽は、やがて儒者として、また政治家として権力の中枢に登りつめることとなっていく。
王莽は機を見ては民衆の人気取りに精を出した。
蝗害の発生後、直ちに高札を立てて、触れを出した。
「蝗の死骸を集めると、王莽様が高く買い取ってくださるそうだぞ」
「王莽様はまこと孔子様の生まれ変わりだ!」
部下の哀章が心配そうに尋ねる。
「よろしいのですか?こんなものを買い取っていては、純粋に不利益では?」
「馬鹿め、金銭を世評に変えられるなら無一文になったっていい。私が儒を柱とする理想の世界を建設すれば、あとで幾らでもお釣りがくる。遠大な計画を達成する者は、目先の小利には囚われないのだ」
そう言う王莽の目には既に不気味な光が宿り始めていた。
王莽の人気取りは時に犠牲者を伴った。そう、それは家族でさえも例外ではなかった。
牢の中にいる次男を見て、王莽は静かに言った。
「王獲、汝に死罪を言い渡す」
王獲は奴隷を故殺した罪で収監されていた。処刑役人が王獲の鼻面に毒杯を突きつける。
「なんで、父上なら俺を自由にすることなんて簡単なはずじゃ……なんで、なんで、笑っているんだよ、父さん!」
「私は、私の身を立てた儒教を中心とする理想の世の中を創る。お前はその礎となるのだ。」
王莽は目をギョロつかせると、声を立てて笑った。
「お前が殺したのが奴隷で良かったよ。相手が士大夫であれば、処刑したところで賞賛はされないからな」
王獲は父親の血走った目に宿る狂気を見て、慟哭しながら毒杯を仰いだ。
巷の人々は罪を犯した息子を自ら処刑した王莽の行いを賞賛し、その人気はますます上がった。
「被害者は奴隷だというのに、処刑するとはさすが清廉のお人だな」
「実の子であっても厳しく処罰する。王莽様はその辺の身内贔屓の凡人とは違うのさ」
王莽の権力が決定的なものになると、高祖廟から“王莽は真天子なり”との文が入った銅箱が見つかったり、“王莽皇帝につくべし”と書かれた朱い石が引き揚げられるといった出来事が続いた。その後、怪しげな道士が宮中に参内した。
「哀章様の命を受けて、件の銅箱や朱石を仕込みましたるは私めにございます。哀章様が高位に登られた今、私にも恩賞があってしかるべきでは……」
「こいつをひっ捕らえよ!虚言をなして取り入らんとする罪人である!直ちに処刑せよ」
王莽の側近である劉歆は、王莽に恐る恐る尋ねた。
「今の男が申していたのは真実なのでは……」
「真実?真実というのは私が予言された聖人で、五帝の生まれ変わりたる真天子だということだけだ。つまらぬ事を言うと汝も罪を得ることになるぞ。……聖人の治める天下に、裏など有りはしない」
王莽は権力を背景に十四歳の平帝を半ば脅す形で「九錫」を受けた。天子にのみ使用できる九種類の道具を下賜されることで、その権威が皇帝に次ぐことを宣言した事になる。
九錫下賜の御礼をするという体で、平帝の元に参内した王莽は、持参品を披露した。
「飲めば不老長生が約束されるという薬酒でございます。そもそも。“酒は百薬の長”と申しますから、効き目は間違いなしでしょう」
申しますから、等と言うが、“酒は百薬の長”とは王莽自身が酒の専売制施行に当たって考えた宣伝文句である。自分でも会心の出来と思っているのか良く引き合いに出すのであった。王莽の人気取りの才能はこういうところにもあるのであって、他には徴兵の看板に書いた“猪突猛進”などが有名である。
しかし、薬酒のツンと鼻をつく臭いに、平帝は拒否反応を示した。
「な、何を企んでいる、王莽。朕は飲まんぞ!」
「企むなどと滅相も無い。さあ、さあ、遠慮なくお飲みくだされ」
平帝は盃を払いのけた。薬酒が床に飛び散り、怪しげな煙を立てる。
王莽は平帝をいきなり組み伏せると、口に直接、薬酒、いや毒酒をドボドボと注ぎ込んだ。
この凶行を止めるものはいない。近衛の兵も含め、周囲にいる者は全て買収されているのだ。
平帝は顔を真っ青にして、悶え苦しむと、耳と目、鼻と口から血を吹き出した。
「おのれ、おのれ、おうも……」
「あなたの屍の上に、私が理想の世を作り上げて見せましょう。さあ、安心して逝きなされ」
王莽は平帝の頭を踏みつけるとぐりぐりと床に押し付けた。血の泡に塗れて、平帝は崩御した。
王莽は居並ぶ群臣を睥睨すると、独特のがらがら声で言った。
「この事を決して外に沙汰するな。他人に漏らした者は、必ず首を斬る。よく覚えておけ」
正しい目的のためならばどんな悪辣な手段も許される、と王莽は考えていた。
王莽の中では、自分が聖人であるということと、恩を受けた主君を毒殺するということは、違和感なく並存出来るのであった。
平帝が毒殺された後、王莽の使者が平帝の祖母である太皇太后の宮殿に乗り込んできた。
「速やかに伝国の玉璽を渡して頂きたい。王莽様が天子となられることは天命なのです」
使者は剣に手をかけて脅しつけるように言った。
太皇太后の噛み締めた下唇に血が滲む。
「漢室に引き立てられて今の身分があるというのに、乗っ取りを図るとは何事か!恩知らず共め、九族尽く滅亡するがいい」
太皇太后が泣きながら使者の足元に向けて伝国の玉璽を投げつけると、つまみの部分が欠けてしまった。
王莽が禅譲の儀式のためだけに新たに立てた皇帝、孺子嬰はまだ幼子であった。
王莽は孺子嬰の手を取ると涙ながらに語った。
「ああ、なんとおいたわしい。しかしながら、天帝の命令には臣も逆らえないのです」
儀式が終わり、その手の中で玉璽を弄ぶ王莽に、劉歆が尋ねる。
「嬰様はいかが処置いたしましょうか」
「座敷牢にぶち込んでおけ。食事と水だけは死なない程度に恵んでやろう」
玉璽の欠けたつまみは黄金で補修されていた。
後に呉の孫堅が玉璽を手に入れた際、つまみの補修跡を証拠に本物の玉璽だと判断したのは、こういう経緯があるのであった。
玉璽にへばりついた黄金は漢を簒奪した王莽そのもののようにも見えた。
世間の人々の圧倒的な人気を背景に、稀代の逆臣が誕生してしまった。
2
絶頂を極めた男は今や老い、彼が打ち立てた王朝もろとも滅びを迎えつつある。
政権を取るまで、皇帝の位を得るまでの彼の手管は、まるで魔術のように鮮やかであった。
それは、上手く利用するだけのつもりでいた讖文や瑞兆を彼自身が信じてしまうきっかけになった。
――何もかもが、私の思い通りに進む。私は、いや朕にはこの世の全てを治めるという天命が下っているのだ――
しかし、理想の時代を再現するはずの数々の政策は、ことごとく破綻していった。
王邑がその姿を見つけたとき、王莽は邪気を祓うというまじない道具の威斗と虞帝の小刀とを持って、ぶつぶつと何事か呟きながら宮中を彷徨っているところであった。
「陛下、このようなところにおられては危ない。もっと奥へ。漸薹までお下がりください」
王莽の目は虚空を彷徨っている。
「……もはや、危なくないところなどないわ」
身につけた紺地の袍は煤けている。西方の豪族に城門を破られたという報が入ってすぐに、宮中に火の手が上がった。何か功績を上げて反乱軍に降りたいと考えた手合いが火を放ったのである。
王莽は糸の切れた操り人形のように、突然その場にへたり込んだ。
「はは、ははははは、はっ、天命、天命などなかったということだ。全てが偽りだったのだ。朕は、いや、私は間違って皇帝になってしまったのだ。もう終いじゃ。私に味方する者など誰もいない」
王邑は膝をついて、王莽の肩を掴むと揺さぶって言った。
「ここに、おりまする」
王莽の眼にかすかに光が戻った。
王邑は昆陽での大敗の後、王莽に許された。死罪を言い渡されても文句の言えない失態であった。しかし、咎められることはなく、王莽は王邑を自分の後継者だとまで言った。王邑は自分が決定的にしてしまった新王朝と王莽の衰運に、最後まで向き合うことに決めた。
王邑はゆっくりと諭すように言った。
「某は、陛下から受けた御恩を決して忘れません。四海尽く叛くとも、某は最期までお仕え申す。今から逆賊を退けてまいります故、その隙にお逃げください。さあ」
王莽はそうか、そうか、と呟いて涙を流すと王邑の肩を支えに立ち上がり、抱擁を交わした。そして、何度か振り返りながら、よろよろと漸薹へ向けて歩いていった。
背後には王邑の名乗りが響く。
「やあやあ、我こそは讖文に記されし予言の勇士、大司空の王邑なり。陛下に弓引く逆賊ども、返り忠の恥知らずども、まとめて成敗してくれる。どこからでもかかってこい!」
3
明くる日、宮中には反乱軍と火事場泥棒が入り乱れ、寄せ手にも守り手にも統制の取れた動きはなく、略奪と暴行が至るところで起きていた。
略奪者の多くは金品を狙ったが、とりわけ浅ましい者達は肉欲を満たすため後宮に侵入した。王莽の側室は元は王莽に毒殺された平帝の后であったが、辱めを受けることを良しとせず自ら火中に身を投じた。多くの宮女が着のみ着のままで逃げ出したが、煙に巻かれて死ぬ者もあった。
鄧曄・于匡の配下から更始帝軍に合流した王憲は、もともと地元の豪族であったが、彼は宮中出入りの反物商人であった杜呉を味方につけて兵を進めた。杜呉は内部の構造に明るかったので、彼らは他の集団よりも奥へ奥へと進む事ができた。
漸薹は、未央宮の中心にある池の中心にある高台である。美しい青い池に聳えるその建物は、天文台であった。自らを宇宙の中心であると錯覚していた哀しい男が、そこにいた。
王憲達が漸薹へ辿りついたとき、王莽は衣冠を正して座り込み、右手には短刀、左手には威斗を持って、目を瞑っていた。
「……下郎め。誰の許しを得てここに来た」
王憲は杜呉に目配せをする。
杜呉は手にぶら下げていた生首を漸薹に放った。
「こいつに許しをいただこうと思ったんだがね。まかりならんというので、こうなってもらったよ。かなり、手下を殺られてしまったが」
王莽は目を見開いた。その目に王邑の首が映る。王莽の顔は見る見る内に朱に染まり、その目は充血して紅くなった。おもむろに立ち上がると彼は叫んだ。
「我が股肱の臣を手にかけるとはッ!許さん!断じて許さんぞ!朕自ら天誅を加えてくれる!」
王莽は威斗を地面に投げ捨てると虞帝の短刀を振りかざして王憲らに飛びかかった。
更始元年九月庚戊、王莽の死を以って新朝は滅亡した。
その遺骸は首をのぞき、功を争う者によって原型を留めぬ程に寸断されたという。
史上初の簒奪者として悪名を史書に留める王莽。
しかし、その政策は社会主義を先駆けた画期的なものであったとして、近年評価する向きもあるという。




