第十八章 隗囂の挙兵
1
劉秀がすんでのところで窮地を乗り切っていた頃、もう一人の劉秀、すなわち国師公劉秀とその一族は首を常安の市に晒されていた。
いつかの酒宴で、図讖に予言された人物として騒がれていた男の、実にあっけない最期であった。
昆陽の大敗を知って、王莽とともに敗滅するよりはと謀叛を企てたものの、情報が漏れて敢えない最期を迎えたのである。
敗戦に続く重臣の反乱に王莽はすっかり打ちのめされていた。
王莽は甥である王邑を召し出した。
昆陽での大敗により処罰されるものと思っていた王邑は、意外な話を聞かされることとなった。
「朕は老い衰えて位を譲る嫡子もいない。朕が死んだ時は汝に天下を附属する故、此度の敗戦は忘れて、これからも朕に仕えてほしい」
王莽は王邑の手を取って涙ながらに訴えた。王邑はその手を握り返すと何度も頷いた。
しかしながら、王邑が敗戦を忘れて忠勤に励もうとも、天下は昆陽の戦いを忘れてはくれない。
――天水郡成紀県の隗囂、字は季孟という者、漢と内応して兵を起こし、郡県を掠め騒がすこと甚だ急なり。――
王邑の拝謁から一月も経たずに王莽にもたらされた凶報であった。
2
叔父の隗崔が上機嫌で次から次へと酒盃を空にしているのとは対照的に、隗囂の兄である隗義は浮かぬ顔をしていた。
叔父の失着によってこの軍の実権はあの不気味な弟に奪われてしまった、というのが隗義の実感である。
昆陽の敗戦により王莽が軍利を失いつつあるとの報せが届いたとき、はじめに事を図ったのは叔父の隗崔と自分である。
あの時の弟は、例の遠くを見るような胡散臭い目つきで、
「兵は凶事なり、と申します。能く志を遂げる時は功名を万世に施しますが、もし事を仕損ずるときは一門の滅亡は目前です」
などと言って参加しなかった。
叔父と自分の率いる軍は連戦連勝だった。
しかし、鎮戎郡の大尹李育の首を上げたところで、急に諸兵が勝手気ままな乱暴狼藉にふけるようになり、収集がつかなくなった。
叔父の隗崔は困り果てて、腹心と托む楊廣と周宗に良い知恵はないかと尋ねた。
――凡そ大義を成就するには、先ず主将を立て、号令賞罰の出所を定めてこそ軍士も忠義に励むものです。閣下の甥子である隗囂殿は元より経書を好み、人皆その才能の篤きことを知っています。誰それと論じるまでもなく、この人を主将に立てればその命に従わない者はいないでしょう。――
果たして、弟はこの申し出を三度まで拒んだ。
「私はそもそもこの企てをさえするべきではないと思っていました。ましてや、さしたる才徳もなく将軍を称するなどいよいよ思いもよらないことです」
しかし、最後には目を瞑り眉間に皺を寄せて、言った。
「諸君は私の不才を量らず、推して将帥に定めると言う…もし能く私の言を用いて背くことがないと誓って頂けるならば、力及ばずながら命に従いましょう」
何もかもが芝居がかっていたように感じられる。
今、酒宴を催して弟の傍らにあるのは弟の腹心であるらしい王元、そして楊廣と周宗である。
今になって思えば、楊廣らはもとより弟の配下で、折を見て兵を横取りするために、それも最大限聞こえのいい形で実行するために入り込んでいたのではないか。
そもそも、諸兵の放縦も楊廣らの仕込みではなかったのか。
弟を不気味だと感じる理由は他にもある。
弟は国師公劉秀の部下として常安にあったが、長期休暇中で郷里にもどっていたために謀反の露見による連座を逃れたという。
そんな幸運が本当にあるだろうか。
そしてあの王元、弟はあれをどうやって手懐けたのか。
王元は地元の豪族の息子世代では小さい頃から目立つ方で、いわゆる餓鬼大将だった。
弟は生まれてすぐかかった奇病で跛になり、今でも足を引きずってしか歩けない。
書物を好み引きこもりがちだった弟がたまに外出すると、石礫をぶつけては、
「芋虫!芋虫!悔しかったら這ってこい!」
などと虐めていたのが幼いころの王元ではなかったか。
いま、弟の横で酒も飲まずに忠犬のように近侍する王元を見ると、これを関係の改善などと喜ばしく感じることが出来ない。
ただただ、不気味でしかない。
弟は上将軍の位を称すると、隣県の方望という人物が孫呉の秘訣を心得た軍法の達人であるとして招き寄せた。
招聘に応じた方望は、この度の挙兵が義兵であることを諸国に示すために、高祖をはじめ歴代の漢の皇帝の廟を立てて祀り、諸国に檄を飛ばすことを訴えた。
「それにしても、季孟の書き上げたこの檄文の見事なことよ!お前も弟を見習って学問もせねばならんぞ」
叔父は酒臭い息を吹き付けると、よろよろと立ち上がり檄文を記した竹簡を読み上げ始めた。
――己巳の日、上将軍隗囂をはじめとする諸将が救国の烈士に告ぐ。
新都候の職にあった王莽は天地を侮り驕り高ぶって、道理を弁えず逆心を起こし、孝兵皇帝を毒殺して帝位を簒奪した。
これを天命と偽り、符書に瑞兆ありと民衆を欺き惑わして、天帝をも激怒させたのである。
王莽は文書を偽造しこれを虚飾して祥瑞を作り出し、天地の神を弄ぶように自身の起こした禍乱を功績に見せかけた。
その悪逆非道な様は、楚越の竹を全て使ったとしても書ききれるものではない。
このことは今や天下に明らかな事で、賢明なる諸氏はもちろんご存知のことと思う。
しかし、莽賊に鉄槌を下すにあたり、改めてその罪の一端をここに示しておこう。
全てを遍く覆う天を父とし、地を母として、禍福は巡り、万物は回帰する。
学者であった王莽はこの真理をわかっていながら、これを冒涜し、禁忌を破って天命を欺き、あまつさえ史書をも自説に沿うがごとく捻じ曲げた。
かつて、秦王の贏政は既存の法律を打ち壊して、自らを始皇帝と称し、以降は二世皇帝、三世皇帝、万世皇帝にまで至る永遠の王朝を求めたが、王莽は三万六千年も続く奇怪な暦を定めて、更に六年に一度改元するように天下に布告した。
無道の帝国秦をなぞって永遠を求める。
嗚呼、これぞ当に天に逆らう大罪である!
郡国を分断し、天下万民の土地を取り上げて王田の名のもとに国有とし、山の物も海の物も国有、国有、人民の生業はまったく失われてしまった。
己の先祖の墓を作り直すことに数多の人民を苦役させ、河東は荒れ果てて民草は自分の祖先の墓を守ることすら出来ない。
嗚呼、これぞ当に地に逆らう大罪である!
盗賊も同然の悪人が高位に登り、奸臣や佞臣が幅を利かせ、忠正の士は尽く誅戮された。
言論は弾圧され、不当に獄につながれるものが後を絶たず、無辜の民が冤罪を受け、尊族は庶人に落とされた。
古代の忌まわしい残虐刑が復活し、清流の如き漢代の法律は今や酒を流し込まれ、毒虫を投げ入れられたような惨状である。
政令は日ごとに変わり、官名は月ごとに変わり、貨幣は年ごとに変わり、皆が混乱し、何に従っていいかもわからず、商人も旅人も困り果てて、市場や路傍で号泣している。
管理ばかりを強め、賦役は重くなり、百姓は絞られるばかり。
一方で役人は蓄財に走り、賄賂が横行し、儲かるのは高官ばかり。
皆が目先の利益を貪り、親孝行や清廉な行いは馬鹿にされ、民は塗炭の苦しみに置かれ、売位売官が行われ、奴隷に身を落とす者は増える一方だ。
工人や職人は餓死して、長安の街中には鼻がもげるような死臭が満ちている。
夷狄の爵号を貶めて無用の怒りを買い、北は胡族が攻め入って、南は越人が擾乱し、西は羌戎が蔓延り、東は濊貊が摘みとってしまった。
侵入された土地の被害は計り知ることも出来ない程である。
天運に見放された王莽はこれら蛮夷の討伐に失敗し、強引な徴兵と折からの苛烈な法律が相まって遂に飢饉が発生し、疫病が流行して、死者数は万を超えてしまった。
死者の屍は埋められることもなく打ち捨てられ、生者はみな離散して、孤児が道に泣き、女は身を売るよりほかなく、多くの者が蛮族に奴隷として拐われてしまった。
これは全て王莽の反逆という大罪が招いた結果である。
故に上帝は王莽を罰した。王莽が不和により自らの息子を二人も手に掛けたのも、その妻が悲しみから泣き暮らすあまり失明したのも、天罰以外の何物でもない。
既に、大司馬の董忠、国師の劉秀、衛将軍の王渉は謀をめぐらして潰れ、司命の孔仁、納言の荘尤、秩宗の陳茂は敗れて行方をくらました。
ここに、山東の兵は二百万あまり。山東の兵は斉・楚を平らげ、蜀・漢中を下し、宛・洛をも定め、傲倉に拠りて函穀を守っている。更始帝は洛陽に迫る勢いであるという。
帝は四夷の爵号を元に戻し、夷狄は既に撤退を始めた。
天下が誰の手に帰するかは、明白になった。
私は兵を挙げ、山東の兵に合流して、王莽を討つ!
これを聞いた諸君!私は勇敢なる諸兄等が弓を取り、鼓を鳴らして馳せ参じてくれるものと信じて疑わない。
我々の手は拱くために、目は傍観するために付いているわけではない。
私の、そして君たちの役目は、今すぐ万民を暴君の手から救い出し、国を靖んずることである。
志士たちよ!いざ、立ち上がれ!――
隗囂の書いたこの檄文は各地にばら撒かれると諸郡の不満分子を焚き付けて、隗囂の軍勢はたちまち十万に届こうという大軍になった。
3
「中々どうして強敵でございますな。王尚という男は」
馬上の王元は大斧をくるくると頭上で回転させながら隗囂に言った。
隗崔・隗義の軍を乗っ取った隗囂一派は快進撃を続けたが、安定郡の大尹王尚がその行く手に立ちふさがった。
その軍令は甚だ厳しく、能く人の心を懐けて、降伏する者は一人もいない。
王元が息をも継がせず攻め伐ったが、攻城戦は既に三日に及んでいる。
「あれも新朝の宗室に名を連ねる男だ。帝国最後の藩屏として誇り高く散ろう、とでも考えているのであろうよ。まぁ、ここは私に任せておけ」
隗囂が右手を掲げると、がらがらと音を立てて指揮車は城門の前に惹かれていく。
隗囂は咳払いをすると、城中の王尚に向かって、呼びかけた。
「愚かなり王尚!今、天下尽く漢室に心を寄せて、莽賊が滅びんこと目前にあり!何を血迷ったか抵抗などして、誰が為にこの城を守るのか?速やかに降伏するならばその一命だけは助けてやろう。さもなくば今日を限りに、城を微塵に踏み潰し、玉石ともに焼き滅ぼすまでだ!」
王尚は果たして櫓の上に現れた。
その顔は茹で上がったように真っ赤である。
「無知の匹夫が無益な舌を動かしおって!我は忝なくも新室の同宗として、この地の鎮守を承ったのだ。だぁれが、小丈夫の仕業にならって降伏などするかッ!虻蜂の戯れをなしても、数に足らぬ鼠どもと許して置いてやったのに。汚らわしい雑言に我慢がならん!」
言い捨てると王尚は城門を開いて隗囂に兵をけしかけようとした。
しかし、隗囂が左手を上げると濠に隠れていた精兵が飛び出してこれを防いだ。
隗囂はその隙に車を退かせて、王元に目配せする。
城門前の精兵達が左右に分かれて再び濠に飛び込むと、既に王元率いる一隊は城門前に殺到していた。
隗囂が高台まで車を退かせた頃には、城中での戦闘の大勢は決していた。
夕日に照らされた城壁の上に狼狽える王尚の影と、これにゆっくりと近づく王元の影がある。
我が運最早これまでなり、という甲高い声が響くと、一つの影の頭が消えた。
隗囂は遠くを見るような目つきをすると、呟いた。
「だから、愚かだと言ったのだ」
大将が自刎して果てたとあってはもはや抵抗するものもいない。
安定郡を押さえた隗囂軍は、続いて諸将を分遣して隴西、武都、金城、武威、張掖、敦煌、酒泉等の諸郡を伐った。
その軍威を恐れ、投降する者が後を絶たなかった。




