序 章 白河酒楼
新の天鳳元年のころ。
今から約二千年ほど前のことである。
夜空には十六夜の月が浮かんでいる。夜更けといえど南陽の郡都、帝国第三の都市である宛の街は未だ眠ることを知らず、立ち並ぶ酒楼の窓からは明かりが漏れている。
その一つ、ここ『白河酒楼』では風変わりな宴席が設けられていた。店の名物である鯉の甘酢あんかけ、長安風のタレで煮詰めたという驢馬の肉団子や鰻の湯などが卓を埋め尽くしているが、宴席に集まった人々の興味は別のところにあるようだ。
集まった人々は南陽の名だたる豪族――大地主、ときに武力をも持つ――であり、かつては皇帝の一族であった劉氏、その縁戚の鄧氏、陰氏などが主な面々であった。
座の中心にいるのは白の交じった髭をしごきながら早口でまくしたてている壮年の男である。
「皆様、疑っておられるようですが、図讖は未来を映す鏡なのです。安漢公が禅譲を受けて皇帝になったこと、これは図讖で予言されていたことなのですぞ?」
男は穣県の人、蔡少公という。この男は図讖、すなわち予言書の類を専門とする学者であった。漢に替わって中華の地を治める王朝、新。当代の皇帝である王莽は、安漢公というその称号に反して漢王朝に終止符を打った。城址から見つかった古い竹簡、あるいは井戸の底から引き上げられた石版、そういったものに刻まれた図讖が、王莽の即位を後押しすることとなった。蔡少公にとって図讖は絶対だ。王莽が図讖の予言通りに即位したのだから、すなわち図讖は正しいのだ、ということを彼は力説しているのである。
予言書を図讖、儒教に関する予言書は特に緯書というが、この二つはほぼ同じものと考えて差し支えない。
この時代、図讖や緯書は最も世間の関心を集めるものであった。この宴席に南陽の名だたる豪族が集まっているのもその証左であると言えよう。
席を並べている者の中で、話にならん、とでも言うようにフンと鼻を鳴らした男がいる。皆の注目がこの若い豪族に集まると、男は腕組みをしたまま傲然と口を開いた。
「そんなもの、おおかた“陛下”が自分で作らせたのだろうよ。いかにも腐れ儒者の考えつきそうなことだ。くだらん。実にくだらん。文叔、帰るぞ!さっさと支度をしろ!」
この発言に周囲は大いにざわめいた。
現皇帝の王莽を腐れ儒者などと罵ったことが外に漏れれば一族郎党までただでは済むまい。高祖劉邦が覇王項羽を滅ぼして漢王朝が成立してから、およそ二百年の歳月が流れていた。永遠の王朝と思われた漢は、新に取って替わられた。儒者の冠に小便をしたほどの儒者嫌いであった劉邦は、自分の王朝が儒者に乗っ取られる様を見たらどれ程悔しがっただろうか。
皇室の信任を得た儒学者の王莽があれよあれよという間に位人臣を極め、ついには臣下の分を踏み越えて幼帝を廃し、図讖を根拠として自ら皇帝の座についたのがおよそ十年ほど前である。
はじめ孔子の生まれ変わりだと信じられたほどの人気を博した王莽。しかし、王莽の行なった古代を理想とした復古的な政策、或いは妄想を具現化したような突飛な政策の数々は、現実に即していなかった。
土地を国有として均等配分する王田制は早期に破綻し、多くの農民が土地を失って奴隷に身を落とす結果となった。
頻繁に価値が変動される三十種類もの貨幣は経済を混乱させ、多くの商人が首を吊った。それでいて、漢代の貨幣で取引したものは死刑だった。
刑法は日毎に改変された。変化についていけない者が違法と知らずに罪を犯し、奴隷にされたり、処刑された。
異民族を侮蔑し、嘲弄するような外交政策は、対外戦争を引き起こした。見栄にこだわる王莽はその度に数十万の動員をかけ、農地から働き手となる男が消えた。
夫を失った未亡人やその娘は、春をひさいで生きるしか道はなかった。
無謀な戦争や経済危機に翻弄される中で、民衆の期待は次第に失望に変わっていった。
反乱を企てる者も現れたが、その全てが失敗し、首謀者は聞くにも耐えない惨たらしい方法で処刑された。
そんな事情を皆が皆もちろん知っているはずだが、敢えて気炎を揚げたこの男の名は劉縯、字は伯升である。
南陽の若い豪族であり、先に滅んだ漢王朝の宗室に連なる舂陵侯家の出身であった。
堂々とした体躯の持ち主であったが、態度は体躯よりも更に大きい。
年長者もいる中で腕組みをし、眉間に皺をよせて不機嫌そうに弟に出発を促す。
呼ばれたのは、対象的に穏やかな面差しの青年で、名を劉秀、字は文叔という。劉伯升の二番目の弟である。
歳のころは十八、九であろうか、目がつぶらでやや額が広い。
口がやけに大きいので眉目秀麗とはいかないが、小ぶりだが高い鼻のおかげで全体として見ると整った顔立ちと言える。
対して兄である伯升は顔の作りは弟と共通するところが多いにも関わらず、険しい表情のせいか彫りが深く見え、恐ろしげな印象でさえあった。
劉秀は居並ぶ親戚の一人にチラと視線を送る。相手も気づいたらしく、立ち上がって言った。
「伯升、文叔が困っている。俺も困っている。
お願いだから、蔡少公殿にお詫びして大人しく席につけ」
伯升の姉の夫である鄧晨がそう言うと、義兄上がそう仰るのであれば、と劉伯升は小さく呟いて頭を蔡少公に向けて下げたのち座に戻った。
腕組みをしたまま頭を下げたことを幾人かが囁き合っていたがすぐに収まった。
目をくりくりさせて市場に引かれていく牛のように不安げな表情をしていた劉秀は、ありがとうございます、と口の形で謝意を鄧晨に伝え、はにかんで席に戻る。
声を発しなかったのは、自分に謝意を伝えたことが兄に伝わると後で詰られるからであろう、と鄧晨は推測する。
劉秀は難儀な兄を持ったものだが、兄に振り回されているうちに機転が利くようになった。
「義弟の非礼を心からお詫びいたします。して、蔡少公殿。皇帝の即位に関する図讖が都を賑わせていると小耳に挟んだのですが、いったいどういった内容なのですか?ご存知であれば是非ともお聞かせ願いたい」
蔡少公は髭を盛んにしごいて、
「おお、おお、鄧偉卿殿。いわば今宵の主餐はその図讖なのです。
『劉秀が天子になる』、先頃新たに見つかったこの図讖をどう捉えるか、長安の都大路ではそのことを燕雀までもが囁きあっている有様です」
居並ぶ豪族達はいっせいに劉秀の顔を見たが、いやこれはないなといった顔ですぐに目を逸らした。
鄧晨は少し考えると、
「国師公劉秀のことですか?」
と尋ねた。
国師公の劉歆は最近名前を秀に改めたと聞く。
鄧晨も図讖を心から信じるほど無邪気な性格ではなかった。
ただ、伯升と違ってそれを不用意に表に出したりしないだけだ。
王莽の政治を支える大臣のひとりである劉歆がそのような予言を広めているとすれば、国盗りの意志があるということか。
あるいは、王氏の政を忌み、劉氏を懐かしむものが広めた予言かもしれない。蔡少公は目を瞑って答えない。
大富豪陰家の跡取りと目される陰識は一際身を乗り出してあれこれと質問している。一同のざわめきが頂点に達したとき、透き通った声が響いた。
「何用知非僕邪?」
皆が一斉に声の主を見ると、うっかり声を出してしまったとでも言うように口を押さえる青年、劉秀、字は文叔がそこにいた。
このとき若年の劉秀は一人称を「僕」と言った事が史書に残されている。これは今で言う「ぼく」とほぼ同じ用法で、やや幼い一人称である。
後にこの事をからかわれたりもしているので、素で言ってしまったというのが真相であろう。
一瞬の静寂の後、
「そいつぁ良い!耄碌した学者先生よりも“ボク”のほうがよっぽど天子様に向いてるぜ!」
と誰かが膝を叩いて大笑すると、座は堰を切ったように笑いの渦に包まれた。
はじめに大笑したのは鄧晨の甥の鄧奉である。
山のように大きく筋肉質な身体を震わせて大笑いしている。丸い顔の目尻には笑いすぎて涙まで浮かべている。
他所に聞かれてはまずい、とか、あまり笑っては秀がかわいそうだろ、などと言ってあたふたと鄧奉をたしなめているのは朱祜という劉家の縁戚筋の若い豪族で、劉伯升や鄧奉とよく連れ立っている。
鄧晨は性格の噛み合うところのなさそうなこの三人が親友らしい、という話を日頃から意外に感じていた。
鄧晨は笑いの渦の中で一人、劉秀を見つめていた。
真面目で大人しい、敢えて見るべきところを探せば機転が利くところだろうか。
およそ始皇帝や高祖のような才幹や異能とは程遠く思われる凡庸な性格だが、仮にそんな人間が治める天下とはいかなるものであろうか、と。