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【短編】生きていて、生きていた。   【シリーズ】

Farewell

作者: FRIDAY

 蓮、そこにいる? と、真っ白なベッドに横たわる男は小さく吐息するように言った。

「はい。私はここにいます、先輩」

 ベッドの横、面会者用の丸い椅子に座っていた女性は、はっきりと答えた。

 とある病院の一室。いるのは二人だけだった。片やベッドに横になり、点滴やら何やらの線を繋いだ男。片やその男に寄り添う女性。

 今は、何時?

「午後六時です」

 もう、そんな時間か。

「よく眠っていましたよ、先輩」

 ずっとそこにいてくれたの?

「一度、御手洗いに行きました」

 それ以外は、ずっとそこにいたのか、と彼はぼんやりと思った。三時間ほども。

 ………御免。

「何も先輩が謝られることはありません。私が勝手にいるだけですから」

 彼女の手は、ずっと彼の手を握っていた。

 彼女は気休めを言わなかった。慰めも言わなかった。たた、一緒にいてくれた。有り難いと思う。そんな彼女の優しさのお陰で、二人は今まで一緒にいられた。

 そんな彼女に、彼はこれから、残酷なことを言う。

 蓮。

「………はい」

 彼の中で何かが変わったのを感じたのか、彼女はわずかに身を固くして答えた。

 黄昏時の斜陽は、二人だけの病室に優しい光を差し入れる。

 蓮。

「はい」

 もう一度呼ぶ。もう一度答えが返る。

 ………君に、頼みがある。

「何でしょうか」

 覚悟のように、彼女は答える。

 そして、彼は言う。

 僕の最後の話を聞いてほしい。

 彼女の肩が震えた。

 まだちゃんと話せるうちに、君と話しておきたいんだ。

 酷い頼みだとはわかっていた。彼女は見る見るうちに瞳に涙をためた。その目は、ひたすらに訴えかけていた。

 最後なんて、言わないで下さい。

 だが唇をぐっと引き結んだ彼女は気を張って、

「はい」

 もう一息。

「私で、よろしければ」

 瞳を瞬かせ、笑顔を見せる。

「では、どんな話をしましょうか」


 初めて会った日のこと、覚えてる?

「もちろん覚えてますよ。忘れたことなんてありません。工学部の前の広場の、銀杏の木陰でしたよね」

 そうそう。木の種類まで覚えてるんだ。

「そりゃあ、先輩はいつもあの木の下にいましたから」

 いつも適当な本読んでたら、ある日突然声掛けてきて。いっつも何読んでるんですかって。

「そしたら先輩、本気でびっくりしちゃって、どぎまぎして」

 だって、いつも違う本持ち歩いてたから、何読んでるって訊かれても何て答えたらいいかわからなかったし………女の子と話したことがそもそも少なくてね。

「で、そんな先輩が面白くて、隣いいですか? って」

 で、………僕は、いいよって。

「あは、違いますよ。先輩、ガクガク頷くばっかりで返事なんてできてませんでした」

 そうだったっけ?

「そうですよ。で、先輩の持ってる本覗き込んだら、上下逆さまで」

 実は何にも読んでなかったってことがバレた瞬間だったね。

「あのときの先輩の恥ずかしそうな顔、今思い出しても可愛いです。でも先輩は何であんなことしてたんですか?」

 部屋に一人で籠もっていても何だか詰まらなくてね。することもないけどとにかく外に出ようって思って。蓮はどうしてあの僕に話しかけたの?

「不思議な人がいるなーって思ったんです。いっつも同じ場所に座ってて、面白いなーって」


「初めてのデートの日は覚えてますか?」

 覚えてるよ。僕がヘタレだからどこにも誘えなくて、蓮が自分から言い出してくれたの。

「どこに行きましょうかって言っても、先輩はどこでもいいって。でもカラオケとかボーリングとかは先輩渋い顔するから、どうしたらいいか困っちゃって」

 そこで怒らない蓮が不思議だったよ。不思議で、有り難かった。

「ふふ、私、面倒見はいいって御近所の皆さんから評判だったんですよ。小さい頃は近所のちっちゃい子たちの御世話してました」

 や、僕も御世話になりました。

「で、私がヤケになって手当たり次第に列挙し始めたら、山の展望台にだけ反応して」

 どうしてそこまで僕と行きたいのかなって不思議だったなあ。山の展望台は小さい頃に一回行ったきりだったから、行きたいかなって思って。

「私、後先考えずにその場でさあ行きましょう今行きましょうって先輩を引っ張っていって」

 山は軽い登山だったねえ。展望台まで意外と長くて。

「そして意外にも先輩の方が体力あって、スイスイ登っていくんですものね」

 途中からは僕がおんぶしてたね。

「重くないですかって訊いても、重くない重くないって」

 いやあ、実際軽かったよ。僕が意外と体力あったのは自分でも驚きだったけど。

「むしろもっと食べた方がいいとか、先輩そんなこと言い出して」

 女の子に失礼ですっ、って、叩かれたなあ。背中で膨れてたね。

「おんぶなんて子供の頃以来だったのに、先輩におんぶされてたら何だか安心しちゃって、いつの間にか寝ちゃってましたね」

 そうそう。何か静かになったなあって思いながら、山頂まで着いてから降ろそうとしたら、すやすや寝てたものね。

「先輩ったら、すぐに起こしてくれたらいいのにベンチに寝かせて、私を膝枕してコーヒー飲んでるんですもんね。膝枕って普通逆でしょうに」

 よく眠ってたからねえ。起こすのも忍びなくって…………正直、寝顔可愛かったし。

「…………うむむ。で、慌てて跳ね起きたら先輩にやにや笑ってて、よく眠れた? って………」

 別ににやにやとは笑ってなかったと思うけどね。

「いいえ! 先輩は絶対にやにや笑ってました! あれは間違いなくイヤラシイ笑いでした!」

 あはは、どんどん酷くなってるなあ。

「起きたときは、夕方でしたね」

 そうそう。ちょうど運良く晴れの日で、夕焼けで真っ赤だった。蓮は大はしゃぎして欄干まで走っていって、ほんとに飛び跳ねてたね。

「は、恥ずかしくなるようなことばっかり思い出さないでくださいよぅ」

 だって可愛いんだもの………小動物っぽくって。

「あ、ほらまたちっちゃい子扱いして」

 あはは。

「むう………あの夕日は、綺麗でした」

 そうだね。

「あんなに綺麗な夕日を見たのは生まれて初めてでした」

 僕は二度目のはずだったんだけど、まあ初めて見た気分だったね。

「で、そこで私が告白したんでしたね」

 うん。いやあのときはもう、本気でびっくりしちゃってひっくり返りそうになったよ。

「ええ、先輩、本気でびっくりしちゃってました。しばらく固まってて、それから、ありがとうって言って、その後しばらくしてから、僕はどうすればいい? って」

 いやあ、どうしたらいのかわからなくてね。生まれて初めてだったから。

「私に訊かないでくださいって叫びそうになりました。私だってかなりテンパってましたから。で、ようやく、付き合ってくださいって言えて」

 僕なんかでいいのなら、って。

「あんな返事する人、聞いたことありませんよ。後にも先にも。ほんと、先輩は変わった人です」

 いやあはは………あれ、でも、僕と蓮ってあのときから始まったわけだから、あれは初めてのデートじゃないんじゃない?」

「何言ってるんですか。私は先輩とどこかに行くことは全部デートにカウントしてましたよ」


 初めての誕生日のことは覚えてる?

「覚えてます。偶然先輩と私の誕生日が近いから、まとめて御祝いしちゃおうって。先輩の部屋に行って、パーティしましたね」

 まずプレゼント交換だったけど、蓮が凄くおっきい袋背負っててびっくりしたんだよね。

「びっくりっていうか、ちょっと怖がってましたよね。まあ街を歩いてるときもかなり変な目で見られたんですけど」

 で、いよいよプレゼント交換と。蓮のは、でっかいぬいぐるみだったね。しかも手縫いの。

「二カ月かかったんですよ、あれ。渾身の力作でした。先輩も大喜びしてくれて」

 毎晩抱き枕にして寝てたよ。冬は本当に重宝した。ただ大きくてベッドの半分以上占領されてたけど。

「あはは。先輩のプレゼントは首飾りでしたね。綺麗な大人っぽいの」

 僕優柔不断だからかなり悩んだんだけど、気に入ってくれてよかったよ。そうならなかったらと思うと胃が痛くて。

「私嬉しくてその次の日には友達全員に自慢して回りました。鬱陶しがられましたけど。今も付けてますよ」

 有り難う。ほんとに、良かった。

「こちらこそ、有り難う御座います。で、その後二人で料理作って…………先輩、料理も上手で、女子力高過ぎなんですよ。私が情けなくなっちゃいますむしろ私が教えてもらったりしてましたからね」

 蓮に教えるのは楽しかったよ。慌てたときの蓮が可愛くて可愛くて。

「また先輩はそういうことを言う………」

 あはは、御免御免。

「正直二人で食べきれない量作っちゃって、隣近所にお裾分けして鬱陶しがられましたね」

 バカップルって奴だね。

「で、缶酎ハイ一缶あけたんですけど」

 半分も飲まないうちに蓮が完全に酔っぱらっちゃったんだよねえ。

「ときどき記憶が跳んでましたけど、私、変なことしてませんでした?」

 さて………ふふ、楽しかったよ。どんどん盛り上がっていって。

「先輩がお酒に強過ぎなんですよ………それから、料理全部食べて」

 ケーキは二人で奮発したよねえ。近所のケーキ屋さんでかなり高いの買ってきて。

「二人で味の比べ合いとかしましたね。その辺りはまだ記憶にあります」

 で、食べ終わってから皿とか片付けて、並んで座って手繋いでいろいろ話してたら、いつの間にか蓮が寝ちゃって。

「うう………はい、その辺りから記憶がないんです」

 うん。だから蓮をベッドに寝かせて、僕は寝た。

「それで朝起きたら二人して床に寝てて………先輩が床に寝てるから悪いんですよ。何で横に私がいるのにぬいぐるみ抱いて寝てるんですか」

 いやほら、僕にそんな勇気ないからさ。蓮を抱き枕にするのも結構本気で考えたんだけど、酔って寝てるしなあとか思ってね。

「べっ、別に私はいつでもウェルカムだったんですけどねっ!?」

 でも朝起きたら僕が蓮の抱き枕になってて、鼻血噴きそうになったねえ。

「またそういうことを」

 だって朝一番に目の前に可愛い寝顔があったら、ねえ?

「………先輩のそういうところが、好きなんですけどね」


「初詣の話はどうでしょう」

 覚えてるとも。頑張って着物着てたねえ。

「頑張ってとか言わないでくださいよ。確かに頑張ってましたけど」

 綺麗だったよ。

「そんな取って付けたように言われましても」

 ほんとほんと。

「ますます信用度が下がってますね」

 実は隠し撮りしていた。

「そ、それは誉めてるのと違いますよね!?」

 いつもは可愛い蓮が綺麗になっててびっくりしてたよ。着物似合うんだね。

「んう………まだ若干誉められてる気がしませんけど………有り難うございます」

 お賽銭入れて、その後で御神籤引いたら、蓮は小吉だったよね。

「まあ私らしいかなって思いました。ちょうどいいかなって。中吉ならもうちょっとよかったんですけどね。先輩は大吉でしたよね」

 そうそう。で、初めは二人で喜んでたけど、よく読んでみると注意書きの方が多くて、これダメじゃない? ってさ。

「言ってましたね。それで、むしろこれはレアなんじゃないかって」

 で、その帰りに、蓮ったら石段で足滑らして、二段くらいお尻で滑ったよね。

「ま、またそういうことを! 恥ずかしいんだから思い出さないでくださいよぅ」

 だからさ、可愛いんだもの。それで、蓮は履き慣れない靴履いてたから靴擦れしてて、浴衣だからおんぶできないんでお姫様だっこしていったら、また蓮眠っちゃって。

「だって………先輩の腕の中、安心しちゃうんですもん」

 いいオチだよね。

「お、オチとか言わないでくださいよ。もう」



 それじゃあ、夏祭は覚えてる?

「夏祭………あ、覚えてますよ!」




「先輩は、水族館のこと覚えてます?」

 覚えてる覚えてる。あのときの蓮も可愛かったね。





 ………………………






 ……………………………………







 ……………………………………………………








 彼の口調はゆっくりで、言葉も多くが不明瞭だったが、蓮は懸命に聞き取り、感情豊かに答えた。長く、長く話した後、彼は長い間呼吸を整え、蓮はぼろぼろと泣いていた。

 蓮、涙が。

「泣いてません」

 溢れる涙をきっぱりと無視して、蓮は言う。

「泣きませんから、先輩」

 泣きながら、蓮は言う。蓮だって、きっと辛かっただろう。苦しかっただろう。それでも、こうして傍にいてくれる。有り難くて、大切な人。

「大丈夫ですよ、先輩。私は、ここにいますから」

 動かない彼の手を取って、蓮は微笑んで見せた。もはや一切の感覚も通じていないはずなのに、蓮の手の温もりを感じた気がした。

 今まで有り難う、蓮。

「っ………いえ、こちらこそ。先輩」

 そう言って、二人は笑い合った。掛け替えのない、大切な、優しい時間だった。

「あ、先輩」

 ん?

「私も、先輩に言っておきたいことがあります」

 何?

 問うと、彼女はゆっくりとこちらの顔へその綺麗な顔を近付けてきて、



 …………………………………。



 同じ様にゆっくりと顔を離し、彼女はにっこりと微笑んだ。

「大好きです、先輩」

 …………有り難う。

 僕も、蓮が大好きだよ。

 緩やかに、彼も微笑みを返した。

 本当に、有り難う、蓮。

 君に会えて、良かった。



 三日後、彼は彼女に見守られながら、静かに息を引き取った。




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