4. 現場にて
ヒロは、急ぎ簡単に身支度をし、事故現場に向かいました。場所はここから電車で2時間ほどでしょうか。
その最寄の駅は、もともと人口の少ない町にありました。島式2面のホームが小さい歩道橋でつながっており、駅舎は『トイレ?』と思うような簡単なものしかありません。海に近くても、この辺の海には砂浜がありません。ですので、夏でも人は少ないのです。
おそらく終電だったのでしょう。電車が去り、ヒロがその小さい駅舎を抜けると、ホームの明りが消されました。
【だれもいないね】
慌てて用意したヒロの格好もちょっと寒そうですが、志保はもっと寒そうな格好です。
「まあ、そうだろうな」
【ねえ、だれか呼んだほうが良かったんじゃないの?】
「警察にも連絡したけど、取り合ってくれなかったじゃないか。根拠がないからね」
【ま、行方不明の『志保ちゃん』が横に居ます、って言っても誰も信じないもんね】
「ああ、だって俺も、まだ、確証が得られてないからな。また、違ったら、志保、ごめんな」
【ううん】
ヒロに付いてくる志保ですが、すでに、歩くような動きをせず、少し浮いてスーッと付いてきます。ヒロも見慣れてきました。
「和美さんにはメール、入れて置いたよ。朝には見てくれるんじゃないかな?」
【うん】
TVに映っていた岩場の海岸はおおよそ5kmほどあります。捜索隊はすでに引き上げた後です。ひと気がありません。もちろん強力なスポットライトもありませんが、満月に近いせいか月明かりで十分に足元が見えました。
海岸近くには防風林なのでしょうか、海沿いにずっと林が続いています。その林の間にいくつか道がくつられており、海岸に出ることが出来るようになっています。海岸と言っても岩場です。満ち潮の今は、場所によっては5m、場所によっては1mの高さの岩場の海岸が広がっています。
ヒロは、正直こんなに広いとは思っていなかったようです。岩場の先端に立ち左右を見渡しています。
「よし、プロの捜索隊が探さなさそうなところを見ていくしかないな」
そう言うと、手始めに、目の前の2mぐらいの岩場をおります。
【大丈夫?】
「ああ、これなら海ぎりぎりまで降りれるよ。岩場も意外に乾いている。岩も結構尖っているからすべらないよ」
ヒロはなんなく海面近くまで下りていきました。今は、風もなく、波も穏やかです。
『これなら……』
ヒロは、その時そう感じてました。
しかし、やはり広すぎました。ヒントも、当てもなく、おそらく20箇所ぐらいでしょうか、海面近くまで崖を降り目視するだけではなにも見つかるはずもありません。
滑りにくい岩場ですが、逆に尖っているところがあるために、皮膚を傷つけます。
何の進展もないまま、満月の月明かりが段々弱くなり、東の空からの赤い光のほうが強くなってきました。
【ヒロちゃん、もういいよ】
「いいわけあるか」
ヒロはちょっとムキになっていました。崖から上がってきたヒロは、そのまま四つん這いのまま、肩で息をしています。
「はあはあ」
そして大きく息を吸い込み一気に吐き出します。
「志保ーーーーーーっ」
ヒロは苛立ちと、不甲斐なさからか、自分でも覚えのないほどの大きな声で叫びました。無意識に左手にはごつごつした岩場からはがれたばかりの小岩を握りしめていました。
その左手をひらいて見るまでは、血が出ていることも痛みも感じませんでした。
「痛って……」
見つけられない悔しさで心の方が痛いと思っていたのですが、手の痛みの方がだんだん強くなってきました。
『俺、諦め始めているのか……』
そう自分に対して失望しようとしている時です。
【……ヒロちゃん……】
「ああ、ごめん……やっぱり俺には……」
【ううん、ちがうの。今、今、ヒロちゃんの声が聞こえたの、志保ーーって】
「……そりゃ、そうだろ……」
不思議なことをいう志保に、ヒロは心ここにあらずな返事をします。
【違う、違う。もっと遠くから、もっと遠くから聞こえたの】
さっきまでの志保は正直もう諦めていました。それは表情に躊躇に現れていました。
【ここにいるヒロちゃんの声とは別の方向から、聞こえたの】
この時の志保はなにか大切なものを見つけた、そんなうれしそうな顔をしていました。
「……遠くから?……」
ヒロも疲れ切って諦めようとしていた顔から、小さいヒントを見つけたような、そんな希望を抱いた顔に変わります。
「……そうか!!」
【なに?】
「志保。俺、叫ぶ」
【え?】
「志保は俺が声を出してから、もう一つの俺の声が聞こえるまでの時間を教えてくれ」
もう、その時のヒロの顔には諦めはありません。もう少し、もう少しでそこにたどり着ける、そんな希望に満ちた顔です。
志保は、なにをするか、理解するまでは行きませんが、そのヒロの顔にうれしそうに返事です。
【うん!】
「志保ーーーーーっ」
志保を振り返ります。
【「うん」…………「うん」ぐらい】
志保は聞こえた間隔を、ヒロにそう伝えます。
「よし、次」
そう言って、ヒロは岩場を上り、100mほど南下し、また岩場を下ります。そして深呼吸。そして、
「志保ーーーーーーーーー!」
叫んだ後、志保を見ます。志保はだんだん赤い顔になっていきます。恥ずかしいのです。
【あ、えっと、「うん」………………「うん」ぐらい】
「そっか、ちょっと広がったな」
そしてまた岩場を上り今度は200mほど北上します。そしてまた岩場を下ります。
なんにも用意してきていません。素手とスニーカです。波で下部が削れて、耐えられなくなった上部が崩れ落ちます。そのため、上部は非常にゴツゴツしています。そんな地形です。
ヒロは自分の手を付いたところの岩が赤くなっていることに気づいているのでしょうか。
「志保ーーーーーーーーーーーーーーーー!」
まだ日が出たばかりのこんな岩場誰もいません。そんな中で一人叫び続けます。
【「うん」……「うん」ぐらい】
100から200mぐらいずつ移動しながらこれを繰り返します。
「ひほーーーーーーーーーーーーーーーー!」
東の空はだいぶ明るくなりました。何回叫んだかわかりません。
声がうまく出なくなってきたのは、ヒロも感じでいますが、それでも声量は変えないように腹から空気を押し出します。普段から鍛えているわけじゃないヒロの腹筋も悲鳴をあげてきます。今度は、両手でお腹を押すように声を出します。おかげで、お腹は手の傷の血がべったり付いています。
志保は、それをみて『もういい』『やめて』と言おうか、何度も考えました。でも、自分の名前を叫んだ後、志保を見るヒロの顔は希望に満ちています。それを見ると、応援するしか考えられませんでした。
【「うん」……「うん」ぐらい】
「よし、間隔が広がった。この200mの間だ」
【え、そうなの?】
「ああ、音は350mの距離に届くのにおおよそ1秒ぐらいかかる。今は寒いから330mぐらいかな」
かすれた声で解説です。
【あ、そっか。あたしがすぐ横で聞いて、あたしの体が聞こえるまで、場所によって時間に差があるんだ】
「……もしかして、今、気が付いた?」
【うん】
「よく、それで協力したな。普通、最初に理由、聞くんじゃないか」
【だって、ヒロが言った事だもん】
少し疲労感が顔に出てはいますが、志保は満面の笑みです。
「お、おう」
ヒロはちょっと照れ笑いです。
そこは最初に海岸に着いた場所からおそらく1km以上は移動していました。
「さて、この範囲、ちょっとずつ行くぞ。たぶんこの岩場のどこかにきっと隙間があるはず。そこに、志保……」
【うん】
「……よし、今度は声の大きさを聞き分けて欲しい」
そういってヒロは何かを探しています。
【なるほど……なに探しているの?】
「ああ、血が付いているところは一回探しているはずだからな」
【ヒロちゃん、わざとなの、血】
今にも泣きそうになります。
「いやいや、たまたま利用したたけだって」
【ごめんね】
「大丈夫だって、ちょっと血がにじんでいるだけだ」
しかし、ヒロは自分の手をまじまじ見てちょっとびっくりしている様子です。
「志保、今度はここで声を聞いていてくれ」
【う、うん】
確かについて行っても危なくなっても助けてあげられない、それ以上に声の大きさを聞き分けるにはここの方がいいと志保も感じてました。
ヒロはゆっくり岩場を下り始めます。ちょっとした隙間も探しながら。そして両足が踏ん張れる場所を見つけ、叫びます。
「志保ーーー、好きだーーー」
上にいた志保はびっくりです。
【ヒロちゃん、それはやめてよ、はずかしーよー】
上から志保がのぞき込んで言います。
「よし、次行こう」
ヒロは登らずそのまま横に移動を開始しました。
【だ、大丈夫なの?】
20mほど移動しながら隠れられそうな隙間を探します。
「ないな」
そして深呼吸。
「志保ーーーーーーー。抱きしめたーーーい」
【こらー、やめなさーい】
「どうだ?」
【え、そりゃ……いいよ……】
「声は大きくなったか?」
【あ、え、あ、うん。おっきかった】
「よし、次」
ヒロは慎重に移動しながらまた隙間を探します。そして、
「デート行こうーーーー、映画行こーーーー、志保ーーーーーー」
【うん。……あ、大きくなってるよ、声】
「よし」
そう言ってまた移動し始めます。志保も上からヒロを見ながら付いてきています。そんなにのぞき込んだら、普通なら落ちているはずです。
ヒロは移動している間に、気になることを見つけました。
『この辺は人が入れそうな隙間がない。すぐ後ろは大きな一枚岩だ』
先を見ます。
『それが続いている……あるのか、隙間なんて』
ヒロが少し自信をなくしそうになったときです。
【ヒロちゃん!】
苦しそうな声です。
「どうした?」
【わかんない、わかんないよ】
下からではどうなったか、分かりません。ヒロは慌てて登ります。ゆっくり慎重に登っても擦り傷の一つや二つ作る岩場です。慌てて何度か足を踏み外します。そのたびに膝を打ち付けてしまいます。ヒロが上がってきたときには両膝のズボンには穴が開いていました。中は赤黒くなっている様に見えます。しかし、そんなことはどうでもいいことでした。
「志保!」
【ヒロ……ちゃ】
さっきまでとは全く透明度が違います。薄い、薄いです。
【すごく寒い。……真っ暗になってきた、怖い……】
「志保!! どうしたんだ……どうしたらいいんだ」
志保は体中の力が抜けたようにくにゃっと座り込み、視線は泳いでいます。ヒロは触ることのできない志保の頭を撫でるように手を動かします。すでに、志保にはヒロがほとんど見えていないようです。
「志保ーーっ!」
【あ、ヒロちゃんの声、上から聞こえる】
「……上?……」
ヒロは立ち上がり登ってきた海の方を見ます。そして少し考え志保を振り返ります。志保の姿はもうほとんど見えません。
「志保、今から行くからな!」
うっすら見える志保は微笑んだように見えました。そして……消えました。
ヒロは、志保を見つける自信がありました。ただ、志保がどのような状態か、正直わかりません……。体も思ったように動きません。期待と不安で、体中が震えているのが分かりました。手足は傷だらけです。目には涙が溜まっています。瞬きする必要もないぐらいに……。
その時、ゴツゴツの岩場の海岸の内陸に広がる森林の間の道に人影がありました。
「ヒロくん!?」
遠くから聞き覚えのある声が聞こえました。
「あ、いた! ヒロくーん」
和美です。和美もヒロを見つけました。お互い顔が何とか分かる距離になったときです。ヒロはスッと右手をあげました。そして左手は下を指しているのが和美は何とか分かりました。そしてその左手も上に挙げた、その時です。
「キャー」
ヒロが後ろを振り返り海に飛び込みました。和美はあまりのショックに大きな声を出し、その場に座り込んでしまいました。
和美は心臓の大きな鼓動にじゃまされながら、必死に冷静に考えます。
「そう、ヒロ君は下を指していた。下を指差して、手を上げて飛び込んだ……」
ゆっくり、口に出して、数回復唱します。
「そっか」
和美は携帯を取り出し、そして来た道を走って戻り始めました。携帯の『圏外』がなくなる地点まで……。
☆つづくの☆