1. 行方不明?
それは、3学期の期末テストも終わり、高校1年生にとって、何のイベントもない、退屈な頃のことです。
その日の午前の授業が終わり、昼休みが始まろうと言う時、3組の担任の中山美佳先生が教室に顔を出し、声を掛けます。
「三輪和美さんと水樹ヒロくん、ちょっと来てくれるかしら」
いつもは明るい中山先生からは元気を感じません。何かを押しこらえているように見えます。
「あ、はい」
「はい、今、行きます」
和美とヒロは、クラス委員長と副委員長です。ですから、担任の中山先生が二人を呼ぶのは珍しい事ではありません。クラスメイト達も特に気にしていません。
しかし、普段はさらさらの長い髪を踊らせながら歩く中山先生なのですが、今日は、わざと髪の毛を揺らさないように歩いているのかと思うほど元気のない後姿です。
和美は無言でついて行きます。和美の黒い長い髪も中山先生の髪を真似しているかのように静かです。ヒロも無言で付いて行くしかありません。この中山先生のらしくない雰囲気は、和美とヒロを不安にさせるには充分です。二人は時々無言で顔を見合わせて首を傾げます。
クラス委員は3人います。もう1人の副委員長の八重島志保は、昨日、今日とお休みです。
「その八重島さんのことなんだけど……」
中山先生は、生徒指導室に着くなり、扉を閉めながらうつろな目で足元を見ながら、話し始めました。
「美佳先生、大丈夫ですか? なにかあったんですか?」
和美は不安に感じながらもはっきりとした口調で問いかけます。ヒロは、緊張からか、大きく深呼吸しました。
「ええ、あなたたちは八重島さんと仲良いわよね」
「ただの腐れ縁ですよ」
ヒロが言います。
「元祖腐れ縁です」
負けずに和美が言います。
「なんか連絡入っていない?」
「はい?」
「メールとか電話とか」
「いえ。今日はまだ見ていないので分かりません」
和美は即座に言い返します。
二人とも携帯を持っていますが、校内にいる間は原則カバンの中という校則があります。見ているはずありません。はっきり用件を言わず、おかしな質問をする担任にちょっと苛立ちを感じた和美は強い口調で中山先生に詰め寄りました。
「なにがあったんですか、はっきり言ってください」
「……あの……」
中山先生は一段と顔を顔を伏せてしまいました。和美は困った顔で目でヒロに合図、バトンタッチです。
「中山先生、どうしたんですか? 八重島……志保が、どうかしたんですよね?」
ヒロはできるだけ優しくいいます。憶測を質問に入れ、探ることも忘れません。
「行方不明らしいの」
「え?」
「え?」
和美は考えもしなかった回答に、その次の言葉が出ません。ヒロも同じです。
中山の先生は不確定な情報も含めて、現状分かっている状況を教えてくれました。昨日親戚の挙式に両親と共に参加し、今日、朝から帰路についていましたが……
「フェリーから落ちた……?!」
和美は思わず、復唱します。
「その時、だいぶ岸に近かったらしいのだけど……、数名が投げ出されたらしいの」
「もう捜索は始まっているんですよね?」
和美の声はだんだん大きくなっていきました。
「たぶん」
「たぶんって……」
中山先生は萎縮するばかりです。
「和美さん、ストップ」
ブレイクしたのはヒロです。
「さっき連絡入ったって事は、まだ、状況もあまりわかっていないってことですよね。更に俺達に『連絡』が無いか質問しているということは……」
そういって、和美に目で合図です。和美は小さく深呼吸。
「そ、そうね、そうよね。美香先生、ごめんなさい」
中山先生は小さくうなずきました。
その後、体育館で臨時全校集会が開かれました。その時新しい情報として、亡くなった方も出たこと、八重島さんを含む3名がまだ行方不明であること、ご両親は無事であることが伝えられました。そして、精神面を考え、午後の授業を中止し全校早退とすることが伝えられました。
担任の中山先生は、体育館で姿を見かけませんでした。後で聞いたところ、向かう途中倒れて保健室にいたそうです。
教室に戻ったヒロは、窓際の後ろから二つ目の自分の席に座って、他の生徒が帰るのを見届けています。これは、いつも通りの行動です。ただ、いつもと違い、机の中でこっそり携帯を使っていました。
志保からのメール、着信はありません。なんども受信ボタンを押してしまいました。新しい情報はありません。なんども再読込みを押してしまいました。
「水樹、大丈夫か?」
その声に顔を上げます。同級生の男子、数名が帰り支度を済ませて立っています。水樹ヒロ、三輪和美、八重島志保、3人がクラス委員ということもあり、仲がいいことを皆、知っています。
「ああ、大丈夫だ」
ヒロは少し遠い目で答えます。『大丈夫』なのは、志保のことなのか、自分のことなのか、あるいは両方のことなのか、声を聞いた友人達は、捉え方はまちまちだったようです。
和美も今日はまだ教室に残っています。いつもならさっさと志保と一緒に帰っているのですが……。和美にもクラスの女子が気遣います。気丈にしていますが、小さい頃からいつも一緒にいる事の多かった和美です。
「三輪さん……大丈夫?」
「うん、大丈夫、ありがとう」
優しく微笑み返す和美ですが、やっぱりいつもと何かが違います。友人はそれ以上の言葉が思いつかずに、精一杯の優しい顔を作って帰っていきます。
『いとこのおねえさんの結婚式で二日間休むね』
水樹ヒロが八重島志保に一昨日に聞いた言葉です。よく志保の話に登場していた大好きな『いとこ』の結婚とあって、すごくうれしそうに話していたのを思い出します。それがずいぶん前のように感じてました。
『その前は、宿題の番の時、俺が忘れてちょっと喧嘩したっけか』
ヒロが考えるのは志保の事ばかりです。志保とは中学の一年から同じクラス、同じ班ばっかりになった、自称腐れ縁です。学級委員長の和美と志保は更に前、小学校からクラスが一緒のことが多かったそうです。そう、元祖腐れ縁です。
『中3の時も、あいつ行方不明になったっけ。その時は迷子だったか?!』
記憶は逆上ります。
『初めて会ったのも入学式の時、志保が中学校にたどりつけずに迷子になっていた時だっけ』
「志保のこと、考えている?」
突然すぐ横で和美の気の張った声が聞こえました。びっくりして振り向いたヒロのすぐ近くに和美がしゃがんでいて、更にびっくりです。
『うわっ。顔、近っ』
しかし、その言葉と表情を隠すように澄まし顔で答えます。
「ん? あ、うん、まあ。心配だよな」
そう言って、また、窓の外を見ます。
「うん、心配……」
その弱々しい和美の声に驚いたのはヒロです。ヒロは聞いたことが無い声でした。ヒロは驚きを隠すため、窓の外見たまま、今できる限りの情報で『安心論』を述べてみました。
「和美さんのほうが志保とは長いもんなぁ。でも、きっと大丈夫だよ。確かに情報は少ないけど、行方不明だった人も数名救助されているみたいだし。第一、志保は迷子によくなるし。そう、中学の入学式の時だって……」
「うん」
その声に思わずヒロが振り返ると、和美の目からは大粒の涙がすでに何粒も流れ出た後でした。そして次の大粒も成長中です。
「和美さん……」
ヒロの見たことのない和美がそこにいます。いつもは気丈ですぐ熱くなる和美がこれだけ弱々しい姿を見せています。
「……ちょっ、ちょっと」
「あ、ご、ごめんね。かっこわるいところ……」
「いや、ぜんぜん」
和美は泣がれる涙をそのままに、できる限りの笑顔を作ります。ヒロは正直どうしたらいいか、なんていったらいいか、わかりませんでした。
「……」
「……」
「……じゃ、私、帰るね」
そう言って、和美は立ち上がり、荷物を手に取りゆっくり扉に向かいます。途中、ちょっとふらつきます。
「だ、大丈夫? い、家まで送ろう……か?」
ヒロは思わず声をかけます。和美はびっくりした様子から、今度は優しく微笑んで、体を正面に向きを変え、答えます。
「ありがとう。ヒロくん、優しいね。……でも、大丈夫よ。それに……」
「それに?」
「まだ、志保がいないと全然会話が繋がらないのものね、私達」
そう微笑んで丁寧にお辞儀しました。実際、自称腐れ縁と元祖腐れ縁、直接の縁は高校入ってからです。しかもいつも3人でしたから……。
「ああ」
「じゃね。志保の無事を祈りましょ」
和美はちょっと照れ隠しとでも言うのでしょうか。首を右に傾けるような会釈をしながら、扉に向かいます。
窓ガラスになっている教室の壁の向こうの廊下を、無理に笑いながらちょっと手を振りながら帰る和美を見ていた、その時です。
『志保!?』
ヒロは目を疑いながらも、心の中で叫んでいました。と言うより、驚いて声が出なかったと言うべきでしょうか。
ヒロには廊下を歩く和美に、志保が声を掛けているように見えます。しかし、和美は気が付いてない様子でそのまま帰って行きます。志保は諦めた様子でオーバーリアクションで肩を落とします。
その志保は制服ではなく、白いワンピースにジーンズジャケットという、ちょっとよそ行きの格好とでも言うのでしょうか。
志保はたっぷりがっかりした後、ヒロが自分を見ているのに気が付いたようです。ヒロは志保が開きっぱなしの前の扉から入ってくるのを、固まったまま、目だけで追っています。
ヒロの知っている志保の私服はだいたいショートパンツ姿です。白いワンピース姿に違和感があるのはわかりますが、それ以外にも別の違和感を感じました。
志保は真顔でヒロの目の前で右に行って左に行って、そう、ヒロの目の動きを確かめているようです。そしてパアッと明るい笑顔になります。
【ヒロちゃん、見えるの?!】
突然、大きな声を出しました。
「志保……おまえ、ここでなにやって……」
ヒロは、どういう表情したらいいか、わからず、ほぼ真顔です。
【……『おまえ』はやめてって言ってるじゃない……】
志保はちょっとすねながら言います。
「志保、どうやってここに……」
そういってヒロは志保の両肩を両手でつかもうとしました。
……しかし……
ガッターン
次の瞬間、隣のイスと机に倒れ込みながら体当たりしていました。
「え? なんだ」
ヒロが振り返ると、そこに確かに志保は立っています。志保はゆっくり振り返り残念そうに言いました。
【ヒロちゃんでもだめか……】
そういう志保をよく見ると、……そう、うっすら空が見えます。志保の向こうの窓の空がうっすら見えているのです。
「まじか……」
低い一定のイントネーションでつぶやきます。これがなにを意味しているか、ヒロは理解しないように、しないように考えます。しかし、他の案が見つからない間に、体は小刻みに震え、目には……開きっぱなしのせいではないでしょう……涙が溜まり始めました。
【ねえ、ヒロちゃん。あたし、ここでなにしているの?】
志保は右の人差し指を右のこめかみに当て、ヒロの心情とは全く別次元の明るい声で、質問してきました。
「まじか……?」
今度は『ま』にアクセントをおいた疑問系でつぶやきます。目に溜まった涙は乾いた目を潤すためにすべて使用されました。気が付くと体の震えも治まりました。
「じゃ、フェリーに乗ったところまでは覚えてるんだ」
ヒロは志保に覚えていることをちょっと聞いてみました。
【そうなの。おっきくてね。あたし、もう乗っているの気が付かなくて、ママに早く乗ろうよって言ったら『もう、乗っているわよ』って言われちゃったの。あはは。アレ、おもしろくない?】
「はは」
ヒロは少し悩みました。無理に思い出させない方がいいのか、それとも……。
【で、気が付いたら学校にいたの。みんな帰って行くし】
「そっか。……と、とにかく俺達も帰ろうか。いつまでも学校にいてもしょうがないし」
【うん。あ、でも、どうなっているの?】
志保は他人事のような緊迫感のまるでない、不思議な夢を見ているような、そんな感じで言います。
夢? ヒロは夢であって欲しい、夢ではないか。そうも考えてもみましたが……。
『やっぱり、俺にはよくわからない』
ヒロは、自分の考えていることを、ごまかし続けます。
☆つづくの☆