人の子
俺は、かつて竜だった。
たぶん地球ではない、別のところの記憶だと思う。
竜の中でも、ひときわ強い力を持ち、竜の里を収める長の息子… それが俺、大きくて、黒い竜だ。
竜は、常に力の強い者が上に立って治める。
特に此処、竜の里は、代々黒竜の一族が治めている。
通常、竜は、緑竜なら風を操り、紅竜なら炎を操るが、その両方を操る黒竜は、竜の中で最も強い。
その中でも、一番力の強い竜が、里の長として務めている。
と言っても、強さを戦って決めたりはしない。
竜は対峙した時に、戦わずして相手の強さが分かるからだ。
だから里には、無用の争いもない。
秩序を重んじ、情に深い。
そう、水を操る竜も、里にいるが、ごく少数だ。
他にも、雪や氷を操る白竜がいるが、彼らは、此処から遠く離れた北の大地に住んでいる。
此処、暖かいところに、白竜は、ひとりもいない。
この里の長であった祖父と父親は、竜の中では、誰よりも強かった。
その直系だった俺は、生まれながらにして、周りから認められるほど、他の者よりも強かったようだ。
だが祖父と父親は、力を誇示することは無かった。
公平で慈悲深く里を治め、全ての仲間から頼られ、慕われていた。
俺はそんな彼らの孫であり、息子であることが、すごく誇らしかったんだ。
多くの竜は、人間を嫌う。
人間は、利害関係だけで、簡単に、争いや戦争を起こす。
それは、竜にとって最も忌み嫌われることだ。
仲間を大事にし、情を重んじる竜にとって、それは許しがたいこと。
だから、そんな人間との接触を避けるため、人が簡単に入って来れないような高く険しい山に囲われた場所に住むようになったのも当然だったと言える。
汚い人間に、常に狙われていたからだ。
人間は、竜の強い力を欲する。
勿論、竜にとって、弱い人間を滅ぼすことなど容易い。
けれど、人間の考えることは、いつも竜の深い情を利用して騙す。
竜は、一度心が通じ合った相手を裏切ることが出来ない。
最後の最後まで、相手を信じぬく。
裏切られても、竜からはもう離れることが出来ない、自ら滅んでしまう、それが竜の習性だ。
これまでも、そんなふうに悲しい生を選ばされた竜はひとりではなかった。
だからこそ、そんな汚い人間との接触を避けるため、人が絶対辿り着けないような険しい山々に囲まれた所に、住むようになったんだ。
俺も、そんな人間が嫌いだった。
あの時までは。
「ヨース、里に一緒に住むことになったサーラだ。分からないことが多いと思う。面倒みてやってくれないか?」
ある日、親父が、ひとりの小さい女の子を連れて来た。
親父の後ろに隠れていた女の子は、不安そうな顔で俺のことを見ていた。
俺たち竜は、普段、人間と同じ姿で生活している。
見た目、竜の里は人の里と変わりない。
大人の竜は、大人の人間の姿で、子供の竜は、子供の人間の姿だ。
その子は7~8歳くらいだろうか?
親父にしがみついて、肩まで伸びた薄い茶色の髪が揺れていた。
瞳の色も琥珀色、肌も白い、全体的に色素が薄い。
印象が、俺達と大分違う。
この里の者達は、黒や赤、あるいは暗緑とかの濃いはっきりした髪色と目の色を持つ。
俺も、髪と目が黒い。
ちなみに俺は13歳くらいだ。
この女の子は、種族が違うのだろうか?
俺は、もう一度しっかりとその子を見た。
竜は、一瞬にして、相手を竜か否かを嗅ぎ分ける能力がある、それが人間の姿をとっていてもだ。
しかし、そこにいる子供を、俺は判断できかねた。
何者なんだ?
俺は、訝しんだ。
けれど、ここは竜の里だ。
人間が来ることは出来ないし、まして長である親父が、人間を連れて来るなどありえない。
困惑したまま黙っていると、
「半分竜で、半分人間だ」 と、親父が俺の疑問に答えるように言った。
どういうことだ?
「竜と人間の混血だ」 と、更に親父は言葉を続けた。
何だって?
俺は顔を顰めた。
言っておくが、俺の反応は竜にとっては普通だ。
竜は、人間が嫌いなんだ。
たとえ半分竜の血が混じっていたとしても、自ら好き好んで仲良くする者などいない。
俺も同じだ。
何でこんな奴の面倒をみなきゃならないんだと、舌打ちしそうになる。
親父は、何処で、こいつを拾って来た?
親は、どうしたんだ?
此所に連れて来たって、嫌われるだけだろう。
何を考えているのか分からない。
だが親父は、しがみついてる女の子の方を見やり、頭を優しく撫でながら、
「この子に親はいない。人間に殺された」 と、俺に告げた。
「あのまま捨て置いたら、人間に捕まり、酷い扱いを受け、そのうち死んでしまうだろう。
竜と人の混血は、子供のうちは人と変わらない弱さだ。竜の姿をとることが出来ても、竜の力は無い。」
親父は、遠くを見るような目をして語りだした。
「この子の父親は、かつて我らの仲間だったのだよ。彼も、強くて立派な竜だった。だが、ある時、人間の女を好きになり、この村を去って行った。この里では人間を受け入れないからね。けれど人間の里にも長くは住めないことを、お前は知っているだろう? 竜と人の時間は違う。いつまでも老いず、長い時を持ち続ける竜は、いずれ人に知られてしまう。2人は人里離れた処に住むしかなかった。其処で幸せに暮らしていたはずだった」
親父は、そこで、いったん大きく息を吐いて、目を閉じた。
「私は、かつての友として、竜の村の長として、仲間の娘を放っておけない」
そして、強い眼差しで俺を見た。
「それが例え、人間との混血であってもだ」
その言葉は、真っ直ぐ俺に向かって発せられた。
俺は、親父を尊敬している。
それが力の強さだけじゃないことは、言わずもがなだ。
その親父が、俺を信頼し、俺にその子を任せようとしているんだ。
俺は、考えた。
人間は好きじゃない、けれど、この子は竜の血も混じっている。
しかも、尊敬する親父の友達、かつての仲間。
何を迷うことがあるのだろう?
俺は、この長の息子だ。
それは俺の誇りだ。
そう思うと、俺は心を決めた。
と同時に、この強い竜に信頼されてる喜びが、胸の内に沸いてきた。
恐らく親父の心配は、人間嫌いの仲間からの苛めだ。
子供であっても、竜は人より遥かに強い。
その竜が、人間と同じ、力の全くない小さな子供を苛めればどうなるか?
それは、火を見るよりも明らかだ。
此処でも、生きていけない。
けれど仲間から一目置かれ、長の息子でもある強い俺がついてれば、そうはならないはずだ。
大人以外のたいがいの竜は、俺に逆らうことが出来ないからだ。
大人の中では親父が、だが子供の中では、俺に守れと言っているんだと俺は確信し、心を決めた。
「分かった、必ず俺が守る」
その決意は、確かに親父に伝わったようだ。
親父は、一瞬ほっとしたような顔になり、またすぐ真剣な顔に戻り、俺に言った。
「そうか、頼んだぞ」
俺は、「来い」と、少女に目を向け言った。
少女は怯えたように俺を見て、親父を見上げた。
「大丈夫だよサーラ、今日からヨースが、お前のことを守ってくれるからね」
親父は、優しく言い聞かす。
そうか、そうだなと、俺も納得し、少女に向かって、今度は、にっこりと笑って手を差し伸べた。
「おいで、サーラ」
その言葉で、少女は、また此方を、じっと見た。
そして、ゆっくりと親父の側を離れて、俺のところへやって来た。
小さな手が、こわごわと俺の手の上にのせられる。
「お兄ちゃん、サーラを守ってくれるの?」と、大きく見開いた目で、俺を見上げる。
「ああ、俺は強いからな。これからは俺の側を離れるなよ」 そう言って、俺はサーラの手を握った。
「うん、サーラ、お兄ちゃんの側から離れないようにする」
「サーラ、俺のことはヨースと呼ぶんだ」
「ヨース?」
「そうだ、ヨースだ」
俺の名前を呼ばせることは、これからこの少女を守るうえで重要なことだ。
それで、俺に属しているということを、他の者に知らしめることが出来る。
俺は少女に向かって、また、にっこりと笑った。
その俺を見て、少女は初めて笑った。
「うん、ヨース、仲良くして」