逢別。
駄文ですが、ご了承ください。
人は、皆誰かと逢い、会っている。
家族だったり
友人だったり
恋人だったり
とても大切な誰か
だったり。
いつも気付けば出会う。その誰か達と出会い、学び、楽しみ、癒され、悲しみ、そうすることで互いに成長していく。いつもその誰からと何かしら接触し、感じ思い考える。
その大切な誰かがいるから、今が嬉しく、楽しく、明るい。どんな状況でも何かしら支えられ、思い出すのではないだろうか。その存在が大きいほど、それは強く大切にする。
自分にとって存在があればあるほど、大切で、重要視し、手放したくなくなる。いつの間にか当たり前で、欠かすことが出来ない、考えられない。そんな深いものになっていく。
でも、
誰かに逢う、出会うということは、
いつか別れがあるということで。
それは曲げられない、とっても大事な事実で。怖れても、忌み嫌っても、拒んでも、必ず来てしまうもの。どんなに嫌で、怒っても、もがいても…来てしまう。
やっぱりそれは避けられなくて。当たり前で、仕方のないこと。
悲しみ、苦悶し。
時には八つ当たりもしたり…。そうやって、結局は乗り越えていくしかないのだ。
それでも。
やっぱり…。
自分にとっての大切な人は、やっぱり手放したくはない。
皆、やっぱり…
嫌なものは嫌なんだ。
大切なものを亡くす、失うということは。
だって、苦痛でしかないことだから。楽しい事は何一つ無いから。目の前のものが全部、霞んでいき、暗く色を失ってしまって。そんな風に見えてしまって。見えなくなって。何も見たくなくなっていく。
そういうものでしかないから。
良いことは無い。
せめて、
今までの気持ち、そのままでいられればいいのに。ただ、それだけでも助かるというのに。
それさえも、叶わない。
悲しみ、寂しさ。それに虚しく、蹂躙される。
だから、思わずにはいられない。
何故、続いてくれないのだろう?
どうして、このままでいられないのだろう?
どうして、今の幸せなままでいさせてくれないのだろう?
何故終わらなければ…
怒り、そう思う。
居るとも知れない神に向かって…
けれども。
亡くして、失って。辛いと。
「悲壮」
と
「苦痛」
それが深ければ、深いほど
その人は、その存在は大きく。
それほどまでに、それは自分に何かしらを与えてくれた…ということ。
自分にとって手放したくないほど、失いたくないほど。それだけ、大切な何かしらを与えてもらっていたということ。
だから、その心地良い存在を失ってしまいたくなくて。だから、怖れる。
そういうことで。
でもそれを逆に見れば…
それだけの、それだけの心地良いものを与えてもらったのに
その代償は何も無い…
そう、都合良くは行かない。そういうことはないだろうか?
ひたすら悲しく。辛くて。もう耐えられないくらい。
そんなに感じ、苦しむほどまでに、その誰かが大切ということは。そんなにまで、与えてもらったということだから。
与えてもらっただけの心地良いもの。それだけの幸福。大切な何か。癒し。
それら全てを、与えてもらっておきながら、
「何故、こんな思いをしなきゃならないのか」そう怒り、八つ当たりしても…それは仕方がないのかもしれない。
「苦痛なんて要らない。避けたい」
そう、誰もが思う。
けれど、結局そう都合良くは行かないもので。
避けたい。
しかし、そうも出来ない。
それなら。
いつ絶えるか解らないのだ。それならもう、いつ絶えるか解らないのだから、解る限りの。予測出来る限りの。
それまでの時間を、大切にするしか術はないのだろう。
それなら。
とりあえず、出来るかもしれないから。
お読み下さりありがとうございました。
共感される方は果たして居るのか居ないのか…(笑)それよりも不快に思われた方いたらどうしよう:;
居たら…スイマセン;
昨夜とあるドラマ見て、考え悩んで至った事を書いたのですが。別れはどう足掻いても、悲しいですよね…。
駄文、失礼しました。