婚約破棄を突き付けられる悪役令嬢に転生して、逆断罪イベントで悪者ヒロインを国外追放するざまぁ展開!……と思ったら、突き付ける側の王太子(破滅予定)に転生してしまった!
「お前のリディアに対する悪行の数々、もはや許せぬ!」
大好きな乙女ゲーム「フォルトゥーナの祝福」で何度も聞いた王太子ローゼンハルトのセリフが、ヘッドフォンを付けた私の頭の中にこだまする。
──あぁ、この次はあのセリフだな。
このゲーム、一体何度プレイしたことだろう。独身アラサーOLの私は、仕事に疲れて帰ってきたワンルームの賃貸アパートで、夜な夜なゲーム機のコントローラを握りしめた。
今日も小さな座卓の上に缶ビールを置き、ベッドを背もたれにしつつ、このゲームのためだけに買った有機ELテレビの巨大スクリーンを見つめる。
目の前に広がるのは「フォルトゥーナの祝福」の世界。壮麗な王宮、華やかな貴族の邸宅、そして、煌びやかな魔法学園の光景。出てくる男性キャラは全てイケメン、主人公であるヒロインはとても愛くるしい笑顔を見せる美少女……。
しかし、そんな典型的な純愛乙女ゲームでの私のお気に入りは「悪役令嬢」のアイリーンだった──。
実は「フォルトゥーナの祝福」は普通の乙女ゲームではない。プレイできるモードが二つある。
一つ目は「ヒロインモード」。主人公であるヒロインの平民女性リディアとなって、様々なイケメン攻略対象と結ばれることを目指すシナリオだ。これが「フォルトゥーナの祝福」のメインシナリオであり、パッケージにも書かれている表向きのゲーム内容である。
しかし、そのヒロインモードにおいて、全ての攻略対象から求愛される超難関「ハーレム・エンディング」を迎えると、解放される隠しモードがあった。
悪役令嬢モード──。
「悪役令嬢」という名前が付いているが、悪役令嬢を演じるわけではない。王太子のローゼンハルトが、偽ヒロインであるリディアに篭絡されることから始まるシナリオだ。
悪役令嬢モードでは、プレイヤーはベネディクト公爵家の令嬢「アイリーン」となって国内外を駆け回り、リディアの悪行の証拠を少しずつ集めていく。そして、最後の「断罪イベント」で、全貴族の令息・令嬢の前でそれらを暴露し、王太子ローゼンハルトもろとも、偽ヒロインのリディアを国外追放にすることを目指す。
なお、悪役令嬢モードには攻略対象はいない。自らの破滅を回避することが最大の目的である。
私としては、ヒロインになってイケメン男性達を攻略する乙女ゲームも好きなジャンルの一つではあったが、現実はどちらかと言えば、悪役令嬢モードの悪女リディアのような女性が多い。そのため、こうしてヒロインもどきの悪行を暴くゲームは、気持ちがスカッとして好きだった。
私はヘッドフォンの位置を両手で調整すると、この後のイベントを一気に観賞するために、ゲームを自動再生モードに変えた。
──では、リディアに天誅を下す前に、祝杯を挙げますか。
私はゲームの進行を止めたまま、コントローラの決定ボタンを押さずに、一旦座卓の上に置く。そして、缶ビールを左手に持つと、心を高揚させながら、それを一気に飲み干した。
「ぷはぁ~!」
私は缶を座卓に置くと同時に、右手でコントローラを握りなおすと、親指を決定ボタンに添えた。
──さぁ! 悪女リディアよ! バカ王太子ローゼンハルトと共に最期を迎えろ!
私が心の中でそう叫びながら、コントローラの決定ボタンを押そうとした瞬間、目の前の大画面がグニャリと曲がった。
……え?
そして、強烈な眠気が私と襲うと同時に、そのまま意識を失った。
◇ ◇ ◇
「私、ローゼンハルトは、ベネディクト公爵家アイリーン嬢との婚約を破棄することを、今ここに宣言する!!」
大声で叫ばれたそのセリフが耳に入って来たことで、私は意識を取り戻した。
ぼんやりしていた目の前の景色がはっきりしてくる。すると、そこには、まるでアイリーンを実写化したような、とてつもない美人が立っていた。
髪は輝くような白金色で、目はワインレッドをさらに濃くしたような茜色、そして、透き通るような真っ白な肌。薄いパープルの華やかなドレスが、その美貌を引き立てていた。
……アイリーン?
自らの視線の先を見ると、彼女を断罪するかのように、誰かの人差し指が向けられている。
──えっと……、これって私の人差し指だよね?
状況が理解できない……。
私は缶ビールを一気に飲み干した後、ゲーム機のコントローラを持って決定ボタンを押そうとしていたはずだ。その手が、どうして目の前のアイリーンに良く似た美人を指差しているのか。
私は首を振って、右に視線を向けた。すると隣に、私よりもやや背が低めの女性が立っている。
──なっ……なに、このとてつもなく可愛い黒髪の美少女! 日本人風の顔立ちだけど、今まで見たことがないような整った顔立ち……。でも、なんとなくゲームのリディアに似ている気がする……。
私はアイリーンに良く似た女性を指差している腕を下げると、急いで後方を振り返った。すると、長身のイケメン男性が四人、私を見ながら並んで立っていた。しかも、どの面子にも見覚えがあった。
──ロイドに、アインに、ヘンリーに、シャルル!? ちょっと! ヤバすぎるぐらいのイケメン達がどうしてここに!?
私は目を丸くしたまま、正面に視線を戻した。そして、ボーっとする頭のまま、状況を整理する。
──えっと、目の前にアイリーンらしき美人がいて、隣にリディアみたいに可愛い美少女が立っている。後方には、私が何度も見た顔に似たイケメン達……。そして、私はアイリーンを断罪するように人差し指を向けていて……。私の想像通りなら、ここにいるはずの人物が一人見当たらない。
そう、答えは一つしかない。
──私、「フォルトゥーナの祝福」の世界の、バカ王太子のローゼンハルトに転生しちゃった!?
ここは王宮に隣接する魔法学園内の舞踏会場のようだ。ゲームの「逆断罪イベント」と同じ場面ならば、今は卒業祝賀会の真っ最中のはずだ。
私が改めて会場を見渡すと、華麗に着飾った貴族の令息・令嬢と思われる男女が呆気にとられた様子で、こちらを見ているのが分かった。
私が言葉を失ったまま突っ立っていると、目の前のアイリーンが叫んだ。
「ローゼンハルト様! 私はそのような罪はおかしておりません! すべて冤罪です!」
私はアイリーンのその言葉に、背筋にゾクゾクと悪寒を覚えた。
──これ、明らかに悪役令嬢モードだよね!? だとしたら、マズい!! 私、このままだとリディアと一緒に破滅するっ!!
「そっ……そうだよね! みんな、ちょっと待った! 今の婚約破棄は無し!」
私は思わず、アイリーンに向かって叫んだ。すると、私の口から出る声音が、ゲームで聞いた男性声優のイケメンボイスそのものだ。私はこの瞬間、王太子ローゼンハルトに転生したのだと確信した。
「……ローゼンハルト様? 何をおっしゃっているのですか……?」
隣に立つリディアが可憐な声でそう言いながらも、怪訝な表情をして私を見つめた。その目は、アイリーンの弾劾を止めた私を責めるような目だ。
思わず後方を振り返ると、イケメン達もリディアと同じような視線で私を見つめていた。
──ヤッ、ヤバい! 私、全員から責められてるっ!
私は、いつもは動かない頭をフル回転させると、なんとか言い訳を捻りだした。
「ほら、ちゃんとした証拠も無いし! アイリーンを、こんなお祝いの席で弾劾するのは間違いだよ! だから、考え直してよ。ね?」
私は仲間であるはずのリディアとイケメン達の心を変えるべく、必死に説得を試みた。
きっと周りの貴族達からは、婚約破棄を自ら宣言しながらそれを即座に撤回し、慌てるように側近を説得する私の姿がとても滑稽に見えただろう。
「……おい、ローゼンハルト。正気か? しかも、なんだか口調が変だぞ?」
シャルルが私を軽く睨むように非難しながら、私の話し方を指摘した。
──しまった! つい、前世の口調で話しちゃった……。ここは、ローゼンハルトっぽくしないと! ゲームの世界を思い出せ、私! もっと男らしく!
私が「だっ、大丈夫だ。すまん」と男性っぽく弁明すると、イケメン達の中の一人、ヘンリーが一歩前に出てきた。
「ローゼンハルト。証拠はここにあるだろう? 何を言っているんだ?」
ヘンリーは、ファイルに綴られた書類を私に見せるように軽く振る。
──いや、それ、ほとんどリディアの捏造だから! 彼女は闇魔法「幻惑」の使い手なんだよ! リディアは「幻惑」で何人かの貴族令嬢に白昼夢を見せて、嘘の証言と署名をさせただけだから!
しかし、その事実をここで伝えるにしても、リディアが「幻惑」の魔法を使った証拠がない。
私が無言のまま懸命に反論を考えていると、リディアが私に近付いてきた。
「ローゼンハルト様。私はアイリーン様に散々嫌がらせを受けながらも、日々耐えてきたんです。アイリーン様は貴族として素晴らしい方ですが、……私は今更アイリーン様を許すなんてことはできません!」
リディアは目に一杯の涙を溜めながら、守ってあげたくなるような愛らしい表情で私に訴えた。そして、イケメン達をチラリと見やると、再び私に視線を向けて一筋の涙を流した。
「ローゼンハルト様は、ここでアイリーン様との婚約を破棄して、私との婚約を宣言するとおっしゃったではないですか。私は今日、アイリーン様にお会いするのが本当に怖かったのですが、こうして懸命に耐えているんです。……どうか、私とのお約束を果たしていただきたく存じます」
リディアは鈴のような可愛らしい声でそう言うと、誰にも見えないように口角を小さく上げた。
──あんた、よく言うね……。私は全部知ってるんだから。
リディアの本性を知らないイケメン達は、リディアの味方をするように私を説得にかかる。
「何を迷うことがあるんだ、ローゼンハルト。アイリーンの罪状は明白だろう?」
私が振り返ってアイリーンを見ると、彼女は悔しそうに唇を噛みしめながら私を睨んでいた。
──そりゃまあ、貴族が勢揃いしてる前で、こんな仕打ちを受けたらそういう表情になるよね……。ゲームの設定でも「貴族令嬢は一度婚約破棄されたら、将来の縁談はほぼ絶望的」って書いてあったし……。
私はイケメン達からの説得を聞き流しつつ、この後のゲームの展開を思い出す。そして、何度もやり込んだ「悪役令嬢モード」のシナリオを記憶から呼び覚ますのに、一秒も掛からなかった。
──ヤッ、ヤバい! 確かこの後、すぐにアイリーンがリディアの「幻惑」の魔法を暴露するんだった!
アイリーンは私からリディアに視線を移すと、先ほど私がアイリーンにしていたのと同様に、弾劾するように人差し指をリディアに向けた。
──私がこっち側の立場にいる時にリディアの「幻惑」をバラされたら、私は破滅だ! 国外追放だ! 逃げるしかない!? ……いやいや、ここで逃げたら怪しさ一万倍だよ! このままだと国外追放は回避できない! あぁ~、なんとかしないと!!
私が動揺している間に、悪役令嬢モードのシナリオの佳境、「逆断罪イベント」が始まった。
「リディアさん! これ以上、王族と上位貴族の皆様を誑かすなら、私はあなたを絶対に許しません!」
アイリーンはそう叫びながら、左手にはめていた白い長手袋をサッと抜き取った。すると、その中指に、赤い宝石が付けられた指輪が見える。
私はすぐさまアイリーンに駆け寄ると、即座にアイリーンの左手を両手で握りしめて、その指輪を隠した。
「アイリーン! ちょっと待て! ちょっとだけ、待ってくれ!」
「えっ!? ローゼンハルト様!? 何をされるのですか!?」
「アイリーン。私は君が何をしようとしているか分かっている!」
私はアイリーンの中指を左手で持つと、右手で中指にはめられていた指輪をサッと抜き取った。
「……ッ! ローゼンハルト様っ!!」
「アイリーン。君がはめていたこの指輪は、私が預かるよ」
私は指輪を右手の手の平でギュッと握りしめた。そして、アイリーンから一歩退く。すると、アイリーンが私の腕に縋りついてきた。
「どうか、どうか、その指輪をお返しくださいっ!! その指輪は私の最後の光なのです! それを失ったら、私は……、私はっ……!」
アイリーンは顔を歪めながら、目からポロポロと涙を流した。そして、私に何度も指輪を返すように訴えた。
「私との婚約破棄はしていただいて構いません! 私も決して婚約者として、十分に務めを果たせていたとは思っておりません。……しかし、私は公爵令嬢として、やってもいないことで濡れ衣を着せられるのは我慢ならないのです!! その指輪は、私が無実であることを証明できる唯一の道具なのです! どうか、それをお返しくださいっ!!」
私は、腕を掴むアイリーンの手の上に、自分の手を重ねた。
「分かっている」
「……えっ?」
「さっきも言っただろう? 私は君が何をしようとしているか分かっている。……そして、私は君の味方だ」
アイリーンは涙でクシャクシャになった顔のまま、目を丸くして驚くと、掴んでいた私の腕を放した。
──アイリーン、安心して。この道具が何のためのものなのか、そして、あなたが今から何をしようとしていたのか、私はすべて分かってるから……。
私は、涙に濡れたアイリーンの瞳を見て、優しく微笑んだ。
「さあ、アイリーン。今から新たなシナリオを始めよう」
私はその場でイケメン達の方を向くと、証拠の書類が綴られたファイルを持っているヘンリーに話しかけた。
「ヘンリー。お前が持っている証拠の書類から、リディアに危害を加えようとしたとされるアイリーン派の貴族令嬢の名前を読み上げてくれ」
「ん? あぁ、分かった……」
ヘンリーは私の指示を受けて、手元の書類をペラペラと捲る。しかし、次第に表情を変えると、眉間に皺を寄せ始めた。
「……貴族令嬢の名前が一つも無い」
私はそれを聞いて一度頷くと、次の要求をヘンリーに伝えた。
「では、その証言と署名をした貴族令嬢の名前を読み上げてくれ。上位貴族から順番に、三人だけでいい」
「分かった」
ヘンリーは書類を一旦初めのページに戻すと、再び捲りながら、証言をした貴族令嬢の名前を読み上げる。
「レイモンド侯爵家ベアトリーチェ殿」
「えぇっ!? わっ、私ですのっ!?」
アイリーンの後方から悲鳴のような声が上がった。明らかに、証言した記憶がないようだ。
ヘンリーはその様子に驚きながらも、二人目の証人の名前を読み上げる。
「システィーナ侯爵家マーガレット殿」
「なっ……何かの間違いですわっ! 私は、そんな証言をした覚えなどございません!」
今度は会場の右方、貴族の令息・令嬢が集まっている集団から声が上がった。すぐに、一人の女性が弁明のために前に進み出てくる。
しかし、私が続行の合図をすると、ヘンリーはそのまま三人目の証人の名前を読み上げた。
「マインツ伯爵家エリザベート殿」
「私は何も申し上げておりません! 私が何故、敬愛するアイリーン様を陥れるようなことをしなくてはならないのですかっ!? その書類は捏造ですわっ!!」
三人の令嬢は会場の前方に進み出てくると、懸命に弁明を行う。しかし、私はそれを遮るようにして、リディアとイケメン達の方を向いて話し掛けた。
「その『証拠の書類』とやら、これほどまでに証人達が離反していては、意味がないのではないか?」
私がそう言うと、ヘンリーが私に人差し指を向けて叫んだ。
「ローゼンハルトっ! お前も一緒に書類を確認しただろう!? 今更何を言っている!」
──うーん、確かにその通り……。ゲームのシナリオでは、リディアに次いで私も悪役だしね。……でも、ヘンリー、ごめんね。悪いけど、私は国外追放になりたくないから、全力でウソをつかせてもらいます!
私は額に手を当てて、困ったような表情で苦笑すると、大根役者のようなセリフを吐いた。
「みんな、すまない。実は、私はリディアの正体を暴くために、今までずっと演技をしていたんだよ」
私の言葉にリディアが可愛らしい表情を崩し、目を見開いて驚く。しかし、すぐにいつもの愛らしい笑顔を浮かべると、私に優しく話し掛けてきた。
「……ローゼンハルト様? それは、どういう意味ですか? 私をずっとお疑いになっていたのですか? ……私がアイリーン様に酷い目に遭わされていたのを、ローゼンハルト様もご覧になっていたではないですか。どうか、それを思い出してください」
リディアがそう言った瞬間、私の手足を痺れる感覚が襲う。そして、視界が一瞬無くなり、すぐに身体全体がやんわりと温かくなるのを感じた。
私は右足に力を入れて、身体を支えるように立ち位置を変えた。
すると、リディアは、そんな私の様子に気付いて、ほんの一瞬だけニヤッと笑った。
「……ローゼンハルト様。全部、思い出していただけましたでしょうか?」
リディアのその問い掛けに、私はリディアを見てニッコリと微笑んだ。
「あぁ、思い出した。そうだったな……」
「ローゼンハルト様、ありがとうございます!」
「……リディア。お前のことを全く信じていなかったことを思い出したよ」
私の答えに、リディアは再び目を大きく見開いて驚く。そして、そのまま無言になった。
「ん? リディア、どうした? 何に驚いている? 私の答えがそんなに意外だったか?」
リディアは目を泳がせながら私から視線を外すと、あまり上手くない言い訳を口にした。
「はっ、はい……。えっと、その……、私が今までローゼンハルト様にご相談したことを、全く信じてもらえていなかったことにあまりにも驚いてしまって……。すぐに言葉が出ませんでした……」
リディアはそう言うと、少し視線を下げて俯く。ギュッと拳を握りしめた手を少し震わせていた。
「……リディア、違うだろう? 驚いた理由は、それではないだろう?」
私は、アイリーンの指輪をはめた左手を胸の前に上げる。すると、リディアは上目遣いに、私が左手の小指にはめた指輪を見た。
「リディア。お前は今、私に向けて魔法を使っただろう? ……私の心を操る『幻惑』の魔法を」
リディアは私の言葉を聞いて、今までにないほどの驚いた表情を浮かべると、口元を震わせながら、必死に魔法の行使を否定した。
「……つっ、使っておりませんっ!! 私には、そんな凄い魔法は使えません!!」
「いや、お前は『幻惑』を使った」
「どうしてっ……どうして、そのような嘘をおっしゃるのですか!? ローゼンハルト様は私の味方ではなかったのですか!? ……どうして、今になって私を裏切るのですか!?」
リディアは悔しそうに顔をしかめて涙を流す。頬を伝った涙が、ポタポタと床に落ちた。
イケメン達はリディアの姿を見て、慰めるためにその近くに寄る。そして、そのうちの一人、ロイドが私を軽く睨んだ。
「おい、ローゼンハルト! 何の証拠があって、そんなことを言うんだ! さっきから、お前はリディアに酷いことばかりを言って、何をしているんだ!」
私は、左手の指輪をロイドにも見せるような仕草をする。
「ロイド。この指輪が何の指輪か分かるか?」
私の問いにロイドは何も答えず、怪訝な表情を見せる。
悪役令嬢モードでは、アイリーン以外に、この指輪の正体を知る者はいなかった。当然、ゲーム内のローゼンハルトも、指輪のことは知らなかった。
「あの……、ローゼンハルト様は、その指輪の正体をご存じなのですか?」
アイリーンが後方から、訝しげな口調で私に問い掛けた。
私はその問いに、無言でコクリと頷く。そして、目の前のロイドに指輪の正体を明かした。
「この指輪は『闇魔法の指輪』だ。全魔法国家において禁忌とされる『闇魔法』を封じるための、珍しい魔道具だよ」
「闇魔法だとっ!?」
イケメン達は皆、私の言葉に目を大きく見開いて驚く。全員、あまりの驚きに言葉を失った。貴族のように幼少期から魔法知識を叩き込まれている者達は、闇魔法が国家を超えて厳しく禁止されているものであることを良く理解していた。
「この闇魔法の指輪にはいくつかの効果があるが、今ここで使ったのは、そのうちの二つだ」
私は、先ほどから深く俯いたままのリディアに向けて人差し指を立てる。
「一つ目は、闇魔法から身を守る力。闇魔法は強大な力だが、この『闇魔法の指輪』はそれを防ぐことができる」
そして、次に中指を立てた。
「二つ目は……」
私はリディアから視線を外し、指輪の宝石を見る。
「闇魔法を検知する力だ。そこにいるリディアが、『幻惑』の闇魔法を使った瞬間を知ることができる。……この指輪の宝石が、強い赤い光を放つように変化したことが、リディアが闇魔法を使った証だ」
私が輝きを増した闇魔法の指輪をリディアに向けると、イケメン達はリディアから一歩退いた。まだ私の話を完全に信用してはいないのだろうが、「闇魔法」と聞いて危険を感じているに違いない。
「リディア。お前は先程、『幻惑』の闇魔法を私に向けて全力で放っただろう? そして、それが私に効かなくて、驚いていたのだろう?」
リディアは無言で俯いたまま、何も反応しない。
イケメン達がリディアに「……本当なのか?」と声を掛けると、リディアは顔を上げて、私を睨んだ。
「……その指輪が何だというのですか? 本当に闇魔法の指輪なのですか? そんな指輪の話、聞いたことがありません。皆様はご存じなのですか?」
リディアが周囲のイケメン達を見回すように問い掛けるが、それに答えられる者はいなかった。リディアはそれを確認すると、私に向かって話を続けた。
「私は『光魔法の使い手』として、魔法省から特別な推薦を受けて、平民ながら、この学園に入学したのです。光魔法は闇魔法の対極を成すもの。光魔法の使い手の私が、闇魔法を使えるわけがありません」
リディアは、声のトーンを一段下げて私に反論した。もはや先程までの可愛いリディアはいない。
──よしよし。悪役令嬢モードのシナリオ通りだね。この後の展開は分かっているんだけど、色々と苦労して国内外を調べ回ったアイリーンに、最後に花を持たせてあげようかな。
私が後ろを振り向いてアイリーンを見ると、アイリーンはまるで私の意図を理解したかのようにコクリと頷いた。そして、アイリーンはゆっくりと口を開いた。
「……リディアさん。光魔法を使う人は闇魔法を使えない……なんて、誰が言ったんですか?」
「……えっ?」
「光魔法と闇魔法は、私達が知る『魔法』ではないんですよ。私は国内外を必死に調べ回って知ったのですが、これらは『呪術』の類なんです。『光魔法』と『闇魔法』という名前は人間が勝手に付けたもので、実際には、両方の呪術を使える術者が殆どなのだそうです」
アイリーンの説明にリディアは顔面蒼白になった。まるで、今までその事実を知らなかったかのようだ。光魔法の使い手だと言えば、闇魔法を使ったという嫌疑を完全に否定できると思っていたに違いない。
実は、私もアイリーンの話は初耳だった。ゲームをプレイしていた時には、そんな設定は一切出てこなかった。
リディアはすぐに表情を元に戻すと、必死に闇魔法の行使を否定した。
「そっ、それが何だというのですか!? 私、闇魔法なんて知りませんよ!!」
動揺のあまり、叫ぶようにして言葉を返すリディアに、アイリーンは優しく話しかけた。
「……リディアさん。この世界で『呪術』を使うということは、その結果に『対価』を支払わなくてはならないという理をご存じですか?」
リディアは一瞬無言になると、アイリーンを睨みながら答える。
「なんですか、それ……。私が何も知らない平民出身だからって、作り話で私を脅しているんですか?」
アイリーンは寂しそうな表情で、「私達貴族ですら知らない話ですから、やはりリディアさんもご存じなかったのですね……」と呟くと、話を続けた。
「『光魔法』は、まるで魔法のように見えますが、魔法ではありません。『光魔法』は精霊の力なのです。そして、リディアさんはちゃんと精霊に『対価』を支払っているんですよ」
「……えっ?」
「精霊は、リディアさんの思い通りに力を発現させる『対価』として、リディアさんから膨大な魔力を搾取しているんです。リディアさんは信じられないほどの魔力持ちですから、あまり気付いていなかったのかもしれませんが、一回の光魔法で搾取される魔力量は、普通の貴族なら一瞬で病に臥せってしまうほどの量です」
リディアはアイリーンの説明に無言になる。どうやら、光魔法の使用時に、膨大な魔力を消費していた自覚はあるようだった。
「では、リディアさん。……『闇魔法』を使ったときはどうでしたか? 膨大な魔力を抜き取られたような感覚はありましたか?」
リディアはアイリーンの質問には答えなかった。ここでその質問に答えてしまったら、自分が闇魔法を使ったことを自白したようなものだ。
代わりに、リディアはアイリーンに質問で返した。
「……アイリーン様は、なぜ私にそのような質問をするのですか? 私は先程から、闇魔法を使っていないと申し上げております」
アイリーンはリディアの答えを聞くと、闇魔法を防ぐために私から指輪を受け取って、ゆっくりとリディアに近付いた。
そして、リディアを憐みの表情で見つめる。
「リディアさん……。闇魔法の対価は魔力ではありません。……『人の命』なんです」
アイリーンの言葉に、リディアは大きく目を見開いて言葉を失った。そして、唇を震わせながら何かを言いたげにしていたが、しばらくして、声を絞り出すように口を開く。
「……今の話は、全部作り話ですよね? ……アイリーン様は私が憎くて、私の動揺する姿をここの皆に見せたくて、それっぽく作った話なんですよね?」
アイリーンは、リディアの質問には答えず、ただ視線をリディアから外した。
すると、リディアは目を泳がせながら、行き場を失った視線を私に向けた。
「……ローゼンハルト様は今の話をご存じだったのですか? それとも、ローゼンハルト様も知らないお話でしたか?」
私はゲームのシナリオを懸命に思い出しつつ、リディアの問いに正直に答えた。
「私も知らない話だ。……闇魔法の対価が『人の命』だということは知らなかった」
リディアは私の答えを聞いて、少し安堵した表情を浮かべた。どうやら、今の話はアイリーンの作り話だったと結論付けようとしているようだ。
リディアはアイリーンに視線を移すと、少し勝ち誇ったように話し始めた。
「アイリーン様。お戯れはやめてください。アイリーン様しか知らないお話であれば、信憑性が低いではありませんか。そんな作り話で……」
その瞬間、リディアが急に両膝を突いて倒れこんだ。そして、胸を押さえながら咳き込み始める。
「げほっ、げほっ! ……むっ、胸が痛いっ!! げほっ、げほっ! なに、この痛みっ!? 助けてっ!! げほっ、げほっ! ……ぅっ!!」
最後の咳と共に、リディアは床に大量に吐血した。リディアが吐き出した血液が、床を真っ赤に染める。
リディアは、その後も二度三度と吐血を繰り返した。
「助けて……。助けて、お願いっ。……ぅっ!!」
アイリーンは急いでリディアの側に寄ると、叫ぶように話し掛けた。
「リディアさん!! 今すぐ左手を出してください!! 闇魔法による『対価』の請求が始まっています!! 効果があるかは分かりませんが、闇魔法の動きを止めるために、今すぐにこの指輪をはめて!!」
リディアはアイリーンから指輪を受け取ると、自分の血で真っ赤に染まった右手で、左手の中指に指輪を差し込んだ。
すると、先程まで荒かったリディアの呼吸が次第に落ち着き始めた。リディアは後ろに尻もちをつくように床にペタンと座ると、アイリーンの顔を見た。
「……アイリーン様、この指輪は本当に『闇魔法の指輪』なのですか?」
「はい、そうです。私が王国内の、とある古城で回収してきたものです。光魔法と闇魔法に関する話も、その古城の文献で知りました。……そして、もしリディアさんが本当に闇魔法を行使していたら、今、その指輪は抜けないはずです」
リディアはアイリーンの言葉を聞いて、右手の親指と中指で、左手の指輪を摘まむ。そして、恐る恐る指輪をギュッと引っ張るが、位置に変化はない。リディアは、その後も何度も力を入れたが、指輪が抜ける気配はなかった。
「……抜けません。何度引っ張ってもダメです……」
リディアはそう言うと、口元が血で真っ赤に染まった顔のまま、自嘲気味に笑みを浮かべた。
「……私が闇魔法を使ったことは、もう隠せそうにないですね。ははっ……」
そして、正座をするように、その場に座り直した。
「ローゼンハルト様、アイリーン様、ロイド様、アイン様、ヘンリー様、シャルル様。……今まで本当に申し訳ありませんでした。私が全て仕組んだことです。アイリーン様を陥れるために、私は闇魔法で皆様を騙しました。本当に申し訳ありません……。申し訳ありません……」
リディアは涙を流しながら、床に頭を押し付けて、懸命に謝罪を繰り返した。
私は舞踏会場内の貴族の令息・令嬢に向かって、卒業祝賀会の中止を宣言すると、リディアやアイリーン達を除いて、その場にいる貴族や衛兵達を全員退出させた。
◇ ◇ ◇
リディアが「闇魔法の指輪」をはめた後、闇魔法による「対価の回収」は落ち着いたものの、失血によるリディアの衰弱は激しかった。そのため、ロイドやヘンリーが、リディアに治癒魔法を掛け始めた。
リディアは衰弱した身体でその場に横たわったまま、誰に言うともなくポツリと呟いた。
「……私、王族になりたかったんです」
そして、私に視線を向ける。
「ローゼンハルト様、ごめんなさい。私、実は王妃の地位には興味はありませんでした」
リディアは身体を動かさずに、血まみれの顔で可愛らしくニコッと笑うと、そのまま話を続けた。
「私、子供の頃、公務で街にお出ましになられた今の王妃様を見たんです。とっても素敵で、息を呑むほどの美しさで……。そして、平民の私にも優しく声を掛けていただいた時、私は王妃様に完全に心を奪われました。……私は、もう一度、王妃様に会いたいと思いました」
リディアはそう言うと、寝返りをうつように仰向けになり、視線を上方に向けた。
「王妃様と同じオシャレをして、一緒にお茶を飲んだり、楽しく話をしながら食事をしたかった。時々、王宮の庭園を散歩したり、お花を育てるための相談をしたり……。私の願いは、ただ、それだけだったんです」
リディアは左手を目の前に伸ばすと、中指にはめられた指輪を見つめた。
「私は幼少期から光魔法が使えたのですが、ある日、『光魔法ではない何か』を使えることに気付きました。試しに両親にその魔法を掛けてみると、私の思った通りに動いてくれることが分かりました。……両親は、『黒い石』ですらも本気で『白い石』と言ってくれました」
リディアは左手を下ろす。そして、寂しげに微笑んだ。
「そこからですね。私がおかしくなってしまったのは……」
リディアは後悔するように目から涙を流すと、魔法省の人間を闇魔法で操ったことを私達に告白した。
闇魔法「幻惑」を使った対象は魔法省の上層部にまで及び、リディアは平民の自分を「特待生」として、貴族ばかりの魔法学園に入学させるように仕向けたそうだ。
リディアは当初、王族になるつもりはなく、魔法学園で最も地位の高い貴族と「幻惑」で婚姻を結んで、王家に近付くつもりだった。しかし、入学直後に王太子ローゼンハルトが在籍していることを知り、ローゼンハルトに攻略対象を変更したらしい。
そこまで聞いて、私はリディアに質問を投げかけた。
「私が言うのも変だが、最初から王妃……母上を『幻惑』で操ることもできたのではないか?」
すると、リディアは「そうですね」と返す。続けて、そうしなかった理由を答えた。
「……でも、王妃様だけには『幻惑』を使いたくなかったんです。あくまでも、『幻惑』を使わない状態の私を見て頂きたかった。ウソのない本当の気持ちで王妃様とお話したかった。……理由は、ただそれだけです」
リディアは衰弱した顔でニッコリと笑みを見せると、アイリーンに視線を向けた。
「アイリーン様。この『闇魔法の指輪』を作ったのは、どんな大賢者様なのでしょうか? 正直な話、私の闇魔法は強力ですから、誰にも防げないと思っていました。実際、今日を除いて、闇魔法を防がれたことは一度もありません」
アイリーンは苦笑しつつ、リディアの問いに答えた。
「リディアさん。この『闇魔法の指輪』を作ったのは大賢者ではなく、かつてこの国に大災厄をもたらした、史上最悪の『闇魔法使い』なんですよ」
「……えっ?」
「私が見つけた文献によると、その『闇魔法の指輪』を作った人物は、遠い昔に存在した大国の王女でした」
アイリーンは視線を少し上げて、天井を見る。
「その王女はとてもワガママでしたが、光魔法を使えるほどの膨大な魔力量を持つ特別な存在でした。王女という地位もあって、周りから甘やかされて育った彼女は、光魔法を自分のためだけに使っていました。そんなある日、彼女もリディアさんのように、もう一つ別の魔法を使えることに気付いてしまったのです」
アイリーンは視線を下ろして、リディアの瞳をじっと見つめた。
「『闇魔法』という禁忌の力を使えることに」
アイリーンは、再びリディアから視線を外して話を続けた。
「王女は、闇魔法を使ってやりたい放題しました。初めはリディアさんのように『幻惑』を使って人を騙す程度の可愛いものでしたが、次第にエスカレートしていきました。そして、最終的に国王を操って、当時の隣国を闇魔法の力で侵略しました。……目的は、舞踏会で知り合った隣国の王子と結婚するためでした……」
リディアはアイリーンの話に、身体を横たえたまま目を大きく見開いた。王女がした事に、自分を重ねたのかもしれない。
「その隣国は、王女の闇魔法によって貴族軍の裏切りが相次ぎ、内部から滅びたそうです。そして、王女は『幻惑』で心を操った隣国の王子と結婚しました。……しかし、先程お伝えした通り、闇魔法の結果には『人の命』という対価が必要なんです」
アイリーンは、その先の話をしにくそうに一旦口を噤んだ。しかし、すぐに再び口を開く。
「……王女は、闇魔法の膨大な対価を支払うため、精霊を使役して国全体から自分に生命力をかき集める光魔法『息吹』を掛けました。王女が『息吹』を国全体に掛けたその日、国中の街で悲鳴が上がったと文献には書かれています……。結果的に、生命力の低い老人や赤子・病人を中心に、当時の国の五分の一の人口が犠牲になりました」
私はアイリーンの話に驚くと同時に、王女の行いと闇魔法の恐ろしさに背筋が寒くなった。
その場にいる誰もが言葉を失う中、リディアがアイリーンに向かって声を絞り出した。
「……どうして、そんな自己中心的な王女様が、闇魔法を封じる『闇魔法の指輪』を作ったのでしょうか? 『闇魔法の指輪』は闇魔法を封じる魔道具ですよね?」
アイリーンはリディアの質問に軽く頷く。
「私も同じ疑問を持ちましたが、文献によると、その理由は、王女が『闇魔法で自らの命を落とすこと』を恐れたからだそうです」
アイリーンは、怪訝な表情を浮かべる私達に向かって、王女の話を続けた。
「王女は隣国を滅ぼした後、闇魔法の力を使って、女王に即位しました。そして、気に入らない人間をどんどん闇魔法の対価として犠牲にしていきました。しかし、女王はある時、貴族が闇魔法の生贄として息絶えるのを見て思ったのです」
アイリーンは、少し間を置いて口を開いた。
「いずれ、闇魔法に命を奪われるのは、自分ではないか?と……」
「その王女、自分の命は惜しいのか……。本当に自己中心的で最悪な人間だな」
私は思わず、その王女の酷さに呟いてしまった。しかし、皆も同じことを思っていたようで、何人かが私の言葉に頷いた。
アイリーンはリディアの左手の中指に視線を落とす。
「そうして、自身の命惜しさに、女王の手によって作られたのが、この『闇魔法の指輪』です」
リディアは再び左手を伸ばすと、自嘲しつつ指輪をじっと見つめた。
「ふふっ……。私、そんな人が作った指輪に助けられているんですか……。本当に情けないです……。多くの人を犠牲にしながら使い続けてきた闇魔法に危険を感じるから何とかしようだなんて、とても身勝手ですね……。ただ、私はこうして死にそうになりましたが、その女王は、この指輪によって長生きできたのでしょうか?」
すると、アイリーンは首を軽く振った。
「いいえ。女王はその『闇魔法の指輪』を作った後、すぐに死んでしまったそうです」
「えっ?」
「……正確に言うと、女王は公開処刑されました。女王は指輪の力で闇魔法が使えなくなったため、貴族達によって捕らえられました。そして、恨みに駆られた民衆達が見守る中、斬首されたそうです」
その言葉に、皆が言葉を失った。
「そして、女王の『闇魔法の指輪』は、将来、再び女王のような悪逆非道な闇魔法使いが現れた時に速やかに封印を行うため、新国王の下命により、臣下の貴族の下で厳重に保管されました。……それが、私の祖先のベネディクト公爵家だったというわけです」
リディアはロイド達に治癒魔法を掛けるのを止めるように伝えると、懸命に上半身を起こして、私とアイリーンの方を向いて座った。そして、頭を深く下げる。
「ローゼンハルト様、アイリーン様。今までずっと、本当に申し訳ありませんでした。……私はどんな処分も受ける覚悟です。王太子殿下とベネディクト公爵家のアイリーン様を騙した大罪です。たとえ、しょ……処刑であっても甘んじて受け入れます」
リディアはそう言いながらも、身体をブルブルと震わせていた。発した言葉と違って、「処刑」を言い渡されたら、その場で倒れてしまいそうだ。
私はその姿を見て、リディアをとても不憫に感じた。ゲームのコマンドのような選択肢ではなく、直接リディアの言葉で話を聞いて、リディアが私との婚姻を強く望んだ理由も分かった。
それを実現するための手段には問題があったが、目的はとても純粋な思いで、私が前世でゲーム内のリディアに抱いていた印象とは大きく異なっていた。
──今のローゼンハルトは、本来のローゼンハルトではなく転生してきた私だから、あんまり迷惑を被ってないのよね……。でも、アイリーンは色々と濡れ衣を着せられたってことだから、簡単にリディアを許してあげる訳にもいかないんだよなぁ……。
私は深く頭を下げたままのリディアに視線を向ける。
「リディア。お前の言う通り、王族への反逆は大罪だ。王族への反逆は、国家への反逆と言ってもいい。それが意味するところは分かるな?」
私がその場の雰囲気で、なんとなく適当な言葉をリディアに掛けると、リディアは無言でビクッとしながら、深く下げていた頭を床に押し付けた。どうやら、あまりの恐怖で声が出ないらしい。
私はアイリーンに視線を移す。ここは一つ、賭けに出てみることにした。
「アイリーン。どう思う? 今回の件、アイリーンが最も被害を受けたと思うが、リディアをどう『処分』したい?」
私の問い掛けに、アイリーンは顎に手を当てて、しばらく考え込む。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですね。やはり王族への反逆を犯した罪人は、公開処刑が妥当だと存じます。かつての女王の処刑と同じように、リディアさんを民衆の目の前で斬首するのはいかがでしょうか?」
……え?
「あっ、私、良いことを思い付きました! かつての邪悪な女王の話を民衆の前で上演するのです。そして、その最後に、女王役のリディアさんを斬首しましょう。闇魔法の恐ろしさを民衆にも喧伝することができます。指輪の管理を下命されたベネディクト公爵家の子孫である私が、リディアさんを斬首いたします。……ふふっ、なかなか面白いと思いませんか?」
私とイケメン達は、アイリーンの言葉に固まった。アイリーンは「通常モードの悪役令嬢」のように、意地の悪そうなニヤニヤした笑みを浮かべる。
一方、リディアは身体を震わせながら、ずっと額を床に押し付けていて、全く動かない。
──悪役令嬢モードのアイリーンなら、リディアに優しさを見せてくれると思ったんだけど、リディアに受けた仕打ちに対する恨みつらみは、そんな小さいものじゃなかったんだね……。私が甘かった……。
私は気を取り直すと、アイリーンの提案に答える。リディアには可哀想だが、身分の差もあり、被害者のアイリーンの言葉を無視することはできない。
「そうか……。では、アイリーンの提案に従うとしよう。いいな、リディア?」
リディアは相変わらず震えたまま、全く動かない。返事も無い。身体はかなり衰弱しているはずだが、それを感じさせないほど、緊張した様子でその場に土下座していた。
「……リディア?」
私が声を掛けても反応は無かった。
──震えてるから意識はあると思うんだけど……。もしかして、気を失いそうになってる?
リディアが土下座したまま何も言わずに震えていると、アイリーンがリディアに近付いて、その前にしゃがみこんだ。
「リディアさん。今すぐ顔を上げなさい」
「…………」
「顔を上げなさいと言っているでしょうっ!!」
アイリーンの大声に、私やイケメン達はたじろぐ。リディアも身体の震えを大きくすると、顔を青くして涙を流したまま、吐血時の血糊が残る顔を上げた。
リディアが顔を上げた瞬間、アイリーンはリディアの頬に、思い切り平手打ちをくらわせた。
リディアは両手をついたまま顔を上げた状態であったため、姿勢を崩して倒れることはなかったが、平手打ちされた頬から涙の粒が床に飛び散るのが見えた。
「アッ……アイリーン!」
私が思わず止めに入ろうとするも、アイリーンに睨むようにして制止される。一方のリディアは、頬を押さえて驚くような顔でアイリーンを見たが、アイリーンは容赦しなかった。
「その頬に当てた手を、今すぐ下ろしなさい! 私の平手打ちを絶対に避けてはいけませんよ!」
アイリーンは三度ほどリディアの頬を思い切り平手打ちする。
リディアはアイリーンに言われた通り、いつ次の平手打ちが来ても良いように、頬に手を当てずに俯いていた。しかし、私から「公開処刑」を言い渡されて以降、リディアからは生気が無くなり、口を閉じることもなくボーっとするように床を見ていた。
アイリーンはそんな姿のリディアを寂しそうに見ると、その場に立ち上がった。
「……リディアさん。私の気持ちが分かりましたか?」
「……え?」
アイリーンのその言葉に、リディアは涙を流したまま、伏せていた顔を上げてアイリーンを見た。
「貴族の令嬢にとって、祝宴の場で『婚約破棄される』ということは、皆の前で『死ね』と言われているのと同じなのですよ。公開処刑なのです。婚約破棄された令嬢は、もう嫁ぎ先が無いのです。実家で恥を忍んで一生を終えるか、国外へ逃れるか、……自ら人生を終えるかを選択するしかないのです」
その瞬間、リディアはハッとするように目を見開いた。
「リディアさんは公開処刑を宣告された時、どんな気持ちでしたか? 本当に処刑されても良いと思いましたか?」
リディアはギュッと唇を閉じたまま、フルフルと首を振った。
「リディアさん。頬を私に叩かれることと、公開処刑を宣告されること、どちらが辛かったですか?」
すると、リディアはか細い声でアイリーンの問いに答えた。
「……公開処刑です。もともと私が大罪を犯したことが悪いのですが、公開処刑で、私の罪は街の人に知れ渡ります。その結果、お父さんやお母さんに悲しく辛い思いをさせることを考えると、本当に胸が痛くなりました……」
アイリーンは、その言葉にコクリと頷いた。
「貴族は平民から嫌われていますから、リディアさんは多少小気味良く私を陥れようとしたのかもしれません。しかし、私も同じ人間なのです。婚約破棄によって、今のリディアさんと同じように心が傷付きます。……いえ、傷付くどころか、精神を破壊されるのです。両親も悲しみます。つまり、あなたは王族や貴族に対する大罪以上に、人として許されない行為をしたのですよ? 分かっていますか?」
アイリーンの言葉に、リディアは俯いて唇をギュッと噛むと、そのまま言葉を発しなかった。
すると、リディアのその様子を見て、アイリーンは真っすぐ私に視線を向けた。
「ローゼンハルト様。お願いがございます」
私がアイリーンの突然のお願いに戸惑いながらも、コクリと頷くと、アイリーンはその内容を私に告げた。
「リディアさん……いえ、この平民のリディアが、公爵令嬢である私に大変な無礼を働いたことは、ローゼンハルト様にもお認めいただけていることと思います」
私はその言葉に、王太子らしく軽く頷く。
「……私はリディアに自分の思いを伝えましたが、ご覧のとおり、私の言葉にも答えず、この平民は全く反省する気が無いようです」
──えっ!? ちょっと、アイリーン!?
「こんな無礼な人間を公開処刑するだけで許すなど、私には到底受け入れることはできません! 死を与えて今後の苦しみを絶ってあげるなど、あまりにも慈悲が深すぎます。……私はリディアに、もっと残酷な罰を与えたいと存じます」
私が驚いた表情を浮かべて無言のままでいると、アイリーンは「悪役令嬢モード」で見せる優しい笑顔を浮かべた。
「……ですから、このリディアを、私の専属侍女にすることをお許しください。リディアを私の公爵家に住まわせて、私の下で酷使し、一日中、敵である私の世話をするという苦しみを与え続けることを『処分』として提案いたします」
アイリーンはそう言うと、私に深く頭を下げた。一方のリディアは、顔をハッと上げて驚くようにアイリーンのことを見つめる。私はすぐにアイリーンの意図を理解した。
──やっぱり、悪役令嬢モードのアイリーンは素敵な人だ。厳しくて、優しい人……。
私はリディアを一瞥すると、なるべく王太子らしい振舞いで、アイリーンの言葉に答えた。
「そうだな。大罪を犯したリディアに死を与えてやるなど、確かにもったいない。もっと深い苦しみを与えてやらねばならないな。まだ処刑するには早すぎるだろう。アイリーンの提案通り、リディアにはアイリーンの下で、この大罪に見合う苦しみを受けてもらうとしよう。……いいな、リディア?」
リディアは、その言葉に顔をクシャクシャにするようにして涙を流す。そして、再び床に額をつけて土下座した。
「ローゼンハルト様、アイリーン様! ありがとうございますっ! 私、アイリーン様のために一生懸命頑張ります! 今までの罪を償うことができるように、必死に働きます!」
その光景に、私とアイリーンは顔を見合わせてニコッと笑う。少し離れて見守っていたイケメン達も安堵の表情を浮かべた。
アイリーンはリディアに向けて手を差し伸べた。
「これから、よろしくお願いいたしますわね。ちなみに、私は貴族の間で、とてもワガママな貴族令嬢として有名だそうです。ですから、リディアさんをこき使いますので、覚悟しておいてください」
すると、アイリーンはワザとらしく、何かに気付いたような仕草をした。
「あっ! そういえば、私がワガママなことはリディアさんはご存じでしたね? リディアさんが私の噂を広めたんですから」
リディアはアイリーンの手を取りながら、バツが悪そうにして、その頬を真っ赤に染めた。
◇ ◇ ◇
「ローゼンハルト様。リディアさんの件を私に一任する旨、早速、国王陛下にご報告いただき、誠にありがとうございました」
中止になった卒業祝賀会場で、一人窓際に立って外を眺める私に、アイリーンが声を掛けてきた。
「あ、いや。問題ない。今回の件はアイリーンが最も被害を受けているのだから、アイリーンの望むようにするのが一番だ」
ただ、ゲームに殆ど登場しない国王に顛末を伝えるのは大変だった。一応、私の父親ということではあるが、渋いイケメンの上に頭が切れる人物であったため、何度も突込みを受け、しどろもどろになりながら説明する羽目になった。
最終的には私の意図を汲んで、リディアに寛大な処置を行うことに同意してくれた。
一方、リディアの件を目撃していた貴族達への対応が課題として挙がったが、闇魔法「幻惑」は目に見える力ではなかったため、「再検証の結果、闇魔法ではなかった」という通達を全貴族に送付することになった。
ただし、リディアへの恩赦には、国王から条件が出された。
光魔法と闇魔法に対する「闇魔法の指輪の効果」を知るための研究対象として、リディアを絶対に国外に逃がさないことだ。闇魔法使いの他国からの侵略に備え、国王は「闇魔法の指輪」を新たに作製することも視野に入れているようだった。
近いうちにアイリーンにその事実を伝えねばならないが、今日は色々とありすぎたため、私はその話を後日に引き延ばすことにした。
「リディアに光魔法の素質がなければ、闇魔法の呪いに魅入られることもなく、彼女は平民として幸せな一生を終えることができたんだろうな。王妃に憧れる普通の少女として……」
私が窓の外を見ながらそう話すと、アイリーンは「そうですね」と言いながら、私の側に来て、深く頭を下げた。
「……今更で申し訳ございませんが、ローゼンハルト様が私を守ってくださった事はとても嬉しゅうございました。本当にありがとうございました。心よりお礼を申し上げます」
私はアイリーンに視線を向けて優しく答える。
「いや、私はアイリーンの婚約者なのだから当然だ。むしろ、私がリディアを調べるために偽装していた間、アイリーンには色々と辛い思いをさせていたようで申し訳なかった。ただ、リディアは平民とはいえ、魔法省推薦の光の魔法使いだったから、いきなり魔法学園から追い出す訳にもいかなかったんだ」
私はゲームのシナリオと設定を思い出しながら、アイリーンに全力でウソを吐いた。
「ローゼンハルト様の御心は分かっておりますので、問題ございません。魔法省を怒らせたら、王族と公爵家の全力をもってしても敵いませんものね」
アイリーンは私に同意しながら、口元に手を当てて上品に苦笑いする。私も苦笑いしつつ、アイリーンに感謝の意を伝えた。
「こちらこそ、アイリーンには感謝している。……アイリーンがリディアを侍女にしたのは、彼女の命を救うためだけではなく、彼女の願いを叶えてあげられる可能性を考えてのことなのだろう?」
すると、アイリーンは困ったように微笑んだ。
「……さすがです。やはり、ローゼンハルト様には全てお見通しなのですね……。おっしゃる通り、リディアを私の専属侍女にすれば、王妃様にお会いする機会は何度もございます。侍女という形にはなりますが、私の背後に控える世話役として、王妃様とのお茶会などに同席させようと考えております」
「アイリーンは本当に優しいな」
私がそう言いながらアイリーンに微笑むと、アイリーンは私から一瞬視線を外した。そして、言いにくそうにしつつ、モジモジしながら、再度口を開いた。
「……あの、ローゼンハルト様!」
「ん? どうしたんだい、アイリーン?」
「婚約破棄の件なのですが……、もし本当に婚約を破棄したいのでしたら、そうして頂いて構いませんので……」
私がそれを否定するために口を開こうとすると、遮るようにして、アイリーンが言葉を続けた。
「でっ……でも! できれば、私はローゼンハルト様のお側にいたいと願っております! 私から婚約破棄をすることはございません!」
私はアイリーンの言葉に軽く笑う。そして、ニッコリと微笑んだ。
「ありがとう。私も、自分から婚約破棄をするつもりはないよ。だが、今回の件で分かったんだ……」
私は、ゲームの「王太子ローゼンハルト」に抱いていた感情を、そのままアイリーンに伝えた。「悪役令嬢モード」で、国外追放される時の惨めなローゼンハルトの姿を思い浮かべる。
「私には何もない。なんの取柄もない……」
私はアイリーンから視線を逸らす。そして、言葉を続けた。
「もし私が王族という地位を失ったら、ただの外見の良い男でしかない。王位継承権を失えば、きっと王宮にいる者は誰も付いてきてくれないだろう。王城の外に出たら、私は作物の作り方すら知らない。平民にもバカにされると思う。……もし、アイリーンが『王妃』という地位に執着しているだけなら、私との結婚はやめておいた方がいい。今回の事件を理由にアイリーンから婚約破棄するのであれば、王族相手であっても問題はないし、次の縁談もあるだろう……」
私の言葉にアイリーンは一瞬驚くような表情を浮かべると、クスクスと笑い出した。
「ローゼンハルト様。それを言ったら、私だって公爵令嬢でなければ、ただの外見の良い女です。何もできることはございません。私は今日、私を助けて下さった勇敢なローゼンハルト様に惚れたのです。……仮にローゼンハルト様が王位に就かず、市井に下ることがあったとしても、私は付いていきますよ。共に、平民から作物の作り方を教えてもらおうではありませんか」
「ははっ、それは嬉しいな。とても心強い」
悪役令嬢アイリーンは、私が思っていた通り、とても素敵な女性だった。どうして「悪役令嬢」なのか不思議なぐらいだが、きっと、このアイリーンは悪役令嬢モードの「善良なアイリーン」だからなのだろう。
──転生して、このアイリーンに出会えて本当に良かった。
私が右手を差し出すと、アイリーンはその手を優しく握ってくれた。
「アイリーン。今から二人で王宮の応接室に移動して、卒業記念パーティをやり直さないか? 私はまだ王子だから、臣下に無理を言えば、ご馳走を用意させることはできる」
「ふふっ。あまりワガママが過ぎますと、本当に臣下に嫌われてしまいますわよ?」
私は軽く笑うと、王宮の応接室に向かうため、アイリーンの手を引いて宴会場を出た。
◇ ◇ ◇
「はっ! アイリーン、どこっ!?」
私が顔を上げると、目の前の巨大スクリーンに「フォルトゥーナの祝福」のエンドロールが流れていた。
「……え? 転生じゃなくて、夢だったの?」
座卓の上には、一気飲みした後の空になった缶が転がっていた。
まるで数か月間をゲーム世界で過ごしたような感覚だが、画面を見る限り、自動再生モードが始まってからエンドロールが流れ出すまで、実際には数十分程度の出来事だったようだ。
私は何となく、足元に転がっていた「フォルトゥーナの祝福」のゲームパッケージを手に取った。
「えっ!? うそっ!?」
そのパッケージのデザインを見ると、リディアとアイリーンの位置が入れ替わっていた。どう見ても、リディアが悪役で、アイリーンがヒロインだ。やはり、あの体験は現実だったのだ。
私はコントローラを再び握りしめると、アイリーンが新たな主役となった「通常モード」をスタートさせた。まずはアイリーンとしてゲームを進めて、王太子ローゼンハルトを攻略するシナリオでいいだろう。
そして、断罪イベント直前に意識を失うための缶ビールを、座卓の上に準備した。再びローゼンハルトとして転生するために。
「待ってて、アイリーン! 私、今すぐあなたを迎えに行くから!」
【おわり】
※注意……良い子は、絶対に、お酒の一気飲みをしてはいけません!!!!
本作をお読みいただき、誠にありがとうございました。
今後の創作活動の励みになりますので、もしよろしければ、作品の下部に表示されている☆で評価をして頂けますと、とても嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。