03
猫の家は学校からとても近い。だから、三人で遊ぶときは、いつも猫の家に集まる。私や兎の家で遊んだことはない。 猫の家には、人生の全ての時間を捧げても、消費しきれない大量のおもちゃに溢れている。例えばゲームなら、あるゲームより、ないゲームを探す方が早い。最新機種から古い機種、携帯ゲームから、据え置き型のゲーム、パーティーゲームから、一人用のゲーム、将棋やチェスなどのボードゲームに、けん玉にお手玉など、なんでもある。それにホームシアターセットもあるし、VHSから動画サイトまで、全て大音量大画面で観れる。お経がだけが延々と流れる意味不明な機械や、名前があるのかすら怪しい楽器もある。これら全ては、猫の両親の趣味らしい。にも関わらず、両親は仕事が忙しく、ほとんどそれらに手をつけないらしい。開封されていないものがかなりの量ある。休日に一気に消化するのかといえばそうでもなく、映画館に行き最新の映画を観るらしい。じゃぁ、コレクターなのかといえばそうでもない。コレクターではあるかもしれないが、新品のまま保存するタイプのコレクターではない。だから、私たち三人で映画やゲームを貪ることを両親は喜んでいるらしい。なんなら、私や兎に貸し出してくれる。
不思議な両親だと思った。あと、相当稼ぎがいいと思った。
どうして両親はやりもしないモノを買うの?、と私は猫に訊いたことがある。私の求める回答は帰ってこなかった。(猫は笑っていたが、よくよく考えると無礼だったかもしれない)ただ、まぁ、猫のことを知るにつれて不思議さは薄れた。
猫はツンデレさんだ。猫は毎年誕生日プレゼントを、私にも兎にもくれる。バレンタインデーにはチョコをくれる。嬉々とした顔で渡すのではなく、目を逸らしながら、「そういえばきょう、タンジョウビ、だったよね」なんて言いながら、紙袋に入ったプレゼントを渡す。最初はこういうイベントごとが好きな人なんだと思った。好きというよりは、結婚式のご祝儀を嫌な顔せず、二人の幸せを願いながら渡せる人というべきか。要するに、良い人なんだと思った。猫が良い人であることに間違いは無いが、少し違う。あいつはなんというか、カワイイ奴なのだ。トニカクデレを隠せないツンデレなのだ。本人はツンをしたいのだが、どう頑張ってもデレてしまう。そんな感じで、そんな奴で、そんなところがカワイイ。
私と兎で一緒に猫の誕生日を選び、買い、渡したことがある。二人とも別々で用意するというのが普通だが、猫はけっこういいものをくれるので、それに負けないために二人の金で現金玉をつくり、かなりいいものをあげようという話になった。(本当にどうでもいいが、兎は現金玉のくだりの意味を解さなかった。説明するのが恥ずかしかった)
ある水曜の昼休みのことである。
「はい、これ誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「えっ、あっ、ありがとお」
「照れるねぇ、そんなに顔を紅くして喜んでくれるとは、二人で一生懸命選んだ甲斐があったよ」
「うんうん」
「ベっ、べつつに、照れてるから顔が赤いんじゃないから。体育の後だし、あと風邪気味なだけだし。まぁ、でも、その、ありがとう。感謝はしてるから、本当にありがとぉ」
どこかの頭が良すぎる人が、言語は表現の幅が狭くて不便だ、と言ったらしい。この言葉を初めて聞いた時、何格好つけたこと言っているんだカスてめぇの語彙力がないからだろボケ、と私は思った。この日、初めて顔も名前も知らない人に誤りたいと思った。
なんというか、猫のカワイさはバグっている。
「でも、あれよ。ただのプレゼントじゃないからね?借金を返しているみたいなもんだから」などと、わけのわからない言葉を口走ってしまうくらいにはカワイイ。
「まぁ、当然だね。借金は返さないとね。あなたたちに誕生日プレゼントをあげたのは実は投資だし」
「口がニマニマしてるよ。嬉しさを隠させないよ」
「猫ちゃん、カワイイ」と言いながら兎は猫の頭をよしよしした。
「うっさい!!死ね!!」
一部の女子から実は男なのではないか、という噂に見せかけた理想が立つほどのクールさは完全に失われた。普段こんな素直に、というかあからさまに、感情を表に出さないので、とても新鮮だった。化けの皮がはがれた、という感じだ。なんというか、こっちが本物で今まで猫を被っていたのではないだろうか。
この時、兎はあまりの猫のカワイさに、耳まで真っ赤にしていた。
私は顔が熱かった。
本当に、カワイイ。机に突っ伏して顔を隠しているのに、プレゼントから手が離れていないところが特にカワイイ。置けばいいじゃん。
なんやかんやと、猫をからかっていると、昼休みが終わろうとした。
水曜の五時間目は美術と音楽で別れるのだ。私と兎は美術で、猫は音楽である。今日ほど、美術を選んで後悔したことはない。
猫と別れ、美術室に行く途中で兎が、「猫ちゃんあんなにカワイかったんだねぇ。あんな感じになるんだぁ。食べちゃいたいくらい可愛かった。私、猫アレルギーだけど」と言っていた。
ちょっと何言ってるかわからなかったが、ツッコミの言葉は出なかった。
「あのカワイさは私たちで独占しないとね。彼女を兵器として利用したら、何が起こるかわからないから」と私は言った。余計意味がわからない。
この日、私と兎によって、猫の皮が剥がれる、という言葉が生まれた。
というわけだ。
猫の両親は猫のことがカカワイイのだ。私と兎とは違う意味で。それでも、どうしても自分たちは家を長く空け、猫を独りにさせてしまう。その罪滅ぼしというか、埋め合わせとして、自分たちの趣味という嘘をついてまで大量の娯楽品を買うのだろう。勿論、猫の両親は本当に好きだから買っているいるのだろうけれど、それ以上に娘のためを想って買っていいる、と私は思う。私は猫の両親に会ったことがないし、これにはかなり憶測が入っているけれど、十分ありうる。猫の両親なんだし。きっと、私や兎にプレゼントを渡す時のような顔で、あるいは猫が私や兎にプレゼントを渡すように、猫のために買っているのだろう。しかも、友達と楽しそうにそれで遊んでいるのだから、私と兎以上に嬉しいだろう。たとえ、自分達で使わなくても、無駄になってはいないのだから。
ただ、たまに、すごくモヤっとした気持ちが生まれる。
魚の骨が喉に刺さっているような、そんな違和感がある。
この気持ちが、誰に対しての気持ちなのかはわからない。
猫なのか、兎なのか、猫の両親なのか、それとも私自身へなのか。
一つだけわかったことがあって、この違和感のトリガーが、これまでの一連の中にある、ような気がする。
忘れてはいけないことを忘れているような、覚えていて当然のようなことを忘れているような、そんな感覚がある。
何より不思議なのは、それを絶対に思い出せない確信があることだ。