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短編集

毛玉

作者: 佐藤朝槻

 

 セーターを着る季節になった。

 特に首から入る空気が冷たくなり始めるこの季節に、首まで覆ってくれるセーターは救世主と言っても過言じゃない。


 だが、好きじゃないところもある。毛玉取りの季節がやってくるからだ。

 毛玉取り。そう、私はセーターについた毛玉をとる作業がたまらなく嫌いなのである。


 手でむしりとるには量が多いし、セーターの袖部分ばかりが不恰好になってしまう。毛玉をむしって伸びた細い毛をみるたび苛立ちを覚えるはめになる。

 ハサミで切っていく行程は見た目の不快感こそなくなるが、作業が心底面白くない。退屈でやがて飽きてしまう。


 いつの間にかできているその物体を取り除かなければならないことが苦痛で仕方ない。

 ああ、猫が羨ましい。本能的に毛繕いをすることが備わっている。

 この季節になるといつも猫として生まれていれば、と人間である己を恨まざるをえない。


 猫を飼ったことすらない私がここまで思うのだから、飼い主はおそらく猫を見るたびに業火のなかで炙られている気分になっているに違いない。


 しかし、この妄想を一度は疑ってみたほうがいいのではないか。

 そんな風に考えて少し調べたことがある。だがしかし、私の猫に対する執着はより深まってしまった。


 毛繕い、すなわちグルーミングは猫以外の動物も行っていることがわかった。

 例えば猿なんかは仲間同士で毛繕いをするそうだが、あれはダメだ。ノミを取るだけでなく不安が和らぐ説があるらしいが、そんなものは欲しくない。


 猫はすばらしい。自分のために毛繕いをする動物だ。体を舐めることで食後の口まわりをきれいにしたり、己のストレスを和らげたり、優秀である。


 さらに興味深いのが、猫も毛繕いをしなくなることがあるということだ。

 老化や元気のないときは毛繕いしなくなるらしく、病気のサインであることが多いようだ。そこは人と似ているなと思う。


 それでも本能で毛繕いをする彼らと、意識的に毛玉を取らなければならない私とでは、天と地ほどの差がある。

 猫のように私も私のために、私の手で、毛玉をむしり取る日がくるのだろうか。



 ――私を呼ぶ声がした。妻である。

 以前妻が私にプレゼントしてくれたセーターと共に毛玉取り器が手渡された。


 このセーターは私のお気に入りだ。鹿や雪の模様が入ったセーターで、これからの季節によく合う。サイズ感もほどよく、着ると体にフィットして体温を逃がさない。

 そんなお気に入りのセーターの袖に、やはり今年も毛玉ができていた。


 さっそく毛玉をとろうとセーターに毛玉取り器をあて、なぞるように動かしていく。

 刃がもうダメになっている。買い換えだな。


 セーターを手に取ってまじまじと毛玉を眺めたあと、舌をだした。舌を近づけると、しかし舌先がかすかに震えた。

 私は踏みとどまり、セーターを畳む。


 猫じゃない私が毛玉を飲み込んだところで待っているのは死だけ。いつになったらこの耐え難い屈辱を手放せるというのか。

 また、猫への執着がひとつ増えてしまった。猫をみてしまったら気がおかしくなって痛めつけてしまいそうなほどである。


 窓の外をみると猫の影ひとつどころか人の気配すらない。私は胸を撫で下ろした。


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