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爪選集

作者: 青埜 漠

『バス』


バスを降りて思う

ああそうか

もう君はいないのか


冬の日はうす雲ににじみ

町はいよいよ色あせている

歩道にはちぎれた細い枝が

ばらばらの方向を指している

いつもより高さを増した塀が

向こうまで続いている


風が止めば

はためくものとてなく

誰もいない公園の

遊具は錆びつき

小さなスコップが

半分砂に埋もれている


信号が痙攣する交差点の

ざらつくアスファルトを横切り

私は君のいない家へ帰っていく

冬ざれの町のなかを

私は

君がいなくなった家へ帰っていく



『白い』


春なのに

雪が降って

雪が降ってきて

何もかも白い

何を見ても白い

何を聞いても

何を食べても

何をしても

息さえも

白い

白くて堪らない


俄かに雪が降って

激しい雪が降ってきて

もう

形を保てない

もったりと

だらしなく

もろもろと

頼りなく

すぼめた肩の奥から

怯えた目が探している

どこか温い

穏やかな

確かなものはないか


けれども

春に降った雪は

次の雪を呼び

また新たな雪になり

永遠に降り続くにちがいなく


私は

ひりひりと痛む

外側を抱き

内側に

途切れることなく

氷の水を滴らせ

おろおろと這い回る


どこまでも

どうしようもなく

白い

世界の底を



『あした』


あした あなたに

てがみがとどく

きっと とどく


くうきとおなじ

そざいのかみに

にじのインクで かかれてる

それは かみさまのサイン

あなたが

かみさまのものだという

しょうめい


だから

だれも

あなたをうばったり

こわしたりしてはいけない

かみさまのもちものは

ぜんぶ たいせつなのだから


ほんとうは

みんなもって うまれてくる

けれども

それをうたがって

あるいは

いつしか みうしなって

いきることが

こわくてしかたなくなったとき

かみさまは ふたたびペンをとり

まあたらしいインクで

サインする


あなたにあてて

てがみをおくる


かぜのはねに のせたから

あした

きっと てがみがとどく

だから

こんやは ゆめもみず

すべてわすれて

ねむりなさい



『林檎』


絵を描いた

一個の林檎の

絵を描いた


私は

君を君にするために

君が君であるための

リンカクを

描かなければならない


私は

うつくしい色で

なぞったのだ

つややかな

凛と細い

その曲線を

ていねいに

なぞったのだ


君は少しずつ現れて

ゆっくりと豊かに

瑞々しく

香り立つ

君はもうすぐ

一個の林檎になる

まだ何者でもなかった

温いまどろみのような

ところには

もう戻れない


私は絵を描く


一個の林檎の絵を描く


君を世界から隔て

世界から分かつ

決して交わらない

決して混ざらない

決して溶け合わない

孤独のリンカクを

描いていく



『空』


どうしようもない耳に

星々のおと


汚れた頬にも

風が薫り


うつむく肩に

とまる春の陽


いびつな眼差しを

包む真綿の雲


かたくなな日々に

降りそそぐは細雨


それが誰でも

それがどうでも

隔てることなく

厭うこともなく

あまねく 等しく


ああ 空は


大きな空は


ここにいていいと言う

生きていていいと言う



『つめ』


くすりゆびの 

つめにふれた

これは しるし

これは ことば

あえてよかった

ほそい ほそい

わたしたちの

いとのみちが

きょう

こんなところで

こうさしたなんて


そっと 

くすりゆびの

つめにふれる

これは なまえ

これは むすびめ

ふたたび

ただよいゆく

とおい とおい

みちのうえに おちた

ほしの あかり


いつか ひとり

とざされて

うずもれて

なにも みえなくなって

たちどまったとき

わたしは きっと

こしをかがめ 

これを ひろう

それは ちいさないのり 

なにげない

かすかな やくそく



『トラピスト-1』


きづけば

ふたしかなこどくに

あしがひたっている


わたしたちのうちがわから

しみだしたそれは

ひりひりと

やけつくあとをひいて

わたしたちのそとがわを

つたっていき

いつしかこんなに

たまったのだ


このままでは

おぼれてしまう

きっと

わたしたちには

どうしようもない

あながあいているのだ


こどくをふさぐ

なにかがひつようだ

そうだ

なにかが


わたしたちは

にわをさがした

つちをほった

ふねをつくり

とおいくにへわたった

やまにのぼった

うみにもぐった

くさばなをうえた

さかなをつった

とりをとらえた

けものをかった

みえないものさえ

しらべようとした

けれども

まったく

みつからなかった


ふたしかなこどくは

かえって

ながれるりょうをまし

わたしたちはもう

ひきかえせない


ああ


そらのむこうには

あるのだろうか

はてしないうちゅうなら

すべてがそこにあるのなら


わたしたちをりかいし

どこまでもよりそい

このいびつな

こころのかたまりを

ゆるくあまく

とかしだすもの


このかたむいた

そんざいのとびらを

おおきくとわに

あけはなつもの


トラピストー1

このほしに

わたしたちは

それをみつけることが

できるだろうか



『透明な夢』


静かに

雨が降っている

霧のような

正体のない雨が

降っている


私はひとり

震えている

先と 本と


そして ゆっくり

濡れていく

外も 内も


ああ このまま

私を縛る

つながりという

つながりが絶ち切れて


心に絡みつく

しがらみという

しがらみが溶け出して


形作っている

境という

境が混じりあって


もう

誰だかわからなくなって


全部

どうでもよくなって


ただ

漂って


広がって

どこまでも

透明な


この透明な夢の中を


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