第1章 新入社員
第1章 新入社員
父がオーディオ装置を買い替えたとき、古い装置は僕の部屋に置くことになった。音楽好きの父が使っていたものだから、その装置の性能はかなりのものだったに違いない。いずれにしても、そのことがきっかけになって、僕は音楽に親しむようになった。僕は小学校の6年生だった。
最初のうちはラジオを聴くだけであったが、それもしだいにFM放送のクラシック音楽を聴くことが多くなった。中学生になったころには、父が集めたLPレコードのいくつかが僕の愛聴盤になっていた。
音楽を聴く楽しみが深まるにつれ、僕はオーディオ装置そのものに対して強い関心を抱くようになった。オーディオマニアの従兄に相談しながら、アンプやテープデッキの内部を観察したり、従兄がゆずってくれた真空管アンプを使ってスピーカーを鳴らしてみたりした。そのうちに、それだけではあきたりなくなって、従兄と同じようにアンプなどを自分で作りたくなった。そのためには電子回路に関する知識を身につける必要があった。
中学1年生の2学期がおわるころ、従兄が選んでくれた参考書を頼りにして、電気についての勉強を始めた。電気に関する入門書だと聞かされていたけれども、僕には随分むつかしかった。苦労しながらの勉強であったが、つらいとは少しも思わず、むしろそれを楽しんでいた。そのような僕の姿が、父と母はむろん兄をも驚かせ、それにもまして喜ばせることになった。その頃の僕は勉強ができず、家族に不安を与えていたからだ。
僕は興味のあることには熱中できたけれども、そうではない対象に対しては、集中力の維持がむつかしかった。おそらくそのために、まともな成績は一部の科目だけだった。まだ小学生の頃、僕はすでに自覚していた、自分は能力的に劣っているらしい、と。そのような僕が電子回路を学ぼうという気持になれたのは、まともな成績の科目が少しはあったからだろう。幸いにもと言うべきか、僕は小学生の頃から電気に対して強い興味を抱いていた。テレビは番組を楽しむためのものであるだけでなく、それ自体が好奇心の対象でもあった。遠くのできごとが眼前に映しだされるのはどうしてだろう。テレビを発明したひとは、どのようにしてそれを発明したのだろうか。そのような僕の好奇心は、理系の多くの事物や事象に対して向けられたのだが、なかでも電気は特別な対象だった。オーディオ装置を作りたかったのは、自作の装置で音楽を聴いてみたかったからだが、電気で動作するオーディオ装置に対する関心が、強く背中を押してくれたからでもあった。
電気の勉強を始めてから数か月を経た頃、電気に関する僕の知識は中学生のレベルを越えていた。僕はいつのまにか、能力的に劣っているとの思いこみから抜けだし、むしろ自分の能力に自信を抱くようになった。中学2年生の1学期には学習塾に通うことをやめたが、僕の成績は急速に向上していった。成績が良くなるにつれて、高校への進学に対する意欲が高まった。それだけでなく、将来の大学進学をも意識しはじめた。3年生になってからは、電子回路の勉強を中断して、受験勉強に全力をそそいだ。そのような努力をした結果、中学校を卒業するころには、成績優秀者のひとりになっていた。
高校生になると、参考書を読むだけではあきたりなくなって、こづかいを貯めては電子工作に励むようになった。オーディオをきっかけにして入った道だが、高校時代に作ったのは、トランシーバなどの実用品だった。
電子回路の独学が、数学などの成績をおし上げてくれたけれども、不得手な教科がいくつかあったので、大学の受験では1年ほど浪人生活をした。
大学に入って2年が過ぎたころには、将来の就職希望先がすでに決まっていた。音響機器や映像機器を製造する会社で、父が愛用していたスピーカーのメーカーでもあった。僕はどうしてもその会社に入りたかった。筆記試験につづいて行なわれた面接試験では、それまでに蓄えていた知識を披瀝しながら、スピーカーの開発に対する意欲をけんめいにうったえた。そのような働きかけが功を奏したのだろうか、望みがかなって採用されることになった。
そして、僕は大学の電子工学科を卒業し、かねてから希望していた会社に入社した。ぶじにそこに就職することができたので、その会社でスピーカーを開発したいという夢をなかば実現できたような気がした。
通勤を始めてから苦労したのは朝寝坊のくせだった。目覚まし時計を手の届かないところに置いて、ベルをとめた後でふたたび眠ることがないようにするなど、自分なりに努力をしていたのだが、母が用意してくれた朝食をとらずに家を出ることもめずらしくはなかった。
毎朝7時に家を出てバス停に向かった。三鷹市の南はずれで深大寺にも近いその辺りには、いなか町に似た風情があって樹木が多い。通勤を始めてからしばらく経つと、道すじの眺めはあわただしく変わった。家々の庭の落葉樹が葉をひろげ、生け垣の花が道をかざった。幼い頃から通いなれた道だが、朝の光のなかで見るその光景は新鮮だった。それはおそらく、そのような時刻に外出したことがなかったからだろう。
三鷹駅で下りの電車に乗ったあと、さらにバスを乗りついで工場についた。そこまで付きそってきた寝不足感をふりはらい、気持ちを引き締めて僕は工場の門を入った。
坂田とはじめて言葉を交わしたのは、入社して三日目のことだった。新入社員研修が始まり、学生気分の残滓を払い落とされた日だ。
ひとつのプログラムが終わった休憩時間に、隣の席で資料を見ている仲間に話しかけてみた。それまで互いに口をきかなかったが、気さくな口調で応えてくれた。胸につけた名札に坂田とあった。
その会社を選んだ理由や、仕事に対する夢を語り合っているうちに、僕と坂田は意気投合し、研修はいつも並んで受けるようになった。
坂田も東京の生まれで、大学は違うけれども、僕と同じように電子工学科を出ていた。家族と暮らしていた墨田区からでは、通勤に時間がかかり過ぎるということで、坂田は工場に近い独身寮に入っていた。
初めての給料が振り込まれた日に、僕は坂田と飲みにでかけた。渡された給料袋には明細書しか入っていなかったけれども、記念すべきその日を坂田と祝いたかった。
飲み歩いた経験を持たなかった僕と坂田は、立川の街をうろついたあげくに、学生がコンパの後で入りそうな雰囲気の店に入った。
僕たちはビールを飲みながら話し合った。日本が工業国として発展し続けようとするのであれば、企業間の競争がいかに激しかろうと、製造業で働く者を経済的にもっと優遇すべきではないか。
「ほんとはな、おれも少しは興味があったんだ、もっと給料がいいところに」と坂田が言った。「銀行なんかに入ったのも結構いるんだよ、おれの同期の奴にも。データや情報の処理をやるんだろうけどな」
「コンピュータをやるしかないだろな、おれたちが銀行に入ったとしたら。お前には向いてないような気がするけど」
「だからやめたよ、そういうところは。せっかくいろんなことを勉強したのにさ、好きでもないコンピュータの仕事に限定されたくないからな」
「4年もかけて仕入れた知識だからな」と僕は言った。
そうは言ったけれども、僕はそれほどまじめな学生ではなかった。朝寝坊の僕は1時限目の講義をほとんどさぼっていた。
「お前もおれも技術者になるわけだが」僕にビールを注ぎながら坂田が言った。「どんな奴だろうな、技術者になりたがるのは」
僕は坂田と議論した。理科系と称される人は、どうしてそのような道を選ぶのか。
人には好奇心があるから、理系の学問は誰にとっても興味深いはず。だが、理系の学問を学ぶには、系統的に知識を積み重ねてゆく必要があるため、欠かすことのできない知識のどこかに不足した部分があると、その先へは進めなくなることがある。そのようなとき、欠けている知識を補充した上で、さらに前に進もうと努めるような人が、理系人間と呼ばれるのではないか。その人たちがそれを理解したいという気持ちに駆りたてられるのは、理系の学問に適した才能に恵まれているからというより、理系の事象や学問に対する興味に強く背中を押されるからだろう。
僕は自分自身の体験を語った。中学1年生まではまったくの成績劣等生だったこと。オーディオに対する興味におされて始めた電気の勉強が、僕に自信をもたらす結果になったこと。
僕の話を聞いて坂田は言った。「今の日本では、小学校や中学校で落ちこぼされたら、そこから這い上がるのに苦労するわけだが、落ちこぼされている子供の中には、お前みたいなのがたくさんいるのかも知れないぞ。先生の話をろくに聞かずに、自分が興味を持っていることだけを考え続けているような子供が。そんな子供はほんとうは普通以上に集中力があっても、勉強する気も能力もないと決めつけられるんじゃないのかな、いまのような偏差値教育の中では」
「長岡半太郎や本多光太郎も、小学校時代には勉強ができなかったそうだから、今の日本に生まれていたら、世界的な学者にはなれなかっただろうな」
「今の日本では、小学校でつまずいた子供は催眠にかかってしまって、自分には能力がないと思い込むようになると思うな。そうなると、たとえ努力をしたところで、催眠にかかっているために勉強は身につかないわけだ。お前の場合には運が良かったんだよ。オーディオ装置に興味を持ったおかげで、うまい具合に催眠から醒めることができたんだからな。電子回路を勉強したきっかけが音楽というのは、お前だけかも知れないけどな」
「詳しいんだな、教育のことに」と僕は言った。
「本を1冊読んだだけだよ。偏差値教育と詰込み教育の問題をとりあげた本を」
その言葉を聞いて、坂田はずいぶんレベルの高い読書家だと思った。僕が読むのはおもに科学雑誌や週刊誌で、教養のための書物はほとんど読まなかった。
坂田はさらに続けた。「こんなことも書いてあったな。小学校の低学年では理科好きな子供が多いのに、高学年になると理科嫌いが多くなるというんだ。好奇心を満たすことより、知識を詰め込むことが重視されたり、友達と成績を競わされたりするんだからな、そんな理科がおもしろいはずがないよ」
「おもしろそうな本だな。貸してくれないか。おれも読んでみたいよ」と僕は言った。
坂田としばらく話しているうちに、彼もまた小学生の頃から理科好きだったことがわかった。そのような坂田と僕は、技術者をめざして同じ会社に入社したのだった。
「どこに配属されるにしてもだよ、新聞社や銀行の仕事よりはおれに向いているはずだからな」と坂田が言った。
4月の末には辞令が出され、配属される職場が決まるはずだった。
「あのな」口調を変えて坂田が言った。「おれの妹は銀行なんだ」
「へー、そうか。もしかしたら、お前よりも妹の給料がいいんじゃないのか」
「そうだとしゃくだからな、給料の話はやめとくよ、妹とは」坂田は笑いながら応じ、そして続けた。「今度いっしょに就職したんだ、妹も。おれより三つ年下だ。妹は短大でおれが1年ほど浪人したからな。かわいい奴だぞ。会ってみたいと思わんか」
坂田の言葉と笑顔にうながされ、僕は「ありがとう、なんだか自分に自信を持てそうな気がするよ、お前からそんな言いかたをされると」と応じた。
儀礼的なその言葉を口にしたとき、心の隅を佳子の影がかすめた。
「だったら紹介するよ、そのうちにな」と坂田が言った。
坂田の言葉に僕は黙ってうなずいた。佳子のことを話すべきだと思いながらも、雰囲気を壊しそうな気がして口にしなかった。
妹のことに僕がそれほど興味を示さないと見たのか、坂田はすぐに話題を変えた。 とりとめのない会話に興じていると、いつの間にか話題は政治のことになっていた。政治にはそれほど関心がなかったので、僕のほうから話すことは少なかったが、坂田は社会問題や政治について熱心に語った。
日本の政治の現状をなげく坂田と話していて、僕は1週間前に会った高校時代からの友人を思いだした。新聞社に入社したばかりの友人は、ジャーナリストとしての夢を熱心に語った。友人と話し合って以来、ジャーナリストというものにたいして、僕は正義漢のイメージを抱いていた。僕が友人のことを話すと坂田は言った。
「正義感を持たないジャーナリストなんて存在価値が無いだろう。それにさ、なによりもだよ、ジャーナリストには見識や良識といったものが必要だと思わんか。ひとりよがりでわがままな正義をふりかざされたら、迷惑をこうむるどころじゃないからな」
「さっき話したような政治家は、要するに存在価値がないわけだ」
「政治家になってほしくないのは利己的な奴だ。政治は政治家のためのものじゃないからな。使命感や正義感、勇気に倫理感……もちろん実行力も必要だ。とにかく、いろいろあるけどさ、政治家にはどれも必要なんだよ。そう思わんか」
坂田の話に触発されるままに僕は考え、そしてしゃべった。酔いにまかせてしゃべっていると、いつになく自分が知的になっているような気がした。
坂田はずいぶん酔っていたはずだが、話の内容や議論の展開には少しも乱れたところがなかった。政治や社会について語っている坂田は、しらふの時よりもむしろ理知的に見えた。僕は坂田に敬意を表わしたくなった。
「いろんなことを知ってるし、随分考えてもいるんだな。お前をみならって少しはおれも考えることにするよ、政治とか社会のことを」
「お前だってよく考えてるじゃないか。よかったよ、久しぶりにこんな議論ができて。おれが知っているのは、新聞で読んだ程度のことだけど、たまにはこんな話をするのもいい
もんだよな」
いつかまた、このような機会を持ちたいものだと僕は思った。
まわりには僕たちと同じように、大声で議論をしているグループがあった。僕たちはときおり何かを注文し、たまにビールを追加しながら、長い時間をそこで過ごした。
店を出たときにはふたりとも深く酔っていた。ふらつく坂田をささえるようにして立川駅へ向かった。
坂田は高尾行きの電車に乗るまぎわまで僕に語り続けた。坂田の別れのあいさつはプラットホームに響きわたったが、それがまわりの人に与えた不快感はそれほど強くはなかっただろう。声は乱れていても言葉はじつに爽やかだった。僕もずいぶん酔っており、悲鳴をあげそうな胃を抱えていたが、それでも気分は爽快だった。
土曜日の午後おそく、1週間ぶりに佳子と会った。
佳子は両親や妹といっしょに埼玉県に住んでおり、英語の教師として県内の中学校に勤務していた。佳子と会うために、僕は毎週のように埼玉まで出かけた。電車とバスを乗り継いで行くこともできたが、多くの場合、借りた父の車を運転して行った。車の運転を楽しむことができたし、その方が僕にとっては便利でもあったが、その土曜日は武蔵野線の電車を利用した。
従妹の幸子が佳子を紹介してくれたのは、まだ大学が冬休中だった前年の正月だった。佳子は幸子の同級生であり、僕と同じく大学の3年生だった。他には女の友達がなかったし、佳子とは気が合ったので、それ以来、僕は佳子と親しくつきあった。
その3月に佳子が大学を卒業し、故郷の埼玉で教師になってからは、土曜日の午後か休日にしか会えなくなった。
その日も、いつものように佳子と早めの夕食をとった。アルバイトの収入が頼りだった学生時代とちがい、サイフの中身を気にすることはなかった。
「もしも私がお見合いをすると言ったらどうする、滋郎さん」いたずらっぽい笑顔を見せて佳子が言った。
とうとつにおかしな冗談を聞かされたような気がした。
僕は佳子の笑顔を見つめながら言った。「なんだよ、いきなり。佳子がどうして見合をするんだよ」
「もっとびっくりすると思ったのに・・・・。でも、ほんとよ。どうする、滋郎さん」
佳子は両ひじをつき、組んだ手にあごを乗せたまま、挑発するような言い方をした。佳子の笑顔が僕のとまどいを楽しんでいた。
「じらさないで言えよ。何があったんだ」
佳子は1週間前の日曜日に起こったできごとを話した。約束していた訪問先でひとりの男を紹介されたこと。それが意図して仕組まれたものだったと知って驚いたこと。自分たちにとっては事件といえるそのできごとを、僕たちはデートの話題にして楽しんだ。
静かに流れていた音楽がトロイメライに変わった。僕たちはチェロで演奏されるトロイメライに送られながらレストランを出て、店の駐車場で佳子の車に乗った。
その日は佳子の車でホテルに入った。大学を卒業した直後にはじめて入って以来すでに幾度か経験していたものの、かんたんな手続きをするにも多少の緊張をおぼえた。佳子はすでに慣れたのか、僕よりも落ちついているように見えた。
とくに約束したわけではなかったが、僕たちは結婚を前提にしたつき合いをしていた。とはいえ、大学を卒業したばかりであって、しかも日常の慣れの中に浸っていたので、僕は結婚を近い将来のこととは考えていなかった。
佳子とは武蔵野線の沿線で待ち合わせることが多く、駅まで僕が車ででかけ、そこで佳子とおち合うのがいつものやり方だった。僕が電車を利用したその日は、佳子が駅まで送ってくれた。
電車に揺すられながら、レストランで佳子と話したことを思いかえした。佳子は見合いのことを話したとき、自分たちの結婚のことを話題にしたかったのだろうか。佳子に結婚を急ぎたい気持ちがあれば黙っているはずはないから、見合いの話はたんなる話題にすぎなかったのかもしれない。それはともかく、と僕は思った、もしも佳子が望むなら、早めに結婚するのも悪くはない。
新入社員研修が終わろうとするころ、職場配属の辞令を渡された。僕の配属先は希望がかなってスピーカー部だったが、ビデオ機器の開発を希望していた坂田は、アンプを製造する部門に配属された。
新入社員研修が終わるとすぐに、僕たちはそれぞれの職場に別れていった。僕はスピーカー部の第1開発課に配属され、5年ほど先輩の小宮さんについて、スピーカーの振動板を開発することになった。CVDという技術を使うその仕事に、小宮さんは1年前から取り組んでいるとのことだった。
最初の1週間は、あたえられた資料を読みつづける毎日だった。小宮さんが渡してくれた資料は、仕事に必要な知識を修得するための参考書や、文献をコピーしたものだった。スピーカーについては豊富な知識を持っているつもりだったが、それらの資料を理解するためには努力を必要とした。僕ははりきって、そして夢中でそれに取り組んだ。
職場の資料棚には多くの文献や資料があった。僕はそれらを自宅に持ち帰り、夜おそくまで読んだ。もともと朝寝坊の僕がそのようなことをしたので、母にたたき起こされてもバスに乗り遅れることになった。数日の間に2度目の遅刻をしたとき、上司の野田課長からきつい言葉で叱責された。小宮さんが忠告してくれた、自宅でいくら努力をしても、そのために遅刻をすれば、サラリーマンとしてはマイナスにしか評価されないのだ、と。
そのような努力をつづけて、僕は多くの知識を身につけた。配属されてからひと月もたたないうちに、小宮さんの相棒として実験にとりくむようになっていた。
先輩たちが提出したレポートの中に、とくに僕を惹きつけるものがあった。報告者は吉野となっていたが、その先輩はすでに他の職場に移っていた。
「面白いですね、このレポート」僕は小宮さんにレポートを見せながら言った。
「たいしたもんだな松井、吉野さんのそれがわかるのか。レポートというより提案だけどな、それは」
「ちょっと変わった形になりますよね、このアイデアで作ると」
「そうかも知れんけどさ、ほんとに音が良ければ売れるだろ、きっと」
「どんなふうに鳴るのか聴いてみたいですね、このスピーカー」
「いいアイデアだけど、どういうわけか試作もしなかったんだ」と小宮さんは言った。
吉野という先輩の提出したレポートが、資料棚にはいくつもあった。いずれも考えかたが明快で説得力のあるものだった。会ったことのない吉野という先輩に僕は敬意を抱いた。小宮さんに聞いてわかったことは、吉野さんは第2開発課の係長だったが、前年の春に回路設計の部門に移っているということだった。
小宮さんといっしょに振動板の材料を試作しては、高音領域用のスピーカーに適したものかどうかを調べ、その結果をもとにしてさらに実験をくりかえした。毎週月曜日の午前中に開かれる会議で、小宮さんが実験の進みぐあいを報告した。
第1開発課には四つのグループがあり、それぞれのテーマにとりくんでいた。月曜日の定例会議で、各グループのリーダーが仕事の進捗状況を報告すると、野田課長がそれから先の進め方について指示を与えた。課長になって4ヶ月とのことだったが、野田課長は会議の席で部下をきびしく指導した。そのような野田課長の姿が、その頃の僕には頼もしく見えた。
僕が実験に加わってからひと月が過ぎても、試作は少しも進まなかった。製品化されているスピーカーは先輩たちの努力の結晶であり、それを越えるものを容易に作れるわけがなかったのだが、少しも進展しない試作に僕はあせりをおぼえはじめた。その職場で6年目になる小宮さんは、そんな僕をはげましながら試作を進めようとした。
複合材料の利用を思いついたのは、図書室で学術雑誌を見ているときだった。性質の異なる素材を組み合わせることにより、優れた特徴を引き出そうとするその考え方は、スピーカーの材料にも応用できそうに思われた。僕はすばらしいヒントを与えられたような気がした。僕は昼休になると図書室へ行き、参考になりそうな資料をしらべた。
そのアイデアが浮かんだのは、会社から帰る途中の電車の中だった。家に着くなり自分の部屋にこもって、そのアイデアを具体的な形にするための検討を始めた。
それからの数日、夜おそくまで知恵をしぼってアイデアをまとめた。単なるアイデアのままに終わらせたくはなかったので、それを開発案として提案することにした。
そこまでのすべてを自宅で進めていたし、小宮さんにはそのことを話してもいなかったので、いきなり提案書を見せて小宮さんを驚かすことになった。その提案書を検討するには時間がかかりそうだからと、小宮さんはそれを自宅に持ち帰ることにした。
翌日になって小宮さんが返してくれた提案書には、数ヶ所にエンピツで意見が記入してあった。最後のページには、〈良く考えられたアイデアであり、検討してみる価値はあるが、振動板の重さが気になるところだ〉というコメントが記入してあった。
僕はそのアイデアに自信があったので、すぐにも課長に提案したかった。小宮さんは野田課長の反応を気にしていたが、提案することには反対しなかった。僕は勇んで野田課長の席へ向かった。
僕の説明を聞きながら提案書を見ていた野田課長は、僕が途中まで話したところで口をひらいた。
「君はまだわかっていないようだな、会社で仕事をするということの意味が」
なぜ咎められるのか分からないまま、僕は野田課長を見つめた。野田課長の威圧的な眼に、会議の席で部下を責めるときと同じような冷たさを感じた。
「いいか、松井くん」と野田課長は続けた。
野田課長は教えさとすような口調で話した。小宮さんと僕が取り組んでいる仕事は、充分に検討された開発案にもとづいたものである。新入社員が思いついたアイデアを検討している暇はない。社員は与えられた仕事に全力をつくすべきであり、それ以外のことにエネルギーを費やすならば、場合によっては職務怠慢になる。
野田課長の言葉を聞いて僕は混乱し、そして強い怒りをおぼえた。僕は落胆と憤りを胸にしながら自分の席にもどった。小宮さんは僕を見るなり立ちあがり、実験室で話し合おうと僕をうながした。
実験室に入るなり、僕は野田課長に対する怒りをぶちまけた。提案書をまとめるために仕事をさぼったことはない。与えられた仕事に全力をつくしたうえで、さらに努力して提案書を作りあげたのだ。野田課長はそのような僕の熱意を認めようとしないばかりか、課長の方針に忠実ではない部下だときめつけた。野田課長には僕の提案書を検討してみようという気持ちがなさそうだ。そのような提案書を提出したこと自体が、野田課長には不快なことらしい。それどころか、野田課長は職務怠慢という言葉すら口にした。野田課長のあの発言をを許すことはできない。あのような人の下では仕事をしたくない。
小宮さんは奨めてくれた。吉野係長を訪ねて僕の提案書を見てもらい、意見を聞いたらどうか、と。
その翌日、小宮さんは吉野係長に電話をかけて、僕が相談に乗ってもらえるように依頼してくれた。その夕方、僕は吉野係長の職場がある建物に向かった。
笑顔で迎えてくれた吉野さんは、小宮さんから聞かされていたように、気さくで親切そうな人だった。僕がお礼の言葉を口にすると、吉野さんはそれをさえぎるように、「わかってる、小宮くんから話は聞いている」と言った。
吉野さんは空いていた隣りの席の椅子をひきよせ、そこに腰かけるようすすめてくれた。僕は提案書をさしだしてから椅子に腰をおろした。
吉野さんは提案書に眼をおとし、そのまま黙って読みはじめた。僕は高い評価を期待しながら、吉野さんが読み終えるのを待った。
読み終えた吉野さんは、提案書に眼を向けたままで言った。
「入社してから2ヵ月あまりで、こんな提案書が書けるんだから、たいしたもんだよ、君は。小宮くんが感心するわけだよな」
僕はわくわくしながらその続きを待った。
吉野さんは続けた。「だけどな、ちょっと問題があるんだよ、この開発案には」
吉野さんは僕の開発案にえんぴつでコメントを記入しながら、問題となるところを説明してくれた。
僕の提案書には製作過程に技術上の問題があるだけでなく、たとえ試作してみたところで、従来製品を超える性能を期待できないものだった。僕は吉野さんの説明を聞き、そのことを充分に理解することができた。
その開発案が採用されることに大きな期待を抱いていたので、それが無価値なものとわかって僕はショックを受けた。心の中で僕は思った。もしかすると、野田課長も見抜いていたのではなかろうか、僕の開発案に問題があることを。
吉野さんは僕を慰めるように語りかけてきた。
「ちょっと問題はあるにしてもだ、会社に入ってすぐにこんなアイデアを出せるんだからな、たいしたもんだよ君は。本当に良いアイデアというのは、開発課なんていう組織じゃなくて、個人の中にひらめくものなんだ。いっしょうけんめいに努力していると、神様がアイデアを与えてくださるというわけだよ。がんばるんだな、松井君。僕も応援するから。これからは、君のような技術者が力を発揮すべき時代だからな」
吉野さんが低く語りかける声には、僕を鼓舞してくれる力があった。誉めてくれるその言葉を、僕は素直に受け取ることができた。吉野さんから受ける印象とその言動が、吉野さんに対する僕の信頼感を確たるものにした。提案書に技術的な問題があるとわかって落胆したが、吉野さんから励まされたことで自信を無くさずにすんだ。
吉野さんの職場を出たときは、すでに定時を1時間ほど過ぎていた。スピーカー部にもどって事務室に入ると、残業をしていた小宮さんが立ちあがり、僕をうながして実験室に向かった。
実験室に入るなり小宮さんが言った。「それで、どうだった、あの提案書」
僕は吉野さんから指摘された問題点を小宮さんに伝えた。
「おかしなやつだな松井は」と小宮さんが言った。「あれほど自信を持っていたアイデアがだめだとわかったのに、案外に元気じゃないか」
「小宮さんのおかげで吉野さんに会えたし、いろいろと教えてもらえたからですよ。すごい人ですね、吉野さんは」
「あんな人がここを出されたなんて信じられるか。よくわからんよな、会社の人事というのは」と小宮さんは言った。
金曜日の夕方、バスを待っていると、大きなバッグを手にした坂田がやってきた。坂田はたくさんの洗濯物を持って、墨田区の両親の家に帰ろうとしていた。バスと電車を乗り継いで三鷹駅につくまで、僕は坂田といっしょに過ごすことになった。
「クラシック音楽のことだけどな、おれにも少しはわかるような気がしてきたぞ」
電車の中でとうとつに、坂田が意外なことを口にした。しばらく前に坂田と話し合ったとき、クラシックには興味がないと聞かされたばかりだった。
「たった1週間でえらい変わりようだな」
「試聴用のCDの中にいいのがあるんだよ。試作中のアンプで聴いてみて、クラシックも案外いいものだと思ったよ。ラジカセで聴いてもわからないのかな、クラシックの良さというのは」
寮の自分の部屋でクラシック音楽を聴いてみたいので、ボーナスが出たらオーディオ装置を買うつもりだ、と坂田は話した。初めてのボーナスが支給される日が近づいていた。多くのボーナスを期待できない新入社員だったけれども、僕たちにはそれが待ちどおしかった。
クラシック音楽に興味を覚えたらしい坂田に、1週間ほど先の演奏会のことを話すと、坂田は僕といっしょに演奏会に行きたいと言いだした。入場券が手に入るかどうか分からなかったが、プレイガイドへ寄ってみるという坂田に、演奏会の名称や演奏曲目などを書いたメモ用紙を渡した。
毎日のように資料や文献を自宅に持ち帰り、翌日の朝がつらくなるとわかっていても、夜おそくまでそれを調べた。仕事に熱中するそんな日々を過ごしながらも、佳子との週に1度のデートを欠かすことはなかった。
そのようなデートをした土曜日に、佳子が僕の家を訪ねたいと言いだした。佳子がかけてきた電話に母が応じることも多かったから、母と佳子は以前から声を交わしていたことになる。親しく言葉を交わしてきたのだから、そろそろ会ってもよいではないか、と佳子は言った。いきなり聞かされた要望だったが、佳子の気持ちを思ってすぐに同意した。
僕は佳子を家に連れてくることを母に伝えた。佳子のことを母に話したのは、それが初めてだった。佳子からの電話を取り次ぐことがあっても、母が佳子について問いただすようなことはなかったのだが、強い関心を抱いていたに違いなかった。
母が言った。「急な話だけど、だいじょうぶ、明日の日曜日は、他に予定がないから」
「ごめん、勝手に決めてしまって。ケーキを作ってくれるとありがたいけどな」
「そう・・・・ケーキね。どんなのがいいだろうかね」母はうれしそうに言った。
次の日の午後、車で佳子を迎えに行った。待ち合わせ場所は三鷹駅だった。
助手席の佳子はどことなく心もとなさそうで、口数もいつになく少なめだった。佳子の気持をほぐしてやるために、僕は母のことを話した。母が佳子の訪問を喜んでいること。自慢のケーキで佳子を歓迎しようとしていること。僕がそのような努力をしても、佳子が冗舌になることはなかった。
父と兄は午前中にでかけたので、家で待っていたのは母だけだった。
居間に入るとすぐに僕はテレビをつけた。くつろいだ雰囲気を作るためにも、話題を見つけるためにも、テレビをつけておいた方が良さそうな気がした。
緊張気味だった佳子がようやくうちとけてきた頃、母がケーキを運んできた。ふだんは緑茶しか飲まない母が、ケーキとともに出してきたのは紅茶だった。
佳子の前にケーキを押しやりながら母が言った。
「こんなものを作ってみたけど、どうかしらね。滋郎が言うには、杉本さんにはこれがいいだろうって」
ケーキのことが話題になった。母はそのケーキの作り方を佳子に教えはじめた。佳子の気持をほぐすための、母の気づかいに違いなかった。
母をまじえて話し合ったあと、佳子の好きなショパンを聴くために、僕の部屋に佳子をつれて入った。
僕たちは壁ぎわに敷いた座布団に腰をおろすと、スピーカーに向かって足を投げだした。
「もう少しで1年半ね、私たち」
スピーカーに向ったままで佳子が言った。幻想即興曲が始まったところだった。
「おれは、あのときから何年も経ったような気がするよ。そんな気がしないか」
「そう言えばそうね、私もそんな気がする。どうしてかしら」
「いろんなことがあったからだろうな。しかも、大きなできごとが」
「ほんとにそうね。こうして滋郎さんの家に来ることもできたし」
佳子がそっと僕の膝に手をおいた。その手をとって引きよせると、佳子は無言のまま軽く握りかえした。幻想即興曲はアレグロの部分が終わって、甘美なメロディに移ろうとしていた。