2-2
「アル。もう二日だよ」
「うん」
「わかってる? セレンザ様がいなくなって! もう丸二日!」
「そうだな」
部下の返事は冷たい。
もう少し敬意を払ってくれてもいいのに。
「あー! やっぱり側近の近衛兵だけで秘密裏に済ませようとしたのがまずかったかなぁ。早々と城下の警邏たちにも通達を出してみーんな総出で捜すべきだったのよ。それとも全国民に触れ書きを出して……」
「早まるな。少しは落ち着け。事を荒立てたら、後で困るのはセレンザ様だ」
「でもっ」
「あと、早く食べないと麺が伸びる」
ロッテ・ミルズはテーブルに拳を叩きつけた。黄金色のスープが驚いたように水面で跳ねる。
「あのねぇ、落ち着いてのほほんと麺すすってる場合じゃないでしょーっていうか、誰よ。こんなときにスープ麺なんか頼んだの」
「何でもいいから適当に頼んどいてって言ったの、そっちだろ」
ロッテ・ミルズは長くて収穫のない一日の締めくくりに、通りがかりの店で空きっ腹を満たすことにした。
他にも仕事帰りの農夫や商人たちが数組いて談笑に花を咲かせている。
ロッテはひとつ年下の気心知れた部下を睨みつつ、やけっぱちに音を立てて豪快に麺をすすった。
遥か東方の国の名物だというあっさりした出汁のスープが疲れて強ばった喉を潤していく。
ひとつ年下のアルディクトは温かいスープを上品に飲み干して一息吐いた。
近衛兵と一目でわかる白外套を爽やかに着こなし、何食わぬ顔で涼やかに目元を伏せる整った横顔は微かな憂いを秘めて、城内での──特に若い巫女たちの──密かな人気ぶりを窺わせる。
ここだけの話、一緒にペアを組むことの多いロッテがあらぬ誤解ややっかみを受けることもしばしばだ──はた迷惑なことに。
よく日に焼けてすらりと引き締まった小麦色の肌に、印象的な金色の髪と瞳。
ありきたりな黒いポニーテールのロッテは少しだけ羨ましいと思っている。本人には口が裂けても言わないが。
晩秋の夜である。
そこそこ常連客で賑わう酒場でも足下から冷気が忍び寄ってくる。
アルディクトは離れたテーブルにいる客たちをちらりと窺い、声を潜めて話を戻した。
「だからさ、国民に巫女王様の不在を知られるのはまずいって。魔物騒ぎでみんな不安がってるってのに輪をかけて騒ぎになっちまう。巫女王様が国民を見捨てて城から逃げ出したってな」
スープに苦味が混じるようだった。
それこそがこの二日間、ロッテたち近衛兵が城下で駆けずり回っている理由だった。
若き巫女王セレンザが城から姿を消したのは昨日のこと。
朝、いつものとおり起こしに行った侍女が空のベッドを発見。
シーツは既に冷たくなっており、机の上にはご丁寧なことに自筆の書き置き──「すぐに戻ります。捜さないでください」。
立派な家出である。
「賊が侵入して連れ去られたのかも。書き置きだって脅されて無理矢理……」
「財布もバッグもお気に入りの服も持って、か? そりゃまた随分と手の込んだ誘拐だな」
ないない、とフォークを持つ方の手を振ってアルディクトが可能性を即座に切り捨てた。
「……あのさ、二年前の凶行と同じ犯人像を気にしてるなら、それはないと思うぞ。あれは前の近衛兵長が周到に準備してやったものだ。巫女王様の周りに人がいなくなって大賢者様が不在になって城の警備が手薄になるときを何年も狙ってたんだ。そもそも近衛兵長その人が首謀者だったんだから近衛兵の配置は何とでもなるしな」
ロッテは唇を噛んだ。
首謀者たる近衛兵長が死に、事情を知らされていなかった凶手たちを締め上げても何もわからず終いだった。
彼が何のために巫女王を殺したのか、本当の狙いは何だったのか、結局、真相は依然として闇の中だ。
──跡を継いだ娘のセレンザが公の場に姿を見せることはなくなった。
「むしろ俺はセレンザ様の評判が落ちることを気にするね。城の中でも下っ端じゃいろんな憶測が飛び交ってる」
「清楚な深窓の令嬢……」
「可憐で病弱な美少女……」
二人で同時にため息を吐いた。
なまじ実態を知っているだけに妙な空々しさが背筋を這うようだ。
知らぬが何とやら、である。
ロッテはぽつりと呟いた。
「セレンザ様は自分が巫女王にふさわしくないと思ってるみたい。巫女の力も発現しないし、亡くなったお母上の代わりにはなれないって。確かに、セレンザ様は先代と違って、過去視や未来視もできないし、預言や神託も授かったことないから、そう思うのも無理ないと思う。でも、私はセレンザ様にお仕えしたい。たとえセレンザ様自身が巫女王にふさわしくないと思っていても、私の主人はセレンザ様だから……!」
「……なんだ。大丈夫なんじゃないか」
「え」
拍子抜けしたように言われて、ロッテは何がなんだかわからない。
「もっと元気ないかと思ってたから。心配して損した」
「……!」
ロッテは柄にもなく頬を赤らめた。
アルディクトが頬杖を突いて安心したように微笑む。
「捜索の件は他ならぬ大賢者様が必要な手は打ったと言ってくださったんだ。俺たちは俺たちでできることをしよう」
「……うん」
ロッテもようやく頬を緩めた。
昨日は街門の魔物騒動に予定外の時間をとられたが、明日も朝から捜索を、と思った矢先だった。
また予定外のトラブルが向こうから飛び込んできた。
「兵隊さん、ちょうどよかった。ちょっとあいつをなんとかしてくれないか」
「あいつ……?」
店の入口の方で、道化師がぁーという悲鳴が聞こえる。
騒ぎの方に向かうと、近衛兵の白いマントを見た者たちが左右に分かれて道を譲った。
おかしな格好の青年がカウンター席でぐでんぐでんに酔っぱらっている……ように見えた。
継ぎ接ぎの服に先のカールした靴という奇抜なファッション。
鈴のついた帽子は頭の上でしょげたように傾いている。
逃げようとする無関係な客にもかまわず手当たり次第に絡んで意味不明な会話を繰り広げる辺りは、なるほど、迷惑極まりなかった。
(……道化師)
存在自体はロッテも知っていた。だが、城勤めのロッテは実際、本人に会ったのは初めてだ。
周りに目配せすると、触らぬ神に祟りなしといった様子で客たちが一斉に遠ざかる。
ロッテは仕方なくカウンター席に座った。
「どうしたの? ……なんか荒れてるみたいだけど……」
「ついてこないで……って言われちゃった。関係ないからって……どうしたらいいんだろ」
「……よくわからないけど、それですごすご引き下がってきたわけ?」
「ボクはいつもへらへら笑ってる。それだけだよ」
ふと。その何気ない仕草が、なぜか、癪に障った──無理して笑っていた誰かを思い出すようで。
いつだって強がっていた少女。
頼ってほしいのに、肝心なときに何もできない。
なんだか放っておけず、アルディクトが止める素振りも見なかったふりをした。
「……そもそもさぁ、ボク、声をかけるつもりなんかなかったんだよね。見てるだけのつもりだったのに、林檎が勝手に転がってっちゃったんだよ」
……なぜ林檎?
とか、相変わらず意味は不明だが、なんだかロッテは出来の悪い弟の悩み相談にのっている気分になった。
「そしたら、放っておけなくなっちゃって」
「彼女のことが気になるのね」
「気になる? ボクが?」
「自分でそう言ったんじゃない」
そうなのかなぁ、と道化師は首を傾げた。
道化師がおとなしくなって、野次馬をしていた客たちも徐々に自分たちの席で宴を再開していく。
「あの子はさ、困っている人を放っておけないんだよ。それでボクとか迷子の子どもとか、なんでも一人で助けようとしちゃう。でも、ボクはついていけないんだ」
「彼女にそう言われたから?」
「そう」
「だったら、貴方にできることをすればいいじゃない」
「……ボクにできること?」
そんなこと生まれて初めて言われた、という風に道化師が訊き返す。
向かい合ってみると、思いのほか綺麗な顔立ちをしていた。
男か女か測りかねるぐらい。
ちょっとどぎまぎしてしまった自分を叱りつけるように視線を外した。
視界の端では、部下のアルディクトが我関せずとばかりにお冷やを飲んでいる。
「その子の幸せを願うなら、たとえ相手が応えてくれなくたって関係ない。自分にできることをすればいいんだから。それだけのことじゃない」
「それだけの……こと?」
ロッテは頷いた。
言いながら、頭に浮かんでいるのは大きすぎる王冠を渡されてしまった少女のこと。
はたと気付いた。
相談にのっているつもりで、自分を叱咤激励しているだけではないか。
後から襲ってきた恥じらいに頬が染まった。
(行きずりの道化師相手に、何偉そうなこと言ってんのよ私。バカバカバカ)
道化師はそんなロッテの心情など意に介さず、長身に似合わない身軽な動きで立ち上がる。
迷いの吹っ切れたような所作に、ロッテの方が驚いた。
顎を擦りながら口の中でぶつぶつと呟いている。
「ボクねぇ、前からきな臭いなぁって思ってたところがあるんだ。悪魔の森に子どもがいるなら……多分……」
「え。何? 悪魔の森? 子ども?」
「ありがと、おねーさん。ボク、いってみるよ」
「ちょっと待って。順を追って説明しなさい……あ」
道化師の話についていけないのは今に始まったことではないが、今度の話は飛躍しすぎていた。
悪魔の森と子どもとは聞き捨てならない組み合わせだ。
問い質そうとしたときには、道化師は帽子の鈴を鳴らしながら店の外に飛び出してしまった。
ロッテも慌てて続いたが、道路に出たときにはもう道化師の姿は煙のように消えている。
「……いない。どこに……」
鈴の音も聞こえない。
アルディクトも通りに出て、肩を竦めて戻ってきた。
「……アル、今の聞いた?」
「悪魔の森と子ども、か。道化師の戯言ともとれるが……」
「嫌な予感がするの。私たち、悪魔の森は捜してない」
「! まさか……」
アルディクトも半信半疑だが、完全に否定するには情報が少なすぎる。
「盲点だったわ……可能性は虱潰しにしよう。魔物の巣窟なら尚更よ。早く調べないと……」
「……マジかよ」
アルディクトがぼやいた。
ロッテ自身、同じ気持ちだ。
だが、守るべきものを守れなかった二年前と同じ後悔はしたくない。
「世話の焼ける先輩だ」
「今に始まったことじゃないでしょ?」
アルディクトの渋面に、ロッテは口の端だけで笑った。