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さっきの警邏が変だっただけ。そう思っていた。
他の警邏たちに知らせれば、アルケミアの森に範囲を絞って捜索してくれるだろうと信じていた……のだが。
城下の片隅にあった駐在所で事情を話すなり、サフィアは机を叩きつけた。
「捜索隊が出せないってどういうこと?! 私が小娘だから信用おけないっていうの?」
「とんでもない、お嬢さん。むしろ証言をしたのが貴方だったら申し分ない。でもね」
駐在所の小部屋は五人も入るといっぱいになった。
最初からいた中年の太っちょ警邏、小枝のように細い若い警邏、ひょろっと背の高い仏頂面の警邏とサフィアたち二人だ。
サフィアの差し向かいに座った中年の警邏は、サフィアの背後にいるおかしな格好の青年をちらりと窺った。
「悪魔の森で子どもを見たっていう証言したのは、貴方じゃなくて道化師の方だっていうじゃないか。悪いが、道化師の戯れ言に付き合っているほどこっちも暇じゃなくてね。なぁ?」
気のよさそうな中年警邏の目配せに、痩せとのっぽも同意した。
「よりにもよって天下のお巡りさんが道化師の言葉を真に受けて踊らされたなんて市民のいい笑いものッスよ」
「なんですって?! それでも公共の秩序を守る者なの?」
「まぁまぁ、キミ。そうカッカしないで。お茶でも飲んで落ち着いたら?」
なぜこいつが警邏の弁護に回ってる……。
しかも、自分の家みたいにくつろいでお茶淹れて飲んでるし。
さっきの暴力警邏ほどではないにせよ、他の警邏たちも道化師の存在を空気みたいに無視して、所業に知らんぷりを決め込んでいる。
「悪いことは言わないから、お嬢さんも道化師なんかに関わるのはよしなさい。貴方も旅をしているからにはそれなりの理由があるんだろう。こんなところで時間を無駄にすることはない」
口調は穏やかながらも有無を言わさずに駐在所を追い出されたサフィアは、人通りの少ない街路をとぼとぼと歩いた。
外は薄暗くなり、街灯がちらちら灯り始めている。
鈴の音をさせながら青年がついてくる。何も感じてないとばかりにけろりとしてからからと笑った。
「ほらね、無駄だって言ったでしょ? ボクの言うことなんて誰も信じないんだよ」
「……どうして」
「ん?」
立ち止まったサフィアに合わせて、背後の鈴がチリンと鳴った。首を傾げたのが気配でわかった。
二人の間を冷たい木枯らしが吹いて無防備な肌を粟立たせた。
スカートの傍らで固めた拳に爪が食い込む。たとえ振り上げても、何に対して憤ればいいのかわからない。
「どうして笑ってられるのよ。悔しくないの? 本当のことを言ってるんでしょ」
「本当のことがいつも受け入れられるとは限らないからだよ。どうしてキミが怒るの? キミが怒る理由なんて何もない」
そのとおりだ。冷静に考えれば、サフィアが怒る理由はない。
理不尽にないがしろにされて信じてもらえなかったのは青年で、それもつい昨日、道ばたで話しただけという間柄だ。
それでも青年が憐れでならなかった。
零れそうになる涙は瞬きで押しとどめたが、声が震えた。
多分、木枯らしのせい。それだけ。
「貴方が怒らないからよ。だから、代わりに私が怒ってるの」
「……ふーん?」
今度ばかりは青年に笑われてもしょうがないと思った。
全然、理論的じゃない。因果関係がこんがらがって、とっちらかっている。
なのに、こんなときに限って青年は笑わない。
そっぽを向いてぽりぽりと頬を掻いているだけだ。
サフィアは不安定に揺れる心の天秤を静かに定めた。
「決めた。私、捜すわ。子どもたちを捜して証拠を掴んで、警邏に居場所を知らせるの。貴方の言ってることが正しかったって証明するのよ」
「……は?」
トトは思考停止したように固まった。
「ちょっと待った。ボクたちだけでどうするって言うのさ。夜の方が、魔物が活発になることぐらいわかってるでしょ?」
「いいわよ。じゃあ、私一人で行くから」
「一人でって……何をそんなに焦ってるんだい?」
「焦ってる? ……私が?」
サフィアは自分の中に巣くう懸念の渦をどう言えばばいいか考えあぐねた。
だが、それにはサフィアの犯した失態まで説明しなくてはならない──かつて平和を願って魔王を封じた聖女の想いを裏切ったことを。
昨日までのサフィアにとって、それは自分の身に降りかかった災難でしかなかった。
自分の責任は自分でとれると、浅はかにも世間知らずゆえの無邪気さで信じていた。
自分よりも弱くて幼い存在が魔物の危険に晒されるなんて考えもしなかった。
「とにかく私一人でも行くから。ついてこないで」
有無を言わさずぴしゃりと言い放った。自分でも驚くぐらい冷たい口調だった。
手を差し伸べかけたトトが躊躇いがちに視線を泳がせる。
サフィアはトトに背を向けて歩き出した。
鈴の音は追ってこなかった。
☆☆
少女がトトの前から歩み去る寸前──
闇の中に染められゆく栗色の髪が揺れる背中を飛び立つ小さな影があった。
解読不能の文字を書き綴られた紙の蝶。
立ち尽くしている青年の前まで微かな紙擦れの音を立てて優雅に舞った。
どこからともなく闊達な子どもの声がした。
「なにしてるですか。またごしゅじんさまのおしごとをサボって」
「……ボクのご主人じゃないよ。なにしに来たの、メイ」
人影の絶えた街灯の下、驚きもせずに応じた青年の前で、紙の蝶は一回転してするりと空間に溶けた──と思えば、同じ場所からツインテールの子どもが手品のように現れ着地した。
光沢のある闇色のドレスに、髪も瞳も黒である。純白のフリルが夜闇に浮かび上がるようだ。
「だれかさんがサボってないか、みはりにきました。さぁ、はやくおしごとにもどるですよ」
「ついてくるなって言われちゃった。ボクには関係ないって……」
「そんなこと、きにするあなたじゃないでしょう?」
さっきまで紙の蝶だった子どもの瞳がくるりと光る。
ふむ……と青年は思案した。
それもそのとおりだと思った。
けれど、もはや前後脈絡をなくした記憶の彼方から、ツインテールではない別の少女の声が甦った。
『悔しくないの?』
昔、勇者と呼ばれた少女のことが脳裏によぎったが、何か違った。
(違う。そうじゃなくて──)
トトの代わりに怒ってくれた少女がいたのだ。
その少女は今しがたトトを振り切って森に向かった。
魔物の蔓延る危険極まりない夜の森に。
ツインテールの子どもは青年の俯いた顔をしげしげと覗き込んだ。
「もしかして、あなたが、ひとなみにきずついてるとでも? ……そんなはずないですよね。だって、あなたは、『こころのないどうけにんぎょう』なんですから」
そう。それが自分だ、とトトは思った。
今更、傷つくことなんて何もない。
差し伸べた手を何度拒否されようと、蔑視され嘲笑されようと、何も影響はしない。
笑おうと呆れようと、それは表面だけのこと……なはずなのだ。
「くろいりゅうにしんぞうをたべられたときから、なにをいわれてもかんじない、かんがえない、おどけているだけのピエロ。にんげんみたいにふるまってても、それはカタチだけ。なにもない、からっぽのおにんぎょう──それが、あなたなんですよ?」
「……そうだね」
『決めた。私、捜すわ。子どもたちを捜して証拠を掴んで、警邏に居場所を知らせるの。貴方の言ってることが正しかったって証明するのよ』
少女はそのとおりにしてくれた。トトを人間として扱ってくれた。そして、今も無関係な子どものために自らを危険に晒している。
心臓を失ったはずの左胸が痛んだ。もう感じないはずの幻の痛みだった。
(……そんなはずはない。気のせいだ。ボクは……)
口答えしないトトの沈黙を肯定ととったのか、子どもは興味を失ったかのように視線を外した。
両足を地面から離すと、次の瞬間にはもう紙の蝶に戻っている。羽ばたきながら言った。
「じゃあ、メイはあのこのかんしにもどるですよ。ごしゅじんさまにいーっぱいほめてもらうです。えへへー」
「……好きにしなよ」
ほらね、この拗ねたような響きも見せかけ。
だって、ポーカーフェイスのピエロが人に紛れてても不気味なだけでしょう?
今まではそうだった。そして、これからもずっと……。