5.5-1
王都スカイアには、今日も雪が降り積もる。
夕刻──コートの襟を寄せた人々が雑踏で白い息を吐き、それぞれの家路に着く中、城下街を一人の少女が歩いていた。
まだ若い娘の銀色の髪と眼鏡が珍しいらしく、道行く人々がたまに振り返る。
サフィアと一緒に誘拐され屋敷から助け出されたルーナが神聖スカイアーク城に客人として身を寄せてから、一週間が過ぎようとしていた。
城の蔵書室への出入りを許されて、毎日のように稀少な歴史書や魔導書を読みあさる日々。
あてがわれた客室ではなく、今日も城の蔵書室へまっすぐ向かったルーナは、開け放された扉の向こうの賑わいを不審に思った。
蔵書室にいたのは、顔見知りの近衛兵であるロッテ・ミルズとアルディクトだった。
アナベルが手引きした巫女王の誘拐事件を調べるために奔走していた彼女たちに会うのは、事件以来である。
珍しいことに、奥棟から滅多に出てこない大賢者も一緒だった。
そして、三人の中心で騒いでいる小さな人影がもう一人──
「だーれーもーメイのこと、おもいださなかったですかー? はくじょうものー!」
「ご、ごめん、メイちゃん」
「いや、それが……あのときはセレンザ様が誘拐されるわ、ロッテが負傷してるわで、そんな余裕もなく……」
年上なはずのロッテとアルディクトがしどろもどろに弁解している。
いくら度重なる騒動があったとはいえ、みんな勝手に「メイは友達の家にでも行っているのかも」ぐらいな解釈で、誰も彼女の安否を確認しなかったのだから抜けている。
あの誘拐事件の夜──
紙の蝶の姿になったメイは、誘拐されるサフィアとルーナの背中に貼り付いていて監禁場所を突き止めると、王都スカイアにいた大賢者に事態を知らせたらしい。
大賢者が駆けつけたとき、そこには巻き戻しの魔法から解放されたサフィアが、血塗れのトトを抱きかかえていた……。
「こんなにメイがとびまわってたのに、わすれるなんてひどいですよー」
「まぁまぁ、メイ。みなさんも大変だったんですよ。でも、メイが知らせてくれたおかげで私も状況が掴めました」
「うぅ、ごしゅじんさまぁー」
大賢者が取りなして、批難の矛先が逸れたところで、アルディクトが前々から気になっていたことをルーナに訊ねた。
「語り部殿。セレンザ様と道化師は本当に五百年前にタイムスリップしたんだろうか?」
「ああ、なんじゃ。そのことじゃが──」
「していませんよ」
大賢者がしれっと言った。
「セレンザ様たちがいたのは、いわば『聖剣ステラの記憶の中』ですから」
「聖剣ステラの記憶? 剣に記憶があるっていうのか?」
「別に聖剣ステラに限った話じゃない。万物に記憶が宿るといった信仰は、古今東西、珍しくもありません。巻き戻しの魔法はね、元々、『鍵』となる物の記憶を引き出して疑似体験する魔法なんです」
もっとも、そのことは魔王自身も知らなかったようですけどね……という言葉に、ルーナもばつの悪い顔をした。
苦々しく銀の髪を掻き上げる。
「まったく面目ない。わしもまんまと騙されたわ」
「聖剣ステラにとっては、『正統な持ち主』であるアメリア様もセレンザ様も同じだった。だから、剣の記憶の一部だった『五百年前のトト』にも、アメリア様とセレンザ様の区別がつかなかったわけです」
ルーナもそれで合点がいった。
大賢者の説明が正しいなら、「五百年前のアメリア」は、サフィアが巻き戻しの魔法に巻き込まれた時点で、サフィア自身と置き換わっていたことになる。
五百年前のトトがサフィアのことを「アメリア」と呼んだという──それは彼自身が聖剣ステラの記憶で形作られた存在だったからなのだ。
剣がサフィアのことを「アメリア」と認識していたなら、同じく記憶で形作られた「五百年前のトト」自身もそう認識するのは当然だった。
「──そして、トトが銀色の鍵の力を使って巻き戻しの魔法に干渉した時点で『五百年前のトト』も現代のトトに置き換わった」
「ということは、なんじゃ。わしらはずっと聖剣ステラの作り上げた幻に踊らされていたというわけじゃな?」
「幻、とも言い切れませんよ。剣の記憶の中であっても、巻き戻しの魔法に巻き込まれている肉体は生身ですから。剣の記憶の中で怪我をすれば実際に傷付くし、死ねば生き返ることはありません」
ルーナたちは沈黙した。
だからこそ、巻き戻しの魔法が解けた後も、現実世界で魔王が甦ることがなかったのだ。
そして、トトも……──
さっきまで騒いでいたメイが言いづらそうに訊いた。
「……ねぇ、おねーちゃんは?」
「相変わらず奥棟に籠もりきりだ。あそこには道化師が眠ってるから無理もないが……」
しばらくそっとしておいてあげよう、というアルディクトの言葉にメイも頷く。
辛気くさくなった空気を誤魔化そうと、ロッテ・ミルズが明るく言った。
「そうだ、メイちゃん。忘れてたお詫びに、料理長に何かメイちゃんの好きなもの作ってくれるように頼んであげる。何がいい?」
途端、メイのツインテールがぴょこんと跳ねた。
「なんでもいいですか?! じゃあね、メイはー、えっと、うんと」
にわかに活気づいたメイを連れて、ロッテとアルディクトが蔵書室を出て行く。
それを笑顔で送り出した大賢者は、ふと、ルーナに声をかけた。
「行かなくていいのですか? 今なら料理長のメニューが食べ放題みたいですよ」
「魅力的なお誘いだが遠慮しておく。前からおぬしと二人で話してみたくてな」
「私と?」
ルーナの提案が、大賢者には意外だったらしい。
ほぅ、と呟いて笑みを刻み、さぁて私に若い女性を相手に料理長のフルコースより魅力的な話ができますやら、なんてとぼけている。
ルーナはその佇まいを見た。
老成して落ち着いた物腰や並外れた知識量をもちながら、姿はルーナとそう変わらない少年そのものである。
焦点の合わないアメジストの瞳と盲人用の杖が視力のないことを伝えていた。
ルーナ自身のように、大人びた少年と言えばそれまで。
だが、神聖スカイアーク城に来て、実際に会ったこのひとは……。
「おぬしが魔法で作ったという紙の蝶と、我が一族に伝わっていたという秘技の呪符の図面を見たときから、引っかかっておった。わしは魔法に精通しているわけではないが、もしや、同じ系統の魔法かと思ってな」
「……」
「それが確信に変わったのは、この城に来てからじゃ。おぬしは先代の巫女王の頃も、その前も前も、ずっと同じ姿なのだと聞いた。いつの時代にも巫女王の傍らにいて、陰に日向に支えてきたのだと、知った」
「……それで?」
いつの頃からか大賢者と呼ばれるようになった少年は先を促す。
そこに戸惑いや疑念はなかった。
あるのは、ただ、静謐な瞳の光。
だから、ルーナもその先を言うことができた。
「わしの単なる思い過ごしかもしれん。じゃが、もしかしたら同じ一族の出かと思ってな。もしかすると、この世界に最初に魔物を喚んだのも……──」
「……」
少しの間、会話が途切れた。
陽の光を避けて窓もなく、まるで無限のように本棚が並んでいる蔵書室は時が止まったようだった。
永遠にも思える刹那が過ぎて、大賢者が口火を切った。
「魔王を倒す秘技を完成させることは、私の悲願でした。でも、今は秘技が発動しなくてよかったと思ってるんです。……嗤いますか?」
「……いいや」
わしもそう思うとルーナが言うと、大賢者もふふっと笑った。
なんだか妙に居心地がよかった。
秘密を共有した者同士の親近感のせいかもしれない。
「おぬしの呪いはまだ解けぬのか?」
「さぁ。気長に待ちますよ。あと数百年ぐらい、どうってことない」
老成した少年は肩を竦める。
難儀なことじゃな、とルーナも同意した。
二人して、悪戯っ子のように笑った。
もう少しだけ、こうしているのも悪くない……。




