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大陸最大の都市だけあって、ぶらりと歩いただけでも巫女王を崇める聖堂がいくつかあった。
王都には大陸中から巡礼者が来て宿を求める。
客の氏素性にうるさくないのがいいところで、サフィアもフーデットケープを被り直し、その中のひとつに足を踏み入れた。
案内された部屋は掃除の行き届いたこざっぱりとした小部屋だった。
部屋の中央に簡素なベッドがあり、備え付けの文机には王都の歴史を記した本が数冊、読み物として置かれている。
一人になってようやく落ち着くと、コートを放り捨ててベッドに倒れ込んだ。
ブラウスの襟元で乾いた紙の音がかさりとしたが、特に気にすることでもない。
「明日になったら……通行証を持ってる人誰か探して……それで」
──王都を出て、今度こそ捜しにいくのだ。守られているだけでなく、自分の手で。今度は、きっと、間違わずに……。
ごろりと寝返りを打ったときだった。
マットレスの一部が硬い手応えとともにちょっと盛り上がり、「むぎゅ」と何かが詰まった音がした。
(……?)
ベッドの反対側を覗くと、マットレスの下から小さなお尻がはみ出している。
貴方は誰とか、どうやって入ったんだとか、悲鳴をあげるよりも惚けた。
……なんでこの街の人って普通に木の下を歩いたりベッドの上に座ったりしないのかしら。
「……な、何やってんの?」
「しーっ!」
遊び盛りの男の子がかくれんぼの遊び場にしたのかと思いきや、今度は鬼役の闖入者たちがノックもなしにドアを開け放った。
「もうにげばはないぞ! なきむしロジー、でてこい!」
「やーい、よわむし! くやしかったら、でてこいよ!」
ベッドの下に隠れていた子ども──ロジーは手足を縮こませて悪口に堪えている。
鬼っ子たちから逃れて客室のベッドの下に潜り込んだところへサフィアが部屋に到着したということらしい。
「ちがう! ぼく、よわむしなんかじゃない!!」
そう叫んだ声が既に泣き濡れていた。サフィアの背中を掴む手にぐっと力が入る。
追いつめたか弱い獲物が泣き出したことで鬼っ子たちはますます調子に乗ったようだった。手を叩きながら皮肉り始めた。
「へへん。ちがうっていうなら、あくまのもりにひとりでいってみろよ! そうしたら、なかまだってみとめてやってもいいぜ」
「ちゃんとショーコをもってこなきゃダメだかんな! まぁ、どうせロジーにはムリだろうけどー」
「こら、貴方たち。淑女の神聖な寝所に乱入するなんて感心しないわね。小さな紳士のすることじゃないわよ」
「う、うるせえ、オニババ」
「かんけいないだろ、クソババァ」
「バ、ババァ?!」
「おまえなんかもうなかまにいれてやるもんか!」
「よわむしロジー! いくじなし!」
「あぁもう。事情は知らないけど、とにかく弱い者いじめはいけません! 子どもは子ども同士で仲良くしなさーい!」
騒ぎを聞きつけた若い巫女が部屋にやってきて鬼っ子二人をつまみ出すまでそう時間はかからなかった。
巫女は慣れた様子で二人を小麦畑の手伝いに追い出すと、今度はロジーに向き直った。
「貴方も貴方よ、ロジー。カテドラルで遊んじゃいけないっていつも言ってるでしょう」
「あそびじゃないもん……」
ロジーは唇を噛みしめて悄然と俯いた。
聖堂で遊ぶのが禁じられているからこそ、彼はここを逃げ場所に選んだのだ。
それがわからない巫女ではないが、彼女にも建前というものがある。巡礼者用の客室に近所の子どもをいつまでも長居させるわけにはいかない。
「私はもう仕事に戻るけど、貴方も早く小麦畑に戻りなさい。遊びは手伝いが終わってからね。ロジー以外はみんな働いてるわよ」
そうしてロジーと二人で客室に残されると、耳が痛いほどの静寂が戻ってきた。
ベッドに背中合わせでうずくまった男の子がぽつりと言った。
「ぼく、よわくないもん……」
「え?」
「おねえさん、よわいものいじめっていった……」
確かに言った。鬼っ子たちも言っていた。
泣き虫ロジー、弱虫ロジー、と。
サフィアはばつの悪さを取り繕ってつんとすました。
「……撤回はしないわよ。何であれ、逃げ回ってばかりで何もしないのは弱い奴だと思うわ」
「あいつら、どきょうだめしに、カテドラルのさいだんにあるせいけんステラのレプリカをぬすんでこいっていうんだ。ちょっともちだして、すぐにかえせばバレないって……ぼく、そんなことできないっていったら、よわむしっていわれた。もう、なかまにいれてやんないって」
「聖剣……ステラ」
無意識に、呟きが漏れた。
心臓をぎゅっと素手で掴まれた気がした。
「どうしたの、おねーさん。かおいろわるいよ」
「……何でもないわ」
サフィアはこっそり冷や汗を拭った。
それよりも今は、ロジーの話の内容そのものが一大事だった。
聖剣ステラ──建国神話に登場する『聖女』にして、魔物を封印して世界を救い、半壊した前王朝の都を再建した『初代巫女王』が愛用した稀代の宝剣である。
魔王を封印して以降は杳として行方が知れず、今は各地の聖堂に模造品が残っているのみ。
それを盗み出そうというのだから、子どもの悪戯では済まされないレベルだ。
大人であれば国家反逆罪に問われても仕方ない。
「……そんな無茶な。なんでまた」
「ダッツとドットはなかまうちでいちばん、ちからがつよいんだ。おねえさんがいなかったら、いまごろ、こてんぱんにされてたよ」
サフィアと一緒に深いため息をついた。
「あいつらだって、ぼくがほんとうにやるとはおもってないよ。ぼくのこと、わらいものにしたいだけなんだ……」
「……そうね。そうだと思うわ」
締め付けられるような胸の痛みを表に出すことなく、何気ない調子で話題を変えた。
「あの子たち、悪魔の森に行って証拠を持って来いって言ってたわね──悪魔の森って何?」
「きたのもりに、ふるいれいはいどうがあるんだよ。むかしはみんなでよく、きもだめしをしてたんだけど……」
その森に近頃、魔物が住み着いてしまったのだ。
毒性の花と蔓を持つクリムゾンローザを始め、持ち物をくすねる狡猾なランドエイプ、牙を生やした猛禽類であるジャイアントイーグルといったモンスターたちの群生地と化し、城の警備兵たちでも迂闊に立ち寄れない有様なのだとか。
「それじゃあ肝試しどころじゃない。自殺行為よ」
「ぼくひとりなら、そうだけど……でも、でもさ、おねえさん、たびびとさんでしょ? おうとにくるまでに、まものとたたかったこともあるんでしょ? ぼくといっしょに、あくまのもりにいってよ。あいつらをギャフンといわせたいんだ!」
「えぇっ?」
サフィアは素頓狂な声をあげた。
ロジーはどうやら聖堂に泊まっているサフィアのことを旅の猛者だと思ったらしい。
真摯な瞳で訴えかける子どもの頼みを一刀両断することに引け目を感じなかったと言えば嘘になる。ロジーが本気なのは態度を見れば明らかで、サフィアの心をそよ風ほどには揺らした。
けれど、サフィアの対魔物戦術は元を辿れば護身術だ。そもそも戦闘用には向いていない。
自分の身を守るのに精一杯の人間が子どもを連れて魔物の蔓延る森に行くなんて言語道断だ。
「あのね、いい。そんなところ絶対にいっちゃダメ。そんな奴ら、相手にしなくていいわよ。強いのと無謀なのとは全然違うんだから……」
言いながら、後悔の苦い後味が咥内を満たした。
少なくともこの男の子は幼いながらに、聖剣ステラの模造品を盗み出さずに自制する、という意志の強さを見せたのだ。仲間だった子どもたちの脅しに屈さず、聖堂に逃げて身を守った。
それだけでも彼は立派に自分のやるべきことをしている。
「君のお友達は力が強いのかもしれない。口がうまいのかもしれない。もしかしたら、その両方かもね。でも、強さってそれだけじゃないと思う。君にもいつか君自身の強さがわかるわ」
サフィアの言外の想いを感じ取ったのか、ロジーは未だ釈然としない表情のまま、こくりと頷いた。
「それでよし」
と、サフィアに頭をくしゃりと撫でられた子どもは、照れくさそうに笑った。