4-5
魚人騎士たちを背後に従えたアナベルが出向いたとき、魔王デュヴァルオードは夜の広間でお気に入りの遊戯の最中だった。
世の権力者であれば、寝室によりどりみどりの美女たちを侍らせるのだろうが、この魔王は違った。
異形の魔物たちにさらわれて来た老若男女たちが、ガタガタ震えながら横一列に並んで順番を待っている。
逃げ出そうものなら、その瞬間に魔物たちに囲まれ、八つ裂きにされて食らわれる。
かと言って、逃亡しなくても運命は変わらない。
一人一人の前を通り過ぎ、ぶつぶつと何事か呟いているデュヴァルオードが指示した瞬間、検分を待っていた者たちの首が両断され、二度と胴体と繋がらなくなるのだから。
またひとつ、憐れな首が血しぶきを噴きながら飛び舞った。
またひとつ、またひとつ……。
それで血塗れの大広間は静かになる。
(あーあ。またやってるよ……)
一族の里で道化師がした殺戮などまだ生やさしい。
そう思わせるだけの残忍さ。
かつて魔王を封印した初代巫女王の聖女伝説は有名だ。
封印に使われたのが、スカイアーク城の地下に眠ったままの聖剣ステラであることも。
だが、かの聖剣が二年前に忽然と姿を消したことは一部の者しか知らない。
封印の綻びを縫って、魔王を復活させた者たちがいることも。
かくして、デュヴァルオードは惰眠を貪る茨姫よろしく、五百年の眠りから醒めた。
五百年前の恨みを引きずったまま……。
魔物たちを従えたデュヴァルオードが咆えた。
その猛りに応えて、背中に生えた闇の翼が軋みをあげて醜く広がっていく。
頬まで裂けた口からぎらぎらと濡れた牙が覗いている。
「違う……違う違う違う! もっと人間をさらってこい! もっと……もっとだ!」
壊れている、とアナベルは思った。
その狂気は嫌いではなかったが。
「デュヴァルオード様、お話が」
「……なんだ。今、取り込み中だ」
「巫女王と語り部をさらってきました」
デュヴァルオードの目がかっと見開かれた。
その反応を見て、アナベルは内心でほくそ笑む。
が──
「アメリアが来たのか?」
「……? いや、初代ではなく。子孫のサフィア・スカイアークですが」
アナベルはしどろもどろになった。
アメリア・スカイアークといえば、初代巫女王である。
五百年の時を経て、臣下たちや反巫女王派の者たちの協力によって復活を遂げたデュヴァルオードだが、さすがに時間の経過はわかっているはず……。
(……? ついに頭の方までもうろくしたか?)
アナベルは慎重に切り出した。
「今は語り部ともども、この館の一室に監禁してます。ご希望であれば、この広間まで連れて来て尋問しますが」
暗に『遊戯』の続きをするかと訊いている。
この提案をデュヴァルオードは一蹴した。
「丁重に扱え。怪我ひとつさせるな。わかったな」
「……はっ」
随分な特別扱いだな、とアナベルは思った。
(それだけ巫女王たちがデュヴァルオード様にとってキーマンということか……)
魔王にとってはその辺に転がっている石ころかと思いきや、思いがけずダイヤの原石を拾い当てたらしい。
とんだ収穫である。
「……貴様、いつまでその格好でいるつもりだ。もう役目は終わっただろう」
「──これは失礼」
手を当てたアナベルの顔が、見る見るうちに真っ青な鱗に覆われていく。
口の部分が大きく盛り上がり、爬虫類じみた眼がギロリと輝いた。
やがて鱗は全身を埋め尽くし、アルマダールの隠れ里で自警団長を騙ったリザードナイトは、完全に元の姿を取り戻した。
「……今度こそ悪魔の森のようにはいかねーぞ。覚悟しな、ニンゲンども」
ひとのいい青年のふりをしていたリザードナイトは、死体だらけの大広間から上機嫌で立ち去った。
☆☆
「サフィア、無事か?」
「! ルーナ? どこ? 何も見えない」
視界が覆われて、真っ暗だった。
今が昼か夜かもわからない。
少なくも冷たい地面の上ではなかった。
何か柔らかいものの上に転がされている。
(これは……絨毯?)
「待て待て。今、おぬしの分の覆いも外す。……むぅ。も、もう少し……」
結び目が固いのかルーナが不器用なのか、やっと視界を覆っていた布が取れて、サフィアは自分たちが広い部屋にいることがわかった。
白とピンクで調度が整えられたかわいらしい部屋だった。
三人は並んで眠れそうな天蓋付きのベッドが中央にあり、ビロードのクッションが飾られている。
見るからにふかふかなソファやティーセットの置かれたテーブル、背の高いクローゼットまである。
天井には小さなシャンデリアがぶら下がっていた。
サフィアは言葉を失った。
豪華さこそ巫女王の寝室に較べて見劣りするものの、魔物たちにさらわれて転がされた部屋というには意外すぎる。
「ここは……?」
「わからん。わしも目隠しをされていて、気付いたらここだった」
「どこか貴族の屋敷……みたいだけど。アナベルはどこ? 私たち、彼に捕まったのよね?」
「魔王とやらに報告に行ったのかもしれん。巫女王を捕らえたのじゃ。不本意じゃが、あやつらにとっては大手柄だろ」
ルーナが心の痛みを抑えて苦々しく言う。
自分の生まれ育った里から魔物の内通者が出て、まだ信じられない気持ちと信じたくない想いで揺れていた。
「……アナベルめ、血迷いおって……!」
「……ルーナ……」
泣き出しそうなルーナをサフィアは宥めた。
「泣いてるヒマないよ。脱出できそうなとこを捜そう」
「……おぬし、やっぱり強いな」
ルーナの蒼白な顔にいくらか血の気が戻る。
両開きのドアは当たり前のように施錠されて、びくともしなかった。
窓の外には白い雲が漂っていて、標高がかなり高い。
手近にあった椅子を振りかぶって窓硝子を破ろうとしたサフィアは、次の瞬間、目に見えない空気の膜にぶつかったように後ろへ押し戻された。
「きゃあ! ……あ痛たた……」
「サフィア、大丈夫か?」
「うん……何これ? ぶよぶよしてる」
窓に触れそうになると、急に空気抵抗が増して、それ以上、手が伸ばせなくなるのだ。
それどころか、すぐに弾力で押し戻されてしまう。
「これは……おそらく魔法じゃな。ここが仮に魔王の館であれば、魔法のひとつやふたつ、たやすかろうて」
「そんなぁ」
それからもルーナと二人で脱出を試みたが、抜けられそうな場所はどこにもなかった。
諦めきれないサフィアは何度も扉を叩いた。
握りしめた拳が痛くなるまで。
「ここを開けて! 誰か!」
「無駄じゃよ、サフィア。どうせ外にいるのも魔物だけだ」
「……ロッテ、大丈夫だったかな。トトも……」
頭から血を流して倒れたロッテの姿を思い出して、サフィアは最悪の想像に震えた。
トトの処遇もわからない。
あれからどれだけ時間が経っているのかすら……。
ルーナも苦い顔でぼやいた。
「何もかもが悪い方向に転がりよる……これもアナベルの手のひらで転がされたんじゃろうな。でなければ、こうも連中の都合よく道化師が囚われ、里の者たちが葬送で手薄になっているときを突けるとは思わん。わしとしたことが、まんまと踊らされたわ……!」
「……ルーナのせいじゃないよ……」
ルーナと寄り添って膝を抱えながら、どうしても最悪の想像が頭をよぎってしまう。
ロッテがあのまま死んでしまって、真相は闇の中。
誰もサフィアたちのことを助けに来ない……とか。
(ダメ。どんどん暗い気分になっちゃう)
サフィアは滲んできそうになる涙を拭った。
アナベルは巫女王と語り部をさらってどうするつもりなのか。
魔王に献上して、その後は……──
(殺されるの……かな。魔王にしてみれば、私は聖女様の子孫で、ルーナは古の一族の末裔。トトの心臓は魔王の心臓と融合しちゃってて殺せないから、代わりに子孫の私たちを殺して復讐するつもり、なのかも)
それにしては、監禁場所がこんなにかわいらしい部屋なのが不可解ではあったが。
どこかの貴族の館を乗っ取って自分たちの根城にしたのだろうが、どう見てもここは愛娘の部屋である。
その証拠に、部屋の隅には大きなクマのぬいぐるみが転がっていて、ドレッサーの中には流行のドレスやワンピースが所狭しとかかっている。
部屋の主がどうなったかは……あまり考えたくない。
背筋は冷えるのに、心臓が早鐘を打って冷や汗が流れてしまう。
部屋のどこかに血痕が残っているような錯覚がして落ち着かない。
サフィアは傍らにいる銀髪の少女を窺った。
ルーナだけでもなんとか助けられないだろうか。
聖女の直系の子孫であるサフィアと違って、ルーナはたまたまアルマダールの語り部になっただけなのだ。
(アナベルだって、同じ一族のルーナには情もあるはずだわ。なんとかして、せめてルーナだけでも……)
その交渉の行方も、サフィアの肩にかかっている。
いつも護衛してくれていたロッテ・ミルズやアルディクトはいない。
悪魔の森で追いかけてきてくれたトトも……。
(……。トト、会いたいよ……)
そのとき、両開きの扉が音もなく開いた。
ふかふかとした絨毯を踏みしめ、少女たちの背後で歩を進めていく。
「……? 何者じゃ?!」
振り向いたルーナが誰何した向こう、窓硝子に反射して映し出されたシルエットは背の高い青年のもの。
目を開いたサフィアは、そこにいるはずのない人物を視て瞠目した。
「──……トト?!」
甘ったるく濃厚な花の香りが漂い、すぐにサフィアの意識から消え去った。




