4-3
アルマダールの民に連行された独房で、トトはぽっかりと目を覚ました。
鉄格子のはまった明かり窓から光が入っている。
長かった葬送の夜が明け、朝が訪れていた。
トトは空腹を覚えて室内を見回した。
狭い独房には硬い寝台がひとつあるだけで、探すまでもなく何もない。
そういえば、昨日は蒸しパンを食べ損ねた。
サフィアとメイが食べただろうか……。
「……サフィア、どうしてるかなぁ」
気がかりといえば、それだけだった。
決して褒められたことではないが、独房やら監獄に放り込まれるのは長い人生、何度も経験がある。
別に初めてというわけでも、殊更珍しいということでもない。
道を歩いていただけのときもあったし……足下に死体の山が築かれているときもあった。
死体が魔物のものであっても人間のものであっても、残念ながら、トトにとっては特にあまり変わりない。
人間だったときの方が後片付けが大変だなぁと思うだけで。
多分、自分が殺される側でも何も感じない。
不死の呪いがかかっているということを差し引いても、そういったことに対する危機感はすっぽり抜け落ちてしまっているようだった。
けれど、そんなことも永い人生の中で繰り返してきたことだった。
繰り返し、繰り返し、殺し、嫌われ、疎まれ、蔑まれ、でもひとは忘れる生き物だから、ほんのちょっぴり受け入れられて、殺し、嫌われ、また繰り返している。
果てしなく。無限に。
その中のほんの一コマのはずなのに──
(なんか、胸がぽっかりして、スースーする。なんだろ、これ? 冷たい……)
その名前が淋しさだとも知らないまま、教えてくれる者もいないまま、トトは首を傾げた。
そんなことより、何よりも、昨日はサフィアが泣いた方がよっぽどこたえた。
トトにはどうして泣いていたかわからないから尚更だった。
(泣かせるつもりなんか、なかったのに……)
自然と、苦虫を噛み潰したような顔になる。
どうしてこうなったかわからない、というのはトトも同じ。
昨夜はサフィアが一族の男に殺されそうなのを見て、気が付けば、身体が動いていた。
衝動に任せてレイピアを揮っていったら、辺りに動く者がいなくなった。
それだけだ。
それなのに──
(なんでサフィアが泣くんだろう?)
そんなことをトトはぼんやり思った。
(魔物を倒しても何も言わなかったのに。ひとを殺すと泣いて怒るのってなんでだろう?)
トトには全然、わからなかった。
あのとき、トトが助けなかったら、サフィアは間違いなく大怪我をして……最悪、死んでいた。
だから、サフィアが死ななくてよかったと思う。
その後の行為に関しても、特に悔いはない。
そんなことを取り調べのときに言ったら、一族の偉いひとたちは怒髪天をついて怒っていた。
遺族だというひとたちが狂わんばかりに泣いていたりもした。
だったら、サフィアを傷付けようとしなければよかったのに……とトトは思う。
サフィアに危害がなければ、トトだって数十人ものひとにレイピアで斬り付けたりはしなかった。
正当防衛だとまでは言わないが、女の子一人に寄ってたかって暴力をしようとしていたのは向こうなのである。
釈然としない気分だった。
(うーん、それにしても、今日はなんだか外が随分、ざわざわしてるなぁ。昨日のことでそんなに騒いでるのかな)
それなのに、昨日の騒動の中心人物だったトトは牢屋で独り、静かにしている。
まるで台風の目みたいだ。
トトは他人事みたいに思った。
それが嵐の前の静けさだったと知ったのは、昨日と同じ「里の偉いひとたち」が二回目の取り調べに来たときだった。
てっきり昨日の殺戮について同じことを蒸し返されるのかと思ったら、違った。
厳めしい顔をした里長たちは、昨日よりも更に眉間の皺を増やして重々しく切り出した。
「我らの語り部様をどこへやった?」
トトは耳を疑った──語り部様?
寝耳に水である。
「なんのこと?」
「とぼけるな。貴様の仕業だろう?」
「待って待って。全然わかんないよ。誰か説明して」
さすがのトトも慌てた。
里長たちの話によれば、今朝になって、語り部の家の前で女が頭から血を流して倒れているのが発見されたそうである。
慌てて里の者たちが語り部の家を捜索したらもぬけの殻で、語り部の姿が消えていた。
ちなみに、倒れていた女は頭部の傷と低体温症もあいまって、現在も意識が戻っていない。
「でも、それがなんでボクのせいになるの? ボク、昨日の夜はずっとここにいたよ。知ってるでしょ?」
「おまえが一番怪しいんだ。道化師なら、夜中に牢屋を抜け出すことも可能なんだろ」
そんなバカな。
開いた口が塞がらないトトだったが、里の者たちは昨日の凶行を見ている。
一人で数十人もぶちのめす怪物だったら、牢屋から抜け出すのも朝飯前だと思ったのも無理はなかった。
トトにしてみれば冗談ではないのだが、里長たちは本気だった。
今更、容疑がひとつ増えただけである。
「それって普通に考えて、語り部の子が女の人を殴って怪我させて、疑われるのが怖くて逃げたってことはないの? それこそ、本の角でグッサリと。そういえば、凶器は何だったの?」
「まだ見つかってない。それもおまえが隠したんじゃないのか」
「だから、濡れ衣だってば」
里長たちは頭からトトを疑ってかかっている。埒があかない。
押し問答は平行線を辿り、時間が経つにつれて、トトもだんだん飽きてきた。
(もう、なんか、どうでもいいや)
疑われるのは慣れている。
話を聞いてもらえないのも。
昨日の殺戮のことならいくらでも答えるが、知らないものはどうしようもない。
「とにかく。何が何でも語り部様の居場所を吐いてもらうぞ。さあ、一緒に来るんだ」
ついにしびれを切らした里長たちはトトを拘束したまま、里の広場に連れて行った。
事前に知らされていたのか、不安と悲しみに打ちひしがれた人々が集まって来ている。
広場の中央が一段、高くなっていて、自警団の若者たちが各々、鞭を持って控えていた。
トトは嫌な予感がした。
「あれでボクを叩くの? 痛いのは嫌だな。ねぇ、別の物にするのはどう?」
「黙れ。誰がおまえの言うことなど聞くか。おい、アナベル。……アナベルはどこだ?」
「それが、団長は今朝から姿が見えなくて……どこに行ったか誰も知らないんです」
里長に訊かれた若者は、まだ少年と言っていいあどけなさを残していた。
一昨日、道化師が来たことを知らせに里へ走っていた若者だった。
トトは「やあ、元気?」なんて笑って、ひらひらと手を振った。
里長はトトを睨みつけた。
「おまえ、まさかアナベルまでさらったんじゃないだろうな? それか、もう口封じのためにアナベルを……」
「だから、ボクじゃないってば。牢屋を抜けられるんだったらとっくにやってるよ」
「……まぁ、いい。まったく。アナベルもアナベルだ。道化師を拷問するのに、どこ行ったんだか。──いいか、これからおまえを拷問する。語り部様の居場所を吐くまでは逃れられないと思えよ」
「えー……その前にキミたちの寿命が尽きると思うけどな」
トトにしてみれば親切のつもりで言ったことだが、まるっきり逆効果だった。
単なる挑発にしかとられない。
里長は自警団員たちの前にトトを引っ張り出し、里の者たちの前で鞭打つように言った。
「皆の者、よく聞け! 昨日、我が一族の若者たちを殺し、傷付け、それだけでも飽き足らずに語り部様まで連れ去った罪人の公開懲罰を執り行う!!」
見守る人々が沸き立った。
身近なひとを殺されて悲しみに暮れる顔も、怒りに強張る顔もあった。
どの顔にも一様にあるのは戸惑いだった。
多くのひとが傷付けられたことに驚き、一族の語り部がいなくなったことを不安に思っていた。
……が、トトが見る限り、そればかりではない。
(……? なんか、変だな……痛!)
集まった群衆を見回していたトトは、後ろ手に縛られて腕を更にねじり上げられ、乱暴に押し倒された。
「……痛たたた! 痛いよ。乱暴しないでってば」
「ほら、跪くんだ。さっさとしろ」
壇上で無理矢理、膝を突かされたトトの横で、里長は群衆に聞こえないように声を潜めた。
「ふん……巫女王なんかに味方するからだ」
「……え」
何を言われたのだろうと思った。
トトは弾かれたように顔を上げようとして、自警団員に押さえ付けられた。
その惨めな姿に愉悦を感じながら里長は平然と続ける。
「道化師は道化師のまま、建国神話の陰の英雄として一族の象徴になっていればよかったものを……。そこからよく見ろ、皆を。魔王が復活した不安と不満で夜も眠れなくなっている。ちょっとした衝撃で破れかねない堤のようだろう? それがわしらに向けられる前に、いずれ何かしらの理由をこじつけて、どこかに逸らさなければならんかったのだが……その点、外から来たおまえらは都合がよかった。小娘一人に不満をなすりつけられるならな」
「……?!」
トトは一転、顔を強張らせた。
まさか、昨日の暴動を予期していたというのか。
道化師を崇める者たちの不満を知っていて、見ないふりをしてきたというのか……。
そこで、はたと悟った。
このひとは、本当は語り部の失踪を問題視していない。
本当の目的は……
──トトを見せしめにして、一族の不安の吐け口にすること。
里長はケープに隠した口元でほくそ笑む。
「無知で無鉄砲な若者たちを焚き付けるのは簡単だったよ。巫女王を前にした彼らの不満が爆発する頃合いを見計らって、サクラにこう言わせればいい。『元はといえば、魔物が復活したのも巫女王のせいだ』『自分たちの方が正しい支配者だ』とね」
「なっ……!」
『元はといえば、魔物が復活したのもおまえのせいなんじゃないか?!』
『俺たちの方が正しい支配者だ!!』
その指摘が、どんなにサフィアを傷付けたかも知らないで。
建国神話と魔王の復活をこじつけて、若者たちの不満を発散させようとしたのだ。
最初から利用しようとしていた。
誰でもよかった──一族の外から来た者であるならば。
群衆の前に引き出されるのがトトでなければ、サフィアの方がそうなっていた。
トトの瞳に炎が宿った。
はらわたが煮えくりかえった。
この五百年間、なかったことだった。
「……赦せない!」
里長に向かって咆えたトトに容赦なく鞭が振るわれた。
大の男が泣き叫んで赦しを乞うような痛みだった。それが立て続けに襲って来る。
奥歯を噛みしめて堪えた。
「うっ! ぐっ! ……うぁあ!」
鞭を振るわれた場所の肉が抉れ、血が噴き出す。
不老不死の呪いであっても痛みまで和らいだりはしない。
むしろ死ねない分、終わりがない。
死ねば苦痛から解放される、という手段がトトに限っては使えない。
(くそったれ……!)
トトは今更になって、おとなしく捕らわれたことを後悔した。
自分一人が晒し者になるのなら、いい。
昨日、サフィアの制止を振り切って暴れたのは本当だし、誘拐事件のような濡れ衣を着せられるのも慣れている。
心がないから、理不尽な仕打ちに対しても怒ったり悲しんだりすることもない……はずだった。
だが、今はどうだろう。
サフィアの傍にいないことに焦れて、気が狂いそうだった。
「やっと……あの子がどうやったら泣きやむのかわかった。おまえらを全部ぶちのめせばいいんだ。サフィアを悲しませて、傷付けたおまえらを一人残らず……!」
「?!」
「ひっ……!」
トトは低く唸った。
ぞっとするような口調だった。
自警団員たちが鞭を振るう手を止め、息を呑んだ。
里長がトトの気迫に圧されて後じさる。
妖気じみてさえ、いる。
背中に走った無数の傷から生々しく血を流しながら、トトはふらりと立ち上がった。
立場は圧倒的に有利なのに、追い詰められているのは里長たちの方だった。
「サフィアはどこだ。どこへやった?」
里長たちには、檻から逃げ出した猛獣が、今にも跳躍して襲いかからんばかりに低く構えているように見えた。
手負いの獣である。
拘束されてもいる。
なのに、気圧されて動けない。
「……バカな……」
里長のこめかみから冷や汗が伝った、そのとき。
「里長様、あれを……!」
後ろの方に控えていた自警団員があらぬ方向を指さした。
アナベルを崇拝していたあの少年だった。
里の方に向かって、空を埋め尽くすかのように魔物が空から飛んで来る。
ネオキメラの群れだった。
何人かの自警団員が矢を射かけるが、とても全部は捉えきれない。
「ダメだ! こっちに来るぞ!!」




