4-2
土砂降りだった雨はやんで、屋根から滴が落ちていた。
ロッテ・ミルズが寝ずの番で戸口に立っている。
「セレンザ様、どうしました?」
「ちょっと、眠れなくて。ルーナは?」
「語り部殿なら、そこの林に。あそこから弔いの様子が見えるそうです」
「そう……」
ふらふらと林の方に向かって歩き出しかけたサフィアは、猫の仔よろしく、ロッテに首根っこを掴まれた。
「……ロッテ? 何なの?」
「いけません。そんな幽霊みたいな顔して」
「私、そんな顔してた?」
「してますって」
サフィアは自分の頬を両手で包んだ。
そんなに不気味な顔だろうか。
そういうロッテの方こそ、いつになく仏頂面だが。
「今日は中にお戻りください」
「ちょっとだけ。すぐそこだから」
「セレンザ様……!」
「メイちゃんのこと、よろしくね」
ロッテは林へ行くサフィアと、家の中にいるメイを見比べて頭を抱えた。
昼間の騒動があった以上、安易な行動は避けてほしいのだが。
盛大なため息が出た。
「すぐ戻って来てくださいね? 絶対ですよ」
「はーい」
まるで幼い子どものような扱いだと思いながら、サフィアは林に入って行った。
幸い、ルーナはすぐ見つかった。
サフィアの姿を見て苦笑する。
「やれやれ。お転婆な巫女王じゃな。護衛する方も苦労するじゃろうて」
少女二人は並んで、林の途切れる崖の下を見下ろした。
閑散とした家々の間、葬送の灯火が長い列を作って並んでいるのが見えた。
松明を持った一族の者たちが、故人を忍んで里中を練り歩くようだった。
星空の下に広がる人工的な明かりが、どこか儚く幻想的な景色を生んでいる。
どこからか悲しげな笛の音が切れがちに届き、弔いの鐘が厳かに鳴り響いた。
ふと思いついて、サフィアは聞いた。
「あの中にルーナの大事なひとはいる?」
「さぁてな。わしにそんなひとがいるかどうか……葬送に参加せずここにいることからもわかるように、わしは里の中でも世捨て人に近くてな。だからこそ、この年で語り部の称号も得たのじゃが。家族も友達もおらん。周りにいるのは本だけじゃ」
「だから、そんな喋り方なのね」
「語り部の師匠が世捨て人のじじいでの。そのじいさんも何年も前に亡くなったが……何、笑っとる」
「ごめん……喋り方の謎が解けて、ちょっとおかしくて」
現金だと批難しながらも、ルーナはサフィアの笑顔にほっとした様子だった。
「ごめん、ルーナ」
「じゃから、笑ったのはもう良い」
ルーナはそっぽを向いた。
ムキになると、途端に年相応の少女らしくなる。
「あ、えっと、そうじゃなくて……私、自分のことでいっぱいいっぱいで。ルーナの大事なひとも亡くなったり怪我したりしたかもしれないって、そこまで気が回らなかったの……だから、ごめん」
「……」
ルーナは珍しいものでも見るようにサフィアを眺めた。
「……おぬし、意外と強いな」
「へ?」
「巫女王だと思って侮ってたわ」
頬杖をついて、ぼやいている。
サフィアはきょとんとした。
「よくわからないけど……私も、里の語り部様っていうから、もっと偉ぶった気難しいひとかと思ってたわ」
二人は顔を見合わせて忍び笑った。
生まれも育ちも全然似ていない。
それでも、それぞれの境遇で孤独に生きてきた少女たちの間には小さな友情が芽生え始めていた。
サフィアの顔がランプの影に沈んだ。
諦めたような微笑みが闇に彩られる。
「私ね、強くなんか、ないよ。本当は心のどこかで、いつかこういう日が来るんじゃないかって思ってただけ」
「……ほぅ?」
「トトが心をなくしちゃったのはわかってたから……いつかトトが、私の理解できない遠くにいっちゃうんじゃないかって。本当はずっと怖かった。だって、私とトトは違うから」
「……」
サフィアは眼下で揺れる灯火の列に向かって手を伸ばした。
それはまるで星空を掴もうとするかのようで。
何も掴まない空っぽの手でサフィアは自嘲する。
「おかしいよね。トトはずっとそこにいるのに。手を伸ばせば届くのに。傍にいても、心の方が遠いの」
「……じゃから、道化師の心臓を取り戻したかったのか」
サフィアは答えなかった。
その沈黙が何よりも雄弁だった。
「……。そうか」
ルーナの隣で、サフィアはすすり泣いた。
心がバラバラになりそうだった。
トトを心配する気持ちと、ひとが死んだ恐ろしさと、何も為せず止められなかった自分への悔しさやふがいなさが溢れて出して狂ったように荒れくれた。
(トトは私を助けてくれようとしたのに……!)
サフィアがしたことといえば、トトの手を拒んで、批難して、護送されるのを黙って見守っただけだった。
切られて肩より短くなった髪が夜風に煽られていく。
「ごめんね、トト! ごめんなさい……! 私、は……っ」
泣きながらうずくまるサフィアの背中を、ルーナが小さい子どものようにあやし続けた。
サフィアたちの眼下で、葬送の行列は蛇のように蛇行しながら進んで行き、やがて見えなくなる。
「……行っちゃったね」
「ああ。そうだな」
二人はそのまましばらくそこにいたが、コートを羽織っているとはいえ、冬の大気に晒されてさすがに身体が冷えてきた。
「……そろそろ戻るかの」
「うん」
ルーナが促して、二人は引き上げることにした。
☆☆
「──ああ、どうも。護衛さん。こんばんは」
語り部の家の戸口に立っていたロッテ・ミルズは、夜遅くにやってきた人物を意外に思った。
自警団のアナベル──サフィアたちを歓迎し、仮の宿を提供してくれた若者だった。
人懐こそうなそばかす顔にも、今は疲れが滲んでいるように見えた。無理もなかった。
「どうしたんです、こんな時間に」
「セレンザさんたちの様子を見に来たんです。今なら葬送で誰もいませんので。その……大変でしたね」
「お気遣い、痛み入ります。ご迷惑をかけたのはこちらの方なのに……」
「ひどい騒ぎでしたね。セレンザさんたちはどこです?」
「もう寝ています。すみませんが、明日また出直してくれませんか?」
「そうか……困ったな。道化師のことを話したかったのに。そうだ。護衛さんにもちょっと話があるんです。すぐそこですから」
アナベルは踵を返しかけた。
その背中に、ロッテが槍を突きつける。
「……何です?」
アナベルは振り向かずに両手をあげた。
「意外に思いましてね。失礼ですが、貴方は主を『道化師のオマケ』ぐらいにしか考えていなかった。それがなぜ今更、こんな夜更けに夜這いじみた行為までして呼び出そうとするのか」
「オマケだなんて……」
苦笑したアナベルだったが、ロッテは追及を緩めない。
「もうひとつ。主が貴方に対して『セレンザ』と名乗ったはずはないのですが……我らが巫女王様に何のご用事ですかね?」
「……ごちゃごちゃと面倒くさい女だなぁ……」
貼り付けた笑みの間からアナベルが愚痴を零したとき。物陰から魔物たちが姿を現した。
「なっ……!」
いつの間にか鎧をまとった魚人騎士たちに囲まれている。
闇の中で魔物たちが手に手に剣や弓、棍棒を持ち、ロッテに照準を合わせている中心で、アナベルは平然と笑った。
「力尽くで通してもらうさ。巫女王に恨み持ってんのは何もアルマダールの民だけじゃないんでね」
「……っ! 答えろ! 誰の命令で動いてる?!」
「──魔王さ」
そのとき、ロッテの耳に草を掻き分けて駆け戻って来る二人の声が届いた。
「ロッテ、何があったの?!」
「いったい何事じゃ?」
「来てはダメです、セレンザ様! 逃げて……ぐっ!!」
魚人騎士に背後を取られ、後頭部の鈍い衝撃にロッテの意識が沈む。
林の中から駆け戻ったサフィアとルーナは、倒れ伏したロッテ・ミルズと傍に佇むアナベル、自分たちを取り囲んだ魔物たちを信じられない気持ちで見つめた。
一番信じられないのはルーナだった。
一緒に里で育ったアナベルが魔物の中心で笑っているのだ。
「アナベル?! なんで……!」
アナベルは楽しげに笑った。
彼に同調するように、魚人騎士たちも魚の口でカタカタと笑う。
「デュヴァルオード様のところに、一緒に来てくれるよね、巫女王様と語り部様? じゃないと、この女、殺しちゃうよ?」
(どうしよう……どうしたらいい?)
サフィアは震えながら傍らのルーナを見た。
真っ白な肌は更に蒼白で、頼りないランプの灯りで、夜闇の中でも浮かび上がるようだった。
強く唇を噛みしめてアナベルを睨み付けている。
魔王に仕えている男に連れて行かれて、無事でいられるとは思わない。
(せめてルーナだけでも……)
けれど、相手は巫女王様と語り部様と言った……。
そのとき、倒れていたロッテが微かに身じろぎした。
「……う……」
「ロッテ?! 大丈夫?」
頭から血を流しながら必死に目を開けようとしている。
「……ダメです。セレンザ様……逃げて……」
「……!」
「……逃げ、て……」
サフィアは逆に心が決まった。
(……目的が巫女王と語り部なら、私たちはすぐ殺されることはないわ。少なくとも今は。でも、ロッテは……)
ルーナに目をやる。少女は何も言わずに手を強く握り返してきた。
サフィアはありったけの勇気を振り絞った。
「……ロッテにこれ以上、手を出したら許さないから」
「ふふっ。そうこなくっちゃ」
「……アナベル……!」
ルーナが怒りをこめて咆える。
月のない闇夜の下で、ルーナの知らないアナベルが、不敵に笑った。




