3-5
「痛っ! たたた……」
サフィアは路地裏に投げ出されて尻餅をついた。
朝から降り続けている雨で湿った地面が冷たい。
見上げれば、風体の悪い若者たちに囲まれている。
内心、辟易した。
どこにでもこういうならず者はいるのだ。
「何よ、あんたたち」
「道化師の信奉者だよ。あんたこそ、本物の巫女王か? 二年前に即位したセレンザ・スカイアーク?」
「……だったら、何」
巫女王と知って襲ってきている。
語り部のルーナと違って、若者たちの瞳は危険な熱を帯びていた──剥き出しの敵意。
最初に声をかけてきた男が下卑た笑いを忍ばせた。
「野郎ども、逃がさないようにしろよ。何、ちょいと一緒に来てもらうだけだ。悪く思うなよ」
左右から両腕を羽交い締めにされたサフィアは歯噛みした。
だが、黙っておとなしく連れられていく気はない。
「エスコートが下手な男はモテないわよ。乱暴するのなら、それ相応の覚悟をすることね──ロッテ! アル!」
「……?!」
ならず者どもの背後から男女が風のように現れ、数人をなぎ倒した挙げ句、瞬く間に首謀者と見られる男の首に刃物を突きつけてしまった。
「……なっ?!」
物陰に護衛の近衛兵二人が潜んでいたのだ。
自由を封じられてしまった男は、あっという間の形勢逆転が信じられないという風に目を丸くした。
他の者たちも首謀者を人質に取られて身動きができずにいる。
「ご無事ですか、セレンザ様」
「ありがと、二人とも。さあ、今度はこっちが質問させてもらうわよ。貴方たち、何が目的なの? か弱い乙女の暴行? それとも、巫女王をさらった身代金なの?」
か弱い乙女、というフレーズにアルディクトが首を傾げ、ロッテ・ミルズがそんな部下の足を踏ん付けてたしなめた。
サフィアは両方、見なかったことにした。
「……粛清だ」
サフィアたちは、男が絞り出した言葉の意味を測りかねた。
「この里に来たあんたたちなら、もうわかってんだろ。建国神話が巫女王に都合良く歪められた虚構の歴史だってな。『聖女が魔王を封じたおかげで世界が平和になった』……そんなの嘘っぱちだ。聖女がやったことといや、道化師が魔王を倒せたはずの秘技を邪魔して、フイにしたことだけじゃねーか!」
そうだそうだ、と賛同する声が若者たちの間からもあがる。
男はその声援に勢いを得て瞳に力をこめた。
「魔王の封印だって、道化師の力がなきゃできなかった! なのに、それを巫女王側の奴らが、聖女一人の功績にして、俺たちを日陰者にしたんだ! 魔王を封印した功労者が忌み嫌われる空っぽの『道化師』であっちゃなんねー……ただそれだけの理由で!」
(……っ!!)
声を悔し涙に震わせる男の弁舌は、サフィアの心の奥の深い部分を穿った。
光を浴びる部分で脚光を浴びてきた巫女王の一族と、陰に追いやられて隠れ住んできた道化師の一族の運命の矛盾。
一方は魔王を封印した聖女と崇められ、一方は歴史の表舞台から葬られて人々からも忘れ去られた。
何が違うのか。
ともに魔王を封印した者たちの末裔でありながら、いったい何が……。
その想いは聞いていた若者たちの胸の炎をも煽った。
各々に獲物を持ち直し、いつでも構えられるように力をこめる。
己の弁舌に酔った男の勢いは止まらない。
「巫女王と従者め、俺を殺せるもんなら殺してみろ! 残った同志たちがおまえを晒し者にして、この国で安穏と生きてきた奴らに思い知らせてやる! 今、魔物がこんなに蔓延ってるのは何故だ?! 聖女が道化師を邪魔して魔王を倒し損なったせいじゃねーか!!」
魔物のことにまで言及されて、自分たちを取り巻く脅威に不安を感じていた者たちが一斉に沸き立った。
熟れすぎた果実が硬い殻を破って勢いよく弾けるように、不満の波は瞬く間にひとへひとへと伝播していった。
「そうだそうだ! 巫女王どもに任せてられるか!」
「元はといえば、魔物が復活したのもおまえのせいなんじゃないか?!」
「俺たちの方が正しい支配者だ!!」
各々に宿った狂気の熱が再燃する。
怒り狂った炎はすべてを焼き尽くすまで止まらない。
「……セレンザ様……!」
近衛兵の二人が警戒を強める。
ロッテ・ミルズはサフィアの身辺を守り、アルディクトは捕らえた男を押さえる腕に力をこめた。
「セレンザ様、逃げましょう。この男を人質にして突破します」
「……」
サフィアは若者たちを眺めた。
この国の縮図だ、と思った。
魔物が復活した不安は水面下で膨らんでいて、遠からず、王城にも迫って来る。
その危機に対して適切に対応できない王政への不満も。
……これは多分、その一部に過ぎない。
「……アル、お願い。彼を放してあげて」
「!」
アルディクトが不審げに目配せする傍ら、ロッテ・ミルズが耳を疑って叫んだ。
「セレンザ様?! 気は確かですか。この男を解放したら何をされるか……」
「いいの、ロッテ。このままじゃ私たちが悪者になるだけだよ」
サフィアの静かな声を聞いて、近衛兵たちも覚悟を決めた。
若者たちを煽っていた男を放し、サフィアを守ることのみに専念する。
気が付けば、サフィアと近衛兵たちを取り巻いて、数十人ものひとたちが弧を描いて集まっていた。
最初にいた過激な数人の若者たちを始め、その誰もが道化師を英雄として歓迎し、慕っていた者たちだった。
だからこそ、直接、表には出さなくても、道化師の功績を歴史の裏に葬り去った巫女王の治政に少なからぬ不満を抱いている。
自分たちも魔王を封印した一族の末裔なのに……と誰もが口にせずとも思っている。
「貴方たちの不満、わかるわ。私もそう思う。どうして聖女様が崇められて、トトがそうじゃないのか。それって不公平じゃないのかなって」
「……?!」
サフィアの言葉が意外すぎて、一同が言葉を失う。
率先してサフィアを襲おうとした者、半信半疑だった者、好奇心から見物しに来た者……理由は様々だが、彼らは間違いなく建国神話の真実を知っていた。
知っているからこそ、一部の者たちは古の一族の末裔として、隠れた選民意識をもっていた。
自分たちは道化師のいた一族の子孫であり、選ばれた一族だと。
自分たちこそが歴史における裏の功労者──本来であれば巫女王と同等の地位にいるべき者たちであると。
「だから、この里に来て、貴方たちと出会って……トトを歓迎してくれて、嬉しかった。貴方たちはトトのこと、わかってくれてる。彼が聖女様と一緒に魔王を封印したことを知ってくれてる……ありがとう」
それはサフィアの本心だった。
王都では誰にも信じてもらえなくて、それを当たり前だと振る舞っていたトト。
そんなふうでいいわけがなかった。
「巫女王なのに、巫女の力もなくて、魔王が復活しちゃっても何もできなくて、本当にごめんなさい。私、貴方たちに協力してもらいに来たの。魔王からトトの心臓を取り返すために、私たちでまた魔王を封印して平和な世界を取り戻すために、貴方たちに力を貸してほしいの」
「……協力? 俺たちが、助ける……?」
聞いていた者たちの中から、水面を打つような微かな言葉が零れ落ちる。
群衆の中にざわめきが広がった。
迷っている。どこまで信じていいのか、測りかねている。
誰かが、ぽつりと言った。
「……今更、そんな虫のいい話が信じられるか。俺たちはもう長いこと、歴史の闇に葬られてきたんだ。今更……」
「もちろん、すぐに信じてくれなんて言わないわ。でも、考えてほしい。私たちの敵は何? 聖女様? 巫女王? 私を晒し者にしたところで、魔物がいなくなるの? それでみんな平和になれると思う?」
サフィアは必死に言い募った。
この際、信じてもらえるかどうかは関係なかった。
集まった者たちにどうすれば想いが伝わるのか、胸が焦がれるようだった。
五百年前のトトもアメリアも、巫女王とアルマダールの民の間に溝を作るために魔王と戦ったわけではない。
ただ平和な世界を願って、実現できると信じて、自分たちにできることをやった結果だった。
今度はサフィアの番だ。
サフィアが彼らの想いを引き継ぐのだ。
魔物のいない平和な世の中を願って実現した、かつての少年と少女だった者たちの想いを。
サフィアは声を張り上げた。
「魔王を封印しよう! それには、貴方たちの力が必要なの! お願い。この国のもうひとつの歴史を語り継いでいた貴方たちの力を、私に貸してほしい!」
皆が皆、お互いの顔を見合わせ始めた。
その瞳に先ほどまでの熱に浮かされた狂気はない。
誰もが己の中の天秤を傾かせて迷い、どちらにも振り切れずにいる。
国民の前で巫女王を見せしめにして道化師の無念を晴らすか、協力して魔王に立ち向かい矜持を取り戻すかの狭間で揺れ動いている。
「……巫女王……様……」
「……どうする? なぁ……」
誰からともなく視線をさまよわせる中、サフィアに歩み寄る男がいた。
皆が注目する中、サフィアの視線をまっすぐに受け止めて距離を詰めて来る。
「巫女王──セレンザ・スカイアーク様。もったいないお言葉です。俺たちにできることなら喜んで……とでも言うと思ったか、小娘!」
「……っ!」
「セレンザ様?!」
──それが答えだった。
男に羽交い締めにされたサフィアは、後ろ手を捕らえられた痛みで顔をしかめた。
近寄ろうとしたロッテとアルディクトも牽制されて動けずにいる。
「残念だったな。歩み寄るには、もう遅すぎる」
「そうだ。今更、巫女王の言うことなんか信じられるもんか。俺たちは踏みにじられてきたんだ!」
「馬鹿にされてきた道化師と同じ思いを味わわせてやれ!」
「くっ……!」
サフィアは抵抗しようとして……失敗した。
縄抜けと同じ要領で抜け出そうとしても、逆にギリギリと締め付けられてしまう。
「痛っ……! 嫌! 放して!」
前から左右から、亡者のように人の手が伸びて来る。
誰彼かまわずコートを掴みボタンを引き千切り、少女を蹂躙しようとする。
(怖い! 誰か助けて……!)
「このっ……セレンザ様を放せ!」
ロッテとアルディクトが剣の柄に手をかけて人垣を突破しようとする。
サフィアはぞっとした。
そんなことをしたらますます溝が深まる。
近衛兵が国民に対して剣を抜くことになってしまう。
協力してほしいと言った言葉を嘘にしてしまう。
(それだけは……ダメ!)
「ロッテ! アル! 剣を抜いちゃダメ。このひとたちと戦わないで!」
「セレンザ様……でも!」
「私は大丈夫だから! 剣を抜かないで! お願い!」
我ながら無茶苦茶を言っていると思った。
けれど、サフィアは巫女王で、取り巻いている暴徒たちは守るべき国民だった。
(なんとか自分で切り抜けなきゃ……!)
「痛いったら! やめて。放して! ……きゃあっ?!」
ポニーテールを引っ張られ、宙吊りの格好になる。
最初に弁舌を振るっていた男だった。
手には銀色に光る刃物を持っている。
「ふははは! 無様だな、巫女王! 俺たちの恨みの深さ……思い知るがいい!」
(……っ!! 刺される!)
男がサフィアのポニーテールをにじり上げ、ぶっつりと無残に切り刻む。
そのまま無防備な背中に刃を振り下ろして少女を亡き者にしようとした。
「……サフィア……!」
栗色の髪が落ち葉のように舞い落ちるのを、駆けつけたトトが呆然と見ていた。




