3-4
翌日は、朝からしとしとと小雨が降っていた。
髪の毛がしっとりと潤う程度で、幻想的な霧のように辺りを包み込んでいる。
この日、サフィアとトトはアナベルと一緒に里の片隅にある小さな家を訪れた。
語り部というのは、古の一族の中でも後世に伝えていくべき口承を受け継ぐ役職らしい。
古今東西の歴史に精通し、火急の折りには里長よりも発言に重きを置かれる存在なのだという。
「今の語り部様は幼い頃から神童と謳われて語り部を受け継いだ凄い方なんだ」
と、アナベルは気さくに説明した。
その役職柄か、家に一歩入った途端、足の踏み場もないほどの本がうずたかく積み上げられて、人工の木立の中に入ったような有様。
サフィアは思わず感嘆の声をあげた。
「うわぁ、凄い! 城の蔵書室でも見たことない……っとと!」
慌てて自分の口を塞いだ。
メイに巫女王だと言わない方がいいと言われていたのを思い出したのだ。
「語り部様。語り部様ぁー。来ましたよー」
アナベルが声を張り上げて捜索する傍ら、トトは本の塔をどう攻略するか考えていた。
「あれ、上に乗っかれるかなー」
「トト、試さなくていいからね」
アナベルは奥へ奥へと進んでいく。
何度も声を張り上げているうち、もう留守なんじゃないかと思えてきた頃になって、立ち塞がる本たちの向こうから返事があった。
「聞こえてるわ。こっちじゃ、こっち」
(……?)
サフィアは不審に思った。
声が異様に若い。古の一族の語り部……という響きから、よぼよぼの老賢人をイメージしていたのだが……。
「なんじゃ、アナベルか。何度も呼ばずとも聞こえるわ」
現れた人物に度肝を抜かれた。
サフィアとそう変わらない年頃の少女……に見える。
雪のように色の白い肌に零れ落ちた長い銀の髪。
丸い縁取りの眼鏡で多少、大人びて見えるものの、小柄な身体にはあどけなさが見え隠れしている。
「あ、貴方が……その、語り部なの?!」
サフィアの声に、語り部の少女は読んでいた本からやっと顔を上げた。
恐ろしい厚さの本である。百科事典でも読んでいるのだろうか。
「語り部様、よかった。このひとたちは旅の……」
「ほぅ。巫女王と道化師が揃って来たか。遅かったの」
アナベルの紹介を遮って、語り部の少女はこともなげに言う。
見た目でわかるトトはともかく、どうしてサフィアまで正体がバレているのか。
「知ってたの? ボクたちのこと」
「ふむ。それぐらい訊かずともわかるわ。最近の魔物の動向……魔王の復活……二年前に即位した巫女王というピースを繋ぎ合わせれば、自ずと解は見える」
「はぁ……」
これは一筋縄ではいかないぞ、とサフィアは思った。
トトが無邪気に手をあげた。
「ねぇねぇ、キミ。一個質問していい?」
「なんじゃ」
「えーっと……キミも不老不死の呪いを受けたのかい?」
「違わい。生まれてこの方すくすく成長中の華の十六歳じゃ」
(え、えー……?! 嘘ぉ。てっきりトトの同類の長生きびっくり人間かと思った……)
見た目と口調のギャップが激しすぎてそう思ったのだが、要するに、普通の人間……らしい。
その語り部の少女は、甲斐甲斐しく椅子とテーブルを「発掘」していたアナベルを外に追いやってしまった。
「──さて。厄介払いはしたぞ。巫女王の小娘」
「サフィアです」
「ボクはトトだよ」
語り部の少女はルーナと名乗った。
思いのほか女の子らしい名前である。
何の気なく褒めたら、顔を赤らめて睨まれた。
「私たち、貴方に聞きたいことがあって王都から来たの」
「おおかた、魔王を封印する方法を教えてほしい、ということじゃろ」
サフィアは内心で舌を巻いた。
頭の回転が恐ろしく速い。
幼くして語り部に指名されたということはある。
「二年前から魔物が増えたこと、ここ数ヶ月で一気に勢力を増したことからも窺える……魔王が復活したな」
「はい。王都ももう安全とは言い切れなくなってます」
「そうじゃろな。じきに街と街の往来も厳しくなる。聖女が登場する前の、魔物に脅え支配される混沌とした世界に逆戻りする……」
ふむ、とルーナも思案顔になった。
「じゃが、解せぬな。秘技についてなら、そこの道化師が知ってる。わざわざこの隠れ里まで来る必要はなかろう」
「それが、トトは秘技については覚えてないみたいで……」
「なんか呪文とか呪符とかあったみたいなんだけどねー。もうさっぱり。何が何やら」
「道化師になったときに記憶もバラバラになったか……憐れよの」
ルーナはサフィアの返事も予想済みだったらしく頷いた。
その口調からは、建国神話の裏の話も知っていることが窺えた。
いや、知っていて当然なのだろう。
彼女はアルマダールの語り部なのだから。
ルーナは戸棚を探って異国情緒を感じさせる香を焚いた。
どこか懐かしい香りが郷愁を誘う。
「その様子じゃ一族についてもろくろく覚えてないな。じゃあ、まずはその辺りの話からするかの」
そうしてアルマダールの語り部は話し始めた。
魔王を頂点として魔物たちが世界中に跋扈した聖女の時代──
それよりも遙か昔、人類がまだ農耕という手段を得始めた頃。
世界の片隅に、不思議な力を発現した者たちがいた。
超常の力を意のままに操り、天候を左右し、日照りや飢饉に悩まされた人々を救った超常者たち。
彼らは司祭となり、権力を勝ち取りながら、人とは思えない力を持つようになった。
だが、その超常の力には代償も大きかった。
人間の精神エネルギ──それも超常者の心臓の力を使ったのである。
「……心臓の力?! それって……」
「──そう。魔法じゃな。もっとも、まだまだ初歩的な、不完全で未熟なものじゃっただろうが。そして、雨乞いや傷病者の手当なんかで大きな技を使えば、当然、その代償も大きくなる。恩恵の陰にある大きすぎる犠牲。それが奴らの悩みだった」
「大きすぎる……犠牲って?」
「たとえばじゃな。今、おぬしが死にそうなぐらいの大怪我をしたとする。治すには魔法の力が必要じゃ。そのために、十人の魔法使いが心臓のエネルギーを使いすぎて命を落とすとか」
「……?! 一人助けるのにじゅ、十人?!」
「雨乞いをして雨を降らせるために魔法を使って、その代償に一ヶ月寝込まんといけんとかな」
「一ヶ月……って! 雨降らせるだけでそんな!」
「……なんか、めちゃくちゃ効率悪いねぇ……」
「元々、人智を超えた奇跡の力じゃ。そのぐらいの犠牲が必要だった。そのはずだが──」
しかし──
探究の末、偶然にも、ついに彼らは見つけてしまった。
開けてはいけないパンドラの箱──異世界への扉を。
そして、手に入れてしまったのだ。
尽きることのない魔法の源泉を。
「──それが『魔物』じゃった」
「……? 何それ。どういうこと?」
「……ふぅん。要するに、この世界に魔物を招き入れたんでしょ。魔物のエネルギーで自分たちが魔法を使って、自分たちの特権を守るために」
「ちょっと待って。この世界に魔物を召喚したのは人間だったっていうの?! そんな……」
「……そうじゃ。残念ながら。まったくもって愚かなことにな」
それから何千年もの時が過ぎた。
魔物が世界を蝕み、数限りない冒険者たちが魔物を倒し倒される傍らで、超常の力を持つ魔法使いたちは被害を黙視し続けた。
だが、最初に魔物を招いてしまった男だけは、自分たちが魔物を世界に招き入れた罪を忘れず、子々孫々に語り継いだ。
いつの日か自分の意志を継いだ子孫の誰かが魔王を倒し、世界を再び平和に導いてくれると信じて、口伝えに秘技を伝え続けた……。
「──それが我ら、古の一族の起こりじゃ。すべては魔王を倒す手段を残すために」
「アルマダールの民は、魔法使いの末裔……なの?」
「昔の話じゃ。今は魔法など残っておらん。おぬしが連れて来た大賢者様の使い魔などは例外じゃが……ごくごく例外中の例外だが……オッホン。話を戻すぞ」
そして、五百年前、ついに男の意志を継ぐ者が現れた。
彼は自分の心臓を奪われ、不老不死の呪いをその身に受けながらも、残された魔力で魔界の扉を開き、魔王を封印することに成功した。のだが──
「魔王を倒すために道化師が使った秘技は、道化師にしか伝わっておらん。当の本人が忘れた以上、わしにもどうすることもできん。気の毒だが……」
「……」
サフィアは長いため息を吐いた。知らず知らずのうちに緊張して肩が強張っている。
「……凄い……!」
ルーナはコップの水を一息に飲んでから、呆れたように言った。
「……話、聞いてたか? 現状、魔王を封印する手立てはない。おぬしらのここまでの旅は無駄足じゃ」
「そんなことないよ。私、トトのことが知れて嬉しい」
ルーナにしげしげと見つめられて、サフィアは自分の台詞の意味を改めて考えた。
顔から火を噴いた。
「ち、違うよ。そういう意味じゃなくて……!」
「……わしは何も言っとらんぞ」
「何、何ー? 何の話?」
不思議がるトトを見ながら、ルーナが訳知り顔でニヤニヤしている。
今度はサフィアが咳払いする番だった。
「と、に、か、く。貴重な話をありがとう。今のところ貴方しか手がかりがないの。魔王や魔物のことで何かあったらまた教えてくれる?」
「おぬし、どうして魔王を封印する方法を捜している? 巫女王だから? 困っている民たちを助けるため?」
思わぬ問いに、サフィアはきょとんとした。
二年前に聖剣ステラを喪ってから、他人に深く追究されることはなかった。
サフィアの身近な人たちは誰もが彼女の罪を知っていた。
彼女が聖女の封印を破って、魔物を解き放ってしまったこと……。
「巫女王だからとか、民のためとか。それもあるけど、それだけじゃないわ。トトの心臓を取り戻したい……それは私の願いでもあるの」
トトが驚いたように目を丸くした。
ルーナはにやりとした。
何が面白いのか、お腹を抱えて盛大に笑い転げた。
「ふふ。あはは。着飾っているだけの人形に興味はない。気に入ったぞ。またいつでも来るがいい」
「……! ありがとう」
「道化師。道中、サフィアを送ってやれ」
「トトだってば。……っていうか、なんで命令するのさ」
戸口に向かっていたサフィアは、背中から声をかけられた。
「──道化師の心臓、取り戻せるといいな」
「……うん!」
トトのことを想ってくれる言葉が嬉しかった。
外に出ると、もう日が傾きかけていた。
まるで語り部の家だけ時間の流れから切り離されているみたいだ。
一気に現実に引き戻された気がした。
緊張が解けた途端、空腹を思い出した。
隣のトトのお腹も鳴った。
二人して忍び笑いした。
「お腹すいたー。何か食べる物買ってくるよ」
「じゃあ、私はメイちゃん捜して来る。後で落ち合いましょ」
サフィアは里に数軒ある食べ物屋の前でトトと別れた。
歩きながら頭の中にはまだルーナの話が反響している。
魔物を人界に召喚してしまった男。
魔王を倒すための秘技を語り伝えていた一族。
魔王が再び復活した今、秘技の詳細は闇の中……。
(なんとかしてトトの心臓だけでも取り戻せないのかしら……)
そんなことをぼんやりと考えながら歩く。
巫女王としてはつくづく勝手だと我ながら思う。
自分が巫女王の器でないこともわかっている。
巫女の力が発現しない、ただの平凡な少女。
「……あれ? メイちゃん、ここにいないの?」
「うん。かえったよね」
「さっきまで、いたんだけどー」
遊んでいる子どもたちの中にメイの姿はなかった。
入れ違いになったらしい。
(まぁ、ちょっと暗くなってきたけど大丈夫でしょ。あの子、しっかりしてるからなー。ほんと、大きいどっかの誰かさんとは大違い)
「──こいつが巫女王か?」
「……?! 何?」
狭い路地に差し掛かったとき、サフィアは腕を掴んできた何者かに無理矢理、引きずり込まれた。
☆☆
「……あれ? メイ、なんで先帰ってるの?」
買い出しを終えてサフィアの家に「帰った」トトは、サフィアが迎えに行ったはずのメイがいるのを見つけて首を傾げた。
抱えた包みの中では蒸しパンがほかほかと湯気を立てている。
「サフィアは? 一緒じゃなかったの?」
「? メイはずーっとひとりですよ」
嫌な予感がした。
外はもう暗くなり始めている。
サフィアのことだから、メイが先に帰っていることに気付けばすぐに戻って来るとは思うのだが……。
(なんだ? この胸騒ぎ……)
正体の見えないざわつきが形を成すように、自警団のアナベルが息を切らして駆けて来た。
「すまん。その、サフィアさん、いるか?」
「いや、いないよ。どうかしたの?」
「それが……うちの不良どもの姿が見当たらなくて。彼女が巫女王だったって言ってから様子が変だったから、なんか気になってさ」
「! まさか……」
「あ、トト! まって」
アナベルが言い終えないうちにトトは駆け出した。
その後をメイが慌てて追いかける。
駆けて行く道化師の後ろ姿を、アナベルが静かな目で見守っていた。




