3-1
──……え?
サフィアは目の前の光景が信じられずに、瞠目したまま立ち尽くした。
ぽたり、ぽたり……。
レイピアから血がゆっくりと滴り落ちていく。
剣の持ち主は背を向けて立っていた。
いつものようにちぐはぐな衣装で、爪先のカールした靴を履いて。
けれど、いつもと全然、違う後ろ姿で。
──……トト……? 貴方、どうして……。
返り血を浴びた青年は緩慢に振り向いた。
漆黒の瞳は無機質で、何の色も映さない。
否──トトはずっとこの瞳だ。
サフィアが忘れていただけで。
彼が、道化ているだけの人形なのだと。
──……。『どうして』って?
暗闇から赤く染まった手を差し伸べてくる。
血塗れの道化人形は、心の底から不思議そうにした。
──なんで泣くの? キミのために壊したのに。
──……泣かないで。
頬に添えられた手をサフィアの涙が濡らした。
血塗れの指が優しく拭うたび、真っ白な頬は汚れていく。
膝に力が入らなくなり、少女はその場でくずおれた。
何かが取り返しのつかないほど間違っていて。
どこまで戻ればいいのか、よくわからない。
私たちは、どこで間違えてしまったんだろう……?
☆☆
道化師になる前の記憶を思い出すとき──
トトは、自分がまるで舞台を観ている観客になった気分になる。
舞台上の「誰か」が演じている舞台は、ちぐはぐで、ぶつ切りで、曖昧にふやけて原型を留めているところがひとつもない。
起承転結がてんでバラバラぐちゃぐちゃに入り乱れて、ちっとも感情移入なんかできやしない。
自分にとってアメリアという少女がどういう存在だったのかだって、本当のところはわからない。
それこそ建国神話に出てくるご立派な聖女様だったのかもしれないし、泣き虫でお人好しで世界よりも幼なじみを救ってしまう愚か者だったのかもしれない。
トト自身のことにしてもそうだ。
彼は、道化師になる前の自分がわからない。
自分を犠牲にして世界を救おうとした真の英雄かもしれないし、魔王に心臓を奪われた上に呪いまでかけられた底抜けの大間抜けかもしれない。
古の一族とは何だったのか。
彼らから受け継いだ秘技とはどういうものだったのか……。
五百年前のトト少年が知り得た知識は、記憶の彼方に風化して、今ではもうすっかりすり切れてしまったのだった。
「──そういうわけだから、一族のこともほとんど覚えてないんだよ。残念なことに」
「隠れ里に行けば何か思い出すかもしれないよ」
「そうかなぁ」
サフィアに励まされて、トトは自信なさそうに呟いた。
悪魔の森で負った傷はすっかり癒え、今はサフィアたちの分まで旅荷物を担いでいる。
先頭をいくツインテールの子どもが振り返った。
「ふたりとも、はやくー。いそがないと、きょうじゅうに、かくれざとにつけませんよ」
王都スカイアから南下すること半月。
隣国との国境沿いに広がるアベンディ山脈の麓。
この場所には、古の一族の子孫──通称、アルマダールの民が隠れ住んでいるという。
サフィアたちは復活した魔王を倒す手がかりを得るために、アルマダールの隠れ里を訪れることにした。
事の発端は、それからさらに半月ほど遡る。
その日、サフィアは城の礼拝堂の裏手にある薬草園を訪れていた。
いつの頃からかスカイアーク城の奥にひっそりと住み着いている賢人──「大賢者」に会うためである。
冬枯れの季節だというのに、薬草園にはみずみずしい緑が生い茂り、星形の果物や虹色のキノコまで生えていた。
なんでも名だたる薬師たちが財を投げ打ってでも手にしたいと願う稀少な霊草のオンパレードだという噂。
どれもこれも大賢者が古今東西、ありとあらゆる場所から集め育ててきたもの。
そんな彼だから、一縷の望みを賭けて訊いてみたのだ。
古の一族の末裔──アルマダールの民について。
そのとき、いつも穏やかな大賢者は一瞬、表情を曇らせた。
次いで出た言葉は、サフィアの予想を超えるものだった。
「トトから聞いたのですね。五百年前に起きたことを」
「え?! ──ってことは、大賢者様も?」
大賢者は是とも否とも言わずに微笑み、ただ何かを考え込んでいるようだった。
「そうですか……トトが話したのなら。貴女にも知る権利があるのでしょうね。いいでしょう──メイ」
「はいです、ごしゅじんさま」
どこから現れたのか、いつの間にか女の子が大賢者の足下にいた。
黒髪のツインテールに漆黒のドレス。
好奇心旺盛な瞳がくるりと大きい。
「えっと、大賢者様。この子は、いったい……?」
「私の使い魔と言いますか……まぁ、お手伝いみたいなもので。色々、役に立ってくれてます」
「?? ……はぁ」
(こんな小さい子が大賢者様のお手伝い? 初めてのお使いみたいなものかしら……)
メイの方から愛想良く「よろしくですぅ」と握手されて、サフィアもおずおずと手を伸ばした。
大賢者が微笑ましいといった様子で佇んでいる。
「では、この子が一族の隠れ里まで道案内してくれますよ。ああ……それと、トトも一緒に連れてお行きなさい。護衛以外にもきっと役に立ちますから」
「……護衛以外にも?」
サフィアが首を傾げると、大賢者は意味深に微笑んだ。
「ええ。あそこは、唯一、建国神話が正しく伝わっている土地ですから──くれぐれも気を付けてくださいね」
大賢者が物思いに沈んだが、サフィアにはその意味がわからなかった。
そうして、サフィアは少し不審に思いながらも、トトとメイ、それから近衛兵の護衛を何人か連れて南の地へ旅立ったのだった。
家出同然だった前回と違い、皆、きちんとした旅支度を整えた格好である。
サフィアは旅仕様に頑丈な厚手のマントを羽織り、栗色のポニーテールには、マントと同じボルドーのリボンをあしらっている。
幼いメイはフリルのついた光沢のあるリボンで黒髪のツインテールをまとめ、少し大人びた黒のコートでご機嫌である。
サフィアの護衛でついてきた近衛兵たちも、各々、冬の旅支度でもこもこと羊のように着込んでいる。
トトだけがいつもと同じ格好だったが、もはや誰も疑問に思わないぐらい馴染んでいた。
そんな不思議な三人組+近衛兵たちはゴツゴツした岩肌の中を歩いて行った。
神聖スカイアーク王国の南の国境沿いに位置する大山脈の麓に広がる不毛の大地。
この辺りは土地が痩せて、春になっても草木があまり茂らないことから「枯れ谷」と呼ばれている。
地形の問題で雨があまり降らないが、一旦、大雨になると大洪水になることから、普段はあまり旅人も近づかない。
それゆえに、隠れ住むにもってこいなのかもしれなかった。
サフィアは変わらない景色に辟易しながら歩いた。
時には肉体的な疲れよりも精神的な疲れの方が滅入ることもあるわけで。
「……ちょっと、待って。二人とも。ちょっと、休憩ー」
「えー? またですかー?」
「野宿してまた魔物に襲われるの嫌だよ、ボク」
「……なんでそんなに元気なのよ、貴方たち……」
サフィアは手近な岩にへたりこんだ。
数日前に宿を取った村が最後で、そこからは馬車の中で寝泊まりした。
馬車も途中で乗れないほど道が悪くなってからは生まれて初めての野宿である。
よく眠れないわ節々は痛いわ、おまけに魔物の襲撃もあってろくに休めていない気がする。
一刻も早く目的地に辿り着きたいのはサフィアも同じだ。
「大体、なんでこんなところに隠れ住んでるのよ、その一族とやらは。トト、貴方の生まれ故郷なんでしょ?」
「……って言っても、五百年も前のことだし。あ、でも、なんで隠れ住んでるかは知ってるよ。元々は魔法使いたちの里だったんだよ、そこ」
「魔法使い? ……って、もうとっくの昔にいなくなった、あの魔法使いのこと?」
「そう、魔法使い。で、その魔法使いは魔物と共存関係にあったんだ。んーと、なんでかって言うと、魔法には魔物のエネルギーが必要だったから。魔物にいてもらわないと困るわけ」
「え。それって、魔物の味方ってこと?」
「うーん……少なくとも人間側にはそう見えたみたい。で、同じ人間から迫害されちゃって、どっかに隠れ住まなきゃ身を守れなくなっちゃったんだって」
人間同士でなんとも世知辛い話である。
そこでふと、サフィアは疑問に思った。
「……アメリアさんも一族の人だったの? 幼なじみだったって聞いたけど」
「あー……違う違う。小さい頃に里を出たんだよ、ボク。確か。アメリアと会ったのはその後だから」
「ふーん」
「……何?」
「別にー」
自分でも驚くぐらい冷めた声になった。
サフィアは肩掛け鞄を背負い直した。
「さあ。グズグズしないでいくわよ、二人とも。もう野宿はごめんなんだから」
「それ、こっちのセリフですー! まってくださーい」
サフィアとメイが歩き出して、トトもぎくしゃくと動き出した。
もし心臓があったら早鐘を打っていた気がする。
「……? なんなんだろ」
女心はよくわからない、と思うトトだった。




