2.5-5
──くしゅんっ。
ぶるりと震えて、サフィアはドレスの両腕を抱え込んだ。
単純に寒さのせいなのか、それとも……。
砂糖菓子みたいなお城にも夜の足音は刻々と忍び寄り、その最奥にある奥棟にも西日は優しく訪れている。
ベッドの上の青年がサフィアに毛布をくれた。
感情の起伏なく淡々と昔語りをした彼にも暑さ寒さはわかるのだった。
もうそれだけしか、残っていないのだった。
五百年前ではなく、サフィアのよく知る青年は億劫そうに睫毛を伏せた。
サフィアを庇って魔物に貫かれた傷が痛むのかもしれなかった。
「随分長く話しちゃったね。まぁ、そのときから彼は魔王の呪いにかかってるってわけ。そうして、彼らは魔王を封印した」
「……誰も教えてくれなかったわ。建国神話の裏に、こんなことがあったなんて……」
長いおとぎ話を聞いた後のように、サフィアは惚けた。
もちろん、ただのおとぎ話であるわけがない。
神がかった聖女伝説では決して語られない剥き出しの痛みや傷跡が生々しくそこにあった。
今も血を流したまま。
長いこと放ったらかしにされて、手当てもされないまま、全然、癒えてはいないのだった。
「ほんと、バカな男だよね。そうやってまんまと魔王に心臓を取られちゃったんだって」
トトはあっけらかんと笑う。
その様子に、サフィアは違和感を覚えた。
「……ねぇ、トト。なんだか他人事みたいに話すのね」
「他人事なんだよ。全部、後から他の奴に聞いた話さ」
満身創痍なトトは小さく息を吐きながら身体を起こした。
紅茶に手をつける。
話の途中で淹れて来たのに、もうすっかり冷めてしまっていた。
「魔王を封印してから、アメリアは初代巫女王になった。そして、治政を安定させるために彼の存在は秘匿され、その後も人知れず城の地下で眠り続けた。ずぅっと。あの日まで……」
☆☆
魔物の脅威から救われ平和になった世界で、勇者だった少女はいつしか大人になり、神聖スカイアーク王国の巫女王として崇められ、人々を導いていった。
その傍ら──
「巫女王様、今日もいっぱい届いてますよ。見合い写真ばっかり。ちょっとぐらい目通してあげたら?」
「……いりません。捨ててください」
今日も今日とて書類が山積みになった執務机に埋もれたアメリアは、引きもきらない縁談話に飽き飽きしながら答えた。
その返事も予想済みな少年は、今日も今日とて見合い写真を倉庫にしまう手筈を整えた。
そろそろ満杯だから、次の保管場所を考えねばなるまい。
城の窓から見下ろす色彩豊かな町並みは活気づき、魔物を心配しなくなった隊商や旅行者が気軽に出歩ける世の中になった。
窓硝子に写り込むアメリアも、もはや合金鎧ではなく、王冠と錫を備えた大人の女性になっている。
魔王を封印して、何もかもが変わった。
変わらないのはただ一人。
今も城の地下に眠る彼だけ。
「はぁ……いい加減にしたらどうです? こっちも責任感じますよ。花の命は短いんですから。この国の未来といつ目覚めるか知れないバカ、どっちを取るつもりですか?」
「おあいにくね。まだまだいけるわよ、私」
「その自信、どっから湧いてくるんです……もう知りませんからね」
そう言いつつ、小言を漏らしていた少年がどこかほっとした空気を纏っているのも知っている。
アメリアはあえて指摘しなかった。
本当はおばあちゃんになっても待つ気でいた。
昏々と眠り続ける彼の胸は鼓動を刻むことなく、ただ外見だけが年相応になっていく。
皮肉なことに、魔王の呪いのおかげで生きている。
毎日、彼の呼吸が止まっているんじゃないかと不安になる。
早く目を覚ましてほしい。
もう一度、名前を呼んでほしい。
昔のように微笑んでほしい……。
そのとき、傍仕えをしている侍従の一人が息を切らして執務室の扉を開けた。
「申し上げます、巫女王様。彼が……彼が目を覚ましました!」
「……っ!」
「巫女王様?! 待って……」
どうやっていくつもの廊下を抜け、どの螺旋階段を駆け下りたかは覚えていない。
アメリアが地下に駆けつけたとき、青年はぼんやりとベッドで身体を起こしていた。
城の侍従たちによってよく手入れされた髪は伸び、肩口から緩く垂れている。
体つきにはもう少年らしさはなく、見慣れているはずのアメリアも思わずドキッとした。
「トト……! よかった……目が覚めて。ねぇ、私がわかる?」
「……?」
青年は不思議そうに首を傾げた。
言葉を理解しない赤子のような仕草で。
無理もない。あれから何年も経っている。
だが、アメリアの方はこの瞬間を何度となく夢見てきた。
感極まって視界がぼやけた。
「私だよ。アメリアだよ。君、何年も眠ってたんだよ。でも、君が言ったとおりだった。きっとまた会えるって……そう言ってくれたから……私っ」
「──キミ、誰?」
意味が理解できなかった。
アメリアの思考が真っ白く弾け飛んだ。
「誰……って」
「ボクは誰? うわぁ、キミ、不思議だねぇ。目から水が出るなんて変わってるや。ところで、ここはどこ? ボクは何してるの?」
──コレハ違ウ。
本能的に、悟った。これはトトじゃない。
(こころのない……道化人形……)
震える指がサイドテーブルの花瓶を引っかけた。
落ちた硝子は砕け散る。
花はバラバラになり、ヒールの下に踏みしだかれ、時間を巻き戻して元通りになんてできない。
何もかもが変わっていく。
永遠に変わらないと思っていたことさえ。
アメリアの知っているトトは、もう、どこにもいない。
背後に息を切らした少年が追いついてきた。
「巫女王様、速い。さすが元勇者なだけある……って、ええ? どうしたんです? 一体、何が……」
それ以上は堪えられなかった。
アメリアは泣きながら地下室を飛び出した。
幼い子どものように泣きじゃくった。
トトが心をなくしたことよりも、そんなトトを受け入れられなかった自分自身に堪えられなかった。
それ以来、アメリアが地下室に足を運ぶことはなくなった。
目覚めた青年も姿を消し──
もう二度と、会うことはなかった。




