2.5-1
私の旅は、ここで終わろうとしている。
魔物のいない平和な世の中にしたい──
そんな願いもあったけど、ちっぽけな私が叶えられるなんて本当は全然思っていない。
……なんて言ったら、君はまた困ったように笑うのだろう。
こうして魔王の城まで辿り着けたのも運がよかっただけ。
人一倍臆病で、だから誰よりも魔物のことを視ていた。
弱点、属性、攻略法……。
こんな私が「勇者」だなんてひどい皮肉だよね。
そんな会話を旅の間、君と何千回したっけ。
それでもいつも隣に君がいたから。
君は自分のことを役立たずだって思ってるけど、魔物との戦いでは本当にその通りなんだけど、でも、君がいたから私は戦ってこれた。
独りになりたくない私の我が侭で、君をこんなところまで連れて来てしまった。
……でも、それももう終わり。
私はここで、一人、最後の小さな望みに賭けてみるよ。
君を道連れにしない──ただそれだけのために。
最後の扉に手を掛けた。
「差し違えてでもおまえを倒す──魔王!!」
勇猛果敢に吼えた私の剣の遥か先、玉座に座った魔王デュヴァルオードが濃く笑みを刻んだ。
悠然と膝を組み、余裕の表情で小揺るぎもしない。
こうしていても肩にのしかかってくる息苦しいほど圧倒的な魔力の圧力を感じる。
人型のフォルムに、頭部に角、背中に漆黒の翼、鋭利すぎる鉤爪を生やした姿。
美麗な青年に見えるのに、ひと睨みされただけで倒れていった冒険者たちを数え切れないほど見てきた。
筋力自慢の男たちが紙細工のように千切られていくのもこの目で見た。
泣きたくなった。
本当は今すぐにでも回れ右をして逃げたい。
(……やっぱり、こうして近くで見ても、弱点が視えない……)
デュヴァルオードの方も、とっておきの玩具を見つけた子どものように残忍さで私の全身を隈なく見ておかしそうに笑った。
「へぇぇ。どんな屈強な勇者が来るかと思えば」
デュヴァルオードが玉座から一歩を踏み出した──刹那。
突風が獣のごとき唸りで駆け抜けた。
凄まじい魔力の奔流に後ずさりしそうになるのを意志の力で懸命に押しとどめる。
「くっ……うぅ!」
「俺様を倒す? もう少し笑える冗談を言ったらどうだ。そんな台詞、何万回と聞いてる。その者たちの末路を教えてやろうか」
「やってみなくちゃわからない! せやぁぁぁ!」
魔力の波動をくぐり抜け、渾身の一撃を魔王めがけて浴びせかける。
ニヤニヤした笑顔に一太刀でも浴びせかけられれば……と思っていた私の予想は、あっけなく裏切られた。
「ぐわぁぁぁっ!!」
肉を抉る生々しくも確かな手応え。
相手の生温かい鮮血が顔にかかり、目の前が真っ赤になる。
左胸を貫かれたまま、魔王デュヴァルオードがゆっくりと倒れ伏していく。
毛足の長い絨毯にじわじわと血溜まりが広がっていく。
デュヴァルオードは──ぴくりとも動かなくなった。
「はぁっ……はぁっ、はぁ…………え?」
刀身が真っ赤に染まった剣を見つめ、私は呆然と立ち尽くした。
本当に倒せるなんて思っていない。
ただ君を死なせたくなくて、ただそれだけのために、たった一人で魔王の城に乗り込んだ。
けれど、こんな結末は想定を超えている。
「……私、魔王に勝った、の……?」
放心したまま後ろを振り返った。
いつも振り返れば君がいたから。
今はいない。
だだっ広いだけの謁見の間。
魔王デュヴァルオードは倒れて、私だけ。
壇上の玉座が主を喪って寂しそうに鎮座している。
気が付けば、あんなに凄まじかった魔力の波動がやんでいた。
ぺたりと床にへたりこんだ。
何の感慨も湧かない。
感情が麻痺したみたいだ。
「…………」
君のことを想った。
私が魔王に殺される夢を見て、いつもうなされていた。
叫びながら飛び起きて、ちっとも眠れていなかったのを知ってる。
魔王を倒したら君は──
「これで……ちゃんと眠れる、かな」
呟いた声が吹き抜けの天井に響いて溶けていった。
世界を脅かす魔物の親玉を倒したっていうのに、幼なじみの睡眠の心配してる自分にしみじみと呆れた。
世界を救った実感なんて全然湧かない。
もし君がここにいたら、「おめでとう」って言うのだろう。
泣き笑いみたいな顔で「君は魔王を倒したんだ」って認めてくれるだろう。
そうしたら、私もきっと泣ける。
やっと初めて実感をもてると思った。
今すぐ君に会いたい。
君の名前を呼びたい……。
だが、言葉は声帯を震わせる前にパチンと弾けた。
後頭部を捕まれ、身体が宙に浮いた。
万力で締めつけられるような痛み。
長靴が虚しく空を蹴る。
「──ふふふ。教えてくれよ、勇者。俺様を倒した気分はどうだった?」
「……なっ!! おまえっ、死んだはずじゃ?!」
「最初の一撃はくれてやることにしてるんだ。冥土の土産にな」
デュヴァルオードに後ろから羽交い締めにされ、首筋に吐息がかかった。
肌がぞっと粟立つ。
左胸を貫いたはずの剣を見る。
愕然とした。
剣は今も魔王に刺さったまま……!
「解せない顔をしているな。どうして俺様が左胸を貫かれても死なないのか……ってところか?」
「放せ! 放して……!」
「人間ごときの武器で俺様が倒せるものか。魔力を使うまでもない。この爪だけで一捻りにしてやる」
鋭利な爪を喉に突きつけられ、痛みを感じるよりも冷たい恐怖に飲み込まれそうになる。
このまま頸動脈を掻き切られれば、抵抗する暇もなくあの世逝きが決まる。
「くっ……!」
頭部の激痛に堪えながら宙に浮いたままの身体を捩って必死に手を伸ばす。
剣の柄に届くや否や身体を反転させると、剣を支点にしてデュヴァルオードを思いっきり蹴りつけた。
慣性のままに剣を引き抜き、魔王との距離をとった。
「小娘……!」
「言ったはず。差し違えてでもおまえを倒すって! うぁぁぁ!」
左胸がダメなら、右胸、腹部、頭部……立て続けに斬撃を浴びせるが、デュヴァルオードの表情は小憎らしいほど涼しい。
これが人間なら痛みにのたうち回っている傷である。
血に塗れているのが相手なのかそれとも自分自身なのかわからなくなるほど剣を揮いながら、追いつめられていくのは私の方だった。
(傷が見る間に治ってく……!)
再生能力──魔物の中でもごく限られた種族しかもたない特殊能力である。
しかも、これが他の魔物であればどこかで確実に急所を捉えているはずだった。
それほどに切り付け、切り刻み、ズタズタにする中、魔王が、ぼそりと、呟いた。
「少しは楽しませてくれると思ったが……な」
突如、剣が止まった──否、止められた。
大上段に振りかざした刃をデュヴァルオードが素手で受け止め、もぎ取ったのだ。
床にしたたかに打ち据えられ、起き上がろうとした喉元に剣を突きつけられる。
「──……っ!!」
「どうした、勇者。もう終わりか」
「……」
握り拳を固めて魔王を睨みつけることしかできない。
倒せるわけがない。
弱点もなく、いくら斬りつけても再生するなんて。
身体よりも心が引き千切れるように痛んだ。
勇者なのに、誰も救えない。
君が大好きだった世界も。
守りたかった未来も。
何も……。
(……ああ、でも──)
君に、私が死ぬところを見せなくて本当によかった……。
たったひとかけらの安堵が胸に落ちて、剣が振り下ろされようとしたそのとき、不意の幻聴が静寂を打った。
──今朝別れたばかりの、でも、懐かしい声。
朽ち果てた広間の情景が涙でぼやけて、光が白く視界を霞ませた。
それでも、君を見間違えるはずがない。
「バカ……なんで来たの。君を死なせないために置いて来たのに……!」
もう会えないと思っていた。
会えば覚悟も何もかも砂のように脆く崩れ去ると知っていたから。
理性なんて一瞬で吹き飛んだ。
「遅いよぅ、トト!!」
理不尽な文句に君は瞠目して、開け放した扉の前で呆れたように肩を竦めた。
「ただいま──アメリア」




