2-4
「──危ないなぁ。こんなところで惚けるなんて正気の沙汰じゃないよ。大丈夫?」
トトだった。
サフィアに振り下ろされた魔物の凶刃を阻み、レイピアで切り結んでいる。
サフィアに襲いかかってきた人型の魔物は、硬い鱗で覆われた全身に鋼の甲冑を着ていた──リザードナイト。
頭部はワニに似た相貌。爬虫類特有の眼を細め、鋭い牙の生え揃った口で、トトの抵抗にニヤリと笑った。
「魔王デュヴァルオード様が復活される……あと少し。もう少しで実体を取り戻される。その娘も生贄にしてやる……!」
「へぇ。でも、生贄ならガキどもだけで間に合ってるだろ。いい加減、キミたちの魔王陛下もカロリー摂りすぎて愚鈍になってるんじゃないのかな?」
「……トト、何言ってるの? 魔王が、復活って……何?」
トトはちらりと視線だけ向けた。
その横顔にはいつもの余裕がない。
「……君を捜しに入った地下で、魔物にさらわれた子どもたちを見つけたよ。魔王デュヴァルオードの封印を解く生贄にされてた。助け出せたのは、あの子だけだ」
「……え……」
トトが目配せした岩陰には震えている小さな人影があった。
昨日、サフィアがで話した、あの子どもだった。
目立った外傷はなく、元気に泣きじゃくっている。
「……ロジー……!」
サフィアは夢中で駆け寄って、子どもの体温を抱きしめた。
「というわけで、これ、捜してる子がいるんだよね。返してもらうよ」
「代わりにてめーがこっちに来いよ、道化師。いや、こう言った方がいいか。『五百年前の大魔法使い様』?」
(……?)
何の話だろう、とサフィアは思った。
トトは相変わらずの無表情だった。
困っているのかもしれない。
こういうとき、どういう表情をするものかわからないというような感じ。
「五百年前、あの女が施した魔界の封印は完璧だった。さすがの俺らも手のつけようがないほどに。けど、あの女にとった唯一、誤算だったのはデュヴァルオード様の魔力にニンゲンのエネルギーが混じったこと……だ。この意味、わかるよな?」
リザードナイトは硬い鱗に覆われた口元を酷薄に歪めて嗤った。
「礼を言うぜ。こうして魔王陛下の封印が解けるのは、間抜けな大魔法使いの心臓を食って魔力の源を奪ってやったおかげなんだからな」
「本当に間抜けだねぇ」
「他人事かよ。……で、性懲りもなく心臓を取り戻しに来たのか」
「んー、今日はこれを取り戻しに来ただけだけど?」
トトとリザードナイトが、一閃、二閃と斬り結ぶ。
「でもさぁ、ここまでくるのも大変だったんだぜ? 魔王陛下を復活させるためにせっかく苦労して巫女王を殺らせたってのに、肝心の生け贄のエネルギーが足りなくってさ。魔法使いの心臓とかあれば手っ取り早かったんだけど、魔法なんてもう過去の遺物になっちゃってるし? 結局、二年間も時間を無駄にして──」
「……何?」
「ん?」
突然、会話に割って入ったサフィアに、リザードナイトは不審そうな顔をした。
「巫女王を……何ですって?」
魔物男の口が裂けたように笑みの形を深くする。
それだけで一気に温度が下がった気がして、サフィアの両腕が粟立った。
「あんたが……やったの?!」
「……おねーさん……?」
ロジーがたじろぐほどの怒気がサフィアの全身から迸った。
リザードナイトは、生贄にしようとしていた少女と子どもの存在にはたと気付いた。
笑みを深くした魔物男の様子に、サフィアの本能が警鐘を鳴らす。
「俺さー好きな遊びがあるんだよね。ちょうどいいからおまえ暇潰しに付き合ってくんない? ただなぶり殺すんじゃおもしろくないからさー」
魔物の男がパチンと指を鳴らすと、暗がりから大小無数の魔物たちが姿を現した。
「──せいぜい足掻いて逃げ惑ってくれよ」
獰猛なランドエイプ、死肉を漁るジャイアントイーグル、美しい花弁の内側に毒をもつクリムゾンローザ。
夜の森は瞬く間に異形の巣窟と化した。
軽薄な声音が極限まで怜悧に研ぎ澄まされた刹那、取り囲んだ魔物たちが解き放たれた矢のごとく押し寄せてくる。
「……っ! 囲まれてる!」
「うぅ。いっぱい来た……戦うしかないだろうねぇ。気が進まないなぁ」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
三人を取り囲んだ魔物たちが動き出すよりも早く。
鍔口で甲高い鋼の音を響かせてトトがレイピアを抜き放った。
低く滞空していたジャイアントイーグルに向けて矢のごとく突き技を放つ。
(速い……!)
鬼神のような戦いぶりにサフィアは瞠目して立ち尽くした。
一体、また一体、トトのレイピアは魔物に斬りつけていく。
本職の剣士であっても、並の者であればこうはいかない。
魔物と戦い慣れている者の体捌きであり落ち着きでもあった。
縦横無尽に揮われる剣捌きを見ながら、サフィアは魔物に囲まれている現状とはかけ離れた不安を感じていた。
胸中に先ほど感じた違和感が巣くって膨らんでいく。
(いったい何者なの? それにさっきのあの、何も感じてないようなあの瞳……)
いつものおどけた調子、退廃的でシニカルな言動、そして剣を揮うときの無感動な戦闘……どれが本当のトトなのだろうか。
「こころのない……道化人形……」
だが、いくらトトが精力的に戦おうと、戦況はややこちらが不利だった。
トトの背後をサフィアが守っているとはいえ、魔物はまだ十体ほどもいるのだ。
しかも蔓状の触手を地面に這わせて足下を狙うのもいれば、頭上からの急降下で攻めてくるものもいる。
一人で複数を相手にしているトトの動きにもいつしか疲れが見え始めた。
「……ちっ! 斬っても斬っても襲って来る」
「えっ、ちょっと今、舌打ちした? 貴方でも焦ることあるのね……」
「だってこういうときってさ、普通、舌打ちするものでしょ? 絶体絶命のピーンチって感じでさ」
(舌打ちする……「もの」)
本心は、どこにあるのだろう。
しかし、それ以上追究する余裕はサフィアにもなかった。
クリムゾンローザの触手に足を取られて転倒した隙に、懐に入れていた短刀をランドエイプに奪われたのだ。
振りかざされた銀色の刃が逆光を受けながらも煌めいた。
トトがレイピアを翻して追い縋ったが、ちょうどそこへ舞い降りたジャイアントイーグルに行く手を阻まれる形になった──間に合わない。
「サフィア!」
「ううっ……! この!」
苦し紛れに蹴り上げた膝頭が何か生温かくて柔らかいものに当たった。
下卑た山賊よろしく嫌らしい笑みを浮かべていた巨猿の表情が一転、苦悶一色に彩られた。短刀を手放して転げ回る。
無我夢中で蔓の拘束から逃れたサフィアはそこで初めて気付いた。
──男性(雄?)の急所をクリーンヒットしたことに。
攻撃した側の方が悲鳴をあげて赤くなった。
「きゃあ?!」
トトなんか指の間から覗き見て真っ青になっている。
「あ痛たたた……」と魔物に同情する形だ。
周囲のクリムゾンローザやジャイアントイーグルたちまで、どこかたじたじと攻撃を躊躇う素振り──巨猿だろうと弱点は人間と同じだった。
(……弱点?)
サフィアの脳裏に閃くものがあった。
うまくいくかどうかはわからないが、魔物相手にも通用するのなら……。
サフィアは傍観している魔物男を盗み見た。
胸の内が憎悪に塗れていくのを自制して、冷静さを必死に取り戻そうとする。
……守りたいものがあるから。
(お母様……お願い。力を貸して)
「トト、少し時間を稼いでほしいの。試したいことがある」
何するの、とトトが視線で訴えた。
だが、詳しくは訊かずに頷きで返す。
このままでは埒があかないのをトトもわかっている。
敵を引きつけておくのも並大抵のことではないはずだが、そんなことはおくびにも出さない。
「ロジーは私の後ろにいて」
「う、うん」
ゆっくりと息を吐きながら、瞼を下ろす。
サフィアは意識を切り替えた。
カーテンを下ろすように外界を締め出し、立ったまま深い瞑想状態へと潜っていく。
手足がじわりと熱を帯び始め、徐々に重みを増していくのが心地よかった。
自分という静かな深海に墜ちていくようなものだ。
けれども、それは一歩間違えば命を落としかねない危険な状態でもある。
無防備になったサフィアの周りでは依然、トトが魔物と必死の攻防を繰り広げている。
瞑想状態特有の冴えた思考の中、サフィアは自分の周囲に広がる世界を、視覚ではない第六感で感じた。
背後の木々と、その向こうの空、地響きをあげる地面、魔物たちとトト、そして自分……それらがまるで連続した意志をもつひとつの存在であるかのようだった。
遠くの雲の動き、木の葉のそよぎ、地面の砂粒のひとつひとつにまで意識を巡らせ把握する。
星の瞬きにも似たほんの些細な違和感を掴んだ。
(──視えた)
そうとしか表現しようがない。
サフィアは永遠にも感じる刹那を経て、再び瞼を上げた。
瞳の中に今視た世界を閉じこめながら。
「──クリムゾンローザは頭の花に隠れて見えない付け根に斑紋がある。そこが弱点なんだわ」
「……?!」
「ジャイアントイーグルは尾羽が本体よ。他をいくら突いても効果は薄い」
「……! わかった!」
ランドエイプの弱点は……もう言わなくてもいいだろう。
絶対に言いたくない。うん。
驚きながらもトトは素早かった。
弱点を突かれたクリムゾンローザは一撃のもとに斬り伏せられ、ジャイアントイーグルは地に墜ちる前に塵となって消えた。
最後まで応戦しようとしたランドエイプの一際大きい個体も無念の叫びをあげながら倒れていった。
ほんの数分で魔物の包囲を切り崩してしまったトトを見ながら、サフィアは目の前の光景が信じられなかった。
トトが急に強くなったのかと思ったが、そんなわけない。ありえない。
変わったのは戦法だ。
さっきまでクリムゾンローザの触手をちまちまと刻み、ジャイアントイーグルの胴体に手応えなく斬りつけ、ランドエイプとバカ正直に力比べをしていたのをやめた──サフィアの言うとおりに。
リザードナイトの口元から笑みが消えた。
「……マジわっかんねー。てめーが他人のために動くなんて。ガキの一人や二人殺されようがのたれ死のうが気にするわけないだろ?」
『そんなこと、きにするあなたじゃないでしょう? あなたは「こころのないどうけにんぎょう」なんですから……』
不意に、トトの動きが止まった。
逆光の中で、その横顔が笑みの形を刻む。
「……そうだよ。ぼくは空っぽのお人形。何を言われても感じない、考えない、おどけているだけのピエロ。人間みたいに振る舞っていてもそれはカタチだけ」
──だから、こそ。
「バカにされた道化師がいるってだけで、魔物にさらわれた子どもがいるってだけで、いても立ってもいられずに飛び出しちゃう女の子のために動いてもいいかなって思ったんだよ。ボクが遠い昔になくしちゃったココロをもって、傷ついて、自分から危険に飛び込んじゃう不器用な女の子のためなら、ね」
そうして魔物たちの最後の一体を屠って、トトは辺りを見回した。
リザードナイトの姿がどこにもなかった……どさくさに紛れて逃げたらしい。
「……逃げ足の速い」
サフィアはほっと息を吐いた。胸の内だけで呟いた。
(お母様……ありがとう)
サフィアがロジーの無事を確認していると、トトも戻って来た。
「あいつらの弱点を知ってたの?」
「え? ううん。初めて見る奴ばっかり」
「でも……」
「ああ、これ? えっと、生まれつきなの。なんか集中すると、ここが脆そうとかあそこを庇ってるとかわかるのよね。多分、あんまり意識してないちょっとした仕草とかなんだろうけど……自分でもよくわかんないなぁ」
トトはまだ納得しかねるようだった。
無意識にレイピアを鞘に収めようとして、血や脂で汚れていることに気付いて顔をしかめた。
「そうだね。普通は気付かないよ」
「よく言われるんだけど……そんなに変かなぁ。すっごく慎重にじーっと目を凝らせばわかるのに」
「──昔、キミと同じことができる女の子がいたよ」
「本当?」
「彼女は自分で剣を揮ってたけどね」
あまりに多くの魔物を屠り、ついには「勇者」と呼ばれるようになった少女が。
けれど、彼女自身の心は決して強くはなかった。
周りの期待と重責に押し潰されて、いつだって、逃げ出したがっていた。
のちの人々が讃えるような、勇猛果敢で包容力のある「聖女」ではなかったのだ……。
サフィアは急に黙り込んでしまったトトの横顔を覗き込んだ。
青年は瞬きを繰り返した。
「……なんでもない。こっちの話さ」
そのとき、二人の会話を聞いていたロジーが悲鳴をあげた。
「おねえさん、あぶないっ!」
「……え?」
ドン、と鈍い衝撃があった。
いち早く反応したトトに突き飛ばされたのだ、とサフィアが悟ったのはすべてが終わった後。
「──しょうがないなぁ、もう」
瞠目するサフィアの目の前で。
左胸を貫かれ、串刺しになったトトが、糸の切れた人形のようにゆっくりと崩れ落ちていった。
血溜まりの中に倒れて、ぴくりとも動かなくなった。
「……トト……?」
サフィアは、目の前の光景が信じられなくて、トトを揺すった。何度も。
左胸の傷は致命傷だった。
助けようもないほどに。
「トト、嫌! しっかりして! 死んじゃ嫌ぁ!」
ロジーもサフィアにしがみつきながら、声もなく震えている。
「これで邪魔者はいなくなった。おめーらもまとめて魔王陛下に献上してやる!」
リザードナイトがサフィアたちの元に飛びかかってくる──その寸前。
疾風のごとき槍が魔物男を目掛けて襲いかかり、瞬く間に切り裂いた。
サフィアの視界に近衛兵を表す白外套が翻る。
そして、よく耳に馴染んだ懐かしい声──
「ご無事ですか、セレンザ様?!」
男女の近衛兵が素早く現れ、リザードナイトをじりじりと追い詰めていく。
「……ロッテ……? どうしてここに……?!」
そこに、第三の人影が現れた。
彼の姿を目にしたサフィアは、今度こそ瞠目した。
滅多に城の外に出て来るひとではなかった。
「……大賢者様……?!」
サフィアは彼にすがった。
なんとかしてくれるとしたら、彼しかいなかった。
「大賢者様、お願い! トトを助けて! 死なせないで……」
大賢者は、サフィアを安心させるようににこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。彼は死ねませんから」
「……え……?」
サフィアには、大賢者の言っている意味がわからない。
彼はトトに手を当てた。
鼓動のない左胸──そこは元々、虚ろで空っぽなまま。
リザードナイトを追っていた近衛兵たちが戻ってきた。
金髪の青年が剣を払いながら大賢者に言う。
「申し訳ありません……逃げられました。深手は負わせたので、まだ近くにはいると思うのですが」
「深追いは無用ですよ。セレンザ様の護衛の方が大事ですからね」
ポニーテールの女近衛兵が感極まってサフィアを抱きしめた。
白外套が夜露に濡れるのもかまわずに、やっと戻ってきた宝物の温もりを愛おしげに抱いた。
「さあ、城に帰りましょう──巫女王様」




