08思惑
趣味のよい風景画が数点飾られている画廊を過ぎると落ち着いた感じのサロンへ案内された。
黒光りするほど磨きあげられた調度品の数々、ファンネル家とは随分違うシックな雰囲気だ。
広いサロンに敷き詰められたモスグリーンの絨毯を踏みしめる。シャンデリアがきらきらと窓からさす昼の陽光を反射する。
ソファーに座り、モーリスと二人お茶を飲んだ。もちろん執事も侍女もメイドもいる。
「大変な目にあいましたね。取調官はどうでした?なかなか厳しかったでしょう。殿下が途中で止めにはいったそうですね」
そういいつつフィナンシェをすすめる。
「大丈夫ですよ、これは王宮の茶会ででた菓子とは別の店のものだから」
彼はそういうと老舗の名前をあげた。ファンネル家でもよく菓子を買い求める馴染みの店だ。モーリスが安全を示すように先に手をつける。
フェリシエルはカカオを選んだ。
「フェリシエル嬢はカカオが好きなんですか?」
「両方好きです」
彼女は両方好きなのだ。王子とお茶を飲むときはカカオの入ったものは手を出さない。彼の好物だからだ。それは王子を慕っていたころの習慣で、何となく今も続けている。
あのフィナンシェにはカカオにだけ毒が入っていたということか?フェリシエルはプレーンしかたべていない。考えてみたら、どちらが毒ありを食べてもおかしくない状況だ。
しかし、フェリシエルは命を狙われる覚えはない。公爵令嬢の娘を亡き者にしてどうしようというのだろう。それで父が失脚するわけではない。やはり狙われたのは王子で、彼の食の好みを知っている者のしわざなのだと考えるのが自然だ。
紅茶に毒が入っていなかったことはわかっている。フェリシエルが注いだのだ。カップは揃いの物で、どちらが使うかわからない。やはり確実に毒を飲ませるなら、カカオ味のフィナンシェしかない。
つまり王子がカカオを好んでいることを知っていて、かつ王子が毒程度では死なないと知らない者?そうすると王子を亡き者にしようと毒を混入したのはフェリシエルという事になってしまう。疑われてもしょうがない状況といえる。とりわけ王子には。
フェリシエルを陥れようとしたのか、それともどちらが死んでも構わなかったのか。もし、フェリシエルが死んだとしたら、王子がまっさきに疑われるだろうが、相手は王族だしはっきりとした証拠がなければ罪に問えない。しかし、ファンネル家と決別することになるだろう。
「どうかしたのですか?難しい顔をして」
物思いから覚め、ふと顔を上げる。
「いえ、何に毒が入っていたのかと、お茶かフィナンシェか」
「フィナンシェですよ。だから私が一番先によばれたんです」
あっさり答えるモーリスに驚いた。
「随分な数をおさめたのですが、それの全てに毒がないことが確認されました。それであなたが呼ばれたのです。
ファンネル公爵家のご令嬢を呼ぶのは皆気が引けたようですが、王妃陛下のご命令であなたに事情を聞くことになったのです」
確かにフェリシエルが犯人としか思えない状況だ。やはり王子に救われたのだ。借りを作ってしまった。
こんな物騒な王宮からは早く距離を置きたい。そして領地に籠るのだ。身の安全を考えれば、これが一番。そうなったら結婚は無理だろうが、幸いファンネル公爵家の資産は潤沢だ。領地の片隅にこじんまりした家でも買ってもらって細々と生きよう。フェリシエルはそんな風に割り切った。
前世の夢でチラリと出てくる言葉に過労死というものがある。今まで一国の王妃というものに憧れていたが、権謀術数の王宮で忙しく生きていくなんて願い下げだ。フェリシエルの中から、いつの間にか名誉欲が消え失せていた。そのためにも穏便に婚約破棄しなければならない。
「それにしても随分仲が良いのですね。二人きりで会うなんて」
「はい?」
「あなたが呼ばれたっていうことは、茶会では人払いされていたのではないですか?普通なら使用人が真っ先に疑われますよね。まあ、彼らも厳しい取り調べを受けているとは思いますが」
フェリシエルは前世を思い出してから、下々の者が苦しむと聞くと心が痛むようになった。自分と重ね合わせしまうのだ。もちろん前世の記憶は夢から覚めるとあらかた忘れてしまい、とぎれとぎれで断片的なのだが……。心のどこかで奴隷ですら自分と変わらない人の心をもった人間だとわかっている。そういう意味では今の彼女は貴族社会では異端者だ。
「人払いなどというほど大袈裟なものではありません。殿下の執務の合間にちょっとお話しただけです」
「これは不躾なことを聞いてしまいましたね」
悪びれることなく微笑んだ。フェリシエルも探りを入れることにした。
「そういえば、この間、メリベル様をエスコートなさっていたようですが、仲がよろしいのですね」
というと、にっこりと笑って紅茶を飲んだ。
「いえいえ、たまたまですよ。彼女は私など相手にしませんよ」
少し残念そうに答えるモーリス。フェリシエルはこれを聞いて重症だなと思った。彼はメリベルに夢中だ。どうせならモーリスルートに行ってくれればいいのに。
小一時間ほどで宰相令息のとの茶会は終了した。終わってみれば事件の話よりも雑談の方が多かった。女性の好みそうな贈り物は何かとか、どのような甘味を好むのかなど聞かれ、メリベル本人に聞けばいいのにと思いながらも適当に受け答えしておいた。
家に帰ると兄が待っていた。あの後王宮へ追いかけてきたらしいが、もうフェリシエルは帰った後だったそうだ。
今度は家の明るい日の差すサロンで、兄と差し向いにお茶を飲んだ。フェリシエルはもうお腹ががぼがぼだった。兄妹で話すのに珍しく人払いがしてあった。
「で?モーリスはなんだって?」
隠すこともないので素直に話した。ただ一つ王子が毒では死なないという事とカカオが好きだという事は黙っていた。自分でもなぜそうしたのかわからない。
「あの王妃、元は側室のくせに」
などとぶつぶつ言いだした。
「あの、お兄様、あまりキャサリン王妃陛下がお好きではないのですか?」
「ああ、ベネット伯爵家と懇意にしているからな」
フェリシエルが断罪されるのは、王子の心変わりだけではなく、家同士の対立が原因なのだろうか。
「何か家同士で対立しているのですか?」
「お前に詳しく話しても不安にするだけなんだが……。対立というほどではない。最近王妃とベネット家が妙な動きをしているんだ。メリベルと殿下を結婚させようと動いている。フェリシエル、お前が邪魔なのだ」
声を潜めて兄は言う。
「じゃあ、今回の事件も王妃陛下が関係しているということですか」
「そうなるのかもしれない。それか第二王子もしくは第三王子擁立派か。大公の動きも気になる。今のところは何派の誰の仕業まではわからない」
「リュカ殿下は、そんなに敵が多いのですか」
怒りに瞳をきらめかせるフェリシエルを前に、シャルルは「しまった」というような表情をした。
「私はとても危険な立場なのですね」
「最近まで、殿下に夢中だったではないか。お前なら気も強いし、乗り切れるのではないかと思っている。それに婚約当初はそんなことはなかった。ここ1、2年の間に物騒な状態になって来たんだ」
フェリシエルに言い訳するように言う。
「どうしてそうなったのです?」
「あの側室が王妃になってからだ。お前ではなくメリベルと結婚させようと画策を始めた。王家は一枚岩ではなくなった。それから、今まで表面化しなかった後継者争いが、激しくなってきたのだ」
つまり水面下では揉めていたということか。この婚約を穏便に覆すのは難しいという事だ。
フェリシエルがやっとシャルルから解放されて部屋に戻ると子猫のミイシャが待っていた。彼女の疲れをとってくれるのは、ミイシャだけだ。さすがにその日は食欲がなくて昼も夜も自室でサンドウィッチとフルーツなどの軽い食事で済ませた。
湯浴みの湯にはフェリシエルお気に入りのバラの精油を垂らした。ミイシャを膝に乗せ、のんびり読書をしながら眠りについた。