05茶会
憂鬱だった。茶会など行きたくはなかった。なるべく王宮には近づきたくないのだ。それに短い時間とはいえ、王妃やメリベルも参加するかと思うと気が重い。
侍女ヘレンのすすめる華やかなドレスを断り、ベルベット地のダークレッドのドレスを選んだ。これならば、明るい色を好むメリベルとかぶることはない。
王子との茶会のため、いつもの控室にヘレンと向かっていると、王子の侍従が迎えに来た。そのまま執務室に通される。こんなことは始めてだった。
そこでは珍しく王子が待ち構えていた。きちんと挨拶は済ませたが、フェリシエルは聞かずにはいらない。
「どうなさったのです?」
しかし、王子はその質問には答えなった。
「体調が悪いという話だったけれど随分と元気そうじゃないか」
「……」
「まあ、いい。ちょっと話がある」
そういうと王子はフェリシエルを王宮内部へといざなった。いつもの庭園へ出る回廊から一歩奥へはいると歩いたことのない廊下が続く。どこで茶会をやるのだろうと、さすがに不安になってくる。ここまで奥深くには来たことがなった。
王子は観音開きの立派なドアの前にたつ。
「この部屋は内緒話をするのに適しているのでね」
そんな風に言いながら王子は部屋へ入った。
椅子もテーブルも重厚な趣のある贅沢なものだった。濃茶の家具を金で縁取っている。豪華だが、どこか重苦しく、古臭い雰囲気だった。
王子は早速人払いをした。本当に誰もいなくなった。いつも距離をおいて空気のようについている従者も侍女もメイドも綺麗さっぱりいなくなった。
はて?お茶は誰が入れるのでしょう?
殿下がお茶はまだかと言わんばかりにティーセットを見つめている。この国王妃教育にお茶を入れるなどなかった気もするが、仕方がないのでフェリシエルが入れた。この間も同じ流れがあった気がする。
テーブルにはさきほどまでいたメイドが用意してくれた美味しそうなフィナンシェがある。王子がすすめてこないのでフェリシエルは勝手にプレーンに手を伸ばした。
「単刀直入に言う。どうして私と結婚したくなくなったのかな?避けてるよね?」
フェリシエルはフィナンシェをパクリと口に入れたまま固まった。
「はい?」
驚きと時間稼ぎのため、中途半端な返事をした。そして、紅茶をゆっくりと飲む。
「だから、時間の無駄は嫌いなんだ。やめてくれ。理由は?」
そういうと王子はカカオのフィナンシェを口に放り込む。所作は優雅だが行儀が悪い。初めて見る姿だ。
「いやだというのではなく。私には王妃は務まらないと思います。自信がありません」
「そうは思えないよ。態度も堂々としたものだ」
皮肉にしか聞こえない。
「私はメリベル様に悋気を起こして、少しきついものの言い方をしていたようです。器の小さな人間です」
「別に私は彼女に懸想していないけれど?婚約者がある身でそのような浮ついたことはしない。そんなことをすれば評判が落ちて、私の今までの努力が無駄になってしまうからね」
確かに王子はよく勉強をして、そして働く。最近では陛下の代行もつとめるようになった。
「前にも言ったが、これは政略結婚だっていうのはわかっているよね?好き嫌いの感情で簡単に覆ることではない。それともファンネル家で第二王子や第三王子を推すながれでもあるのか?」
「はい?」
予期していなかった言葉に理解が追い付かなかった。彼は眉間にしわを寄せた。どんな表情をしても美しい。そうは思うのに微塵もときめかない。
王子を好きな時ならば、これを利用してやきもちを焼かせようなどと浅はかな事を考えたのだろうか。そう例えばほかに思いの人がいるふりをしたかもしれない。しかし、冷静になった今は、王子の腹に一物あるのがはっきりわかる。
「それは現時点で、私と結婚したいということなのですよね?」
一応確認を取った。
疑うほど王子のフェリシエルに対する態度は雑だ。会う時はいつも砂時計を傍らに時間を計るし、王妃とメリベルが一緒にお茶を飲むようになる前は、相槌を打つだけで、本から顔も上げなかった。婚約当初はもう少し話をしていたと思うのだが、今ではもう記憶が定かではない。
「当たり前だ。君と結婚できなかったら、公爵家という大きな後ろ盾がなくなってしまうではないか。それとも愛だの恋だのという妄言を聞きたいのか?」
あと半年もすれば、その妄言を王子が口にしてフェリシエルは婚約破棄を言い渡される。身勝手なものだ。
人払いがされているので丁度いい。フェリシエルも言いたいこと言うことにした。
「いえ、そうではありません。有利な条件で国王になりたいのなら、なおの事私と上手くやった方が良いのではないですか。
失礼を承知で言わせていただきますが、今のままの関係では結婚したとしてもお互い情すら芽生えないと思います。もしも、民のことを思い立派な国王になりたいとお思いでしたら、夫婦仲が良い方がいいのではないでしょうか?」
「だから、いま、君と上手くやれと?」
王子のガラスのような瞳には何の表情も浮かんでいない。これでは王子のペースだ。フェリシエルは話の流れを変えようと思った。
「別にファンネル家と婚姻を結ばなくても大丈夫ではないでしょうか。うちはリュカ殿下派ですから。そこは心配なさらなくても良いかと」
「どうして、そう言い切れる?」
フェリシエルは内心で王子の計算高さに舌を巻いていた。彼の心には保身と野心しかないようだ。
なぜ理性を失うほど王子に恋をしたのだろう。メリベルに嫉妬するなど我ながら馬鹿なことをしたものだ。自分を危うい立場に追いやるだけだ。冷めてみればこんなものかもしれない。
ファンネル家の父と兄は今のところ第二王子第三王子ともに使えないとみている。つまり今目の前にいる王子は群を抜いて優秀で、彼以外に王位を継ぐのはありえないと考えているのだ。
しかし、フェリシエルにそれを伝えてやる義理はない。
「そんな事より、王妃陛下がおすすめのメリベル様と婚姻を結んだ方が良いのでは?」
フェリシエルの口調もいつの間にかぞんざいになる。ゲームならそろそろメリベルにほだされる頃だ。王妃の手前という事もあるだろうが茶会への彼女の参加を拒まない。
「なぜだ?伯爵家とはいえ、ベネット家の権力は侮れない」
どういう事だろう?フェリシエルは王宮内の貴族政治に疎い。
「後ろ盾がベネット家だと何か不都合があるのですか?」
それともベネット家とファンネル家の間に反目があるのだろうか。しかし、フェリシエルのこの発言は出過ぎたようだ。
「だから、私は、お前が嫌いだ」
痛いところをついたらしく、一刀両断された。なるほど、悪役令嬢は嫉妬に狂っただけではなく王子に嫌われていたのだ。
どうやら彼は腹のうちを吐露してはくれないようだ。フェリシエルはまだ死にたくはないので素直に謝罪した。
城から家に帰ると疲れがどっと出た。随分気を張っていたようだ。疲れをいやすべく、のんびりと湯浴みをして読書をした。
王子の綺麗な顔から流れる生々しい言葉を思い出す。前世の記憶は、悪夢なのではないかと思いたかった。しかし、それが真実だと酷似した現実世界が告げている。
ゲームの中のリュカ殿下はヒロインには誠意を尽くし優しかった。そして現実の王子は嫌いな人間に対してはとことん冷淡になれる人だ。
このままいけばフェリシエルは確実に断罪されるだろう。幽閉などと言う生ぬるいことで済まされるだろうか。次に打つ手を考えなければならない。
王子は今はフェリシエルと結婚をするつもりでいるようだが、どこかで手のひらを返すはずだ。きっかけは何なのだろうか?
ベネット家との間にこれから何か起こるのだろうか?明日それとなく兄のシャルルに聞いてみよう。
フェリシエルが物思いに沈んでいると「にゃあ」と可愛らしい鳴き声が聞こえた。
「ミイシャ、おいで」
子猫はまるで彼女の言うことがわかっているようだ。膝に乗り丸くなった。真っ白な毛糸玉のようだ。どうやら今夜はミイシャが一緒に眠ってくれらしい。フェリシエルはその柔らかい毛並みを楽しんだ。
よく朝、事態は動きを見せた。