26ペットたちの冒険2
「どうしたのかしら。でんちゃんとミイシャ」
フェリシエルがいつになく落ち付きがない。陽が落ちてからサロンを行ったり来たりしている。
「あいつら仲良くなったみたいだから、どこかに遊びに行ったんじゃないか?」
仕事から帰って来たシャルルがのんびりした口調でいう。フェリシエルは心配そうに外の様子をうかがっている。すると、すっかり汚れて埃っぽくなったハムスターと子猫がサロンに入ってきた。
「でんちゃん、ミイシャ、こんなに汚れて何していたの?」
フェリシエルは心配顔で二匹に尋ねる。もちろん返事はない。
「セシル、桶にぬるいお湯を、それからタオルを用意してちょうだい」
フェリシエルが指示を出している間、ハムスターは後ろあしで耳をかき、子猫は顔を洗っている。
「なんだか、この家ほのぼのしてきたな」
嫌がるミイシャを宥めながら風呂に入れるフェリシエルをみながら、シャルルが呟く。二匹のペットが来てから妹は随分と穏やかな表情を見せるようになった。
「あっ、だめよ!でんちゃん。ハムスターは皮膚が弱いから、お湯に浸かっちゃいけません」
ハムスターはそれが不満らしくふてくされて床に転がった。王子のだだっこぶりにフェリシエルは思わず眉尻をさげる。
「でんちゃん、それじゃ体拭けないでしょ。しょうがないわね」
固く絞ったタオルで優しく拭こうとするが、ハムスターは嫌がり手から逃れでた。
その後、二匹を抱いて部屋に引き上げた。ミイシャはフェリシエルが暇にあかせて作った猫ちぐらに入ってすぐさま丸くなる。疲れていたようだ。フェリシエルは拗ねているハムスターを文机におろす。
「殿下、何が不満なんですか?」
「風呂に入りたい」
「まず、砂風呂に入りましょう。それからタオルで体を拭いてあげますから」
王子は砂風呂の快楽を思いだしたが、どうしても風呂に入りたかった。
「ぐぬぬ。私は神獣であるぞ。しかも肉食だ。肌が弱いわけはない」
王族ハムスターは果物も大好きなので正しくは、雑食だ。
「わかりました」
フェリシエルはスープ皿を用意し、ぬるま湯をはる。するとハムスターは喜んでパシャパシャと風呂に入った。王子はかなり風呂好きなようだ。とんでもないはしゃぎっぷりだった。
「耳に水が入らないように気をつけてくださいね」
「ふう、気持ちがいい。フェリシエル、毎晩風呂を用意しろ」
やっと機嫌を直したようだ。
「だから、ハムスターはお風呂だめなんですって」
「何度も言わせるな。私は神獣だ」
「はいはい」
適当なところで、パシャパシャとはしゃぐハムスターを皿から取り出し、タオルで丁寧に水気を拭きとってやる。
いままではしゃいでいたのに急に大人しくなった。外で遊んで疲れたのだろうか。光沢を帯びたサテンシルバーの毛並みが戻る。あの腹立たしい王子がこんなに可愛らしくなるのが不思議だった。フワフワな手触りがたまらない。
「でんちゃん、可愛い」
フェリシエルが優しくなでる。
「どうして私と、婚約破棄をしたいのだ」
ふいの質問にフェリシエルは素直に答える、
「うーん、殿下というより、第一王子と婚約したくないのです」
「ん?」
ハムスターが小首をかしげる。
「だから、殿下がうちの婿養子になればいいのです」
「意味がわからん。それにシャルルはどうなる?」
「ふふふ、そうでした。忘れていました」
「つまり、王妃にはなりたくないと言うことなのか?」
その言葉を聞いてフェリシエルは微笑んだ。
「それは、なりたくないですよ。でも、違います。正確には次の夜会の前に婚約破棄をしたいのです」
フェリシエルは王子に話そうと覚悟を決めた。考えてみれば、信じてもらえてなくても、おかしいと思われるだけのことだ。なんだかんだで婚約破棄できるかもしれない。ただ、こうして訪ねてきてもらえなくなることが少し寂しい。
「ふん、話が長くなりそうだな。今度でいいか」
「はあ?」
王子は専用ベッドへ入る。
「いえいえ、超ショートバージョンでまとめます。子守歌と思って聞いてください」
「……」
王子に拒否権はないようだ。諦めたように小さい体をベッドの中で更に丸めた。ふわふわの毛玉のようだ。
フェリシエルは自分には前世の記憶があり、ひと月後の夜会で王子に婚約破棄され断罪されると話をした。もちろんここが前世自分がプレイしていた乙女ゲームの世界に酷似していて、自分が悪役令嬢なる者だという事も洗いざらい喋った。正味二時間。
「くだらん。もう寝ろ。私は、明日の朝、城に戻る」
王子がそういうと、突然フェリシエルがぽろぽろと泣き出した。
「え、なんで? 泣くようなこといったか?」
驚いたハムスターが目をぱちくりとして起き上がる。意地悪したつもりは、まったくなかった。というか二時間も話に付き合ってやったのだから、むしろ感謝して欲しいレベル。
「もう私はでんちゃんに会えないんですよね」
「はあ? どうしてそうなるの。明日は人化できるから、そろそろたまった仕事を片付けに城に戻るだけだ。夜にはまた帰ってくる」
ぴたりと泣き止む。
「本当ですか?ハムスターの姿で?」
フェリシエルの言い方に、ちょっと引っ掛かりを覚えたが、話がすすまないのでスルーした。
「ああ、まだ、本調子ではないし、夜の城は物騒だからな」
「じゃあ、明日お待ちしていますね」
彼女は嬉しそうに微笑む。
「何時になるかわからんから、窓を少し開けて寝ていろ」
ハムスターはそういうと後ろ足でかりかりと耳をかく、それに合わせてふわふわと毛が揺れる。
「それでですね。夜会前に私との婚約はなかったことにしてくれませんかね?」
「ないから、未来永劫ないよ。だいたい夜会でそんな事をしでかしたら、私は王位継承権をはく奪をされる。エルウィンが次期国王になってしまう。私はそんなに愚かではない。それに、そのシナリオとかいうやつ、はずれているではないか。孤児院には一緒に視察にいっただろう」
「ゲームは、『王子とヒロインは悪役令嬢を排除して幸せになりました』でエンディングを迎えます」
フェリシエルは食い下がる。
「だったら、そのあと王子はすぐに不幸になるんだろう。それとも一生幸せに過ごしましたとか、その珍妙なゲームのシナリオにはあったのか」
「……そういえば、なかったような気がします。なんだか妙に最後はあっさりしていた記憶が」
「そんなあやふやな記憶をなんで確信持って語れるの? そうそう、夜会、仮病使って休むとかなしだからね。国外の賓客招いているから、私の婚約者が出席しないなんてありえない。それにお前がいないと他の令嬢のダンスの相手をたくさんさせられる。馬鹿みたいに愛想笑いしてなきゃならないし、気を使うし、面倒だから嫌なんだ。もう寝る。お休み、フェリシエル」
そういうとハムスターはくるりと背を向けて丸くなる。今度こそ本当に寝るらしい。やはり王子は王子だった。ゲームの中とはずいぶん違う。
それにしても、あまりにも彼の態度は淡々としている。もっとこう「お前おかしいんじゃないのか?」「そんな話、でっちあげだろう」とか、あるものかと覚悟していたのに。だいたい王子はこの話を信じたのだろうか? 彼の反応からは、判断できなかった。
確かに王子の言う通りシナリオと違う。フェリシエルの知らない分岐ルートでもあったのだろうか? このままだと夜会までに婚約破棄するのは無理そうだ。考えてもしょうがないので、彼女もハムスターにならって眠ることにした。
次の日、王子は朝早く出立した。ファンネル家と王宮居住区をつなぐ極秘通路をひた走る。すぐにでも彼の子飼いの諜報部員にあの屋敷のことを調べさせなければならない。ジーク一人が道を踏み外していただけならまだしも、レスター公爵が、この件に一枚噛んでいれば、かなり面倒なことになる。ファンネル公爵の協力も必要になるだろう。どのみち、ジークは救いようがないが……。王子にはやることが山積みだった。
その朝、ファンネル邸では父と兄に加えて珍しく早く起きたフェリシエルが朝食をとっている。そこへ執事のテイラーがやってきた。
「旦那様。屋敷内に迷い馬が入ってきましたがいかがいたしましょう」
「迷い馬だと?」
いつも落ちついているネルソンもさすがに驚いた。迷い馬が敷地に入ってくるなど聞いたことがない。犬猫でもあるまいし。
「はい、それが、とても立派な青毛で」
「お父様、ぜひ、保護してあげましょう」
フェリシエルが目を輝かせる。ファンネル家には鹿毛しかいないのだ。
「ああ、持ち主が出てこなかったら家の馬だな」
馬が好きなシャルルもかなり乗り気だ。
「はい、楽しみです」
美しいファンネル家の兄妹は笑いあう。彼らは新たなペット候補の出現にわくわくしていた。