20 sense of loss 2
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ファンネル邸に外商が来た。彼らは定期的にやってくる。
フェリシエルは最近ドレスや宝石に興味がない。気を引きたい相手もいないし、心から褒めてくれる殿方もいない。新作のドレスを身にまとい取り巻きに世辞を言わせるような馬鹿なことをやろうとも思わない。そしてミイシャもいない。ないないづくしのフェリシエルは買い物に魅力を感じなくなっていた。そんな彼女の様子に、いままで贅沢を戒めていた両親ですら心配した。
外商員たちが次々に商品を並べていく。美しい布に宝飾品、エトセトラ。
「今日はこちらをお持ちしました」
彼らが最後に箱から出したのはドールハウスだった。フェリシエルの目は釘付けになった。あのサテンシルバーのハムスターにぴったりではないか。沈みがちだった気持ちは一気に浮上した。
「まあ、すごい茶器もあるわ。これに本当のお茶を注いでも大丈夫?」
「え? まあ、装飾品ですが、一応本物と同じ造りになっております」
外商員はドールハウスに食いついたフェリシエルに驚いた。彼女は今までそういったものに興味を示してこなかったからだ。
「それじゃあ、このティーセットとティーテーブルと茶器をいただくわね。あら、お風呂もあるのね」
「あらあら、それなら全部買って、おしまいなさい。それから、王宮に行くのにドレスも必要よ。たまには買ったらどう?」
母のウィルヘルミナが言う。少し前まではフェリシエルがドレスや宝飾品を頻繁にねだっていたので叱っていた。しかし、今はすっかり物欲のなくなった娘を心配していた。
「いいのよ。お母様、全部はいらないの」
フェリシエルはハムスターに必要なものだけ選んだ。次の新月にまた訪ねてくるかもしれない。いやきっと来てくれるはずだ。居心地の良い空間を作ってあげよう。リピートしてもらうために。想像するだけで、わくわくしてきた。
「それじゃあ。あなたのドレスに使う布はヘレンとセシルと一緒に選んでおくわね。あとから気にいらないと言ってもダメよ」
「ドレス? 別にいりませんわ、お母様」
「いらない? それは、殿下がドレスを贈ってくださるってこと?」
「はい?」
フェリシエルは小首を傾げた。王子はそんなに甘くない。婚約者として過不足なく挨拶状や贈り物をよこすが、贅沢なものを頻繁にフェリシエルにプレゼントしたりしない。
「いやね。フェリシエルったら、さ来月王宮で夜会があるの、忘れちゃったの?」
「ヤカイ……」
生まれてはじめて、ザーッと血の気が引いていく音を聞いた。フェリシエルは思い出した。むしろ今まで忘れていた自分が信じられない。さ来月の夜会は彼女の断罪イベントだった。
度重なる失言で王子のフェリシエルに対する好感度は、どう考えてもダダ下がりだ。割と今まで思ったことを彼に言い放題だった気がする。メリベルに嫉妬して張り合っていたときの方がまだかわいげがあったかもしれない。
……もう、間に合わないじゃない。
彼女は、卒倒した。
フェリシエルは珍しく三日三晩熱を出して寝込んだ。翌朝何とか気力を取り戻し、起き上がった。寝込んでいるわけにはいかない。何か手立てを考えなければ、彼女が部屋で悶々としているとシャルルが部屋に訪ねてきた。
「フェリシエル、殿下から、お見舞いだよ」
といって花を届けてくれた。使用人ではなく兄が届けに来たということは何か話があるのだろう。
「ほら、メッセージを読んでご覧」
シャルルは上機嫌だ。それもそのはずメッセージはフェリシエルに夜会用のドレスを届けることと、エスコートする旨が書かれていた。
アレ? おかしい。この夜会で殿下はメリベルをエスコートするはず。乙女ゲームはどうなったの?
「お兄様、どうやって殿下に私のエスコートをお願いしたのですか」
「おかしなことを言うね。最近上手くいっているようにみえたけど、喧嘩でもしたのか?」
エスコートもドレスのプレゼントも、純粋に王子からの申し出だった。
その日も城で、みっちりとお妃教育である財務の勉強をした。王子に選んでもらった本のお陰でだいぶわかりやすくなっていた。
彼に「鳥頭」と馬鹿にされて悔しかったので必死で勉強した甲斐があり、今日は教師に褒められた。
その後フェリシエルは図書館で勉強を始めた。せっかく城に来たからには王子と話をして真意を確かめたかったが、「なんで私をエスコートする気になったんですか?」などと聞きに執務室に突撃するわけにはいかない。仕事を邪魔された彼はきっとさわやかに微笑みながら、フェリシエルを迎え入れ、腹の中で激怒し、彼女に何らかの報復をするはずだ。
しばらく図書館で集中して勉強していると
「フェル、その本、マスターできたようだね。今度はもう一段階上げようか? 猿並みな君でも理解できる本を探しに行こう」
王子が彼女の耳元で、いきなり喧嘩を売ってきた。今しがた彼に会って話がしたかったはずなのに、あっという間に頭に血が上った。
「はあ? 私は、馬鹿ではありません。むしろ頭はいい方ですからっ!」
振り向くと王子はどこにもいない。あれ?
「驚いたな、フェリシエル。よくそんな恥ずかしいこと大声でいえるね」
笑いを含んだ王子の声がどこからか聞こえる。気づくと、フェリシエルはテーブル席で、ひとり周りの視線を釘付けにしていた。
やだ、私、変な人じゃない!
また、王子にしてやられた。彼女の膝にちょこんと飛び乗ったサテンシルバーの王族ハムスターが、せっせと毛づくろいをしていた。
フェリシエルは真っ赤になって、それでもハムスターを大事そうに手の中に封じ込め、大きな書架の影に逃げ込んだ。
「ひどいです。殿下、私がいったい何をしたっていうのですか」
そう言いながらもサテンシルバーのもふもふに頬ずりがとまらない。可愛い、気持ちいい、最高の手触り。手の中のハムスターは諦めたようにされるがままになっている。ここで下手に動くとフェリシエルにうっかり握りつぶされそうだ。
「そんなことより、十日後の晩、お前の部屋にいく。よもや猫を飼っていないだろうな?」
王族ハムスターじきじきの先ぶれに、フェリシエルはその日が新月だということに思い当たった。
彼女の部屋のハムスターおもてなしグッズは着々と増えている。ティーテーブルにティーセットなどなど。この間は彼のためにベッドまでちくちくと縫い上げてしまった。籐製のかごを使用した手作りの天蓋付きベッドで、仕上げにひらひらのリボンで飾りつけをした。フェリシエル自慢の一品だ。
「ぜひとも足をお運びくださいませ。このフェリシエル、あなた様のお越しを心よりお待ち申し上げております」
「……なあ、フェリシエル、常々思っていたのだが、この姿も人型も同じ私であるのに、なぜそうも態度が違うのだ?」
「はあ、殿下にはこの複雑な乙女心わからないでしょうねえ」
フェリシエルが手の中のハムスターを撫でながらゆるゆると首をふり、切なそうに言う。
「ぐぬぬ」
フェリシエルは可愛いハムスターの唸り声に気を取られていた。王子はフェリシエルのハムスター溺愛の謎に迫っていて、周囲に注意を怠った。
ドンという大きな音がして本がばらばらと落ち、視界がぐらりと暗くなった。
「フェリシエル、危ない」
強い力でフェリシエルは突き飛ばされた。ガシャーン、空気を震わす大きな音が響き渡り書架が倒れた。衝撃でもうもうと埃がまう。
「リュカ殿下!」
倒れた書架の下から、彼の腕と頭が見えた。そこから、つーっと一筋の血が流れでる。書架が倒れ込む瞬間、人化してフェリシエルを安全な通路へと突き飛ばしたのだ。
「いやーー!誰か……、誰か来て!」
フェリシエルは徐々に広がっていく血だまりに飛び込んで、必死で書架をどけようとした。しかし、彼女の力ではびくともしなかった。
「うそ……うそよ。こんなの嘘に……きまってる」
生か死か……それを選びとる瞬間、彼が選択したものは……。