01前世と現世
会社帰りに同僚と近所の安い居酒屋で飲んだ。
その同僚に居酒屋で告白される。
無理。絶対に無理!
私は失恋したばかりなのだ。相手は年下で役者志望の甘いマスク。今まで男性に優しくされたことなどなかった。
生まれて初めての恋と思い、貢ぐだけ貢いだ。貸せと言われれば、食費を削ってでも貸した。気付いたら、有り金全部はたいていた。
でもね、おかしいの。もう、お金がないと言ったら、「借金すればいいじゃん」だって。だから、「それは無理。貸したお金返して」と言ったら、「え?全部くれたんでしょ?」身も心も懐も凍った瞬間だった。
別れ際に
「俺たち友達だよね」
「はあ?」
確かに手をつないだだけだった。え、私の勘違い?
うそでしょ?あなたに貢いだ400万どうなっちゃうの?
どうにもならなかった。連絡もつかなくなる。
だから、誰かと付き合うなんて無理!男性なんて信じられない。
それなのに断ったら同僚が切れ始めた。
「お前程度の見た目で、断るなんて何様のつもりだ。折角、付き合ってやろうと思ったのに、俺どんだけボランティア精神あるんだよ。だいたいいつも高慢なんだ。だから、会社の女子からも嫌われるんだよ」
「はあ?会社の女の子ってほぼ派遣しかいないじゃない」
「なんだよ。その言い方、派遣を馬鹿にして、それが態度にも出てるから、あいつら誰もお前の言う事きかないんじゃないのか?
だいたいお前俺のこと馬鹿にしてんだろ!国立大出たからって自慢してんじゃねえよ。いまじゃFラン出の俺の同僚じゃねえか。このブス眼鏡」
これ、酒の勢いでも許せないレベルだよ。ビールの注がれた中ジョッキを頭からぶっかけてやろうかと思ったけれど「このブス眼鏡」で気持ちが一気に覚めた。子供か!
そこまで蔑んでいる女に、なぜこの男は告白して来たんだろうね。まったく、今までいい同僚だと思って過ごしてきたあなたとの時間返しなさいよ。
私は静かにテーブルに金を置いて店を出る。注目の的だよ!
こんなとき愚痴をこぼせる女友達なんていない。悔しいが、あいつの言う通りだ。
私は自分が一番優秀で偉いと思っている。だから、友達がいない。だって本当のことだから。まあ、大学に入って一番じゃないって気づいたけれど、その時はもう就活失敗していた。見下していた奴らがみんな公務員になったり、親のコネで一流企業に勤めたりとそんな感じ。
ふらふらとターミナル駅地下のドラッグストアであたり目と缶ビールを買った。まだ飲み足りない。ほろ酔い気分のサラリーマンでごった返す地下街をそぞろ歩き、水槽にたゆたう水草を眺め癒されつつ、エスカレーターに乗ってプラットホームに降り立つ。まだ宵の口で、明日は休みだ。
パアアアと音をさせて電車がホームに滑り込んできた。一瞬目は線路に引き寄せられたが、大丈夫。私には帰ったら、乙女ゲームが待っている。超絶イケメンのリュカ様が抱きしめてくれる予定。
馬鹿な同僚のことなど忘れて、ウキウキしながら列車に乗り込んだ。貯金をすべて失った私の唯一の楽しみ、生き甲斐だ。うん、学生時代はゲームなんて思いっきり馬鹿にしてたよ。
鳴り響く電子音。ふと目を覚ますと、カーテンを閉めきった薄暗い自分の部屋でスマホが鳴っている。二日酔いの頭にガンガンと響く。昨日の酒がきいた。見ると会社からの電話だ。出たくない。だって今日は休みじゃない。
しかし、勤め人の悲しさよ。
「バカヤロー、謝りに来るなら俺の休みの日にしろ!」
そんなモンスターな客の為に、休み返上、これ休日出勤つくの?
社畜な私はスーツを着て手土産持って上司と詫びにいく。
そう私のお仕事は苦情処理係。これ大学の勉強役に立ちましたかね。商学部出身なのですが。ブスだしもてないから、勉強だけは頑張ったのに、まったく役に立ってない。
親と離れて一人ぐらしの私、過労死で孤独の死の可能性だけ急上昇中。
ピンポーンと間延びするチャイムの音をさせて、客が住む家の玄関にたち、上司と頭を下げる準備をした。
*********
意識をとり戻したフェリシエルは叫んだ。
「オーマイゴッシュ!」
目覚めと同時に前世の記憶が戻った。しかし、鮮明だった記憶はだんだんあやふやになってくる。
(ものすっごい悪夢を見たのだけれど?いや、うそでしょ?あの下賤の女が私だったなどと認めたくはない。これはきっと未来視)
だが、しかし、下賤の者が前世とやらでプレイしていた乙女ゲームの世界はこことそっくりだった。
そしてフェリシエルはヒロインが王子ルートを選んだ場合専用の悪役令嬢である。
さらに残念なことにどう考えてもヒロインは大嫌いなメリベルだ。
(メリベル、どうして殿下を選んだの。他にいくらでもルートはあるでしょうに。よりによってなぜ殿下。……でも変ね?雷に打たれるなんてイベントあったかしら?記憶があやふやだ。いえ、いけないわ。あんな下賤の者を私の前世だと認めたら、それこそアイデンティティクライシス)
フェリシエルは療養が終わるや否や神の加護持ちと言われてちやほやされた。雷に打たれて加護って何なのだろうか。罰が当たったの間違えではないのかと思った。おそらく前世の記憶がそう感じさせるのだろう。
彼女が雷に当たって助かったのは、雷属性の魔法に適性があったからだ。王宮の一角を占める魔法院でもそう判断している。しかし、王子の婚約者であるため、おかしな噂が貴族の間で広がってしまった。
これが前世を思い出す前なら、フェリシエルは大喜びで、今まで以上にお妃教育に精を出しただろう。自分こそが選ばれし者と気分も高揚し、ますます調子にのるはずだ。
しかし、認めがたい前世を思い出した今となっては、全力で婚約を回避することしか思いつかない。
なぜなら、このまま婚約が続くと殿下とメリベルのバカップル、宰相の子息、騎士の子息、第二王子が結託し彼女を断罪するからだ。
残念なことに婚約破棄まであと半年しか残っていない。ゲームはすでに終盤に差し掛かっていた。
しかし残るルートは意外にバラエティーに富んでいる。
1斬首
2暗殺
3自ら毒杯をあおる
4国外追放
5幽閉
すべてバッドエンド。
3は絶対にない。神経毒とかパス。4の国外追放も絶対無理。籠の中の令嬢が生きていけるわけがない。下手したら、1の斬首の方がましなレベル。いまさら魔法の練習? 残念ながら、冒険者になれるほどの適性はないだろう。魔道の勉強は制御を習ったくらいで、お妃教育をメインにやってきた。
よって一番ましなのが幽閉ルートだ。ちなみ2の暗殺はナイフで急所をさっくりのスマートなものではなくぼこぼこに撲殺。これもありえない。
仮に、フェリシエルの前世があの下賤の女だとしたら、前世と同じく現世でも必死にした勉強が役に立たないことになる。
彼女はそこまで考えて床に崩れ落ちた。床を拳で叩いて泣き叫ぶ。慌てて、侍女が部屋に飛び込んできた。
次の日は少し落ち着いた。そよ風吹くテラスで、白いティーテーブルに腰かけ一人冷静な頭で考える。幽閉って、前世で言うヒキニート?高等遊民?プライド捨てられれば、案外楽かもと前向きに考えをあらためた。
しかし、やはり絶望している。今まで彼女がメリベルにした嫌がらせは、コップの水をかけるくらい。
以前、メリベルがわざとらしく転んだふりをして殿下に助け起こされたとき、どさくさに紛れてべたべたしていたので、叱責したくらいだ。
こんなちっちゃい嫌がらせで、自分が罪に問われるなど納得がいかない。「乙女ゲーム」理不尽。それならばもっとやっておくのだった。
いや美しくない。それはフェリシエル・ファンネルの主義に反することだ。
そしてメリベルに腹を立てている割には、王子に対して恋心が驚くほどない。ひとかけらも、全く。むしろ自分の命が一番大事。
ヒロインから王子を奪えばいいとも考えたが、恋心もないうえに、愛されるとは思えない。殿下はいっそ清々しいほどフェリシエルに興味がない。婚約者というただの記号のような扱いだ。
後はエンドでいかに軽い罪にできるかにかかっている。
フェリシエルは横で眉を顰める侍女ヘレンをよそにクッキーをさくりと齧り、優美なカップに注がれた薫り高い紅茶を飲みながら、夢で見た(認めたくない)前世をできる限り思い出してみた。しかし、大切な場所には靄がかかり、上手くいかない。
三枚目のクッキーに手を伸ばす。
「お嬢様、三枚目でございます」
「ああ、いいのそういうのやめたから」
「はい?」
「もう太っても構わないのよ」
侍女のヘレンがぽかんとした。フェリシエルの今までの努力はすごかった。食べたいものも食べずに美容に励んできた。クッキーに手を出すことなどなかった。殿下に好かれようと必死に努力をし、勉強も礼儀作法もダンスも頑張っていたのだ。
それが今ではすべてに手を抜くようになった。それどころか図書室に籠って何時間もぶつぶつ言いながら調べ物をしているときもある。
このフェリシエルの急激な変化に、ファンネル家の使用人達はついていけなかった。
よくよく考えたら、あの王子、別にいらないわ。なんで執着したのかしら?
その後、彼女はさくさくと音をさせ、美味しそうに五枚のクッキーを平らげた。